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それを見つめるニワトリ氏〔09〕

 ラジオ日記です。

 いつも聞いている「らじるラボ」。NHKラジオ第1なんですけど、番組を進行する吾妻謙アナウンサーが自宅にいながら放送するという、リモートな番組制作形態。

 おどろきました。

 ゲストがリモート出演という形は定着したかなと思いますけど、司会する方が在宅とは……。しかしやっぱりなんとかなるもので。どうということもなく無事に終了。

 もちろんこれまでに培った経験、積み重ね、があるからこそっていうのは大きいと思いますが。

 番組制作側の意図としてはわかりませんが、この先また感染力が強く致死率も高いといった病気が流行した場合、ラジオ制作のやり方として貴重な実地体験にもなるんではと思います。

 以前に「文芸選評」のゲストの先生をリモートでつなぐという形が始まった時にも書いたと思いますけど、社会が暗い時にいつもの番組が放送されるというのは意義深いし、ありがたい。

 がしかしラジオ番組はアナウンサーやゲストだけでなくミキサーを司る人と現場監督的な人も必要だと思うんですが、このへんはどうなるのか。

 特に即時性ですとか、ア&ウンの呼吸が必要な気がします。とは言え、想像に過ぎません。実際はどうなのか。私はラジオ番組が好きなので気になります。緊急のニュースだって入ってきますしね。なかなか大変ですよ。

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 リモートの番組づくりといえば土曜のFM放送の「世界の快適音楽セレクション」なんですが、最近ですね。ゴンチチさんによる別の形態の番組がネットの動画サイトに存在することを知りました。そこで語られる内容としてはラジオ番組だけでは語りきれない部分も含んだ興味深いものが多いのですけど、「快適音楽」での制作について語られておりました。

 初めて知ったんですけど、番組の制作が東京のNHKだったと知ってビックリ。

 てっきり大阪の制作だと思っていました。

 つまりゴンチチのお二人が大阪から東京まで出向いて2本分の収録を行うという。朝も早くに起きて新幹線に乗って、それから収録。2時間分の番組を2本となるとかなりキツキツだろうと思います。実際、帰りは終電ギリギリになってチチ松村さんが走って改札に駆け込むなんていう事態も1度や2度ではないらしい。あぶないです。ケガでもされたらね。手をついてポキッとか想像もしたくありません。

 それが最近はリモートになり、自宅での作業になったので改善されたということです。実際に番組を聞いていても良い形で制作できていると思います。

 特にゴンチチのお二人がそのネット番組の中でおっしゃっていたのは、曲を流した後だったりのコメントですね。最近は前もって気になった点を調べたりする余裕もある。ちょっと考察したりする時間も生まれてきた。ということで。

 今までのコメントなんかもおそらく音楽家としての瞬発力が良い形で出せることもあったと思いますけど、最近のコメントは聞いていても深みが増して、よりゴンチチのお二人の音楽に対する愛情だったりスタンスだったりが感じられて聞きごたえがあるような気はしています。

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 リモートの番組作成なんて最近のテクノロジーあってのことだと思いますけど、放送文化の意義だったり主眼っていうのはたくさんの方がそれを聞いて楽しい、あるいは、よく知る。考えさせられる有意義な時間。の提供だと思いますので、より良くなる方向でしたら制作の形態というのも変わっていくんじゃないかなと思います。

それを見つめるニワトリ氏〔08〕

 自転車がパンクして修理に1時間ほどかかった。という記述をします。以下に。

 今日は数日に1回のペースで繰り返している「重い荷物を背負って自転車で坂を登る日」だったのですが、出かけようとした際に後ろのタイヤの空気が抜けているのを発見。後で分かったのですが、前回の帰宅直前くらいに何か突起物を踏んだようです。

 その時点ではまだ何の確信もないのでとりあえず空気を注入して発車。ところが数キロ移動したところでまた空気が抜けてしまって。これはいよいよどうやらダメそうだと。ようやく理解しました。

