「地獄」タグアーカイブ

それを見つめるニワトリ氏〔13〕

 ワクチンを打ってきました。Covid-19対策です。1回目。ちょっとおそいですけど。今のところ体調に変化はないです。

 今日もブログ用イラスト備蓄の作成に精を出しました。こちらも調子は悪くないです。

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 以下の内容は、ひさしぶりに電気グルーヴのお二人が提供するところのネット番組を見たよ。という記述をしようと思います。「オラっちの音故郷」という番組です。

 とても楽しい内容でした。

 具体的にはポップ・ウィル・イート・イットセルフ(以下、PWEIと表記します)っていうバンドについて語られました。

 PWEIはイギリスのバンドで、もう20年くらい前のバンドだから、いやーもう相当ですね。すっかり古くなっちゃったことに驚きますけど、電気グルーヴのお二人いうところの「サンプラーを抱えたパンクバンド」っていうか。私もその通りだと思います。

 いちはやくジグ・ジグ・スパトニックの楽曲をカバーした、なんてコトも語られました。しかし思うのは私もジグ・ジグは大好きですけど、PWEIはもうなんていうか、同世代!って感じがしますね。言っておきながら実はそこまで詳しくないんですけど、確かベースの人はズバリ私と同い年じゃなかったかと思います。

 PWEIというバンドはどうでしょうね。電気グルーヴのファンの人たちの中では有名だと思うんですが、それ以外の方にとっては、さほどの愛着もないんじゃないかって気がします。クセが強いバンドです。“おぎょうぎ”が良くないし。

 ですけど電気グルーヴにとっては大切なバンドであるみたいで。そもそもPWEIみたいなコトをしたいというのが最初にあったみたいです。電気グルーヴ創設の礎ですね。なんでも石野さんは「ボックス・フレンジー」の頃から好きだったみたいで。その前のアルバムも一応聞いていたっていう話もかなり昔に聞いた気がします。その頃はまだあまりパッとしなかったみたいなんですけど。私もそのアルバムはあとになって手に入れて持っていますけどそんなに聴いてないですね。やっぱり。

 私についてのPWEIについて、ちゃんと整理して書いた方が伝わりやすいと今、気づきましたよ。

 瀧さんも言ってましたけど「ディス・イズ・ディス」っていうアルバムね。もう私も死ぬほど聞きました。「コレだ!」って思ってました。「ディス・イズ・ディス」だけにね。うるさいですよね。

 発売日に新宿中探し回ったけど国内盤は見つけられなくて洋盤を手に入れたっていう話を私が別にやってるブログで書いたんですけど。このあたりの事情を見ても「好きな人は薬物的に好きなんだけど、世間一般からみるとさほどでもない」みたいな感じは伝わってくるんじゃないでしょうか。ほとんど刷られてなかったみたいなんですよね。東京の新宿で手に入らないって大概ですよ。当時でもね。

 私にとってPWEIが、どうスゴいかっていうと、まぁ結局「サンプラーを抱えたパンクバンド」っていう表現に集約されちゃうんですけど、それ以外に補足するとなれば「テクノロジーがパンパンに詰まったディストーション・ギターサウンド」って言えますでしょうか。歪みが深いんですよ。ギターの音色が汚いともいう。ココが私にとって重要で。私は「ギターの音が歪んでいれば歪んでいるほどエラい」っていう誤った思想を持ってますからね。

 たとえば彼らの代表曲である「キャン・ニュー・ディギット」もそうです。ギターが汚い。

 ジグ・ジグ以降を見ても打ち込みサウンドに破天荒なパンクさ加減が混ざった感じっていうのはなかなかなかったと思います。一応、打ち込みハードコアみたいなのはあったか。ドラムマシンと共存する。「ビッグ・ブラック」が居たからね。そうですわ。今、思い出しましたけど。ンまぁそれとは別のね。別の角度で。

 あとはもう引用の多さですよね。石野さんが「今作ったら発売できないかもしれない(サンプリングネタが多すぎる)」みたいなコトおっしゃってましたけど、しかしこのギッシリ詰まった感じですよね。楽曲「シーズ・スリァル」内では大胆にプリンス氏のフレーズなども出てきます。のちにビッグ・ビートな作風に転じるメンバーが居たっていうのもうなずける感じで。

 まぁだいたい以上ですか。私にとっては。ですけど自分でああいう音楽は作れると思っていなかったし作らなかった。それをちゃんと作ったのが電気グルーヴの偉大なところなんでしょうね。ヒトとしての性格・性質も近かったのかなと思いますけど、PWEI本家とね。

 PWEIは1度、来日公演をしているんですけど、電気グルーヴのお二人の、それを見た感想も語られました。私も、もちろん見に行っています。当時のチラシの画像が出てきたんで貼っておきましょう。

