以下は今年の2月に書いた文章が元になっています。
寝かせていました。
この文章量を見ず知らずの方に読んでもらうってのはサスガに酷だと。
もとより当ブログの趣旨はイラストを見ていただくコトにありますので、文章については流していただいてかまわないんですけど、しかし不幸にも「目に入ってしまった以上オレは全部読んじゃうんだよ。文章のタグイは」って方も確実にいるだろうと思われる。
そんな人にとってはイイ迷惑。かわいそうです。
そんなワケで公開にチューチョでベサメ・ムーチョしておりましたが、最近私が新しく知ったことなども総合し、また削れるところは削って掲載にふみ切ります。
私も私でモヤモヤして整理がつかない。
折しも出ましたが今回のテーマはこの“モヤモヤ”。蒸気。英語でヴェイパーっていうらしいんですけど。そんな名前がついた「音楽ジャンル」についてです。
それでは参ります。
きのうもちょっと書きましたけど、読まないほうが時間を浪費せずにすみますよ。
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「ヴェイパーウェイヴ(Vaporwave)」という音楽ジャンルについてのネット放送を視聴しました。「ドミューン」という配信です。
1980年代から90年代くらいを思わせるようなサウンドの引用で満たされた音楽、という感じでしょうか。
「引用、再利用」みたいな部分は、特に重要であるようですこのジャンル。曲の全体的な印象においてもアートワークにおいても。
もうひとつ「元の音素材を遅く再生させる」という手法も多用されます。
間延びした印象も受けますが、同時にある種の雰囲気も出てきます。
具体的にはこの音楽が狙うところの、郷愁にオイデ、オイデを後押しする作用。引っ張るって言った方が良いのか。ノスタルジックな感じです。
ちなみに音を遅く再生すると、連動して音の高さも低くなります。多くの場合ムーディになります。
そんなヴェイパーウェイヴですが特に新しい流行ではなく、もう10年以上の歴史があるのだそうです。
私にとってのヴェイパーウェイヴは、ジャンルとして意識するより前に楽曲を聴いていた。というものでした。ネットで耳にしたのです。最初に聞いた時には混乱しましたが、結果、あまり良い印象は受けませんでした。
なぜなら聞いて何も残らなかったからです。しかし断片的にはスゴく良い。シンセサイザーによる音世界で。
なんだろうな?って思いました。
しかも同種の音楽が、私が聞いたその時点でたくさんアップロードされていたのです。異様なものを感じました。この不毛な行為にたくさんの人たちが、あるいは全てが同一人物なのかわかりませんが根気よく作り続けている。
10年前とは言いませんが、5年以上は前のコトだったと思います。投稿年月日を見て、「そんなに新しい流れでもないんだな」と思いました。その時点で。
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アイコンとして目にするビジュアルとしては、古いパソコンなどがあしらわれているコトも多くて、ネットの動画サイトをさまよっていた私にとって非常に興味をひかれるものでした。色もキレイでね。
しかしふりかえって考えてみると画面に配置されたオブジェクトの組み合わせについては脈絡が薄く、「聞いても意味ない音楽だよ」と語りかけているのか、とも思えてきます。私のアトヅケの感想ですけどね。
あるいは主張することに疲れたか、そもそも苦手であるとか、そんな人もいますよね。ボンヤリ今の状態が続いていけばいいみたいな。そんな人々のためのミュージックなのかも知れないんですけど。
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曲をそれなりに色々と聞きましたので、初めて聞いた時点で私の中では評価であったり認識というのは固まっているんですが、今回の(というか今年の2月の)ネット配信を良い機会と捉え、現場のDJの方や、専門家、主に若い方たちの発言や考察に耳を傾けてみました。
新しい知見、それとお話を聞いた上で私の中で整理されたコトなど、得るものはありました。感謝。しかし私の思っていたのと大きな違いはなかったようです。
ただし、放送の中で紹介されたマッキントッシュ・プラスさんの新作にはちょっと驚きました。この人は「ヴェイパーウェイヴ」うんぬん別にしても注目すべき人なのではないかという感想。
具体的には「引用」の次に来るべきものの提示だと感じました。とても短い紹介を聞いただけの感想ではありますが。
配信の前半が「考察」的なコーナーで、後半はDJタイム。
もっぱら楽曲が重ねられ、つなぎ合わされる時間となりました。
DJの方たちのテクニックがスゴくて目と耳が釘付けになりました。
がしかし内容としてはせっかくの「ヴェイパーウェイヴ」という音楽の特徴だったり新しさが十分に活用されているとは言えない感じ。
なんだかDJプレイのためのひとつの素材のようになってしまっていて、この人たちにとっては別にことさら「ヴェイパーウェイヴ」じゃなくても良いんじゃないかなという感もあり。まぁ機能として踊らせなきゃいけないという事情もあるのかもしれませんが。とにかくいつものフロア向け音楽っていう感じに終始していて興味が急速に衰え就寝したのでした。
