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むらびとワラビー〔20〕

wallaby_25

 ヘトヘトなワラビーくん。

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 近況なんですが、来年の年賀状の下描きが完成しました。
 今、依頼主様のチェックを待っている状態。すでにトレスに着手しています。まだ一部、修正が発生する可能性はありますけど。それはそれで作業を少し巻き戻して、改めて再スタートすれば良いだけですので。

 仕上げはいつものペイントソフト(フォトショップ)ではなくて、ベクターソフト(イラストレータ)です。毎年やっているお仕事でして、仕上げに使うソフトも一緒。別にそうしてほしいという依頼でも無いのですが、私の楽しみも兼ねて作業しています。

 それにしても下描き作業は苦しみました。
 毎回、同じことを書いていますけど、悩むんですよねぇ。
 もう少し早く進めば良いのですけど、しかしじっくりやれば、やった分だけ絵にネバリというか、良い感じ。言葉にするのが難しいですけど。そういうものも生まれてくるので時間がある時ならばヨシとするべきなのかな、とも思います。

 とにかく下書きについては依頼主様のオーケーさえあればココまでですので、残る作業はトレスです。
 もう悩む余地はほとんど無いので、がんばっていこうと思います。

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 ネットのニュースで知りましたけど、今日は小説家の三島由紀夫さんが市ヶ谷で割腹自殺を遂げたその日。50周年なんですね。
 三島さんと一緒におなかを切った若者が一人いて、その名を森田必勝(まさかず)さんと言うんですが、今日、改めて調べていたら死の当日まで住んでいたアパートというのが私も住んでいたコトがある地点から200メートルくらいしか離れていなかったみたいだと知ってビックリしました。

 まぁ複数の資料を当たったワケでもないので、間違っている可能性は十分ありますが。

 しかしマ、私にとってはあそこって「和菓子屋さんの向かい」ですけどね。
 少し中の方に入っていくと今は新しいビルが立っているようですが、ちょっと開けた土地にポッカリと非常に小さな仕立物などを行う小さなお店があって、その建物が好きでした。
 私の想像では水森亜土さんと平野レミさんを足したようなおばあちゃんがお店をやっているというコトになっていました。ミシン踏んでね。

 その先は伊藤園のビル。それに並ぶような位置に昔はヨドバシカメラの倉庫兼配送所みたいな拠点があり、もっと進むとマンションの地下がコインランドリーになっていて私はそこによく通っていました。

 昼夜逆転した生活だったんですが、寝る前に洗濯を済ませて干してから寝るような毎日ですね。
 起きたらもうだいぶ乾いているっていう。

 まだ朝も明けきらない道を洗濯物を抱えて歩いていると夜の勤務を終えて集団で帰宅する途中の外国から稼ぎに来ている女性たちの姿を見かけたり、はたまた早朝だというのに路上強盗に会った直後の女性2人が青ざめた表情で警官に事情を聞かれている最中の真横を通り過ぎたり。私はあれ以上追い詰められてこわばった表情というのはその後も含めて見たことがないです。

 個人的な思い出とか体験がギッシリと詰まっている場所ですので、そこに森田必勝さんの青春を重ねるのって私には難しいですね。

 くどいようですけど私にとっては通りがかるたびごとに「和菓子を食べたい」って思う地点ですしね。かといって買って食べたことは一度も無いんですが。

 特にオチは無く。今日のブログ掲載の文章はこれで終わりです。

 一応つけ加えておく必要があると思いつきました。

 私は西新宿の狭いエリアの中で引越しを重ね、3つの場所に住んでいました。今後、当ブログにおいて「……私の西新宿時代がどうたらこうたら……」みたいに書くコトがあるかもしれませんけど、その都度、書いてる場所がちょっとずつ変わるかも知れないです。覚えていていただけたら幸いです。

 一番長く住んでいた場所っていうのはナントカ連合の若い男性が鉄の棒で殴り殺されちゃった地点から数メートルだったみたいなんですけど、それはあくまで私が転居した後のお話なので詳細は全く知りません。

 世間的には殺されちゃった男性とか犯人像に焦点の合うトコロかも知れませんけど、長く住んでいた私にとって気になるのはそこに住んでいる人たちのココロの傷ですよね。

 ホントに狭い路地での出来事であって家屋も密集していますから音や声などはツブサに聞こえているハズなんですよ。

 別に密接な付き合いがあったワケでもないですが、イラストレーターとしての自分を見つめたり、モガいたり、がんばったりした、私にとって地元以上に愛着がある場所なので気になります。