「マツモムシ」タグアーカイブ

アニメ化帝国〔マツモムシ(16)〕

 バッタを見つけたところです。

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 以下は日記的な記述です。

 朝に重い荷物を運搬する作業に従事いたしました。

 お米を買いに行ったのです。

 つい最近に前回のお米調達を済ませたつもりだったんですけど、5キロですとアッという間ですね。もうちょっと持つんじゃないかと思ってましたけど9月も中旬を待たずに危機的な状況を迎えた我が家のお米事情です。

 いつも買っている銘柄は売られてませんでしたけど、なんと10キロの袋があるじゃないですか。これはありがたいというわけで買って帰ってきました。しばらく持ちます。良かった。良かった。

 下の画像は今朝の富士山です。

 秋ですね。

 別件の用事を済ませるために、荷台にお米10キロを乗せたまま自転車で坂を登ったんですが、古い街道をリュックを背負って地図を見ながら登って行く男性ふたりを発見しました。

 我が富士市が独自に設定した「富士山登山ルート3776」っていうのがあるんですけど、その道中の登山者に違いありません。

 おそらく朝早くに海抜ゼロメートルから登ってきたんでしょうね。

 下のお写真は私が彼らを発見した地点からのお写真。

 残念ながら当事者おふたりの姿はもう映っておりませんけど、このあたりでどうなんでしょうね。ちょっと行った先の小学校が海抜250メートルですので、このあたりはまぁ220メートルってところですか。

 朝からずっと歩いてきたんでしょうけど、かなり良いペース。健脚ですね。

 なんでも9月10日が閉山日であるようですので、今日は山小屋に泊まって、明日に登頂って計画なのかなと思いました。どうぞご安全に。

 本日は朝から富士山がきれいに見えていました。10時過ぎには見えなくなっちゃったんじゃないかと思いますけど最高の登山日だったのでは。

  ×  ×  ×

 ついでにこの標高200メートル近辺のお話なんですけど、私が幼稚園に通っていた頃にはまだチラホラと製材所が稼働していたんですけど、今ではもうすっかり住宅地。

 時代の流れを感じますね。まぁ50年ほど前のお話ですから変貌を遂げて当然なのかもしれません。いやはや。

 この辺に行くたびに脳裏に木を削った時の匂いがよぎるんですけど、それももう当時を知る人にだけ起こる現象なのかなと思います。

アニメ化帝国〔マツモムシ(15)〕

 小さなクモを発見したところです。

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 以下はラジオ日記です。

 きのうの夜のことになりますが、「クラシックの迷宮」を聞きました。

 NHK・FM。

 シェーンベルクさんの人生におけるユダヤ人であるという出自にまつわる、それも第1次世界大戦と第2次世界大戦を経る中で厳しく社会からも自分の中からも問われた結果の変遷、みたいなものを知りました。

 重かったですね。しかし今の社会情勢。イスラエルとパレスチナ。国内に目を転じましても民族差物は存在しています。やっぱりなくさないといけない。

 先週にネットの動画サイトでルポライターの安田浩一さんが「差別に取り組むのはそれが生命の問題に直結しているから」とおっしゃってましたけど、本当にそうだと思います。

 聞いた楽曲としましては「ワルシャワの生き残り 作品番号46」。すごいダイナミズムでした。聞いていて驚きました。この曲に限らず、合唱のパート、あるいは単旋律。人の声ってすごいなと感じました。強制収容所における虐殺。憤りをたぎらせた。告発する内容であるとのことでした。

 ラジオを聴きながら初めて白ワインというのを飲みました。

 きのうは作曲家の西村朗さんの命日でした。西村さんが白ワインがお好きだったとの情報を得ましたのであやかってみたんですが。おいしく飲めてよかったんですけど、思っていた以上に強いお酒で、ベロンベロンになりました。いつもはギリギリ、イラストを描くことができるくらいまでしか飲みませんので割と大変。天井が回っている感覚を久しぶりに味わいました。気をつけないと。

 本当は西村さんの曲を聴きながら飲もうと思っていたんですけど、夜の7時過ぎという良い時間に「クラシックの迷宮」は始まりますので、お酒タイムを占有されてしまいました。シェーンベルクを聴きながらであれば西村さんも納得してくれるかもしれないですけど。

 酔いすぎたせいかもしれませんが今朝は寝坊してしまって、朝の番組「現代の音楽」に間に合わず。あとで聞き逃しサービスで聞こうと思います。

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 お昼前にNHKラジオ第1「子ども科学電話相談 岡島」を聞きました。