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今回、文章にまとめるにあたり、ついでですので、ここ10年の間に生まれたとされる隣接するジャンルについてもウィキペディアを読んでみました。チルウェイヴなどについてもやっと理解できました。
こちらも楽曲というかアーティスト単位では知っていて、「最近こういうのあるんだなー。でも妙に耳にするよな」と感じていましたが、整理がつきました。
「点」ではなく「群」だったのです。
私の好みとしては、どの「波(ウェイブ)」もあまり好きではないんですが、あえて順番をつけると好きなものから「チルウェイヴ」「ヴェイパーウェイヴ」「シンセウェイヴ」って感じでしょうか。
いろいろあるんですが、ひとくくりにされるだけあって、聞いた感じは似ています。
私個人の総体的な印象は「聞いてもあんまり報い(むくい)は無いね…」です。雰囲気はどれも最高なんですけどね。ココがやっかいなところで。つい聞きたくはなるんですよ。
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低予算のアニメ作品における高速道路のシーンなどにおいて「“移動”を表現しているのにずっと同じ場所にいるように見える。なぜなら背景があまり長くないループであるから」という現象があると思うんですが、あれにも似ています。じれったい感じ。
あれはあれで面白いですけどね。アニメの方ね。見方を変えるとね。
ただ私の場合、音楽に求める要素として「驚き」、「発見」、「どっかに連れて行ってくれる」というようなものがあります。
変化に乏しくドコにも行かない音楽は聴いていてツラいです。
ネットゲームとかコンピュータゲームなんかする際の「背景音楽」としての「シンセミュージック」が好きな人にとってはスゴく良いのかもしれないとも想像します。
止めようとしない限り永遠に続く環境音楽。そんな感じなのかなと思いました。
私はパンクロック系の人間であるせいなのか「ルール」がある「ゲーム」というものがとても苦手です。
「なんで見ず知らずのどっかのクズがニヤニヤしながらヒネりだした「ルール」とやらにこのオレが従う必要があるんだよ?」って過度に反応してしまうんですよね。
それにパンク系の人の持つ特徴のひとつに「うるさいくらいに主張する音楽が好き」っていう点もあるんで、そっち方面でもヴェイパーはキツいですよね。
ゲームに限らず私の好き嫌いは不必要なまでにハッキリしておりますので過剰な反応や異常な敵意というのは特に珍しいコトでもありません。
サラっといわれてもコマるかもしれないですけどね。
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私が好きな「波(ウェイブ)」って、やっぱり「ニュー・ウェイヴ」、「コールド・ウェイヴ」。そんな感じですね。結局。
それか、「ザ・ウェイヴ・オブ・ザ・フューチャー(クアドロフォ〜ニァ)」ですよ。要するに感性が古いんですね。
一応まとめを書いて終わらせようと思います。
「ヴェイパーウェイヴ」。
配信の中で「…「死んだ」と言われた「ヴェイパーウェイヴ」だが、死んではいなかった…」という発言がありました。確かにその通りなのでしょう。
またネット上では別の方による「「死んだ」というより「ゾンビ」になった」とする記述も目にしました。私としてはこちらがしっくりきます。
あまり実態というか、とらえどころもない。追い求めるほどに遠のくみたいな印象もありますか。
これはどのジャンルであっても総体を指す呼称である限り、多かれ少なかれありますけどね。
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しかし既存の曲の、ポップミュージックの「ヴェイパーウェイヴ」バージョン。という活用はめちゃくちゃアリだと感じています。これは真剣なお話ですが。
誰かが新曲を発表したとして、そのオマケとして「ヴェイパーウェイヴ・バージョン」がつくとかね。
単純にカッコいいですよ。「蒸気波」。決して悪いものじゃない。アレンジの手法のひとつとしての発明。私が「ヴェイパー・ウェイヴ」は死なないなって点について同意できるのは、この一点によります。死にようがない。単なるアレンジスタイルですから。
もちろんこれは完全な形骸化であるワケなんですが、元が形骸化のカタマリみたいなもんですし正しいんではないかと。
形骸化って書くと悪いモノ、質の低いものだと捉えられがちではありますが、形骸化できるってなかなかのモノですからね。
放送中にほんのさわりだけ聞いた上記、マッキントッシュ・プラスさんの新作ですが、その辺、気づいてヴェイパーウェイヴを壊してるのだったらやっぱりそっちの感覚でも優れた人なのだと思います。仮定の話ですけどね。
また、手法としてのピッチを落としてウネウネさせる感じ。これで思い出しました。
ジグ・ジグ・スパトニックの「ラヴ・ミサイルF1-11」をドイツのウエストバムさんがリミックスした際にそうした手法を使っていたのです。このリミックスが私は非常に好きでして。
丹波哲郎の手によって霊界からよみがえったエルビスみたいな感じ。もしかするとこの曲があるから私は「ヴェイパーウェイヴ」から好感を捨てきれないのか、とも思います。
もう1曲くらい、例をあげた方が説得力が増すかもしれない。「Anna – Movies (Slowed Down)」っていう曲ですね。