 電気のお二人がPWEIのライヴに来てたっていうのは私も知っていたんですが、てっきり夜もおそくからの公演だと思っていました。元電気グルーヴのCMJKさんなんかはそっちのクチじゃないかなって思います。アフター・パーティーもやったみたいですし。

 しかし夜おそくからの公演だと当時お二人のされていたラジオ番組の収録に支障があるんで早い時間の方を見ていたというイキサツ、初めて知りました。つまり私もソコにいたんですよ。早い方の回。共有してたんだなって知って感激しました。

 瀧さんの記憶力が良くて、ライブの際にステージの両脇に映像を映し出すモニター・ディスプレイがタテに重ねて置いてあったというもの。これは確かだと思います。ただし私は後ろの方から見ていたせいか一番上のモニターは記憶にあるんですけど、下の方は定かではありません。当時の映像モニターっていうのはブラウン管ですから奥行きがあるんですよね。ソニーのイイやつとかだと後ろの方が骨格みたいな感じの奥行きがありましてね。タテにして積み上げるのも容易だったんじゃないかと思うんですけど。

 ライヴの感想っていうのは「楽しかった」っていうしかないです。私にとっては。今ですとネットの動画で当時のようすがわかります。ベースはエレキで弾かれていたりして音源で聴くのとおもむきが違っていたりして気になる点もありますけど、その当日は何も気になりませんでした。楽しい、楽しいっていうだけで。

 バンドの年齢と私の年齢が近くて同じような感覚を持っていたのもあるのかなと思います。あの日あの時、ライヴを体験していて良かった。もうああいうのは無いですね。私の人生においては。けっこうトシを取りましたからね。

 そういえばネットの記事で石野さんが語る「老い」についても触れた記述も目にしました。全くその通りだなって思いましたけど。みんなそうなんでしょうかね。話題の小山田圭吾さんが「息子が生まれて命というものについて考えが大きく変わった」みたいなコトをおっしゃっているのを見てちょっとホロっとしましたけど。ああいう人でもやっぱそうなんだなっていうね。直接会ったことも無いからイメージで語ってますけどね。

 以上、長文を書きました。だいたいこんな感じです。

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 電気グルーヴのお二人にとってのルーツを語るこの番組というのは、主に石野さんにとっての思い入れであるとか音楽的なインスピレーションの源泉について振り返るもの、紹介するものだと思うんですが、PWEIの出てくる順序の早さには驚きました。前回がホルガー・ヒラー。パレ・シャンブルグ。これは分かりますよ。DAFとかに続いてね。重要。重要。

 しかしそれで私としては次あたり「ほぶらきん」とか「レジデンツ」かなって思っていました。あの人は好きですからね。しかし「PWEI」だったという。素直にへーそうなんだって思いました。虚をつかれた感じです。納得する部分もまた大きいですけどね。

 単に関連音源が取り出しやすい場所に置いてあったとかじゃなかったら良いのですけど。ンガしかし本当に私も好きなバンドですので。うれしかったです。

それを見つめるニワトリ氏〔12〕

 ブログの更新の時刻が遅くなってしまいました。

 イラストの作成をがんばっているところです。きのうもお伝えしましたが、イラストのお仕事がいただけそうです。つきましてはブログ用イラストの備蓄を作る必要が発生しました。

 午前中は調子が悪かったんですけど、午後から調子が妙に良くなってきました。明日もがんばろうと思うんですけど。

 きのうはかなり活動的に動いたので疲れちゃったみたいですね。それで午前中はグッタリしていました。

 今日もたくさんラジオを聞いて、音楽も聞いたりしたのですが、記述に要する時間が無くなってしまいました。今日はここまでです。

それを見つめるニワトリ氏〔11〕

 来週の予定になるんですが、かなり久しぶりにイラストのお仕事がいただけそうです。ありがたい。下手すると半年ぶりくらいです。

 良い仕事ができるようにがんばりたいです。つきましてはブログ用のイラストの備蓄を作っておく必要があります。仕事が頂けるとは全く思っておりませんでした。今日の夜から着手します。

 日記的なメモですが、台風の影響で私の住む静岡県東部も強い雨が降りそうです。自転車で重い荷物を背負うという、例の修行を、今日のうちに済ませました。その他、所用あって郵便局に行ってみたり。今日はそんなコトをしていたら太陽も落ちてきたという現在です。

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 ラジオ日記としては「シティ・ポップ」を聞きました。

 NHKラジオ第1「らじるラボ」。音楽ライターで編集者の松永良平さんの選曲。

 私がすこし思いつくような「シティ・ポップ」よりも数段深くて広い選曲。また、世界中で珍重されている日本の「シティ・ポップ」の現在と未来的展望も語っていただきまして。よく理解できました。

