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潤井川の伝説〜かぐや姫に付随する〜

 これはちょっと私らしいバカバカしくもハッピーなイラストが描けたんじゃないでしょうか。上の方にお姫様が浮かんでいて、下の方で動物たちが泣いています。「なに描いてんの?(いい大人が)」って感じでありまして、ウマくいったと思います。

 解説いたしましょう。

 これは富士市に伝わる「かぐや姫」のお話を元にしたものです。

 きのうまでのエントリで「潤井川(うるいがわ)」の話題が続きましたので、挟みこんでおこうと思いました。

 富士市における「かぐや姫」って、全国的に伝わる主流のお話とは少し違っておりまして、「月に帰るかぐや姫」っていう最後の部分ですけど、「富士山頂に帰るかぐや姫」っていうことになっています。

 かぐや姫は富士山の住人だったというか。化身、権現とかそんな感じなのかもしれません。

 付随する描写として、「かぐや姫がいなくなっちゃうって!」と聞きおよんだ村人たちが心の平衡を失って泣き出すにいたる。その涙が集まって「潤井川(うるいがわ)」になったよ、みたいなことが描かれております。

 私の感想としては、かぐや姫の伝説が伝わる原田の地域と、潤井川が流れるその流域ってちょっと離れてますので、どうなんだろうかって思いもございます。

 むしろ原田に直近の「滝川」の方がそれっぽいなっていう気がしますが、別に古い昔に成立したお話に今の私が文句をつけても仕方ないでしょう。

 そうだ。ついでですので、撮ったは良いけど使いどころがわからなかった画像をご紹介いたしましょう。

 滝川の川沿いの道のお写真なのです。原田より北に移りまして、地図でいうと「三ッ沢大橋」っていうところです。

 画面中央に小さなトンネルがあります。

 トンネルの上にはちょっと大きめの道路が通っています。地元的には「富士見台の南側の道だら(“だら”っていうのは方言でありまして、この場合「ですよね」といった同意を求める用法)」って感じ。

 滝川はこのあたりですと深い谷の底を流れておりまして、左側の地面が下がっている感じが見て取れると思いますが、その先の下の方になります。このアングルからですと見えません。

 上の画像に特別な意味はないんですけど富士山の姿をお見せしたくて掲載いたします。頭がちょっと見えています。

 これです。

 「MILKY」って書きたかったんじゃないでしょうか。惜しいですね。一文字多かったようです。

 もうずいぶん前からある落書きですので、おそらくこれを書いた人も今ではかなり良い年なんじゃないでしょうか。

 落書きは犯罪ですけどね。念のため。

 伊集院光さんがやっているラジオ番組でも短期間にこうした「違法であるがちょっと笑える落書き」の企画があったことを思い出します。

 しかしおそらく自分たちのチーム名をトチるってなかなかですね。カタカナで書いておけば良かったのかなって思います。

 本日は以上です。ありがとうございます。

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 ラジオ日記を短く加えておこうと思います。

 NHKラジオ第一の午前中の帯番組「ふんわり」を聞きました。俳優で音楽家の六角精児さんと、イラストレーターでありデザイナーであり、音楽活動もされている安斎肇さんがご出演。楽しいお話を聞きました。

 おふたりのお父様のお話も聞けました。どちらもひとつのことに熱意を傾けて過ごした人生だったご様子。真面目な人柄が伝わってはきましたが、チャーミングな面も備えていたのかなという感想でした。

 音楽的にはライ・クーダーさんの曲を聞きました。ミシシッピ・ジョン・ハートさんの名前なんかも出てきたり、囚人の人たちが敷設していったアメリカの鉄道建設における労働歌のお話、平たく申しまして戦前ブルースの一部でしょうか。そんな局面もあったと思います。

 それと安斎肇さんの歌唱を2曲聴きました。どちらも意外なほど良かったです。特にロック調の曲の最後の方におけるフリースタイルな部分は力強いものというか、普段のおしゃべりの様子とはまた違う発見がありました。

