「イラストとマンガ」カテゴリーアーカイブ

私の小学生時代〔07〕

 今日は楽しいお話です。

 バス旅行です。遠足なのです。

 富士市を出発して西の方角、箱根のてっぺんにある湖、「芦ノ湖(あしのこ)」を目指す車中です。

 みんな大変に喜んでいます。

 バスガイドさんは困っていますけど、イラスト表現としておさまりが良いかなと思って描いただけでして、特にバスガイドさんのことが記憶にあるわけではないです。

 おそらく市内の小学生の多くが知っていたと思うんですが、東名高速道路のわきに「いかりや長介さんのご実家」があったのです。インターチェンジを出てそんなに距離もない位置。富士市内です。

 高速道路の上り線を走るにおいて北方向におウチが見えるのでした。

 竹やぶに囲まれた古い外観だったと思います。

 それが本当にいかりやさんのご実家であるかどうか、私は知らないんですけど、いかりやさんがかつて富士市の原田という地区に住んでいた。いかりやさんのお父様は終生、富士市に住み続けた。というのは事実らしいです。

 私が小学生の時なんてもう、いかりやさんがリーダーを務めていたザ・ドリフターズの人気は頂点を極めておりまして。いかりやさんのお名前、「チョースケ!」ってクチに出して言うだけで当時の子どもにとっては面白かったのです。

 バスの車中はもう「チョースケ!」「チョースケ!」の連呼でありました。

 それだけでゲラゲラと笑いが収まらない状態。

 何がそんなに面白かったんだろうと今では思いますけど大変な盛り上がりでした。

 イラストは大げさな描写ですが、みんなそっちの方を見ようとして大騒ぎ。

 冷静に考えればごく普通の民家が見えるだけなんですけど、「遠足」という非日常性に加えて「チョースケの家、来るぞ…来るぞ………出たー!」っていう面白さなのでした。

 私も嬉しく感じていましたけど、そんなに活発なタチではないのでニコニコしているだけだったと思います。

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 最後に掲載するのは富士市内に「吉原(よしわら)」っていう地区がありまして、一応の繁華街なんですけど、「長さん小路」っていうのがございます。しかし特別に何かあるわけではなくて、柱に銘板が貼ってあるだけです。

 いかりやさんの死後に設置されたものです。

 吉原商店街の真ん中あたり、南側の区画にあります。

 数年前に写真を撮っておいたはずなのにどこかに紛れ込んでしまいまして探し出せず。今朝あわてて写真を撮ってきました。

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 日記的な記述です。

 今夜は小学校区内の公民館的な施設で「行政懇談会」がありますので聞きに行きます。

 市長からの市政についてのお話のほか、道路の使われ方というか渋滞について。それと公園の使われ方についてのお話が聞ける予定です。

私の小学生時代〔06〕

 体育館ができた時のお話です。

 なぜかその時の先生のノリが妙に良くて。

 「新しい体育館ができたからな!」「長く使うぞ!」「みんなで床にオイルを引こう!」というような感じでした。ひとつのクラスっていうより、学年全員でやったと思います。

 先生のノリの良さをマトモに受けた私としましても「そうか! 長く使うのか! がんばるぞ!」と発奮したことを思い出します。

 良い先生でしたね。どなたであったかはまるで覚えてないんですけど。

 それとか校歌の歌い方が楽譜と違うよ!って言ってくれた先生にしろ、良い先生に恵まれたんじゃないかと思います。

 体育館での床の作業に戻しますが、オイルをボタボタこぼしたものを薄く伸ばす作業をしたと思います。

 あの真っ黄色のオイルって今でも使われているのかわかりませんけど、印象的な色彩と、粘り気でした。

 次の日に拭き取って雑巾がけをしたとか、よく覚えているわけではないんですが、そんな感じだったと思います。

 地区のまちづくりの仕事をしている関係で、たまに体育館の中に入ることがありますけどまだまだ床はきれいです。

 これまで関わってきた人たちの手入れのたまものではないでしょうか。素晴らしいですね。

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 上の画像は今の体育館、その外観です。

 バリアフリーってことで入り口にスロープがついたり、トイレが新しくなったりしましたが、基本的には昔のままだと思います。

 「長く使うのか!」と納得した小学生時代の私でしたけど、まさかその私が還暦近くになるまで使うとは思いませんでした。

 体育館はまだまだ使えそうです。

 今後も年に数回程度ですけど私も関わっていくと思います。大切にしていきたいです。それは小学校の校舎とか運動場も同じですが。

私の小学生時代〔05〕

 きのうのつづきです。

 私が通っていた小学校に体育館や、新校舎が増築されたのでした。

 順番としてはもう覚えていないのですけど、まず体育館の方が先にできたんだと思います。

 本日のイラストは、体育館や新校舎を作る際に「基礎を石で埋めると建物が安定するよ」「みんな、おうちから石を持ってきてください」「こぶし大程度の石が望ましいです」とか、そんな感じだったと思います。

