アニメ化帝国・キバハリアリ〔37〕

 きのうの晩のことですが急に眠くなりまして。夜7時前に横になりました。

 起きてみたら翌朝の7時過ぎでありまして。12時間ほども寝てしまったことになります。

 ビックリしましたが、ブログ用イラストの生産作業としては、おおむねうまくいっています。きょうもわりとよくがんばれました。

 明日もがんばります。

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 ラジオ日記なんですが、朝はリゲティさんの音楽を聴きました。クラシックですね。ラジオ番組「現代の音楽」NHK・FMでございます。

 2週続けての編成を意図しているということで、今週はリゲティさんの前半の作品のご紹介。リゲティさんと申しますと圧倒的な音響世界。抜きん出たものが聴く人の耳に迫ってくる。音楽なのか体験なのかわからない。そんな感じだと思うんですが、その境地に至るより前の作品から聞きました。民謡に根ざした時期の作品ということになります。こんな時期もあったんですねという感想。

 リゲティさんの歩みを知れまして興味深かったです。ただし民謡ベースの作曲家で終わることも可能性としてはありえた。別のことを言えばそんな作曲家が新天地に移り、新たな刺激を受けた結果、どエラいものを残したワケで、人の可能性はわからないものだなとも思うのでした。

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 つづきましてNHKラジオ第1の「子ども科学電話相談」を聞きました。リゲティさんにくっつけるわけじゃないですけど、こちらでも芸術に関する質問。それに対する回答が面白かったです。

 静岡県に住むという小学2年生の子からの質問。「銅像だったり彫像だったりが“裸”であることが多いのはナゼですか?」というもの。

 対する回答としては美術における特に裸像について歴史的な経緯をざっくり伝え、社会における美術の受容のされ方。こちらも歴史的な経緯を伝え、そしてまた絶えずみんなで考えることの大切さを説くって感じだったかなと思います。

 大変に意義深くそしてまた興味深い質問とその回答。

 回答者は恵泉女子学園大学の大日向雅美さん。小学低学年の子に伝えるべき回答として明快にしてバランスのとれた良い内容だったと思います。

 質問を寄せてくれた子は最近の静岡県におけるニュースを見たのかなと思いました。

 先月のことですが、静岡市の難波市長による問題提起があってニュースになっているのを私も目にしました。

 静岡市の駅の南口にルノアール作の女性裸体像が設置してあるんだそうで、難波市長いわく「設置場所として相応しくないのではないか? 今の時代性に照らして」ということでした。決してどこかにしまったりするとかではなく、別の場所に。そしてまた高圧的にこうあるべきだというワケでもなく議論を促すというスタンスであったと思います。

 常に議論していくというのは大事だと私も思いますけど、問題とされる裸体像については非常に芸術性が高いので多くの人の目に触れることは有意義だというのが私の意見です。あれは公共の場に長く置かれるべきものじゃないでしょうか。

 優れた芸術家がたどり着いた究極的なフォルムとしての美。その集大成ですので教育的な面での価値ですよね。

 静岡市の子であれば、県の美術館でロダンの彫刻を見る機会もあると思いますが、両者が残した芸術が近くにある。その片方は駅の前で見られるというのは学習という点でとても良いと思うんですよね。別に彫刻をやる子に限らず絵画でも良いし、たぶん書道とかでも違わないでしょう。簡単に言うと「上の要素がこんな感じだったら、下半分はこんな感じがしっくりくる」とかそんな感じだと思います。見ることから始まるので。

 もうちょっと言いますと生きることのエロスを排除するという傾向がもしあるんであればそれは不健全かつ危険な兆候とも言えるんじゃないかと危惧します。きっちりと詰めるべき部分とおおらかな部分、両方あってしかるべきじゃないかなって思います。

 また関連して、報道を見るに議会でこの問題が取り上げられた際に「かわりにガンダム像を置こう」とする意見が出たそうですけど、そっちは流れたとか。

 安堵するとともに、しかしこれは安穏としていられないぞと感じました。

 もちろん静岡におけるプラモデル産業という見地からの意見だと思いますが裸体表現の豊かさとロボットデザインにおける美とでは人体に備わる曲線の集合体に多くを感じることのほうが美の原点じゃないかと思います。

