「キツネ」タグアーカイブ

おそうじキツネ〔ほうき2〕

 タヌキやキツネを練習してきたワケですけど、気づいてみれば、またもや男の子やオジさんばかりでした。

 しばらく女の子を描いていこうと思います。

 私の場合、気をつけていないとみんな男の子やオジさん、オバさんなどになってしまいます。

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 寒い1日でした。日本列島の各地が雪模様だったとの報道。静岡はそれに比べるとマシなんでしょうけど、霜柱が立っているのを見かけました。

 今朝は自転車で荷物を運搬しました。5キロ程度の軽い内容。きのう買い忘れてしまったものなどを買ってきました。

 その他おウチの清掃などを軽くしたんですが寒くて頭が痛くなってきました。

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 以下はラジオ日記です。

 きのうの番組ですが、NHKラジオ第2「ニッポン時空旅」。「冬の歌」の再放送。オリジナルの放送の時にも聞いたのですけど、内容はすっかり忘れていました。いやしかしもう昔の人の歌をたくさん聞けて非常に素朴。楽しかったです。

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 ラジオの冬休み番組が始まっているようです。「子ども電話化学相談」を少し聞きました。鉄道に関する質問への回答。レールの上の鉄の車輪の転がり抵抗の少なさを知りました。

 線路の保守とか作業をする人たちが移動するトロッコで、足こぎペダル付きのものを見たりすることがありますが、私も不思議に思っていました。座席の数は3つくらいあるようなのにペダルは一人分しか無いみたいで。あれで足りるのかと。平坦な区間ならへっちゃらだということみたいです。調べてみると人数分のペダルが付いているタイプもあるようです。観光用のものかもしれませんけど楽しそうだと思いました。

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 つづいて個人的に視聴したネットの動画について。

 きのうのラジオ番組「現代の音楽」にて耳にした新実徳英さんの曲を今日も聞いてみました。ネットの動画サイトにて。2台のピアノのための曲「旋法の虹 I-II-III」という曲。本当は全部で7つで構成される曲だということなんですが、最初の3部の演奏。タイトルの通り、モード(旋法)の考えに立脚しているらしいのですが、ピアノのメカニカルな側面をも愛した曲というか、ひびきとしては明快で様々な組み合わせの和音が聞こえてきて、そしてそれが流れの中で関連して聞こえてくるという楽しい曲でした。

 動画に添えられた記述によると1988年に作られたものが1995年に再演されたものであるようでした。これがすなわち「4人組とその仲間たち」の第2回という機会であったみたいです。なるほど、と納得しました。

 もうひとつ別になりますけど、合唱曲を聞きました。男声合唱団の歌う「日本が見えない」。ルソン島にて戦死されたという詩人・竹内浩三さんの詩に曲をつけたもの。言葉だけでは説明のつかない複雑な胸の内に切り込んだ曲だと感じました。複数のパートに分かれての男声コーラスが幾重にも重なっていました。私にはその内面の大きさというか空洞、そこに満ちていく激情だったり虚無だったりが錯綜するように聞こえてきました。聞いた後に重いものが残る曲でした。

おそうじキツネ〔ほうき1〕

 可愛らしいキツネくんが清掃活動しているところです。

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 今朝は自転車で重い荷物を運びました。運動したせいか午後は眠くなってしまって2時間ちょっとという度をこす昼寝をしました。気づけばもう陽はかたむき、夕方です。ガッカリしないで出来ることをさがして進めようと思います。

 朝があわただしかったのでラジオを落ち着いて聞くこともできませんでした。

 「吹奏楽の響き」。下野竜也さんの解説。今日は岩城宏之さん、山本直純さんというふたりの指揮者が残した演奏から。最後の3曲だけ聴けました。最初から聞ければ良かったのですけど。

