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ちょうちんオバケの親分(1)

king-chochin01

 きのうはブログの更新ができませんでした。
 すみませんでした。

 正確には「自動投稿」における油断でした。
 おとといの時点で用意しておいた原稿が尽きていたのです。

 そんなワケで近況なのですが、いやー。集中して仕事ができました。

 弊害はありますが、「自動投稿」にしておくと仕事に集中できて良いです。

 で、イラストのお仕事の進行具合ですが、整理しますと、夏にキャラクター設計の案を出しておいた件なのです。
 小学生向けの副読本。
 生徒の子たちと先生。それらの描写についての案を出しておりました。

 お返事としては、キャラクターの感じとしては良いと。
 お友達を4人ほど増やして、本の中で流用していくポーズのバリエーションを2点ずつ描いて欲しいという感じです。
 生徒の数としては合計8人。
 けっこうあります。

 その子たちのポーズ違いで16点。それと社会科の教科書なんかによくある感じの子供の顔だけのイラスト。顔の横にセリフがついて、何かしゃべってる感じですね。よくあります。アレも作ると。

 つまり、けっこうな点数ですがラフを起こして清書。

 今日はココまで進みました。
 明日、着色と陰影付けをしようと思います。

 かなりがんばってしまって疲れちゃったのか、今日は午前中も寝てしまいました。
 それでなくてもこの2日間は8時間ほど寝たんですが、足りなかったみたいです。

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 今日はこれから地域の公民館的な施設に行ってきます。
 市長や、市の職員さんを囲んでの「行政懇談会」です。

 私は別に何もするワケではなくてただ座ってみなさんのお話を聞くだけなんですが。
 たびたび記しておりますが、地域のボランティア仕事の一環です。

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 そうそう。実はきのうか、おとといの当ブログにおいて掲載しておきたかったイラストがあるんですよ。
 ちょっとタイミングを外してしまった。
 まぁ、それだけイラストのお仕事に集中していたというコトでカンベンしてください。

sharp1986

 上の画像は、32年か33年前の私の仕事です。
 厳密に断定できないのは私が数字に対して極端に弱いからです。
 ウサギさんのトレーナーの胸に1987って書いてありますけど、年賀状用だから、当時の時点としては1986年なのか。
 私の年齢としては20歳だったのかなと思います。本人なのにアヤフヤですみません。

 私がデザイン会社に勤めていた時の印刷物です。
 全体的なデザインと、イラストをやりました。ほぼ独力っていう意味ですね。

 この時はまだ私はアルバイト待遇でして、確か9月か10月に働き始めて、細かい仕事を積み重ねたのちに、初めて全部をまかされたという感じです。

 若い時分ですから早く自分のチカラを試したいな、とか思ってましたけど、印刷物の文面を見るに11月20日のセミナー開催のお知らせというコトですから、刷り上がりはソレより1ヶ月前?
 そう考えるとむしろけっこう早いかもしれないです。
 私は専門学校を卒業する前というか、結局、仕事の方が面白くて学校にも行かずじまいでフェードアウトしちゃったんですが。

 私が勤めていた会社は、東京の市ヶ谷(いちがや)という場所にありました。
 山手線の中心というか、おヘソ付近です。

 「市ヶ谷」っていうとJRの駅周辺のコトを思う方が多いかもしれませんが、おホリを渡って北側に会社はありました。

 もう古いコトなんですが、シャープっていう家電の会社のビルと、CBSソニーっていう音楽の会社のビルがあったんですよ。
 その中間地点が長い坂になっていて、登って行くと大日本印刷という大きな会社があるんですけど、坂の名前としては佐内坂(さないざか)。
 その坂の根元付近のビル内の事務所で働いていました。

 以前にちょっとだけ「専門学校に通っているコロは今とは違ってリアルなイラストを描いていた」みたいなコトをお伝えさせておったかもしれません。

 要するに実は私、そっちのリアル路線で挫折しまして、おまけに卒業制作なんかで「自分が何を描いていいか」もわかんなくなっちゃって、「じゃいいや。働こう。イラストを使う現場でどうイラストが扱われて、どう発注されて、どういったモノが求められるのか学ぼう」っていう感じです。