 目的地までは2~3度ほど空気を足しながらダマしダマシなんとか到着。

 重い荷物の準備完了。帰りのルートですが、覚悟を決めてパンク修理です。おそらく走行はムリ。重い荷物なんか背負ったら一瞬で空気も抜けてしまうでしょう。危険です。

 クルマがバンバン通る道のワキの開けたスペースで作業。お店を拡げました。

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 できたらパンク修理は自宅で行いたいのですが、ことココに至ってしまってはダダをこねてもラチがあきません。ホイールを外し、タイヤを外しチューブを引き出し、空気を多めに入れて、穴を発見。目視でバンバン空気が漏れてくるのを確認。老眼なのでメガネをコンクリートの地面の上に置いてチューブを凝視する55歳男性。しかし目で見えるくらいのわかりやすい穴がまさか空いているとは思いませんでした。

 重ねて申しますが、前回の走行の際に何かを踏んだ記憶というのはありません。しかし自転車の場合、道路の端っこを通るのでいろんなものが落ちているのはわかります。一度なんか非常に細いワイヤーの切れ端が奇跡的にタイヤを貫通し、チューブに刺さって空気がすこ~しずつ漏れていたことがありました。あれはビックリしました。長さ数ミリのほっっそいワイヤーがチューブに垂直に刺さっているのを見つけた時には「こんなことってある?!」と変に感動しました。

 しかし穴さえ見つかれば、「自宅で作業したほうが良い」とか関係なくなってきます。チューブをヤスってノリをつけて2分ほど待ったあと、パッチを貼って圧着して終わりです。チューブをタイヤにはめ込むのは思ったより簡単に終了。最近はこんなことばっかりしている感覚。割と慣れました。とはいえ全部の作業で40分以上もかかりました。手もドロドロです。スーパーのトイレをお借りして、洗面台で手を洗ってかなり改善。私の自転車のチェーンがひどく汚れているんですよね。現状。恥ずかしいくらい。いつかキレイにしなきゃと思いつつの幾星霜。

 そんなワケで無事に帰宅できました。

 反省点としては、タイヤの状態に普段から気を配ろうって感じですかね。やっぱり出先での修理はムダな動作も増えますし、良くはないです。

それを見つめるニワトリ氏〔07〕

 ニワトリ氏のしっぽを描く練習。「その1」です。

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 ラジオで蒸気機関車の「警笛の音」を聞きました。

 なんでも3和音タイプと5和音タイプがあるそうです。初めて知りました。そもそも和音だとも思っておりませんでした。

 実際に聴き比べてみると3和音でもかなり良いのですけど、5和音ですと、ストレートな良さは減じるのかなと思いましたけど、やはり厚み、スゴみは増すなと。割と普通の感想ですけど、そんなふうに感じました。

 以上、ラジオ番組、NHKラジオ第1「らじるラボ」のコーナー。「鉄音ラボ」より。鉄道系テクノユニット、スーパーベルズの車掌DJ・野月貴弘さんのご紹介による録音でした。

 長い車両で坂を登る際の前後の機関車の連絡用途としての警笛使用があるのだという興味深いエピソードあり。急な坂を登るときに機関車を2両使う時がありますけど、車両の編成が長大な場合には先頭の車両が坂に差し掛かっていても後ろの車両はまだ平坦な道を行っている場合があるわけで、その際に「坂に入ったよ!」と、前の機関車が後ろの子に伝えるのだそうです。なるほどね。

 それと、きのう書き忘れたんですけどラジオで聴いた曲について。上坂すみれさんの番組で、桂雀三郎氏の「ヨーデル食べ放題」を聞きました。

 それと松尾貴史さんの番組で、ヴァージンVS「ロンリー・ローラー」を聞きました。京極夏彦さんがゲストでいらしていて、その選曲。奇しくもきのうはあがた森魚さんのお誕生日だったそうです。72歳。

それを見つめるニワトリ氏〔06〕

 きのうの内容と関連するんですけど、ハンス・アイスラーさんの音楽を聴きました。ネットの動画サイトで。映画の分野での仕事を確認したかったのです。

 ちょうど都合よく、動画をまとめたものがありましたので有り難く拝聴。どれも短くて確認作業にはぴったり。

 意外な収穫としてはトラウトニウムですね。これは私みたいな電子楽器ファンには有名な楽器。オスカー・サラという方の使用で有名という認識でしたけど、今は正確に「オスカル・ザラ」って呼ぶんだそうです。いろんな動画を見ましてもモロにそう呼ばれておりまして「あらマそうなんだ」と認識を改めました。ご本人の演奏も数本の動画で確認。