 「現代の音楽」は逆に前半しか聞けず。新実徳英さんの「ソムニウム」。“夢”とか“幻想”とかの意味があるらしいのですけど、ピアノとクラリネットのための曲を聞きました。楽しみましたが、今思い返すとずいぶん難しい“夢”だなと思います。

 私は全く新実徳英さんの作品世界に長じていないことを悟り、ネットの動画サイトで調べたり聞いたりしましたが、合唱曲がかなり広範囲に親しまれていることを初めて知りました。

 「花に寄せて」という曲を東京薬科大学の合唱団が歌うのを聞きました。大変に柔らかく仕上がっていて良いものが聞けたと喜びました。

びっくりキツネくん

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 ラジオで日本のギター・デュオであるゴンチチのライヴ演奏を聞きました。

 NHK・FM「世界の快適音楽セレクション」。

 1999年に東京サントリーホールで演奏されたもの。やはりあのホールは響きが良いのか、チチ松村さんよると「客席からの拍手の音もよく聞こえる」とか。確かにそうかもしれません。

 私の好きな「動物達集まる」も聞けて嬉しかったです。「UPC」をギター2台の最小編成で聴くとより細かく何を弾いているかがわかり良かったです。曲調が展開していく時のおふたりの息のあったところなどがつぶさに観察できました。

 5曲ほども聞けましたので、まるで演奏会そのものも堪能できたような心持ち。たいへんありがたかったです。感謝感謝。

 またゴンチチのおふたりがネットの動画サイトでやっている面白いお話ですが、面白い喫茶店の面白い店長さんのエピソード。とてもおもしろいです。全3回ですが続きが気になります。

 今日のラジオの方で聴いた音楽に戻します。

 遊佐未森さんがコメントを寄せて、何曲か紹介してくださいました。遊佐さんの肉声を初めて聞きました。年齢的にはさほど変わらないのではって思いますけど、私はこのあたりの音楽にまるで詳しくないので。紹介された曲の中ではジュリー・ホウリィーズさんのケルトなフォーキーな曲っていうんですかね。曲としても声質としても録音としても非常に良かったです。ちょっと私の好きなスパイロジャイラっていうかバーバラ・ガスキンさんっていうか、似ているのかなと思いましたが非常に良い音楽を紹介していただけたと喜んでおります。

 それと湯浅学さん。「枯葉」を何曲か流してくださいました。稲葉国光さんと中牟礼貞則さんの演奏は大変に素晴らしかった。ありがたいです。1975年の録音っておっしゃってたかなと思います。もう1曲、別の良かった曲としてはルーチャ・レジェスさんの「戻ってきて」という切ない曲。バックの演奏も非常に良かった。初めて知った人ですがペルーの人でずいぶん若くして亡くなったみたいです。

おどろきキツネくん

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 おとといのことになります。

 フライパンを買いに地元の商店街に行った帰りに、写真を撮ってきました。名所旧跡です。

 といっても非常に小さくて、60センチ四方くらいのこじんまりとした場所の写真です。

 写真中央にコップが並んでいます。そのすぐ上の目立ちにくい石。これが目的でした。

 これは「咳婆さん(せきばあさん)」と云うらしいのです。

 私の住んでいる場所からはちょっと遠いですけど、小学校の学区内であって、友達のご実家の近くでもあります。

 しかし私は「せきばあさん」の石碑については今年になるまで知りませんでした。

 ネットの地図で近所をボンヤリ眺めていた際に発見しました。

 「どこかに便利な抜け道がないものだろうか」と探していたのですが、道は見つからず、昔の信仰の跡が見つかったという次第であります。

 三角形の先端に位置する活用しにくい土地なんですね。小さい公園などにする場合もありますけど、ここはそれとも違う感じです。敷地の大きさとしては3~4メーターとか。小さいです。

 地名としては「石坂(いしざか)」という場所です。

 私が住んでいるあたりというのは新興住宅地が非常に多いのですけど、この「石坂」エリアに関しては昔から人が住んでいた場所です。昔からの土地だけあって道もクネクネしています。ですので私が知らない抜け道もあるんじゃないかと思ったんですよね。