 つまり、当ブログなんかにも載せているこのイラストの感じ。
 これらの出発点としてはデザイン事務所勤務のコロからなんですよね。
 ココがスタート。
 けっこう遅い。

 自分が何を描いていくべきなのかについても、結局ちゃんと自分の中で決まったのは20代も後半でした。
 まぁかなりノンビリしてます。名のある人ならもうバリバリやってるコロなのにね。

 そんなイキサツにおいての「年賀状を作ろう!」チラシです。

 シャープのビルの1階に「シャープ・ショールーム」っていうのがあって、製品を眺めたり触れるようになっておりまして、いろんなセミナーもひんぱんに行われていました。
 それのお知らせというか月間スケジュールを載せた小さなパンフレットの仕事も請け負ってたんですね。私が当時に勤めていた会社が。
 そんな流れで「ひじくろくん。コレやって」っていう感じでした。

 まぁどうでしょうね。
 32年前。
 かなり手探りな中での「かわいらしいイラスト」作成の実践ですよ。

 今とそんなに変わらない部分も多々あるんじゃないかと、私としては思うんですけど。

 この仕事を終えた後くらいにまた別の仕事におきまして有名イラストレーターの原田治さんのイラスト原画を見る機会を得まして、紙焼きする暗室の中で詳細に、ナメるかのごとく観察しまして、同時に衝撃を受けたっていうおハナシを以前に書いたかと思います。
 めちゃくちゃ線がキレイだったんですよ。
 ほとんどホワイト修正もなくて。

 「オレ、こっから始めるとなると相当に道は遠いぞ」って思いました。「だいじょうぶかな?」っていうね。
 英会話教育の発音カードみたいなお仕事だったんですけど。
 また市ヶ谷の近くというか神楽坂に旺文社があるんで、その系列の会社の製作物でした。

 事務所のFMラジオのスピーカーからはビースティーボーイズのアルバム「ライセンス・トゥ・イル」なんかが流れておりまして、「ユガナファイ!フォヨライ!エン・パーーーーーーレィ」ですよね。「アーーーー。マミジャスジェラシザ・ビースティーボーイズ!」。そんな私の半生だったワケです。

(追記)
(「行政懇談会」の日にちを間違っていました。明日でした。誰もいなかった…。先日に完成しておりました、部会の議事録だけ置いて帰ってきました。やれやれ。)

妖怪…赤舌はん〔5〕

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 本日の「赤舌はん」なんですが、昔の農業において田んぼに水をひく際に使った水車。
 「ふみぐるま」とか言うらしいですね。
 そちらを赤舌はんが回しているイメージを描きました。

 水門のソバにたたずんでいるイメージからふくらませてみたというか、そんな感じです。

 ちゃんと描くとかなり複雑な構造物ですが、適当にハショりました。

 私は小学生向けの(社会科)副読本を描いている関係で、昔の農業の作業風景をイラストにするコトも多いんですが、幸運にしてまだ「ふみぐるま」を描いてくれっていう依頼は来たコトがないですね。
 ウシさんと協力して畑をたがやしているイラストなんかは描いたコトがありますけど。

妖怪…赤舌はん〔4〕

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 本日の「赤舌はん」なんですけど、自分の舌ベロに乗って空中を飛行するイメージを描きました。
 バカバカしくて良いですね。
 自分で言うのも何ですけどね。

 コレまたけっこうウマく描けましたよ。
 赤塚不二夫チックなポーズもマズマズです。

 応援のちょうちんオバケも一緒に飛んでいます。

 あいかわらず不満げなネコもアタマをつかまれたままです。

 私の描く「赤舌はん」は、背中から毛深いケモノの腕が生えてますけど、当然ながら昔から伝わる「赤舌」のイメージとは全然違います。
 私は元のイメージを気にしていないというか。
 故ECD風に言うと「いうこと聞くよな奴らじゃねーぞ」っていう感じですかね。
 そうありたいです。