鷹岡地域に伝わる石碑とか青銅像

 上のお写真は鷹岡(たかおか)地区の商店街の南端の小さな広場で撮影したものです。

 きのうの当ブログエントリで出てまいりました「龍巌淵(りゅうがんぶち)」から数100メートルほど「入山瀬(いりやませ)」の駅に近づいた位置です。

 お写真中央に石碑などが存在しております。近づいてみましょう。

 こんな感じ。ちょっと楽しいです。

 もっと楽しくなってきました。旗を持っている人物の像ですね。

 名前のついた像でした。「夜明けの像」ということなんだそうです。下の石板にも何か書いてあります。

 ここ「鷹岡の地」。それが「日本における「洋紙製造発祥の地」」だというんですね。

 きのうのエントリにおけるお写真で見ました通り、ここは「取水」においては有利でして。「製紙」と言えば「水」。川がすぐそばを流れております。加えて人々も昔から住んでいたので労働力の存在に豊富。原料としての木も富士山に生えている。それら条件を生かして西洋式の大量生産への転換。そうした理屈みたいです。

 「洋紙」というのはもしかしたら特別に意識していない方も多いかもしれませんが、ざっくり申しまして「和紙」以外の全部の紙。つまり日常で手に触れる紙はほぼ全部が洋紙です。お札は和紙の系統に入りますが。和紙は和紙で素晴らしいのですけど。

 日本における「洋紙」の発祥がここ鷹岡に求められるというのは素晴らしいことですね。

 しかし、洋紙生産が明治23年に始まったというのは初めて知りました。1890年です。

 調べてみますと、大日本帝国憲法の公布。教育勅語。第1回帝国議会の招集。あるいはそこにいたるまでの自由民権運動。そうしたものたちと「洋紙の生産」が時を同じくしているというのはなんだか重い歴史の出来事だななんて思いますし、また同時に「そんなに昔のことでもないんだな」っていう思いも湧いてまいります。

 同時にここが昔に運用されていた「馬車鉄道の駅舎跡地」であるということも知りました。田子の港と富士宮市をつなぐという線路です。ヒトとモノの移動があったんでしょうね。

 ところでさきほどからずっとお写真に私自身の姿が写り込んでおりましてちょっと恥ずかしいですね。

 位置関係としてはこんな感じ。

 背景に社名が写り込んでますけど、ここでは今も製紙産業が続いております。

 旗には「PAPER」って書いてあります。わかりやすい。

 碑文を参照いたしますと、「この像はレプリカであり、本物は東京は王子の「紙の博物館」に存在する。そもそもこの像の由来は、アメリカより機械(抄紙機)を輸入した際に付随してきたマスコットである」ということがわかります。

 「紙の博物館」ね。

 実は私、東京に住んでおりましたまだ若い時分に「紙の博物館」を訪れております。

 「東京くんだりの人間どもに製紙の何がわかるっていうんだ! 製紙が盛んな富士市出身のこのオレが全員ブッ殺してやる!」との決意で腰のあたりにダイナマイトを数本巻きつけて大型ダンプを運転して入り口に突っ込んで「死にたくない奴はおもてに出ろ!」みたいなことをわめき散らしながら爆死したんですけど、なかなか見ごたえのある良い展示でした。記憶は薄れていますけど古い機械や用具なんかを見た気がします。

 ですが「PAPERの像」はどうでしょう。たぶん見ていないと思います。

 そんな像があるとは知りもしない当時の私でした。

 下の画像は見学の際にもらってきたパンフレットです。

 チラシの文面を見ますと「1989年」って書いてありますね。これは古い。それに文面をつらつら眺めておりますと昭和20年の空襲で工場が燃えてしまったとか。見逃せないのは王子工場は明治8年の創業だったこともわかります。製紙産業の歴史を見るだけでも明治から昭和といった日本の歩みが見えてくるような、そんな気がします。

 それとやっぱり王子製紙の施設だけあって使ってる紙が豪華ですね。単なるチラシに使う紙じゃないと思うんですけど。

 この施設の建っている場所ですけど、今は移転してるみたいです。当時は王子の駅を出たらすぐソコに建物がありましたけが、ネットで調べると今はなんかの公園の中に移動しているみたいです。環境としては素晴らしいのかなと思います。

 当時の建物はかなり古かったという記憶です。建て替えになっても何ら不思議ではない。特に内部の印象ですけど「昔の小学校の教室」のようでした。床材の両端が反り返っていて「波みたい」になっていた。そんな記憶です。

