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ホラアナ物語〔10〕

 本日もブログ用イラストの備蓄づくりにはげみました。

 以下は全てラジオ日記です。

 きのうの夜のNHK・FM「クラシックの迷宮」。マルコム・アーノルドさん。イギリスの作曲者で指揮者で演奏家。ルイ・アームストロングさんに憧れてトランペット奏者になる。しかしクラシックの道へ。作風としては通俗的なものとクラシックの中間くらいという良いバランス。指揮者としては振り抜く。鳴らし抜くというチカラづよいものだった。以上のようなことを学びました。映画「戦場にかける橋」の音楽がよく知られている。サル。ゴリラ。チンパンジー。「交響曲第1番」は初めて聞きましたが気に入りました。

 今朝のNHK・FM「現代の音楽」。先週に続いてアメリカの作曲家をとりあげました。ジョン・コリリアーノさん。ニューヨークの方。あとで調べて知ったのですが、映画「アルタード・ステーツ」の音楽もされていたようです。私は高校生の頃でしたか、見ています。ネットの動画サイトで再聴してみましたが、感想としては「初めて聞いたようだ」というものでした。アイソレーションタンクに身を沈めてドクンドクンいうような音と、映像としての迫力といった記憶はあるんですが、それ以外はもう全部が揮発しちゃっています。

 番組に戻すんですが、コリリアーノさんの交響曲第1番を聴きました。エイズの犠牲者、友人に捧げられた曲なんだそうです。

 ちょっとだけ私の得意分野であるポップ音楽、とりわけニューウェイヴとかシンセポップですね。そちらについて書きます。そこに関わっていた人たちでエイズ以後に作風がガラって変わっちゃった人がチラホラといらっしゃいます。身の回りの人がバタバタ死んでいくと死生観が変わってしまうのはとても理解が行くんですけど、しかしキビしいことを言うと安易と言わないまでもよくある宗教的なヒーリングミュージックっていうのか、私がその分野に明るくないせいか、それ以前の活動に比べると残念に思うことばかりです。どうしちゃったんだよ!って腹を立てたりもするんですが、特にアメリカの人はキリスト教の影響が大きいので彼らにしてみれば、やっていたバンド活動とかよりも宗教的なものの方が自分の中には常にあったとか、そういう理屈なのかもしれません。

 でですね。コリリアーノさんに戻すんですけど、これはスゴかった。友人を失って悲しいっていうのもありましたが、怒りですね。あるいはHIVのもたらした凄まじさ。席巻したというような。そういう描写。日本に住んでいる私なんかの想像を上回ることが起こっていたんだなと納得せざるをえませんでした。激しさが印象に残りました。

 きのうのブログでちょっとP. Kディックさんのコトを書きました。私が好きなSF作家です。私にとっては恋愛小説家だ。みたいなことを書きました。

 上の「怒っているビーバーさんのイラスト」について説明します。これはディックさんを描いたものです。

 たしかディックさんの最後期の小説だったと思います。最晩年の作品ともいう。ヴァリス三部作って言ったんじゃないかしら。好きな作家のコトのクセに書き方がアヤフヤなのはその時期を私はあまり好きではないからです。しかし印象的なエピソードがありまして、忘れられないのです。

 仲間内でのムダ話の場面。みたいな感じだったと思うんですが、飼い猫だったか顔見知りの野良猫だったか、ある日、道でクルマにひかれてペッチャンコになっているのを発見すると。それを見てディックさん(自身をモデルにした登場人物)が激怒して。「理不尽じゃないか」。「いつかオレが神様に出会った時には、このネコの死体をいつもポケットに入れておいて、その時が来たらサッとフライパンをかかげるみたいにして神様に見せて、「なぜこのネコが死ななきゃいけなかったのか説明しろ!」みたいに問い詰めてやるんだ!」。うんぬん。みたいなね。神様に対して本気で怒っているようす。ちょっと今朝に聞いたコリリアーノさんに通じるところがあるのかな、なんて思います。人だったり、生命に対しての執着の強さでしょうか。ディックさんの創作については、明らかにソコを起点にしてたくさんの作品を書いたという感が強くしています。

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 夜のNHKラジオ第2。「ニッポン時空旅」。はげしい秋のお祭りについて全国から3ヶ所を取り上げた内容。冒頭の永野宗典さんの演技による「ダメなお父さん」の描写が面白かったです。川越市の「川越まつり」の音も聞けました。私のイラストのお仕事のお話になりますが、川越についてはいろんなものをこれまでに描いてきています。保管してある画像を確認してみましたが、山車は一度描いていました。しかし絵地図の一角に小さく、山車のみを描いたものでした。いつかお祭りのようすを描く仕事が発生した時には、番組で聞いた喧騒を思い起こして描きたいなと思います。

 次の番組の「視聴覚障害ナビラジオ(再放送)」も聞きました。おとなりの市である沼津の事業所の話題。B型事業所の作業の内容の実際、受注の苦労や目的、目標について。前に当ブログで触れたかどうかわかりませんけど、私が住んでいる近所にはふたつの作業所があります。その他には、こども療育センター。生活介護事業所など。おそらく私が住むこの地域の特色にもなっていると思うんですよね。数年前に映画「ふつうに生きる」という作品を介護事業所で見ました。上映会が催されたのです。「視覚障害」とはまるで別の話になってしまうんですが。映画に出てくるのはまさに富士市も私が生活している近所で、利用者のご家族が利用する側であるだけではなく運営にも参画する形態の介護事業所なのだと学びました。また、私の目から見ると介助が不可欠ではと考えるような人も一人で暮らすことを目標にして訓練する様子など。最近のスマフォの性能や受け持つ分野の広さを考えると絵空事ではないのかもと思いました。それと驚いたのは利用者の人たちが花火を楽しみにしているということです。残念ながらもう割と以前から私が関わっている小学校区でのお祭りでは花火はできなくなってしまっています。ちょっと申し訳ないですね。お金の面の事情みたいなんですけど。しかしああした視覚と聴覚に訴える花火の美しさに心を踊らせる様子を映画の画面越しですが見るとですね、市民活動につながるものって思ってる以上に多いんだな。大きいんだなって感じます。そういえば春の桜祭りにも車椅子で来てくれていますけど、楽しそうに桜を見上げる人も多くいて。中には表情に出ない人もいますけど、そういう人の内心は分かりません。アンパンマンのダンスを披露してくれる福祉フェスティバルっていうのが例年の6月にあるんですけど、その時も楽しそうに踊る人もいれば表情は変わらない人もいる。でもイヤならやらないだろうなと思うんで、きっとおそらくアレはアレで楽しいんだろうなと思う次第です。地域の仕事をしていると何回か関わりを持てるので、介助が必要な人たちの世界にもだんだんと当たりが付いてきたというか馴染みが出てきたかなと思います。要するにそれぞれが別個の個性を持った人たちなのです。もっともダンスができるくらいの方たちというのは障害を持つ人の中では相当に軽いほうなのかもと思います。障害の重さのグラデーションというのが非常に広い。これも映画「普通に生きる」を見て学んだことですね。ああいう映画って大事ですね。