「ゴキブリ」タグアーカイブ

ゴ×××帝国〔26〕

 着地した直後。カッコいいポーズのヨロイモグラゴキブリさんのイラストです。

 このイラストもアニメ作品「ガッチャマン」を意識しました。

 ポーズとしては「大鷲のケン」のイラストをネットで見て参考にしました。

 キャラクターとしては「ミミズクの竜」を意識しています。

 それと今月の「ゴキブリ描写」シリーズですけど全体的には九里一平さんの世界を念頭に扱っています。

 日本にアメコミ調の画風を持ち込んだおひとりとされているそうなんですが、私にはそれと併せて昔の雑誌の「少年倶楽部」誌なんかの武者絵であるとか無国籍アクション物とかの世界を引き継いでいるように思えます。

 九里さんは1940年生まれだということなのでもう少し後の文化に触れたのかもしれませんが。

 ───────────────

 以下はすべてラジオ日記です。

 NHK・FM「世界の快適音楽セレクション」において小野リサさんとナラ・レオンさんの歌声を聞きました。とても良かったです。

 それと番組最後のコーナーでホレス・アンディさんというレゲエ歌手の方の楽曲を聴きました。殿様キングスみたいな塩辛ボイスでとても良いなと思いました。

 あとは清水靖晃さんですね。楽曲「空白を満たしなさい」。これはちょっと飛び抜けて良かったような気がします。ドラマの劇伴だということだそうです。小説家・平野啓一郎さんの原作であるとか。ジャズ音楽愛好者でもある方です。敵側の作品となるわけですが、音楽が良かったので内容が気になります。私はテレビを持っておりませんので見れませんが。

 ───────────────

 NHKラジオ第1で日曜日に放送されている「ディスカバー・カーペンターズ」の先週放送の会を聞き逃しサービスで聞きました。

 矢口清治さんを迎えての「聞きくらべ」企画でした。

 カレン・カーペンターさん生前最後の録音曲「NOW」を聞きました。

 この曲は竹内まりやさんも歌っている。時期的には竹内さんの方が早い。そうした事実関係を初めて知りました。

 カレンさんが歌った「NOW」については亡くなってからの発売であって、当時も私は一度耳にしたことがあります。その時には特に心を動かされることはなかったんですが、今回数十年ぶりに聞きました。多くのことを思いますね。

 まずは仮歌であったにもかかわらずここで聴ける歌声はキチンと歌えているということ。

 つい最近にラジオ番組「ジャズ・トゥナイト」で「アート・ペッパー」さんについての特集を聞きました。

 ジャズ側の人間である番組進行の大友良英さんによると「さほど苦労せずともその時々の流行も含めて演奏できてしまう才能の持ち主」であったと思う。みたいな解説でした。チェット・ベイカーさんとの共演も聞けましたが、まぁこの両人ともに麻薬がらみで人生を縮めちゃってるというか音楽活動にまで支障をきたしているというあたり似てますけど、メチャメチャな人生でも演奏は良い。なぜか音楽だけは体調が良くなくても何とかなってしまう。そういう人がいるんですね。天才っていうことなんでしょうけど。

 音楽をやっている時だけは普段の自分以上の存在になれるっていうことだったのかもしれません。もしかしたらカレンさんもそういう人だったのでしょうか。

 前にも少し書きましたが、カレンさんの訃報というのは当時、中学生だった私にとっては「あの完璧な音世界の住人が亡くなった」というものであって現実の生身の人物の死としては考えられませんでした。それが訃報の1週間くらい後でしたかね。病気だったと。拒食症だったと。それでやっとじわじわと「病気をしたり悩んだり苦しんだりする普通の人間だったんだ」と理解できてきた。という感じだったと思います。

 カーペンターズみたいな完璧な音楽というのは音楽の世界でもかなり珍しい存在であるってことがいろいろと聞いてわかってきた頃だったこともあって、ヒドい話ではありますけどカレンさんの死っていうよりも生身の人間だったっていう方がショックだった。そんなあの当時の自分だった気がします。

 ちょっと大げさじゃないかって思われるかもしれません。

 しかし子供の頃の私ってシンセサイザー音楽の作曲家ジャン・ミシェル・ジャール氏の自宅スタジオの写真でシンセの上にうっすらとホコリが積もっているのを見て「外国にもホコリって存在するんだ!」とショックを受けたくらいでして、外国の人であるとか文化に幻想を持っていたんですね。

 私にとってのカレンさんの死っていうのは年を取ってからの方が悲しみっていうのは増しています。32歳没っていうのは本当に気の毒です。

 なぜ外見の見栄えの良さに縛られて苦しんだのか。もう取り返しがつかないとはいえ残念。

 ピーター・ポール&マリーのマリーさんなんてトシをとってからは若い頃の倍くらいに増えてましたけど、ネットで見られる動画なんかを見ると子供たちに囲まれて楽しそうに歌っているものもあって。