妖怪…赤舌はん〔4〕

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 本日のブログ用イラストなんですが。
 ウマく描けましたよ。

 何がって、「ふきげんそうなネコの表情」ですよね。
 ちょっと自分でも笑ってしまいそうなくらい良く描けました。満足です。

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 近況も書いておきます。忙しいです。

 木曜日は議事録を作りました。地区のお仕事。たびたび書いておりますが「生涯学習推進・総務部」。
 部会があったんですね。火曜日の夜に。

 先月の会議でも部員の方からの意見や不満があったんですけど、ソチラについて、また今月も深く話し合ってみました。

 地区のイベントを進めるにあたって、どうしても人手は必要ですので、気持ち良く働いてもらわないといけない。
 しかしタダで作業してもらうワケですから完全に満足のいく合意点というのは難しいですよね。

 同時に地区のイベントの主眼、主旨は何かという点も忘れてはならない。コレは個人的な意見ですが。

 今後の運営を考えると、さらに老齢化、人口減少は進む。コレも間違いないトコロ。
 先月も書いたんですけど、不平不満は今のウチに吸い上げておいて改善を図るというのは大切だと思います。
 人員の面でも、気候の面でもキビしさを増しそうですし、大変ですね。今後。

 マそんなワケで今月の議事録の文字量も多かったです。
 なんとか1日の作業でカタをつけました。

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 前後しますが水曜日には年賀状の宛名を書きました。
 今年は早い。準備が。切手も貼っちゃいましたからね。

 来週から12月、1月の終わりくらいまでは相当に忙しくなりそうですので、先回りして必要な作業は済ませておこうと思います。

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 金曜日からはイラストの仕事をしています。
 かなり調子が出てきましたよ。
 それでブログの方は無口だったんですが。

 無口って言ってもブログの「自動投稿の原稿」を書いた時の文章は別です。
 さきほど自分で読み直してみたんですが、色々と語ってますね。
 U.K.サブズのコトとかね。
 割と私のブログにはひんぱんに出てきます。U.K.サブズ。好きなんですよね。
 しかし50歳を過ぎてまで“好き”が継続するとは20代の頃には思ってませんでしたよ。

 イラストのお仕事におハナシを戻しますが、夏の間にラフを出しておいたお仕事に返事が戻ってまいりました。
 そちらの清書を進めていると。そういったワケです。
 明日あたり第2弾の原稿も届くかもしれないです。
 なるべくコレを早く、そして良く仕上げようと考えております。

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 ラジオ日記的には「世界の快適音楽セレクション」。今日の選曲も良かった。
 チェンバーロックの興味深い曲ですとか、それと「いい顕微鏡で見えるもの」っていう曲にビックリしました。Aksak Maboulさんという方の歌でした。
 あとケヴィン・エアーズね。実に彼らしい曲。質も伴っていて素晴らしかったです。

 「文芸選評」は短歌。篠弘(しのひろし)さん。
 大嘗祭に短歌を提供したという貴重なお話など。
 雅楽の演奏を背景にそれらが歌われたなんていうお話もされていたかと思います。
 本日の放送で読まれた歌はしみじみと心に広がってくるような内容が多かったように思います。
 手紙に書いた万年筆のインクの文字がにじんでいく様を目にしてふと感じる充実した気持ちなどの短歌。
 それと短歌にするには珍しいテーマを扱ったものが多く採用されたというお話でした。

 「らじるの時間」は澤田彩香アナウンサー。
 最近の「らじるの時間」は若手女性アナウンサーが比較的よくご出演されます。千葉美乃梨アナウンサーなど。
 千葉さんが歌がとても上手だというコトがわかりました。
 千葉さんによる唐突な山田敦子アナのモノマネには驚きました。

 澤田アナに戻しますが、やはり夏の甲子園の実況。
 今年も3回くらい担当されたのかと思いますが、徐々に澤田節みたいなネバリが出てきたのが個人的な発見でした。

 本日の放送では大学時代に野村正育アナに憧れてアナウンサーを志したという動機などについて。安心ラジオでもおなじみの野村アナが原点だったというお話でした。