 私も持って行きましたし、1歳違いの妹も持って行ったと思います。

 その日は子供がみんな石を運びながら登校していったと思うとちょっと面白いです。

 基礎に石を敷き詰める作業は当然ながら工事のおじさんたちがしたんですけど、数がちょっと足りなくて「追加の石を持ってきてほしい」という要請を受けたりしました。

 そんな思い出です。

 私たち兄妹が持って行った石が今も校舎と体育館の下に埋まっていると思うとおもしろいなと思います。

 上のお写真の手前に写っているのが、かつての「新校舎」です。奥にあるのが体育館。

 「新校舎」とはいうものの、建築時期としては既存の校舎とおそらく5年程度くらいしか違わないと思います。50年ほど経った今ではどちらも同じくらい古いですね。

 写真には足場が写っています。足場の解体作業中でした。改修工事を行っていたのです。

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 日記的な記述です。

 今日は重い荷物を運ぶ作業を2回しました。

 朝と夕方にやりました。夕方の方は帰宅した頃にはもう暗くなってしまって、陽が落ちるのが早いですね。

 帰りにちょっと寄り道して写真を撮ってきました。

 富士市内に最近できた新しいライブハウスというか、ライブスペースというか、小ぶりな演奏会場の入り口、玄関付近のお写真です。

 サエキけんぞうさんが、なんと富士市に来てくださいました。なんでも静岡で演奏するのは30数年ぶりであるとか。

 一応、ハルメンズ名義。これは素晴らしいですね。すごいピアノを弾く女性との2人体制だそうです。とても短い動画をネットで見たんですが、魔境に引き込まれるようなピアノ演奏でした。ですが私としてはサエキさんのキッチュな良さがそがれるような気がして、見ていて悲しくなりそうでしたので現場に行く気がわいてきませんでした。

 フライヤーのイラストは静岡市在住のイラストレーターである「逆柱(さかばしら)いみり」さんです。ヒカシューというバンドのCDジャケットのイラストなどでもお馴染みです。今調べたら、逆柱さんの奥さんって「みぎわパン」さんなんですね。これはビックリ! 私がまだ若かった頃にまぁおそらく2作品くらい見ただけですけど独特の描線の魅力であるとか、独特な人体の捉え方をする作家だと思います。びっくりしましたが納得。夫婦ってうまいところにハマるものだなと思いました。

 マそんなワケで、楽しい夜になるのではないでしょうか、私は行きませんでしたけど富士市のニューウェイヴな雰囲気に良い影響を及ぼしてくれることを願ってやみません。

私の小学生時代〔04〕

 運動場のイラストです。

 運動場のトラックの内側の領域に芝生が植えてあったのを思い出して描きました。

 私が小学校に入学した頃の話です。

 芝生はところどころに生えている感じでしたけど、その部分だけは柔らかくて気持ちよかったです。芝生は素晴らしい。

 本当は全面的に芝生を植えたいというつもりだったようです。

 校長先生の運動場に対する愛情が深かったんだと思います。

 みんなが裸足で気持ちよく運動できるようにしたかったんじゃないでしょうか。

 小石を拾う活動もよくしていて、みんなで拾うこともありましたけど、校長先生が一人で小石を拾う姿もたまに見かけていました。

 朝の訓話なんかでも1年生の私たちに対して「先輩のお兄さん、お姉さんが小石を拾ってくれて、ここまでの運動場になった」とか。運動場に関するお話は何度かされたと思います。

 芝生は何度か植え直されたと思うんですけど、結局はすぐにはがれてしまって、うまくいきませんでした。無理があったのかもしれません。

 しかしところどころに残っていた芝生の気持ちよさは記憶に残っています。というお話でした。

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 下の画像は毎度おなじみ、富士市が発行する広報誌からの引用です。

 昭和46(西暦1971)年3月5日号。

 内容を見ますと校舎の完成が5月だったんですね。知りませんでした。

 私が入学したのは校舎ができて3年目だったことを理解しました。これはまだ新築って言っても良いくらいですね。

 上のお写真は昨日撮影してきたものです。広報誌に乗っているお写真と似たようなアングルを探して撮影しました。

 上の画像は広報誌の一部分を抜き出したものです。

 下の方を注目してください。プールが学校の敷地内に予定されていたことがわかります。

 しかしここには第2校舎というか新校舎というか南校舎が建ちました。

 きっと予想していなかったほどに生徒数が増えてしまったのではないでしょうか。(つづく)