 下のイラストは当時の私の心境。「床が古くて楽しいな!」っていう思いを表現したものです。

 本日は以上です。ありがとうございました。

年賀状イラスト

 今年の年賀状として作成したイラストを公開いたします。

 「コウモリ・イラスト・シリーズ」はきのうで終わりなのです。

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 解説いたします。

 去年に引き続いての「ペン画風イラスト」です。1ヶ月ぶりに画像を見返してみたんですが、反省点ばかりです。しかし描いていて楽しい。もう少しこの画風を突き詰めたいという気持ちです。

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 描かれている内容についても説明します。

 富士市に伝わる伝説というか、昔話が元になっています。

 「龍巌淵(りゅうがんぶち)」に住んでいる龍の神様と、村人たちの物語です。

 龍巌淵は潤井川(うるいがわ)の途中にあるんですけど、岩がゴロゴロしています。岩は溶岩です。もうこのあたりにはイヤッてほど存在する「川と大きな岩」の組み合わせなんですけど、さすがに龍巌淵と名が付くだけあって、ひときわ立派な奇景になっています。

 伝わるお話の内容を簡単に説明いたしましょう。

 気になる方は改めてネット検索していただければ富士市が提供するPDFが読めると思います。私はさらに「もう少し調べればもっと詳細な物語の全貌がつかめるのでは……」と思い、市の博物館に置いてある少し古い本も調べてみたんですけど、だいたい今に伝わる内容と同じでした。おそらく昔からさほど変わらないかたちで伝わっているのだと思います。そこまでは確認してきました。

 次はお話の詳細です。

 結婚式を開くにあたり、100人分のお皿が必要なのだが足りない。ということになりまして、お屋敷に仕える下男の人が「さがしてきて」って頼まれる。しかし見つからない。どうしようかと川のほとりで困っていたら「貸しても良いよ」と龍神様が現れる。「助かった」と思って借りて、用事が終わって返却。そんな感じで龍神様のお皿レンタルは続いたのだそうですけどある時、「1枚足りないけどまぁイイや」って黙って返却したらその後はもうお皿を貸してくれなくなりました。めでたくない。めでたくない。というようなお話なのです。

 素朴な昔話って「これのドコに教訓だったりカタルシスがあるんだ?」みたいな投げっぱなしのものも多いですけど、「龍巌淵の伝説」には教訓がありますね。ちゃんとね。

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 つづきましては市外とか県外の方に向けた「龍巌淵ガイド」です。この地はおすすめです。問題点があるとしたら駐車場とかがたぶん存在しない。電車の身延線(みのぶせん)に乗って入山瀬(いりやませ)駅で降りてちょっと歩く、あるいはバス。ちょっと不便かもしれませんね。

 厳密に申しますと「龍巌淵」はこの写真の左側の奥の方になります。

 そこに行けば岩がゴロゴロしているんですけど、このお写真を撮影した1月の8日は工事中でして、工事のおじさんたちが忙しくしていたのでそばに近寄れませんでした。

 橋の工事をしていたみたいです。あんまり広くない橋がかかっておりまして、そこから岩の様子を覗き見るって感じになります。通常であれば。まぁ通行量もけっこうありますので橋の上に立つのも若干気がひけるんですけどね。車がすれ違うのがギリギリっていうような古い橋です。

 さらに追加情報ですが岩がゴロゴロしている「龍巌淵」その地点というのは富士宮市です。このあたりは市の境界線が入り組んでいます。たぶん「橋」が両市の境界になってます。

 上のお写真で写っている手前側とか右側は富士市です。

 つまり岩がゴロゴロしていていかにも住みにくそうなのが富士宮。

 河原が広々としていて、いかにも穏やかな。そして包容力にあふれた住みやすい土地。それが富士市。ということになります。やはり移住するなら富士市ですね。

 一目瞭然。素晴らしい富士市の風景。

 桜が咲く時期には素晴らしく美しくなる地点を収めたお写真です。「桜と富士山」っていう「日本の美」って感じの風景。市外、県外の方でも見かけたことがあるかもしれません。そういう画像を。

 地名としてはここは「鷹岡(たかおか)」というところです。

 鷹岡の魅力については明日またお伝えしようと思います。

 上の画像を拡大してみていただきますと橋っぽい構造物の下に「これ、岩かな?」って思えるゴロゴロが確認できると思いますけど、正解でございまして、それらは岩です。本当に橋の北と南で様子が全然違うんですよね。不思議だなって私も地元の人間ですけど思います。