しめっぽい話が続くんですけど、小学校の時の同級生の思い出です。
だいたい同じ内容を以前の当ブログにてチョロっと書いたんですけど、そんなに継続して読んでくださっている方もいないと思いますのでかんたんに再録しましょう。
彼は大人になった後にヤクザ組織に加わったとかで親子の縁を切られてしまい、最終的には東名高速道路の盛り土の草むらだったかの中に紛れて白骨遺体になって発見されたのでした。
全く詳細は知りません。私は。
彼の実家はわりと東名高速に近い場所だったので、やっぱり帰りたかったんじゃないかと想像します。
親子の縁を切られたので、お墓にも入れないってことだったのですけど、幼い頃から一緒だった友人たちがお父さんに何度も掛け合って、お墓に入れてもらったのだとか。ご両親にしてもそれくらい周囲から言われないと入れにくいっていうのもあったかなって私は思うんですけど想像です。
ここだけ知ると「友達っていいな」って思います。
しかしヤクザの活動に加わったということですので、勘当されるくらいですから、いけないこともしたんじゃないかと思われて、大それたことをしていなければ良いなと思います。
迫力のある顔をしていたわけでもないのでヤクザでも苦労したんじゃないでしょうか。実績を積むに焦って貧乏くじを引かされたとかじゃなければ良いのですが。ヤクザだってあれ結局は利潤を追求する組織ですから何かロマンがあるとかそんなんじゃないですよね。
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彼がひとり孤独に死んでいったことを思うと、子どもの頃は足が早くて楽しい子だったのに「なぜ?」って思います。
いかにも小学生の男の子が言いそうなことですが「お父さんのおチンチンを見たら、すごく大きくてヘビのコブラみたいだった!」とかですね。それ以来しばらく「コブラ!」って言うのが小さかった私たちにおけるキラーフレーズになりました。
しかし故人を偲ぶ場合に一番に思い出されるのが「おチンチンがコブラ」っていうのは泣いていいのか笑っていいのか迷います。
今日のお写真はあてずっぽうですけど近くの高速道路の盛り土を撮影してきたものです。
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以上で「私の小学生時代のお話」はおしまいです。
私が地区のお仕事を継続している理由なんかも合わせて述べてまいりました。
私自身は決してお手本になれるような人間ではないんですが、「ちょっとは正しいことをしなければいけないのかな」と思っています。
ジャーナリストの津田大介さんがネット上で運営している動画に編集者の野間易通(のま・やすみち)さんを招いて対談しているのを見ました。
野間さんは私と同い年で、一族のルーツが鹿児島という点も一緒です。私の親戚の中にも野間さんライクな顔をしたオジさんはいたと思いますけど、みんな昼間っからいつ飲み始めるか。それしか頭にない人ばかりですので野間さんがお酒を飲まないというのはご自分を欺いていると思います。野間さんのおっしゃることで私が「違う」と思うことは非常にわずかでしかありませんが、ことお酒の面に関してだけはご自分の血脈に素直になった方が良いと思います。
野間さんは私と音楽の趣味などは合うんだなとネットで見ていると思うんですが、なんの交流もありません。しかし西新宿5丁目とそれほど遠くない場所にお住まいだということですので、私が東京にいた際にすれ違ったりしたことくらいはあったのかもしれません。気になっているのは私がごく短期間所属していたバンドのキーボードの人が神戸の人でした。音楽の趣味的にも世代的にも神戸はそんなに広い地域ではないと思うので、もしも知り合いだったらどうしようっていうのはあります。その人とはバンドは比較的すぐに終わったんですが、バイト先が一緒で付き合いは長かったのです。
津田さんと野間さんの動画に戻します。
その中で語られていたことは多岐にわたりますが、1点、世の中が悪くなってくるとパンクな実践ってむしろ良いことをしていくことじゃないか。みたいなことが言われていました。全くその通りだと思います。しかしパンクスがあえて正しいことをしなきゃいけないってのも末期的だなと感じます。
別に誰かから「パンクっすね」とか言われたくてやっていることではありませんがムカつくほど正しいことをしていけば良いのかと思います。
そうした活動はしかし、死後の世界でもしもジョー・ストラマーに出会ってしまった時に「俺も生きてる間はちょっとは良く生きてたよ。」みたいなことが言えるかどうかにおいても重要でしょう。
こういうことを書くとあたかも私が大変なクラッシュファンであるとか、ジョー・ストラマー信奉者。そんな感じになってくるんですけど、正直なところ私にとってのクラッシュはファースト・アルバム。あとはもう3rdの「ロンドン・コーリング」くらいですので長く死後のストラマーさんとしゃべったりするとその辺が露見しましてつかみ合いのケンカになりかねません。口汚く罵り合うとかの結末すらチラついてまいります。死んでからも油断はできない。
前にも書きましたけど私にとってのパンクロックはロッケンロールの復権みたいな面が大きすぎるのです。
クラッシュの音楽性の広さが許せないんですよね。
ダムドにもそういう部分ありますけどね。
しかし長くなりますのでこの辺で。
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以下は日記的な記述です。
朝から小学校に行って奉仕活動のお手伝いをしてきました。
回覧板を見ていたら「草刈りを手伝ってください。地域の人でも参加可能」みたいなことが書かれていたので小学校に電話して加わりました。
作業は1時間半で終わりました。
好天に恵まれ気持ちが良かったです。
私が配属された受け持ち区域は私が1年6組だった時の教室のすぐそばでした。きっかり50年ぶりです。さきのエントリで書きました、早くに亡くなってしまったおともだちも一緒だったクラスです。
きれいにしてきました。
ちょっとお写真も撮影してきました。
集合場所の床のセメントの表面にデコボコがけっこうあるなと気づきました。「これが50年の歳月を経たその様相なんであろうか」とか思ったんですけど、よく見ますと表層が欠けて、地の層が見えているだけにも思えます。補修すればまだ大丈夫なのかなと素人考えですけど思いました。
本日の富士山のお写真です。
男の子がそれはもううれしそうにしてタコあげをしていました。
逆光でしたので確信を持てずにシャッターを押したんですけど、無事におさまっていたようです。近くにお父さんらしき方もいらしたのですけど、惜しくもフレームアウトといった具合です。
今日は風があったのでタコあげには絶好の日和でした。