 カレンさんも生きていればこうした場面があったのになぁって思います。

ゴ×××帝国〔25〕

 昔のアニメ作品「ガッチャマン」のカッコいい場面から構図をお借りしてきました。一目瞭然だと思います。

 ヨロイモグラゴキブリさんの方には陰影をつけて、よりバカバカしくしてみました。

 ───────────────

 重い荷物(大根1本)を運ぶ活動をしました。朝のうちでしたけど今日もわりと暖かかったです。

 少し早めに出かけて、最近の懸案である「お墓まいりからスーパーマケットまでのスムースな道選び」の活動もしました。

 しかし結論から申しますと失敗しました。

 またもや東寄りの既知の道をたどることになってしまいました。

 次こそは理想的に近道になる道を行きたいと思います。

 ───────────────

 富士山の撮影もしました。

 「ちょっと雲が出てきてしまった。残念」と思いながらの撮影でしたが、帰宅して画像を見直してみると、雲の塩梅が案外よくて、「映画の始まりとかによさそう」なんてことを感じました。いかがでしょう。

 しかし11月も後半とはいえ、こんなに盛大に富士山が積雪するとは。

 富士山の雪事情って年によって違うんだなっていうのが私の実感ですが、ともあれキレイに冠雪しているとうれしいですね。

 最近よく撮影している地点からの写真もございます。

 この地点から奥の方に向けて北に移動してみました。

 私の感想としては、わざわざ奥の方まで行かなくても良いかな、って思いました。奥の高い位置にチラっと見える道路は県道24号線です。

道路標識の右あたり、木の根元との中間に円柱が2本あって少し上を見ますと「あぁ鳥居なのか」と気づけるかと思います。

 さらに北上すると今宮(いまみや)の浅間神社の前の道にたどり着きました。ココに抜けるんですね。

 この浅間神社はですね。当然、富士山に関係しているのですが、富士市内の浅間神社。これを「下方五社(しもかたごしゃ)」って申しまして、ざっくり言って富士市内の浅間神社の中でも大きな神社。そういうのが5ヶ点在してるんですけど、この今宮の神社はとりわけ高度的には高い位置にあります。

 (他の神社で昔はもっと高い位置にあったのだが噴火の影響で今の低い位置に移動したみたいな来歴を持つ神社さんは別にして、ココでは簡単に記述します。ドラえもん石像があるんですけどね)

 今宮浅間神社に戻しますが、神社の裏のあたりで火山の溶岩がピタッと止まったらしいんですよね。それで「おっかニャア溶岩が停止したズラ! こりゃあ神社を建立すッしかないズラ!!」みたいな運びになったんだとか。

 富士山の斜面の角度がこの辺りでちょっとユルむのです。それで溶岩がそれ以上行かなかったのかと思いますけど、マそれはともかく市内の他の神社に比べてもモロに富士山の活動、胎動に即しているのかな、みたいなね。そんな神社です。

自分で読み返してみたら「やっぱり神社そのものの画像がないとモヤモヤする」と感じましたので、9年前の画像の再掲で申し訳ないですが載せておきます。

 つい最近に当ブログにおいて「丸火(まるび)公園」の名前が溶岩ドロドロに由来していて、公園内に冷えて固まった溶岩が存在している(ハズ)」みたいな記述をしましたが、おそらくその時と同じ噴火なのかなと思います。距離的にはそこそこ離れているなとは思うんですが近所ではあります。

 上の画像は市内の博物館が行った企画展で「大淵(おおぶち)スコリア」を扱った際の書籍からの画像です。この本はかなり良い本だと思うんですよね。買っておいて良かったです。

 この画像から富士山の側方からの噴火のあり方が学べると思います。南斜面限定ですが。

 注目していただきたいのは画像中央あたり「大淵降下スコリア堆積物」という部分です。これが富士市内であって、私が申しておる「丸火公園」とか「今宮浅間神社」とかのあたりです。その範囲としてはけっこう長大だなっていう感想です。

 時期としては、5世紀ごろだということです。

 地図をこうしてみますと、同時に愛鷹山(あしたかやま)がかなり開析(侵食とか風化して崩れていくことを言うんだそうです)の進んだ古い山なんだなということも理解できると思います。

 富士山と愛鷹山の中間地点というか接合地点の一番高いところがだいたい確か標高850メートルくらいなんですよ。

 そこから照らし合わせていくとまぁざっくり1000メートルくらいから吹き出したんでしょうか。

 丸火公園の高さとしては北端がおそらく650メートルとかそんな感じだと思うんですよね。私の素朴な感覚のお話で申し訳ないですけど。ていうことはマ要するに500メートルから600メートルくらいは簡単に降下していくんだなって読み取れるのかなって思うんですけどね。

 もうこの地図を富士市民が眺めますと「ゴルフ場とか全滅じゃないの」「富士市営墓地とか大丈夫?」って思っちゃいますけど大昔の話ですからね。

 まぁ大ざっぱに見て今現在にヒトが住んでるあたりは大丈夫エリアだなってことも感じます。と同時に「やっぱり活火山だなぁ……」って現実を再確認せざるをえない。ナンマンダブですよ。

