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深海の生き物-コガシラボウエンギョ〔09〕

 本日のイラストは「吠えているキンシコウのおふたり。そしてコガシラボウエンギョ氏のすがた」です。

 なかなかウマくいったんじゃないかと気に入っております。特におサルさんが吠えている感じです。

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 以下はラジオ日記です。

 NHKラジオ第1。「らじるラボ」を聞きました。

 金曜日の今日は「ミュージック・フラッグ」。松永良平さんの選曲で2時間ほど。

 ケンジ・ジャマーさんの「33RPM」。ヤン富田さんの「メモリーズ・オブ・テープ・レコーダー」などを聞きました。

 松永さんは「レコード初心者向けの本」の作成にかかわった経験があるのだと知りました。確かに最近ですとそういう情報は必要だろうなと納得した次第。

 それと番組で他に聞いた音楽としては、ホット・バターの「ポップコーン」。シンセサイザーのMOOGものですね。

 実は私、ネットの記事で最近、スタディストの岸野雄一さんが書いた文章をまとめて読む機会がありました。以下の文章ではもっぱら、それについての感想に拠点を移します。

 岸野さんの文章というのはですね。ドイツのバンド、クラフトワークについてくわしく論じたものなんですけど、そのへん語る上で「ポップコーン」にも立ち寄ったというようなイキサツです。

 「ポップコーン」のバージョンが幾つかあるということは知っていたのですけど、最初期のバージョンはひさしぶりに聴けまして興味深かったです。岸野さんがおっしゃりたい主眼としては完成形のホット・バターの演奏について。かなりの電子化達成、そして既存のアンサンブル観を脱して周波数帯域に着目し役割を分担するというシンプルにして純化された視点、新しい発想の到来みたいなことだと読みました。ンがしかし、その上でですね。もう1点あって、そうした一定の発展をした後でも「ドラムは生ドラムだ」っていう論調ですね。

 それを読んだ私も、今ではもうすっかり馴染んじゃいましたけど最初に聞いた時「ドラムの感じがずいぶんと古くさいな」って思ったことを思い出しました。

 岸野さんの文章はドラムがオール電化された後のクラフトワーク。そしてそのあとに続くエレクトロなミュージック群に接続していくわけであります。興味深いですね。後日ちゃんとした書籍になるっていうような予告を目にしました。楽しみです。

 若い方がこのブログを読んでいるかわかりませんけど岸野さんってどの程度、浸透されているのでしょうか。京浜兄弟社ね。テクノポップだったりする趣味の人には馴染んでいると思いますけど、この集団が過去においてデモテープ鑑賞会みたいな感じのをビルの一室で開催していたんですよ。鍵盤楽器の雑誌の最後の方の読者交流コーナーだったかそんな感じのところに告知が出ておりましてね。私がちょうどカセットMTRなどを入手して録音行為に感動していた頃です。非常に興味があって、その集まりに参加したかったんですけど、その当時の私はハシにもボーにもかからないような程度のものしか作れなくて一線を踏み越えることはできませんでした。当時が週休1日制が主だったっていう事情も込みなんですけど。

 マそんなコトを思い出しつつ、何本かの岸野さんの書いた文章を読み、改めて京浜兄弟社とその時代、みたいな部分について学習したワケですけど、その「デモテープ鑑賞」みたいなことをされていた時期って、岸野さんは音響機器のメーカー勤務だったようです。これは初めて知りました。どうやら鑑賞会で使用していたお部屋というのも、その会社に属するものだったみたいで。

 当時の私に戻しますけど、市ヶ谷の会社でグラフィックデザイナーをしていた頃でした。私は楽器や録音を始めたのは働き始めてからなんですね。子供の時期から興味はあったんですけど、自分がのめり込みやすい性質だという自覚はかなり大きくあったんで、絵とかデザイン。そっちが大切ですから、少しでも仕事としてこなせるようになってから音楽方面については始めようと自制していたワケです。

 今思うと、趣味程度に音楽を早い時期から始めておいて、イラストも中途半端に描ける程度のちょっと器用なグラフィックデザイナーの人のママでいれば、こうして人生を失敗することもなかったのに………と思いますが後悔というのは先には立ちません。

 ンでね。私の当時の仕事の中に音響機器のパンフレット・イラスト作成なんかもあったんですよ。会社の業務としてね。どうやらそれが岸野さん方面に近かったのかなという。そうした発見をネット上でしましたと。そういうまとめです。

 ですけど未だに思うこととしては、やっぱり鑑賞会に参加したかった。もう35年ほども前のムカシですけどねぇ。(下の画像がその当時の私の仕事。ずいぶん子どもっぽい絵ですし、あくまで個人の記録用、まさか公開することはないだろうと考えていました。何作かあるんですけど、自分で見かえして悶え苦しむ度合いがあまり高くないものを選びました。はずかしいですね。)

深海の生き物-コガシラボウエンギョ〔08〕

 自転車のタイヤ修理をしました。きのうの夜のことになりますが。

 数日前に書いた通りになりますが、自転車がパンクしてしまいまして。パンクというよりタイヤの一部が破損した感じです。そこで取り外してよく見てみたら、ビートと呼ばれる部分のゴムの端っこの一部が崩れていました。思うにチューブの口金の部分と干渉していた可能性があるのではないかと。

