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オバケ絵。

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 軽く汗ばむ季節の到来です。
 運動の為、自転車に乗りました。

 数日前に、登った経路を、もう1度走ってみようと思います。
 偶然通った道でしたので、記憶を固めようと思います。

 まずは自宅から坂を下って市内の平らな地域に到達。
 コンビニで甘い物を買って食べました。甘い物の効果はすぐに現れます。

 我が富士市は工場の多い土地です。日本大昭和板紙株式会社吉永工場という名前が長い工場の東側の道を北上します。この工場は私の友達が30年近く勤めている場所なんですが、私自身はあまり馴染みの無い土地です。そんな訳でけっこう新鮮です。
 更に北、つまり富士市付近ですと、北イコール富士山方面、という事で傾斜してくるんですが、原田という地域。ここは私の別の友人、キバ先生の奥さんの地元ですね。私の記憶が定かであれば、なんですが。

 段々、坂が厳しくなって来て、この世に生まれて来た事を後悔する頃合いですが、東名高速道路の高架の下をくぐります。

 ここでいきなり古い記憶が蘇ります。この辺は知っています。何の事は無い、昔に通っていた高校の周辺です。福祉活動で路上のゴミを拾ったりしましたね。
 古い建物が残っています。昔はボーリング場でした。いやぁサビれていますねぇ…。地図で見ると、今は製紙工場の倉庫として使われているようです。
 けっこう不便な場所です。「ナゼこんな場所にボーリング場が営業していたのだろうか?」と思います。
 さきほどネットで情報収集したのですが、そもそも、このあたりは製紙工場の所有地で、隣接する社宅の人たちのリクリエーション用途も一部にあったようですね。不要になった現在は、製紙の倉庫として使われるようになった経緯に納得です。

 しかし、昭和の一時期に爆発的なボーリング・ブームがあった事は、私も覚えていますが、まさか社員の福利厚生を目的の一部としたボーリング場が成立し得たとは。これは中々にスゴい事ではないでしょうか。

 富士市を語る際に、製紙工場というか製紙産業ですか。非常に重要なんですが、これがまぁ言いにくい事ですが、現状、あまり芳しくありません。カンバしくないなんて言葉がスルっと出る辺り、私の初老街道まっ只中具合が実に良くにじみ出ているんですが、まぁそれは良いんです。

 話を富士市の製紙産業〜その現状と悲しみ〜に戻しますが、どんな具合かって言いますと社名が変わって存続しているのはまだ良い方でしょうか。
 上でご紹介した、ボーリング場を持っていた製紙会社も、社名としては無くなってしまっているようです。そして更に上の方でご紹介した私の友達が勤めているという製紙工場も昔は別の名前でした。昭和の富士市を築いたと言っても過言ではない大きい会社だったんですが、バブル期に会長さんがゴッホやルノアールの絵画を買った辺りが頂点だったのかなと思います。

 大手がそう言った有様ですから、小さい所は推して知るべしと言った具合です。

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 すっかり話が逸れてしまいました。サイクリングの途中です。順調に上を目指します。甘い食べ物が良く効いています。けっこうキツい坂が続くんですがナメクジの向こうを張るようなハイスピードでクリアして行きます。何故か足の中指がツったりしながら忍耐の行程です。

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 最近、(一部)開通した新東名高速道路の高架をくぐります。おぉ、自動車が走っていますね。本当に開通したんですね。

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 更にちょっと登った辺りで方向転換です。もうすっかり夜です。東に向かって帰宅です。