 「ネットの地図での事情」について追記しておきます。今は「富士市 石坂」周辺を漠然と眺めていても「せきばあさん」は表示されないようです。

 「富士市 石坂 咳婆さん」で指名して検索すると出てきます。今現在は。

 近接した写真です。

 石碑としてはかなり小さいですよね。人の頭より少しだけ大きいくらいです。個人的に作って設置した、というようなサイズです。

 昔の道しるべなど、往来する人々に向けて作られた場合、今に残るものを見るとちゃんと人の注意をひく程度の大きさをしている場合が多いようですし。

 表面のようすに視点を移しましょう。何かが彫られているようです。しかしとても風化が激しい。近くで凝視しても何が何だかわかりませんでした。

 この点についても、昔の道しるべなんかは今でも立派に読める場合も多いですし、かすかにでも文字が判別できたりするので、やっぱりこの「せきばあさん」に関してはそういう公的な設置物とは違うんでしょうね。

 角度を変えて見てみたら、何か分かることもあるのではと期待しましたが、見えてくるものはありませんでした。

 裏側にまわってみても何もわからない。雑然とした印象です。

 全体像はこんな感じ。とても目立ちにくい。

 おそらくこの辺りの住人の方でも昔から住んでいる人じゃないと、「せきばあさん」の存在を知らない人もいるのでは、と思います。

 場所としてはスポーツジムの近くです。私は高校生の頃にこのジムに見学しに来たことがあります。友達が興味があったみたいで「ついてきて」みたいに誘われたんですよね。40年ぶりに来ました。道が迷路みたいですので特別な用事でもないと来ない場所なのです。私にとっては。

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 以下は「せきばあさん」についての説明です。興味がない方はまた明日、ブログに来てください。おまちしております。

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 「せきばあさん」。まぁおそらく「カゼを治してくれるんだな」みたいなことは想像がつきますね。よくあります。そういう民間信仰。

 とても小さな石碑ですから、近所の人だけで信じられているか、遠くの人が聞きつけて拝みに来たとしても数キロ四方。そんな感じではないのかと思います。

 ところが「せきばあさん」って、私は知らなかったんですけど、「地獄にいる奪衣婆(だつえば)に関係あるらしい」と、ネット上での検索に検索を重ねた結果、知ることになりました。意外。

 地獄の官吏(っぽいヒト)が、ナゼ昔の人たちの素朴な願望「病気を治したい」に寄り添うような存在に変化して行ったのか。

 それと「せきばあさん」っていうのが別にこの土地土着の考えではなく広く昔の日本のソコ&カシコに伝わっていて、それらが遠く静岡のこのあたりにまで伝わってきていた。というのも驚きです。

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 ガッカリさせてはいけませんので、以下はなるべく簡単に記述します。

 ただし「地獄についてのことがら」っていろんな説だったりそれぞれの地獄観、ストーリーがあるようですので、とりあえずこの文章では話のスジがつながるようにその一例に添いました。地獄ってすごく奥が深いようです。

 奪衣婆っていうのは地獄における番人みたいな役割で、「六文銭」ってありますよね。通行料みたいな。三途の川の。しかしお金が足りない場合ね。亡者さんの衣服を奪ってお金の代わりとする。そういうヒト。おじいさんもいて、夫婦なんですけど。

 他の役割としては、閻魔大王の裁きにかかる前の簡単な問診っていうか、私は医療におけるトリアージを思い出しましたけど、「この人はだいたいこれくらいの罪ですよ」っていう簡易な裁定を閻魔大王に申し送るといった、そういう機能も果たしている。というように考えられていたようです。

