「ニワトリ」タグアーカイブ

それを見つめるニワトリ氏〔12〕

 ブログの更新の時刻が遅くなってしまいました。

 イラストの作成をがんばっているところです。きのうもお伝えしましたが、イラストのお仕事がいただけそうです。つきましてはブログ用イラストの備蓄を作る必要が発生しました。

 午前中は調子が悪かったんですけど、午後から調子が妙に良くなってきました。明日もがんばろうと思うんですけど。

 きのうはかなり活動的に動いたので疲れちゃったみたいですね。それで午前中はグッタリしていました。

 今日もたくさんラジオを聞いて、音楽も聞いたりしたのですが、記述に要する時間が無くなってしまいました。今日はここまでです。

それを見つめるニワトリ氏〔11〕

 来週の予定になるんですが、かなり久しぶりにイラストのお仕事がいただけそうです。ありがたい。下手すると半年ぶりくらいです。

 良い仕事ができるようにがんばりたいです。つきましてはブログ用のイラストの備蓄を作っておく必要があります。仕事が頂けるとは全く思っておりませんでした。今日の夜から着手します。

 日記的なメモですが、台風の影響で私の住む静岡県東部も強い雨が降りそうです。自転車で重い荷物を背負うという、例の修行を、今日のうちに済ませました。その他、所用あって郵便局に行ってみたり。今日はそんなコトをしていたら太陽も落ちてきたという現在です。

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 ラジオ日記としては「シティ・ポップ」を聞きました。

 NHKラジオ第1「らじるラボ」。音楽ライターで編集者の松永良平さんの選曲。

 私がすこし思いつくような「シティ・ポップ」よりも数段深くて広い選曲。また、世界中で珍重されている日本の「シティ・ポップ」の現在と未来的展望も語っていただきまして。よく理解できました。

 重要なバンドとしての紹介に「はっぴいえんど」は必要だったのか、その点だけ私には疑問でした。松本隆さん的な「風街ろまん」な世界がシティ・ポップに強く接続していたのかは、かなり疑問を持っています。一応は私も同時代人ですので肌感覚からすると、う〜ん。どうなんだろうか。って思います。制作する演奏家の人脈からすると重要なんですけど、むしろそれならシティポップ直前のお仕事の羅列にとどめてもよかったんでは。重要なバンドではありますけど、とかく日本の軽音楽の源流を探ると必ず出てくるバンドですので、何にでも「源流はコレ」ってするとかえって分かりにくくなるんじゃないですかね。

 当時のシティ・ポップが大量に健全に消費されていた頃に「はっぴいえんど」的な世界を踏まえて味わっていた人の割合がどれくらいあったかって言うと非常に大きな疑問符をつけざるをえません。あの当時にわざわざ「はっぴいえんど」のアルバム、もしくはティンパンアレイその周辺の過去作を取り上げて「原点だな…」って思ってた人ってごく一部の音楽マニアの所業じゃ無いですかね。シティ・ポップってそういう脈絡とかから乖離した人工的な部分の妙味が強いんではないかって気が私にはしています。もちろんあるんですよ。ホントはね。源流もあればタネもある。ンガしかしってコトですよね。

 もう4〜5年も前ですかね。当時を知らない人たちで、なおかつ自作の曲を作る人たちの間で「シャウい音色」っていう呼び名があるのを知りました。まったく私には意味不明だったんですが、ちょっと探ってみたら、その手の人たちの原風景にある「シャウエッセンのCMで流れていた曲の感じ」っていうコトだったみたいで。

 それらも私が思うにいかにも作り物なウソで塗り固めたけど独特の美意識。おしゃれな世界。そうそう誕生日とかに高級な、なんですか飲食店に予約を入れるとか私は縁がありませんでしたけどそういう消費しろ!っていうような風潮ありましたね。景気が良かったからね。思い出したら腹が立ってきたんでやめますけど。

 戻しますが、つまりそうした虚構の世界に散りばめられた独特の音色の感じ、に惹かれたんじゃないか。あえてあの時代っぽい曲を作ろうとしていた人たちね。嗅ぎつけていた。のではないかって思ってますけど。

 最近ネットの記事で過去に私が15年ほども住んでいたことのある西新宿の5丁目のあたりを探索する企画を目にしました。

 それによると例の「ゆでめん」ね。はっぴいえんどの名作。私はあんまり好きじゃありませんけど。がしかし聞くと良いなって思う微妙な距離感ですけど。あの印象的なジャケットの写真が撮られたのが西新宿5丁目の中の方に入っていったあたりというか、実のところもう中野区の境界とのすぐソバっていうか。入り組んでいるんですけど、まぁとにかくその辺だって知りまして。ビックリしました。

