「大正琴オン・ザ・ラン」タグアーカイブ

ワガコタチノミヲアンジルオウサマ

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 近くの公園で行われた「さくら祭り」を見てきました。
 きのうもご紹介させていただきましたが、来月から町内における「福祉推進委員」のお仕事をする関係で、来年はこのお祭りで何らかの役割りが私に発生するかも知れません。

 まずは開場の1時間前に行ってみました。

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地区のさくら祭り。朝の準備風景です。(以下の写真はクリックすると少し大きくなります。)

 上の写真の通りでして、すでにおおまかな形はできていました。
 来年、何かお手伝いをするとしたら2時間前に集合という線が濃厚かも知れません。

 いったん帰宅して、お昼前に再度会場におもむいてみました。
 大正琴の演奏を見るためです。

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大正琴を演奏するようすです。

 精鋭12名ほどのクルーによる演奏でした。
 前半はソプラノ大正琴のユニゾン合奏。
 後半は電子大正琴を交えてのアンサンブル合奏でした。
 アンサンブルの演奏では豊かなハーモニーが聴けて良かったです。

 舞台の後ろのほうに少し桜が写っています。
 まだ満開ではないですね。

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ボーイスカウトによるアトラクションのようすです。

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 公園内の博物館にも行きました。こういうイベントがある日は入館料が無料です。

 ちょっとした疑問が解けました。学芸員の方に教えていただきました。
 疑問というのは、我が富士市の東名高速道路のインターチェンジ付近が、昔は政治的な中心地であったらしいというコトまでは知ったのですが、具体的にドレくらいのエリアだったかという点です。
 ネットなどで読める文章だとザックリ「伝法(“でんぼう”と読む地名です)である」みたいな書かれ方がされています。
 伝法と言っても割と広いので、もう少しピンポイントに知りたいと思っていたんですが、お話を聞いてみると確かに「伝法一帯」という表現が一番良さそうです。

 つまり私が思っていた以上に広く分布していたようなのです。
 その根拠は古墳などにとれるようです。伝法小学校のあたりから博物館の北あたりまで良く古墳が発掘されているというコトです。

 古墳が埋まっているだけなら、日本中の昔から人が暮らしていた場所のいたるトコロに存在しているそうですが、伝法の古墳の場合、その一部からかなり豪華な副葬品が出ているので、その特別さがうかがえるという理屈みたいです。今後サラに研究が進むと良いと思います。
 あのあたりには今は無い大きなお寺があったという記述を目にした記憶もあります。

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 ほかには、天間(てんま)で見つかったというストーンサークルの中心物というか、ほとんどご神体と言って差し支えないようなシンボリックな石が展示してあってドギモを抜かれました。

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 天間という場所からは祭祀の跡らしき発掘がコレまでもされてきたそうなんですが、大きな裏付けと言えそうです。
 私の素朴な関心として、昔のヒトたちの心のありようというのが気になっているんですが、もっと具体的にモヤモヤと空想がわき出て来るようです。