 「コンピューター・ロボット」に寄せられた質問が興味深かったです。

 コンピュターに“心”はありますか? という質問。さぁどうなんでしょう。技術は日進月歩ですので最新の知見が気になります。

 回答する先生は中央大学教授の岡嶋裕史さん。「まだ無いけど、あたかも心があるように振る舞えるようになるまであとわずか。」みたいなお答えだったと思います。

 人の心、というのも非常に難しくて、はっきりとした形が無いものは作りにくい。しかし人工知能で名作である小説を大量に処理することで、「こういう時は感動」「こういう時は哀切」みたいに学習できる。その結果、人との対話における対応上は「心を備えた存在」として振る舞えるようになりそうですよ、ということだったと思います。また別の話として、「人というのは相手が機械であっても、心が備わっていると思い込みやすい、無意識にそれを期待する、信じようとするもの」といった傾向を伝えていただきました。

 私はそれらを聞いてヒトと機械の境界線というか、まるでSF小説家のP.K.ディックさんがこだわっていたテーマに近いなと思いました。

 また、質問を寄せてくれた子の持論というのが興味深くて「“鉄”にも心があるのでは」というのにギョッとしました。

 SF小説家のJ.P.ホーガンさんの著作、確か「創造主の掟」だったと思うんですが、記憶がアヤフヤですが、なにしろハタチの頃に住んでいた千駄ヶ谷で読んだ小説です。そこに出てくる自律的に考え行動するロボットさんが鉄だったと思いますけど、植物のように扱っていて、まるで人がジョウロで水を与えるがごとく、花壇みたいなのを持ってるんですよね。鉄がニョキニョキと育ってくる。非常にビジュアル的にも素敵でしたので、小説としてのスジは忘れちゃってるんですけど、自分で思い描いたその風景だけ覚えています。

 人工知能すごいですね。肉親であるとか配偶者、恋人よりも重要なパートナーになりそうな気配満々です。

 音楽家のブライアン・ウィルソンさんが、心を病んだ後に精神科医の人に依存してしまって、ファンの人はヤキモキしたってことがありましたけど、そんなもんじゃない大量の人の心の支え、なら良いんですけど過度な依存というのも発生していくんでしょうか。これくらいの未来的な事象であれば、私の生きているうちにその一部始終を観察できるかもしれませんし、私自身どうなるかわからないですね。クワバラですよ。

アニメ化帝国〔マツモムシ(14)〕

 コオロギさんを見つけたところです。

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 ラジオ日記です。NHK・FM「世界の快適音楽セレクション」を聞きました。

 今日のテーマは「keepの音楽」。

 選局家は藤川パパQさんでした。

 聞いた音楽としてはゴンチチの「Canal tune」。

 Warpaintの「Keep It Healthy」。

 それと、The Crusadersの「Keep That Same Old Feeling」が良かったです。

アニメ化帝国〔マツモムシ(13)〕

 マツモムシ氏が、小さなムカデを見つけたところです。

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 以下はラジオ日記です。

 NHK・FM「出会いは!みんようび」を聞きました。

 聞き逃していた番組オリジナル曲「宿題の民謡」が聞けました。

 とても楽しく華やかな曲でした。有名な曲からの引用なども盛り込み、地続きというか連続性を備えていて、連帯するぞって感じかなと思いました。

 歌手の森口博子さんと三味線と合いの手の浅野祥さんの息もピッタリ、非常によく噛み合っていて普段のおしゃべりの時もそうですが、やりやすそうな親密な感じ。ベテラン同士なので合わせながら自由にする部分も頻繁にあるなと思いました。

 民謡に関しては、NHK・FMの他の番組になりますが、「民謡をたずねて」で、現在、「島の歌巡り 沖縄本島編」が4回シリーズで進行中です。

 私は2回までを聞きましたが、なんでも沖縄の民謡酒場で歌っている人たちがいるそうで、その人たちが歌う上で大切にしていることなどを聞きました。

 人頭税やアメリカ占領下のことなども語られて、そしてまた当時にできた歌なども聞けました。良かったです。

 もうひとつ別の番組になりますけど、宮古諸島のクイチャーや神歌、宴会の歌などを「音で訪ねるニッポン時空旅」で3回にわたって聞きました。これは非常に重要な回でありまして。私にとっても。

 番組ゲストとしては事情に詳しいピーター・バラカンさんがご出演して知識の一端であるとか感想を述べていました。いろいろあったのですけど端的に言うと「ブルースだね」という感じ。私も同感です。たぶん多くの場合、日本の民謡を古いブルースを聞く耳で感じている感が濃厚です。私にしても。一周回っちゃってる感じですけど。

 非常に納得のいくバラカンさんのコメントが次々に聞けました。しかし他方、思いもよらない観察眼であるとか、閉じていた目を開けてくれるような視点の提供はありませんでしたので今後もバラカンさんの番組を私が聞く必要はないなと確信を新たにもしたのでした。