 ガンダムをデザインした大河原邦男さんは元は男性向けのファッションデザインの世界にいらしたと聞きます。人体あってのデザイナーだと思うんですよね。ガンダムの元となった小説「宇宙の戦士」におけるスタジオぬえのビジュアル表現にしたって人体と機械の両面を備えたクリエイター集団だったという認識です。80年代のSF系ビジュアル、日本国内においては頂点でした。その後の日本におけるアニメーションに出てくる工業的なデザインっておそらく「ぬえ」が多くの起点ですよね。話がちょっと逸れましたけど。

 ルノアールの像が置いてある地点から数十メートルの場所に「静岡ホビースクエア」っていう施設があるんですからそこでイヤってほどプラモデルは展開してるわけですし。むしろルノアール像とプラモの聖地的な場所が隣接している現状こそが好ましいのではないかとも思う私です。

 リゲティさんの成長過程じゃないですけど、ルノアールやロダン、それとプラモデル。モロモロが作用して偉大なクリエイターが静岡から現れる可能性は常にあると思います。

 なぜか長文になってしまいました。すみません。これにこりずにまた明日以降も来てくだされば幸いです。

年賀状2枚目

 もう午後も6時近くになりましたが、ブログ用イラストを大量生産していこうと思います。なんとか自分の作業をする時間を捻出したいです。

 年末はギリギリまで仕事をがんばりましたし、元日は自転車で遠くまで行きましたし、きのうはブログに長文を書きました。そろそろブログ用イラストといいますか「キバハリアリ」アニメ化の材料。そちらに集中しようと思います。

富士山は静岡県側からの眺め以外は無価値〔白鳥山編〕

 きのう予告しました通り「白鳥山(しらとりやま)」に行ってきましたよ、という記述です。

 今年から当ブログでは「富士山の南側(つまり静岡県側)」を紹介していこうと思うのです。

 今回は第1回です。次回は未定です。

 きっかけとしましては、私がたまに監視しているラジオ番組「山カフェ」というものがあります。NHKラジオ第1、土曜日朝の放送です。

 その番組内においてしきりと「山梨の粗末な駄山から見た富士山が素晴らしい」などとする誤った見解が繰り返されておりまして、そのたびに頭がおかしくなりそうなほどに憤慨しておる私です。

 しかし「山」に関するコンテンツというのは、なにも「山カフェ」だけではありません。きっと他にもたくさんあるでしょう。

 もしかしたらそこでも「山梨の粗末な駄山から見た富士山が素晴らしい」とする根拠ゼロの誤った情報が流布されている可能性があると推察するのであります。

 コンテンツ運営元の口座や帳簿を調査すれば、そのすべてにおいて山梨の怪しげなNPO法人からの極めて不明朗な入金が明らかになるハズです。そうに違いありません。

 しかしそうであるとするならば「静岡県民は何をすべきか」という問題にブチあたります。

 「静岡県側から見た正しく美しい富士山の姿」。それを県民ひとりひとりが発信していくしかありません。

 山梨県民の悪だくみを打ち砕く静岡県民運動なのです。

 私も県民のひとりとして参画していく所存です。

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 そんなワケで「白鳥山」なんですが、実はこれがけっこうギリギリなんですね。

 山梨と静岡の境界に位置しています。

 冒頭のお写真を撮影した地点は「白鳥山森林公園」の中です。

 地図で見ると静岡県側なんですけど、下のお写真をご覧ください。

 「山梨百名山」って書いてあります。

 つまりこの公園というか山頂は山梨と静岡の両方にまたがっている。にもかかわらず、もっぱら山梨県民がデカいツラをしているのであります。

 「南部町」という表記も見えますね。

 「南部町」というのは山梨の最南端の町です。と申しましても、おそらく町民のうち少なくない人たちが静岡県は富士宮の会社にお勤めなのだろうと思います。

 町内に高校が存在しないので富士宮の高校へ通う子もいるって聞きます。身延線という鉄道が通じているので登下校はそちらを利用するんじゃないかと思います。

 つまり静岡県民にとりましては「敵か味方かわからない南部町」ってことになります。

 他のお写真も掲載しましょう。

 やはり「山梨県」って書いてあります。ゆるしがたい。

 標高568メートルだということがわかります。手作りな感じですごく良いです。

 きのうも書いたんですけど、私は思いつきで気軽にここへ行ってきたんですが、登っても登ってもたどり着かないので驚きました。ちょっとした低山だったのです。丘の部類だろうと思い込んでいたのですけど間違いでした。どおりで全然たどりつかないはずです。