 重要なバンドとしての紹介に「はっぴいえんど」は必要だったのか、その点だけ私には疑問でした。松本隆さん的な「風街ろまん」な世界がシティ・ポップに強く接続していたのかは、かなり疑問を持っています。一応は私も同時代人ですので肌感覚からすると、う〜ん。どうなんだろうか。って思います。制作する演奏家の人脈からすると重要なんですけど、むしろそれならシティポップ直前のお仕事の羅列にとどめてもよかったんでは。重要なバンドではありますけど、とかく日本の軽音楽の源流を探ると必ず出てくるバンドですので、何にでも「源流はコレ」ってするとかえって分かりにくくなるんじゃないですかね。

 当時のシティ・ポップが大量に健全に消費されていた頃に「はっぴいえんど」的な世界を踏まえて味わっていた人の割合がどれくらいあったかって言うと非常に大きな疑問符をつけざるをえません。あの当時にわざわざ「はっぴいえんど」のアルバム、もしくはティンパンアレイその周辺の過去作を取り上げて「原点だな…」って思ってた人ってごく一部の音楽マニアの所業じゃ無いですかね。シティ・ポップってそういう脈絡とかから乖離した人工的な部分の妙味が強いんではないかって気が私にはしています。もちろんあるんですよ。ホントはね。源流もあればタネもある。ンガしかしってコトですよね。

 もう4〜5年も前ですかね。当時を知らない人たちで、なおかつ自作の曲を作る人たちの間で「シャウい音色」っていう呼び名があるのを知りました。まったく私には意味不明だったんですが、ちょっと探ってみたら、その手の人たちの原風景にある「シャウエッセンのCMで流れていた曲の感じ」っていうコトだったみたいで。

 それらも私が思うにいかにも作り物なウソで塗り固めたけど独特の美意識。おしゃれな世界。そうそう誕生日とかに高級な、なんですか飲食店に予約を入れるとか私は縁がありませんでしたけどそういう消費しろ!っていうような風潮ありましたね。景気が良かったからね。思い出したら腹が立ってきたんでやめますけど。

 戻しますが、つまりそうした虚構の世界に散りばめられた独特の音色の感じ、に惹かれたんじゃないか。あえてあの時代っぽい曲を作ろうとしていた人たちね。嗅ぎつけていた。のではないかって思ってますけど。

 最近ネットの記事で過去に私が15年ほども住んでいたことのある西新宿の5丁目のあたりを探索する企画を目にしました。

 それによると例の「ゆでめん」ね。はっぴいえんどの名作。私はあんまり好きじゃありませんけど。がしかし聞くと良いなって思う微妙な距離感ですけど。あの印象的なジャケットの写真が撮られたのが西新宿5丁目の中の方に入っていったあたりというか、実のところもう中野区の境界とのすぐソバっていうか。入り組んでいるんですけど、まぁとにかくその辺だって知りまして。ビックリしました。

 私が15年ほども住んでいた場所から100メートルくらいですよ。日常的に通ってました。たまげました。あのコインランドリー。3日にいっぺんは行ってましたよ。私ずっと貧乏でしたけど銭湯と洗濯はちゃんとしてたんですよね。自分で言うのもなんですけど。あとそのちょっと先にある銭湯に通ったっていうお話は以前にしました。「麻輪馬」っていうもうメチャクチャイヤな当て字の喫茶店とかありましたけどね。そういう場所ですよ。

 15年ほどもあのあたりを這いずり回った私の肌感覚からしても「はっぴいえんど」な世界が「シティ・ポップ」に通底するかっていうのは非常に苦しとしか思えません。どうでしょうかね。もう少し表の十二社(じゅうにそう)の通りの近くなってくると単なる居酒屋なのに外車が止まってるとか見かけましたけど、こと「ゆでめん」のあたりって5丁目でもディープな場所ですよ。

 私が80年代後半に越してきた頃には白のランニング着て坊主頭、半ズボンの完全に昭和も70年代に巻き戻したかって子供が走り回ってましたからね。これウソじゃないですよ。強烈に覚えていますから。

 1キロくらい歩いてホテルセンチュリーハイアットとかあの辺に行けばシティ・ポップにも違和感ないですけど、80年代の終わりから90年代アタマにかけてのシティ・ポップを語るにおいて「ゆでめん」西新宿5丁目は距離がありすぎますよね。ちょっとどうかと思います。NHKらしい良心の現れからくる選曲っていう部分があるんでしょうけど、親切すぎると分かりにくくなるよっていうね。番組の選曲自体は楽しみましたけどね。