 それで昔の人たちの「地獄のイメージ」というのが大変に恐れられていて、なんとか地獄行きになったとしても楽に過ごしたい。苦しみたくないっていう気持ちが大きくあったみたいです。それでいきおい奪衣婆を拝んでおいて、罪を軽くすることを目論むというような。そんな姑息にして素朴で切ない動機があったみたいです。閻魔さん本体じゃなくてその前段に向かうところがいかにも民衆だなって感も大きくあります。言い方を悪くすれば「奪衣婆さんにとりいっておこうナンマンダブ」。そんな感じでしょうかね。

 最大のナゾの解明について記します。

 奪衣婆は「関の番人」。「関」が「咳」に転化して、いつしか「せきをしずめてくれるおばあさん」になったみたいです。

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 時代を隔てた遠く昔のコトって、今の人間にはわかりにくいですから、その脈絡が理解できた場合、「あぁ! そうか! うれしい!」ってなることも多いと思いますけど、「関」が「咳」。オヤジギャグ。私の感想としては非常に腹立たしいです。

 言っちゃなんですけど間違ってると思いますよ。

 単なる語呂合わせであって、病気のメカニズムや病理的なものと全然違いますからね。昔の時代に転生して最初にコレを思いついてイイ気分になっている多分オジさんに向けて言いとがめたい。言いさとしたい。イーサネットにつないで。イートン・ライフルズですよ。階級闘争。労働権の確認。話がそれましたけど、そんな衝動に駆られます。しかしそれはかなわないコトですのでね。

 老婆の霊性っていうか、ヤマンバとか、そういう不思議で超常的なイメージも重なって、地獄の住人っていうミステリアスなその存在とか。とにかく色々混じってしまって見かけ上は大きな説得力があるかのように感じられる。信じるに足る根拠になった。みたいです。もうイカにも民間信仰。冷静に考えたら絶対そんなワケないよってなるんですけど、それがそうは行かないっていうのがヒトとヒトとの集団における心理の有り様っていうか。手のほどこしようもないのですよね。

 以上のような感じでありまして、民衆による民衆のための存在。それが「せきばあさん」っていうのが私の理解なんですが、案外ちゃんとしたお寺でまつられている場合もあるようです。どうかしちゃってるんじゃないかって思いますけど、実在するものは仕方ないですよね。

 東京は新宿2丁目の北側の通り沿いにあるわりと大きなお寺。そこにあるみたいです。全然知りませんでしたけど。カラダが大きなオジさん向けの紳士服店の並びです。それとか昔はスジを挟んでお向かいのあたりに「KEY」っていう楽器店があったんですけど今はもう無いみたいでビックリしました。私が最初にエレキギターを買ったお店なんですけどね。

 ということはそこからちょっと奥の方に入っていったところに昔あったKEYの系列みたいなお店も無いんですね。音楽家の大友良英さんのご著書の中の記述によると、エルクっていう昔に存在したギターメーカーのお店の跡で、KEYとエルクが関連していたっていうことだったみたいです。私がウロウロしていた頃には中古楽器専門のあんまりやる気の無いお店になっていました。なんか床がジカに土間って感じの他に類を見ない内装だった記憶がウッスラとあります。

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 すっかり長くなってしまいました。読んでくれた方には感謝の言葉以外にございません。ガッカリさせていなければ良いのですけど。しかしマ、残る疑問としては当地「石坂のせきばあさんの碑」の表面の彫刻ですね。往時には一体どんな意匠がほどこされていたのか。あるいは最初っからツルッツルだったのが時を経るうちに何か意味ありげに侵食されていったのか。

 記録はおそらく無いと思いますので考えても仕方ないことかもしれませんが、気になります。

 見た感じから割と柔らかめの石材だと思うんですよね。昔の加工技術で何とかなりそうな。それも近所の小さな工房とかの製作物、あるいは完全な素人で手先が器用なおじさんが「ノミとトンカチ借りて来たど~」って言ってチョイチョイやって何とかなる程度。ナゾは深まりますけど、このあたりのイナカのことですし底は浅いんじゃないのかなと夢想しております。

 枝ぶりは妙に良いですよね。