これは「Anna – Like They Do In The Movies」っていう曲のカラオケで、なおかつテンポとそれに連動するピッチを落とした感じなんですけど元の曲より雰囲気は良いかもって思います。
そんな曲、知らないよって方にお伝えするとヴァーナ・リンドさんの「アンダーウォーター・ボーイ」に近い感じ。名曲。こっちの曲がピッチをイジってるかどうか私は知らないんですが、そういう耳で聞くとそんな気もしてきますね。
ピッチを落とすに連動して当時の録音メディアである磁気テープの粒子感が増大してくる。そんな印象がスゴく私にはあります。好きなんですよ。
ンじゃ逆にピッチを上げた曲はどうなのって話にいっとこうと思うんですが、これは私の場合、ノイ!の「スーパー」ですね。それも「78」の方。スゴくバカバカしい。大好きです。いっしょになって「ハラッ!」とか「アラアラアラアラ」とか言ってしまいます。やっぱり私は欧米で言うところのリス声。これが好きなんですね。ヘロー・エキセントリコちゃんですよ。
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ま、だいたい以上です。
なんですが、もうちょっと自分に引きつけて考えておかないとマズいかもしれません。
別に私は何かモノ申す職業でもないし評論家でもありません。ただの音楽が好きなイラストレーターですからね。
最近の「波」における共通点であるような過去への郷愁。ビバ80年代みたいな。到来しなかった未来への憧憬。まぁよくわかりませんけど日暮れ感。夕暮れ族ですか。違いますけど。
レトロをあえて取り込んだ表現手法ですよね。
私の場合、全く文脈は違うと思いますけど、けっこうこの「なつかしさ」。
そういうのを自作のマンガとかでよく利用しています。これは気をつける必要があるのではないか。
「他人の振り見て我が振りなおせ」じゃないんですが、上記の諸「波」を見るだに感じる、あまり生産性は無いなっていう絶望感。
焼き直しに終始する際における編集の妙だけがキモとされる中身の薄さ。
「わかってるね」みたいな言葉が最上級の褒め言葉みたいな先のない窮屈さ。
センスがどうこうみたいなそういう部分。
私があまり好きじゃないエレクトロニカとかにも存在する「わかる人にだけ聞いてほしい…」みたいなオツにすました姿勢。
列挙するとこんな感じですか。
単に懐かしさだけをもって攻めるだけでは、ちょっと足りないよなって思います。私としては。
加えて私は通りすがりの赤の他人をも惹きつけてやまないジョルジオ・モロダーなディスコが好きなんですよね。
あんまり狭く行かず間口は広め。
「おまえが他にやるコト無くてストロング・ゼロ買いに行く途中なのは知ってるけどコッチきて踊れや」っていう。
強引。
赤の他人サマ巻き込む気満々。
「わからないヤツには聞かせて分からせる」っていうドン・ガバチョっていうかワニワニ・パニックみたいに歯がギザギザしててガブっといったら離さない。カモネギ音頭なワールドですね。
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削れるだけの文章を削ったつもりでしたが、読み返すだに湧いてくる言葉の数々も捨てがたく。結果的にはかなりの長文に。申し訳ありません。
しかし私なりに「カモネギ音頭なワールド」というキーワードにたどり着けました。収穫だと感じます。
先月にラジオで聞いた内容が興味深かったんですよ。
合わせて考えてみようと思います。
音楽とは関係ないです。
作家の高橋源一郎さんとブレイディみかこさんの対談から。
“シンパシー”と“エンパシー”という、近い意味ながらココロのあり方として少しく違う、その違いについて語られた局面がありました。
加えて「懐かしさ」の上に立脚する共感、共有しうる情感みたいな部分に及んだんですが、聞いているうちに私個人の考えにボンヤリと思いが移ってしまって詳細や接続が飲み込めませんでした。聞き返そうと思ってるうちにNHKのサーバからも期間終了により削除されてしまって残念。
がしかし共通体験であったり、経験してもいないのに感じる「懐かしさ」であったり、そういうのってあるな。やっぱり。そして悪いものではない。ポジティブに援用できる余地ってのも大きい。であればどう取り扱うべきか。
単に懐かしいとかを超えるスーパーなメッセージだったり視線、あるいは柱。
なんだろうな?って思います。
いろいろあると思いますし。何か1ヶ思いついたらそれを元に1ヶのマンガを描けそうな気もします。
これは考え続けたいと思います。
まずとっかかりに思いついたんですけど映画「人斬り与太・狂犬三兄弟」。
1972年という良いコロ合いの作品なんですけど、ラストシーンで渚まゆみさんがラーメンをガツガツっとかきこむシーンが私、好きなんですね。妙に気になってます。
映画のスジとか群像としては非常にヒドいんですけど、ラストの場面はかなり惹かれるものがある。光ってるような気がします。
この頃の日本映画の色彩も好きなんですけどね。
日本って湿気が多い国なんだなっていうアジアな感じ。
マとにかくそんなところから出発してみようかなって考えています。
絶望、孤立無援、渇望、解放、自由、希望。いろいろありそうですけど、それと美しさでしょうかね。結局は生命、エロスってことなんでしょうか。
相当なテーマです。がんばれそうな気がしてきます。
スゴく唐突ですけどね。
でも何かクリエイトできればラッキーみたいなスタンスで。