 私が15年ほども住んでいた場所から100メートルくらいですよ。日常的に通ってました。たまげました。あのコインランドリー。3日にいっぺんは行ってましたよ。私ずっと貧乏でしたけど銭湯と洗濯はちゃんとしてたんですよね。自分で言うのもなんですけど。あとそのちょっと先にある銭湯に通ったっていうお話は以前にしました。「麻輪馬」っていうもうメチャクチャイヤな当て字の喫茶店とかありましたけどね。そういう場所ですよ。

 15年ほどもあのあたりを這いずり回った私の肌感覚からしても「はっぴいえんど」な世界が「シティ・ポップ」に通底するかっていうのは非常に苦しとしか思えません。どうでしょうかね。もう少し表の十二社(じゅうにそう)の通りの近くなってくると単なる居酒屋なのに外車が止まってるとか見かけましたけど、こと「ゆでめん」のあたりって5丁目でもディープな場所ですよ。

 私が80年代後半に越してきた頃には白のランニング着て坊主頭、半ズボンの完全に昭和も70年代に巻き戻したかって子供が走り回ってましたからね。これウソじゃないですよ。強烈に覚えていますから。

 1キロくらい歩いてホテルセンチュリーハイアットとかあの辺に行けばシティ・ポップにも違和感ないですけど、80年代の終わりから90年代アタマにかけてのシティ・ポップを語るにおいて「ゆでめん」西新宿5丁目は距離がありすぎますよね。ちょっとどうかと思います。NHKらしい良心の現れからくる選曲っていう部分があるんでしょうけど、親切すぎると分かりにくくなるよっていうね。番組の選曲自体は楽しみましたけどね。

それを見つめるニワトリ氏〔09〕

 ラジオ日記です。

 いつも聞いている「らじるラボ」。NHKラジオ第1なんですけど、番組を進行する吾妻謙アナウンサーが自宅にいながら放送するという、リモートな番組制作形態。

 おどろきました。

 ゲストがリモート出演という形は定着したかなと思いますけど、司会する方が在宅とは……。しかしやっぱりなんとかなるもので。どうということもなく無事に終了。

 もちろんこれまでに培った経験、積み重ね、があるからこそっていうのは大きいと思いますが。

 番組制作側の意図としてはわかりませんが、この先また感染力が強く致死率も高いといった病気が流行した場合、ラジオ制作のやり方として貴重な実地体験にもなるんではと思います。

 以前に「文芸選評」のゲストの先生をリモートでつなぐという形が始まった時にも書いたと思いますけど、社会が暗い時にいつもの番組が放送されるというのは意義深いし、ありがたい。

 がしかしラジオ番組はアナウンサーやゲストだけでなくミキサーを司る人と現場監督的な人も必要だと思うんですが、このへんはどうなるのか。

 特に即時性ですとか、ア&ウンの呼吸が必要な気がします。とは言え、想像に過ぎません。実際はどうなのか。私はラジオ番組が好きなので気になります。緊急のニュースだって入ってきますしね。なかなか大変ですよ。

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 リモートの番組づくりといえば土曜のFM放送の「世界の快適音楽セレクション」なんですが、最近ですね。ゴンチチさんによる別の形態の番組がネットの動画サイトに存在することを知りました。そこで語られる内容としてはラジオ番組だけでは語りきれない部分も含んだ興味深いものが多いのですけど、「快適音楽」での制作について語られておりました。

 初めて知ったんですけど、番組の制作が東京のNHKだったと知ってビックリ。

 てっきり大阪の制作だと思っていました。

 つまりゴンチチのお二人が大阪から東京まで出向いて2本分の収録を行うという。朝も早くに起きて新幹線に乗って、それから収録。2時間分の番組を2本となるとかなりキツキツだろうと思います。実際、帰りは終電ギリギリになってチチ松村さんが走って改札に駆け込むなんていう事態も1度や2度ではないらしい。あぶないです。ケガでもされたらね。手をついてポキッとか想像もしたくありません。

 それが最近はリモートになり、自宅での作業になったので改善されたということです。実際に番組を聞いていても良い形で制作できていると思います。

 特にゴンチチのお二人がそのネット番組の中でおっしゃっていたのは、曲を流した後だったりのコメントですね。最近は前もって気になった点を調べたりする余裕もある。ちょっと考察したりする時間も生まれてきた。ということで。

 今までのコメントなんかもおそらく音楽家としての瞬発力が良い形で出せることもあったと思いますけど、最近のコメントは聞いていても深みが増して、よりゴンチチのお二人の音楽に対する愛情だったりスタンスだったりが感じられて聞きごたえがあるような気はしています。

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 リモートの番組作成なんて最近のテクノロジーあってのことだと思いますけど、放送文化の意義だったり主眼っていうのはたくさんの方がそれを聞いて楽しい、あるいは、よく知る。考えさせられる有意義な時間。の提供だと思いますので、より良くなる方向でしたら制作の形態というのも変わっていくんじゃないかなと思います。