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キンシコウのオジさん〔安堵する〕

(きのうはブログの更新ができませんでした。

 寝てしまいました。

 ブログの文章作成は途中まで出来ていたんですが、ラジオ番組「クラシックの迷宮」(これがいつもながらの好内容)を聞き終えたらもう起きていられなくなってしまったという次第です。

 直下より始まる文章はきのう作成したもの。それにプラスして本日に書いたものが混ざっています。あくまで「きのう書いた感じ」ってことで受け止めていただきたいです。)

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 まずはブログ用イラストの説明。

 オバケさんは案外コワい人たちじゃないと知って安堵のため息を漏らすキンシコウのオジさんを描きました。

 お仕事メモです。イラストのラフ作成。明日のお昼には、まとまりそうな見込みが立ちました。がんばります。

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 以下はすべてラジオ日記です。

 NHKラジオ第1「文芸選評」。今日は短歌の日。「ホラー」というのがお題。いつも以上にイマジネーションの世界というか、不思議な感覚のものが多く集まって面白かったです。またいつかこうしたあまり具体的じゃない主題のものを多く聞きたいと思いました。

 しかし今日の私にとって一番印象的だったのは、選者として招かれた歌人の木下龍也さんご自身の活動を紹介する、番組中盤で読み上げられた短歌でした。

 なんでも木下さんが、広く個人の方達から依頼を受けてオーダーメイド的に創作した短歌集からのひとつであるそうで。愛犬家の方に贈る歌でした。「愛犬ちゃんはたとえあなたより早く亡くなっても来世で風になってあなたの生きる日々を何度も撫でていきますよ」というような感じ。すごく良かったのですが、作業しながらラジオを聞いていた私には「撫でて」ではなく「舐めて」いきますよ。と、聞こえました。私としてはそちらの方がイヌっぽくて良いかなと思いました。単なる私の聞き間違えなんですが。ペロペロペロ。

 NHK・FMで「世界の快適音楽セレクション」を聞きました。テーマは「BACKの音楽」。選曲家は湯浅学さん。

 スリム・ハーポさんの歌を初めて聞きました。ユカイでとても良かったです。それとハウリン・ウルフさんの曲も聴けて嬉しかったです。

 キース・ジャレットさんのピアノ。「マイ・フーリッシュ・ハート」を聞けました。きれいで情熱的な音楽。ジャレットさんのうなり声というか歌声も聴けて大満足。なんでもゴンチチのお二人そろって9月に親族の方のご不幸があったということで追悼というか、死に対する一片の後悔が含まれた選曲ということでした。自分のおろかさ。後悔、ということなんだそうです。まぁこれは遺族の側にとっては尽くしきれない思いというのはどうしても残ってしまうと思いますが。

 なんでも三上さんのお父さん。一般リスナーの立場で「世界の快適音楽セレクション」という番組がとても好きだったというご紹介でした。カセットテープに録音して繰り返し聴いていたとか。幅広く音楽を聴いて楽しむというオープンマインドな方だったのかなと思います。

 それとテープに録音するという行為ですよね。三上さんがゴンチチが始まる以前の活動として、自分の演奏をオープンリールのテープに多重録音してご自分の音世界を構築する行為に熱中されていたと、ネット上の「ゴンチチチャンネル」で知ったのですが、その環境というのがお父さんが買って用意してあったオープンリールの録音機だったそうでして。

 そういうお父さんが最晩年までテープ録音をしていたと知ったのでした。「やっぱり音楽が好きな人は録音という行為を最後までしてしまうものなのだな」と思いました。そして繰り返し聴くっていうね。

 そう考えると「カセットテープ」というメディアの大変な手軽さ。その割にかなり音が良いという品質の高さですよね。そのあたり再認識しました。

 それと三上さんのお話にたびたび出てくる「ルロイ・アンダーソン愛」なんですが、幼稚園児の頃の出会いがずっと続いているという。これも考えてみれば多分おウチにレコードがあったんだろうなと思います。ひょっとするとお父さんが持っていたものかもと想像しました。

 私の場合の幼稚園児の頃の音体験というとこれもたびたび申しておりますがピーターさんの「夜と朝のあいだに」ですけど、こちらは当時のヒット曲というか年末のレコード大賞のなんとか部門だったかの受賞曲ですので、私が「あの曲がまた聴きたいな」と思ってテレビの周辺で待機しているとかなりの確率で歌番組であれば聞けたんですよね。当時は。年末に向けての歌番組でその年の歌は何なんだ?って感じの高まる感じっていうのはあったと思います。

 しかしね。ルロイ・アンダーソンとなると、ポピュラーな音楽ではありますが普段の生活をしていて頻繁に耳にするような感じでもないかなと思うのです。

 レコードがご自宅にあった方が、その音に親しむ、細部を確認するという行為は当然にしやすい。まぁ想像に過ぎないわけですけど、そしてまた当時のことを私なりに推測すると山本直純さんの「オーケストラがやってきた」という番組におけるルロイ・アンダーソンさんの作品を演奏するという活動ですよね。山本さんが日本の全国各地を回って「オーケストラってこういう音がするんですよ」と啓蒙して回ったという。前にも書きましたがアンダーソンさんの音楽っていうのがピッタリなんですよね。実際にその場ではじめて聞いた学童の私も心躍りましたし。

 地元に「富士市民文化センター」みたいな名前のホールが昔ありまして。考えてみれば、ああいう一応ちゃんとした音が鳴るホールの建設状況というのも、「オーケストラがやってきた」というような活動の地盤、基盤的な部分を担っていたんだろうなって思います。「地方」も含めたその状況。日本の音楽的文化の“あけぼの”だったのかもしれません。

 よく知りもしないのに大きなことを言っちゃいましたけど、とりもなおさず高度成長期の昭和モダンな世相がゴンチチの音楽性に寄与したのかもなと、であればゴンチチの音楽を聴くというのは三上さんのお父さんの持っていた世界とも繋がっているかもしれませんので、であれば感謝を表さずにはいられません。

 後半は想像に想像を重ねましたけどね。失礼しました。