 アイスラーさんの映画音楽でのザラ氏の演奏は割と「電気の鍵盤楽器」の域を出ないものに聞こえました。がしかしアンプを介してオーケストラと合わせたっていう感じで、その日に使用したアンプの特性なのかハリのあるアタックの強い良い音。オーケストラに対抗するって意味でもよくできていたのかなと感じました。

 それとは逆に、おそらくご自身のスタジオでの演奏はもう少し電子楽器としての可能性を推し進めたもので、かなり意欲的なパッチを組んだ音色、おそらくディレイもかましたりしていて、ザラ氏の頭の中のイマジネーションを垣間見れるものだったかなと思います。これは有意義でした。かなり晩年の演奏であるようでしたがイカした電子のおじいちゃんでしたね。グレートです。かなり長命な方で90をすぎた2000年代に亡くなったという。割と最近までご存命だったんだなって知れて、これもまた良かったです。

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 ここからラジオ日記に入っていくんですが。今日はもう朝から「現代の音楽」を聞くぞ!っていう意気込みにあふれてまして。本日の放送予定の内容というよりは先週の感動の余韻ですね。ぶり返してきまして。

 グレツキさんの交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」を動画サイトで視聴。曲としてどうっていうよりもやっぱり女性ボーカルの美しさ、はかなさに引っ張られちゃって大変です。全部聞くと50分くらいあるのかって知りましたけど、それが分かると「これは良い50分だな」って思えてきちゃいます。

 順番が前後しますけど、その前に実はシェーンベルクさんの「ワルシャワの生き残り」も聴きました。こちらも先週のラジオ番組「クラシックの迷宮」で聞いて衝撃的だったんですけど。まぁどちらの曲も戦争という大きな物語って言っていいのか、圧倒的な悪行を前にしてシェーンベルクさんも作風の角度を修正せざるをえなかったっていう解説だったかなって思うんですけど、聞いている方も厳粛に受け止めざるをえないような、非常な緊張感というか圧力というか。マとにかくレイシズムの行き着く先という歴史的な事実をこれはもう未来永劫、折につけ確認していく。それが正しい行いなのかなって改めて思いますね。

 私が思うにレイシズムの構造って二層あって、上の方では経済的な効率、下の方では無知や思い込みにかられる性急な差別感情。おそらく両輪どちらもセットなんだろうなって考えています。この“両輪”っていうのが一度はずみがついちゃうと止まりにくいんですね。恐ろしいですよ。そういう二層ある大きな構造って公害による健康被害であるとかそんなものにも共通するのかなともモヤモヤと考えたりしています。

 戻しますけど「現代の音楽」。気づいたんですけどもう時代的には1970年代なんですね。こりゃもうつい最近だなっていう気もしますし、パンクロック史的に言っても重要な年代なんですけど、今日はペルトさんのね。「ペルトのティンティナブリ様式」。こちらを西村朗さんに紹介していただきました。

 鈴を振ったときに発生する基音、倍音。「鈴」っていうのは非常に豊かな倍音構造をしていると思います。そこから出ない音響。その中で発生する音楽っていうんですか。最初の原初的な作品から、年を追うごとにより豊かになっていくものの、ひとつの響きを大切にしていく姿勢。そのへんはよく理解できたと思います。また美しかったですね。「けっこう宗教的だぞ」って思っていたところに、「さらに宗教的になっていきます」みたいなことを西村さんがおっしゃって「更に行くのか」って思いましたけど実際そうでした。

 自分の存在を消して、音を配するという姿勢であるのだというお話でした。

 先週、今週と「単純性」をテーマに、地域としてはポーランドとかエストニアとかのソビエト近隣からのもの。そんなことを学んだんですけど、印象としては「美しさ」というのが残ったのかな。って思います。ココロが洗われるような、そんな日曜の朝になりました。