小さなクモを発見したところです。
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以下はラジオ日記です。
きのうの夜のことになりますが、「クラシックの迷宮」を聞きました。
NHK・FM。
シェーンベルクさんの人生におけるユダヤ人であるという出自にまつわる、それも第1次世界大戦と第2次世界大戦を経る中で厳しく社会からも自分の中からも問われた結果の変遷、みたいなものを知りました。
重かったですね。しかし今の社会情勢。イスラエルとパレスチナ。国内に目を転じましても民族差物は存在しています。やっぱりなくさないといけない。
先週にネットの動画サイトでルポライターの安田浩一さんが「差別に取り組むのはそれが生命の問題に直結しているから」とおっしゃってましたけど、本当にそうだと思います。
聞いた楽曲としましては「ワルシャワの生き残り 作品番号46」。すごいダイナミズムでした。聞いていて驚きました。この曲に限らず、合唱のパート、あるいは単旋律。人の声ってすごいなと感じました。強制収容所における虐殺。憤りをたぎらせた。告発する内容であるとのことでした。
ラジオを聴きながら初めて白ワインというのを飲みました。
きのうは作曲家の西村朗さんの命日でした。西村さんが白ワインがお好きだったとの情報を得ましたのであやかってみたんですが。おいしく飲めてよかったんですけど、思っていた以上に強いお酒で、ベロンベロンになりました。いつもはギリギリ、イラストを描くことができるくらいまでしか飲みませんので割と大変。天井が回っている感覚を久しぶりに味わいました。気をつけないと。
本当は西村さんの曲を聴きながら飲もうと思っていたんですけど、夜の7時過ぎという良い時間に「クラシックの迷宮」は始まりますので、お酒タイムを占有されてしまいました。シェーンベルクを聴きながらであれば西村さんも納得してくれるかもしれないですけど。
酔いすぎたせいかもしれませんが今朝は寝坊してしまって、朝の番組「現代の音楽」に間に合わず。あとで聞き逃しサービスで聞こうと思います。
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お昼前にNHKラジオ第1「子ども科学電話相談 岡島」を聞きました。
「コンピューター・ロボット」に寄せられた質問が興味深かったです。
コンピュターに“心”はありますか? という質問。さぁどうなんでしょう。技術は日進月歩ですので最新の知見が気になります。
回答する先生は中央大学教授の岡嶋裕史さん。「まだ無いけど、あたかも心があるように振る舞えるようになるまであとわずか。」みたいなお答えだったと思います。
人の心、というのも非常に難しくて、はっきりとした形が無いものは作りにくい。しかし人工知能で名作である小説を大量に処理することで、「こういう時は感動」「こういう時は哀切」みたいに学習できる。その結果、人との対話における対応上は「心を備えた存在」として振る舞えるようになりそうですよ、ということだったと思います。また別の話として、「人というのは相手が機械であっても、心が備わっていると思い込みやすい、無意識にそれを期待する、信じようとするもの」といった傾向を伝えていただきました。
私はそれらを聞いてヒトと機械の境界線というか、まるでSF小説家のP.K.ディックさんがこだわっていたテーマに近いなと思いました。
また、質問を寄せてくれた子の持論というのが興味深くて「“鉄”にも心があるのでは」というのにギョッとしました。
SF小説家のJ.P.ホーガンさんの著作、確か「創造主の掟」だったと思うんですが、記憶がアヤフヤですが、なにしろハタチの頃に住んでいた千駄ヶ谷で読んだ小説です。そこに出てくる自律的に考え行動するロボットさんが鉄だったと思いますけど、植物のように扱っていて、まるで人がジョウロで水を与えるがごとく、花壇みたいなのを持ってるんですよね。鉄がニョキニョキと育ってくる。非常にビジュアル的にも素敵でしたので、小説としてのスジは忘れちゃってるんですけど、自分で思い描いたその風景だけ覚えています。
人工知能すごいですね。肉親であるとか配偶者、恋人よりも重要なパートナーになりそうな気配満々です。
音楽家のブライアン・ウィルソンさんが、心を病んだ後に精神科医の人に依存してしまって、ファンの人はヤキモキしたってことがありましたけど、そんなもんじゃない大量の人の心の支え、なら良いんですけど過度な依存というのも発生していくんでしょうか。これくらいの未来的な事象であれば、私の生きているうちにその一部始終を観察できるかもしれませんし、私自身どうなるかわからないですね。クワバラですよ。