 そこで口金周辺を慎重に確認しながら(かまないように)タイヤ交換の作業をしました。なんとかうまくできたようです。

 今朝は新しいタイヤで重い荷物を担いで坂を登る行動をしましたが、やはり新しいタイヤはグリップ力も良好で安心して走れたと思います。

 前につけていたタイヤはまだ1年程度しか走っていないので、耐久性の面でどうかなって思いますけど、遠くに行った際のトラブルではなかったのは良かったです。良い経験になったかもしれません。

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 本日のラジオ日記なんですが、DJ俚謡(りよう)山脈の民謡コーナー。今日は、作業する中でのかけ声などを聞きました。楽器演奏の付随しない純粋な作業中の声だということでした。民謡の生まれる前段階という位置付けで紹介されました。非常に良かった。俚謡山脈の4回シリーズも今日で最後。あっという間でした。内容的にはとても良く、楽しいのと同時に、より深く知ることができて有意義でした。

 以上、NHKラジオ第1。「らじるラボ」内でのリスニングでした。

深海の生き物-コガシラボウエンギョ〔06〕

 コガシラボウエンギョさんが他の魚を食べようとしているところを描きました。

 ところで私、当ブログにおいて過去の2日ほど、「食べられてしまったおサカナが、おなかの中で光っているイラスト」を投稿しました。

 しかし実は、ボウエンギョのおなかには“黒い膜”が装備されていて、食べた魚の発光をさえぎる機能があるらしいのですよね。ビックリします。よくできているなと感心。

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 本日のラジオ日記もNHKのラジオ第1。午前の番組「らじるラボ」。いやー。ラジオの話題なんですけど、国内においてはラジオのAM波って絶滅寸前の趨勢らしいですね。私はもう隠しようもなくラジオ派なんで悲しく思っています。しかもNHKの2ヶあるうちの片方が削られそうだという。過去にNHKのサイトでアンケートがあった時に「AM放送2波体制を維持して欲しい」旨の意見を書いて送ったんですが…。でもやっぱりねぇ。テレビに比べるとあまりこぞって聞かれるっていうワケにもいかないんで…。私は自分が視覚に訴える部類の仕事をしていながらなんですけども、映像は割とどうでも良いのですね。当ブログにおいて私の日常はネットの動画サイトで80年代のあえて聞く人も少ない微小な知られざるシンセポップのオール・ザ・ヤング・デューズの作品をむさぼり食っているみたいなお話をタビタビさせていただいてますけど、もちろん今も続けておりますけど、正直に言いまして映像はほとんど見ません。音さえあれば良いっていうかもうそれだけで充分。他に何が必要なんであろうか。“音”は素晴らしい。音に全部が出るんですよ。シンセと録音機の前でワクワクしている「オレたちのこのエレクトロなサウンドがグレートかつヤバい!」っていう心境ですよね。当時のフューチャリスト気取りの若者たち。イイね! っていう気持ち満々の私。とはいえ世の多くの方たちは映像込みの方がお好きなんで、それは仕方がないのかっていう絶望的な気持ちです。

 マそんな気持ちも入り混じりつつ、砂まじりの茅ヶ崎ってコトでね。茅ヶ崎の今に生きる民謡を聴きましたよ。これはメチャクチャ良かったです。ホントに良い録音でした。

 きのうも書きました、俚謡(りよう)山脈のコーナーです。本日のテーマは「ビート」。

 おみこしワッショイのイキオイで、そのまま、おみこしごと海に突入するっていうお祭りなんだそうです。

 地元の若い青少年なんかもその甚句を歌えるらしいぞという実態を知りました。

 もう1曲。埼玉の農作業に伴う民謡も聞きました。小麦の脱穀でしたかね。くるり棒といったと思いますけど、近所の人たちで集まって、ゴザかなんかを敷いてみんなで小麦の房をバンバン叩く。「小麦の棒打ち」というんだそうです。

 これはNHKのラジオ第2の番組「ニッポン時空旅」で聞いた静岡の伊豆は修善寺でしたかね。その近辺で収録されたという水車でそば粉をひくという作業。あれに通じる部分がありましたけど、ビートがスクエアかっていうとそうでもないんですね。変態的なビート。とっかかり&つっかかり。

 DJ俚謡山脈のお二人のコメントによると、フロアで踊っている人も不思議な様相を見せ始める。内にこもるようなしぐさも見られるとかなんとか。大変に興味深いお話でした。

 それとそうした単純作業における労働歌は歌詞にアドリブが相当に入るという、当時のフリースタイルなラップっていう感じの、当意即妙さを競う&楽しむ感覚。これが連綿として続いてきたっていうことなんですね。これがとりもなおさず日本の歴史の一部分。故ECDいうところのワン・ノブ昭和史っていうフレーズがありますけど、ワン・ノブ日本史。ちょっと大きくまとめすぎたかっていう気もしますけど現時点ではコレってことで今日はこの辺で。