 「当地は“恋人の聖地”である!」との宣言が故・桂由美さんの署名入りでなされておりました。

 私がここを訪れた際には無人でした。

 たぶん上のお写真のあたりが“恋人的な要素”の全貌です。

 左の「鐘」を「せっかく来たんだから」と思って鳴らしてみたところ、想像以上に大きな「カーン!」という音が出ましてドキッとしました。

 ちょっとお弁当を広げられたりするスペースもありました。新しい木で作ってあります。

 おそらく下草なんかも刈ってあるのだと思います。けっこうキレイにしてある印象です。

 南部町民、あなどりがたしとの感想を持ちましたが、地図上は静岡県側であると繰り返しておこうと思います。

 歴史的には武田信玄さんとかの時代にさかのぼりまして、ノロシをあげて通信したりとかの機能を持つ場所であったということです。なるほど。

 県境などは多くの場合、山の頂点を境にしてパッカリ分割しちゃったりするので、こうした「歴史的には山梨県側。県域としては静岡県側」みたいな微妙な場所も生まれるのかな、と思いました。

 「富沢町」というのは、今は南部町に吸収されたかつての町名なんだそうです。平成の大合併ですので割と新しい出来事です。

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 申し上げました通り、ここは微妙な立地です。

 県境から数十メートルしかないですし、おそらく維持管理は山梨の南部町の人たちがやってるっぽいです。少なくとも駐車場はモロに山梨県側ですし。

 しかし私としましては「あくまでも「恋人の聖地」とされる地点は静岡だ!」ってことで、静岡県内(主に東部)で有名な菓子パンをムシャムシャと食してやりました。

 菓子パンの名前としては「のっぽ」といいます。

 「Banderole(バンデロール)」という会社のパンです。

 昔は「ヌマヅベーカリー」って言いました。

 私が通っていた高校の購買部の脇なんかには「NBのパン」と書いてある両手で持ってパンを入れて運ぶプラスチックの什器が積んでありました。「NB」とは「ヌマヅベーカリー」の頭文字です。昔の話です。

 さいきん見かけるようになった「富士のほうじ茶ラテ」味です。

 富士市の茶業としましては「ほうじ茶普及」に全力傾注しておる昨今であります。

 そうだ。思い出しましたけど、南部町というのもお茶生産は盛んな土地です。そうですよ。前に調べたんですけど南部町のお茶を売っている自動販売機があるハズです。次に来るときには富士周辺の農協で作っている缶入りのお茶も持参のうえ、飲み比べをして富士側に軍配をあげようと思います。当たり前じゃないですか。

 写真に写っている「のっぽ」の賞味期限が切れているのは見なかったことにしてください。冷蔵庫に入れてあるのを思い出して「これと富士山を並べて撮影しよう」と出発前に思い立ったのです。

 「のっぽ」が1978年から続くという表記がなされています。

 この「のっぽ」パンの発売は革命的な出来事でした。当時の菓子パンにおいては特別においしかったのです。

 しかしそろそろ50年前の出来事ですから、人生80年と仮定するなら発売された当時を覚えている人のうちもう半分くらいは死んじゃってるかもしれません。ずいぶん古い出来事になりました。もちろん無力な老人である私は鮮明に覚えてますけどね。

 当時すでにパンの小売店としての「バンデロール」っていうお店も存在していたと思いますけど、そっちは割とちゃんとしたパン屋さんっていうかトレーにトングでもってパンを選んでお会計するみたいな。一方の「のっぽ」の方はスーパーのワゴンに大量に積み上げてあって安値で買われていくというような。そんな感じでした。

 ですんで実は「のっぽ」と「バンデロール」という名称が一体になっている現状は古い静岡(主に東部の)県民にとっては若干の違和感があるんじゃないかなって思います。

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 のっぽパンのパッケージ裏側に印刷された富士市周辺ミニミニ情報もお伝えしておこうと思います。

 北のほうを見ますと山梨県側の粗末な駄山がこれでもかと続いているようすが観察できました。似たような山をこんなに並べるなんて山梨の人は“飽きる”という概念を持たないのでしょうか。

 以上、白鳥山の頂上付近のようす。加えまして「いかに静岡県側から見た富士山が美しいか」についてお伝えいたしました。ありがとうございます。