 この先の未来のことも気になるゾという方はぜひネット上「富士山ハザードマップ」をご覧ください。

ゴ×××帝国〔24〕

  ヒーローアニメなんかによくあるラストシーン的なイラストです。

 「よかったよかった」とか「一件落着」みたいな感じですね。

 ───────────────

 ラジオ日記です。

 俳優の六角精児さんご選曲による鉄道ソングの数々を聞きました。

 パット・メセニーさんのバンドの「ラスト・トレイン・ホーム」という曲では列車が線路の上を走る音をブラシ奏法で見事に再現していて驚きました。

 エルヴィス・プレスリーさんの「ミステリー・トレイン」ではギャロッピング奏法の解説あり。私もちょっと試してみたことがあるんですが歯が立ちませんでした。いつか弾けるようになりたいです。具体的にはビートルズでのジョージ・ハリソンさんによる「オール・マイ・ラヴィング」の間奏です。この曲はレノン氏による伴奏の3連譜もあのニュアンスを出そうとするとかなり難関で。土屋昌巳さんなんかはわりと簡単に最初から弾けたとか聞いたんですけど。言いぶりからするとまだ地元・富士市にいた頃だと思うんですよね。

 別に番組内ではビートルズはかからなかったのですが、モンキーズがかかりました。

 「ラスト・トレイン・トゥ・クラークスヴィル」。

 詩の内容を六角さんから教えてもらえました。反戦歌のおもむきもあるんだそうです。

 またよく言われることですが、「モンキーズは演奏できたのか?」という話題についてもひとくさりありました。これについてはジ・アルフィーの坂崎幸之助さんのラジオを録音したものがネットの動画サイト等で参照できると思いますが、その内容で信頼の置ける演奏者の方がかつて彼らの演奏に随行した際の証言がございまして、それによると「3コードの曲なんかはけっこうウマい」だそうです。ただポップス寄りの若干難しいコードになると弾けないのだろう、音源を流して当て振りもあったのかな、みたいな感じのおっしゃり方だったと思います。主旨としては意外な演奏力という文脈だったと思います。

 ウッディ・ガスリーさんの曲もかかりました。フォークソングにおけるプロテストソングの意義というか、重みというか、六角さんの思いとしては、こここそが本質ではないかと熱弁されていました。

 あとローリング・ストーンズにおけるミック・テイラー氏の名演も聞きました。これはロックとかを聞く人ですと誰にも否定できないというか「ありがとうございます!」って拝聴するしかないですよね。ミック・テイラーさんの後ろに万単位のギタリストが「オレもこれはコピーした」っていう勢いで連なるといった存在です。

 以上のような感じでした。六角さんは舞台のお仕事のため、番組を中座して仕事場に向かったのですけど、プロテストソングの来歴のあたりは聞き応えがありました。

 番組の最後の方で、ザ・ブームの楽曲「中央線」を聞きました。

 番組を聴き終えた後、個人的な音楽聴取としてザ・スターリンの楽曲「STOP JAP」をネットの動画サイトで聞きました。歌詞の中に「中央線はまっすぐだ」という一節があるのです。

 やっぱりくつろぎますね。家に帰ってきたような思いがいたします。

 近況に入りますが、非常にたくさんのシンセポップを聞いて整理する活動をイラスト作成のかたわら進めているわけですが、ちょっと疲れましてですね。

 きのうの晩は手持ちのパンクロックソングを片っぱしから聞いて心の安静を得ました。そんな最近です。

 本日のブログ更新の後はモーターヘッドによる「トレイン・ケプタ・ローリン」のカバーを聞こうと思います。

ゴ×××帝国〔23〕

 涙の邂逅という感じのイラストです。

 ちょっとおもしろくまとまったと思います。

 ───────────────

 お昼にNHKラジオ第1で「ひるのいこい・70周年スペシャル」を聞きました。

 今日はアナウンサーの人が3人も集まって進行するという珍しい番組作り。

 歴史的な紹介もありました。

 「ひるのいこい」の前身番組「農家のいこい」が昭和24年から。GHQによる食糧増産の施策の一環であったとのご紹介でした。各地に農業普及指導員を置き、その人たちの報告を「列島リレー」的に放送するというような基本的な構造。お昼の休み時間に農家の人たちがその情報を共有し休憩明けにはまた作業に励むというような狙いがあったようです。

 知りませんでした。

 「ひるのいこい」に番組名が変わったのが昭和27年。いわゆる「主権回復」の年と申しましょうか。サンフランシスコ平和条約発効。象徴的なものを感じます。むしろこの年は沖縄が奪われた年と言っても良いのだと思います。カッコ付きの主権回復なんでしょうけど、新たな日本国のはじまりだったんですね。

 番組の中では復員後に健康の優れない夫。姑と子供達を抱えて大変な中で「ひるのいこい」のラジオ放送を聞いてとても心いやされた、そして今でもラジオをポケットに入れて農作業していますというようなリスナーからの声も紹介されました。

 歴史ある番組でも聞かれなくなってしまっては存続が難しいと思うんですが、今も続いているというのは、こうした激しくも淡々とした日常に求められる多くの人たちのいこい。となりえているから。だろうなと思いました。

 あと30年続くと100周年であるわけですが、ぜひ私も生きてその日を迎えたいものです。