「イラストとマンガ」カテゴリーアーカイブ

ハダカデバちゃん帝国〔02〕

 日記的な記述です。

 町内会のお仕事です。朝の9時半に弁護士の先生の事務所を訪問してきました。「市道化委員会」の人たちと共に行きました。私は末席ですので基本的にはそこにいるだけで十分なのですが。

 地権者さんが亡くなってしまっていて相続人が多い土地についての扱いを検討していただきました。方針が決まりましたので、作業していただき、後日また伺うということになりました。

 なんでも20年ほど前に調べて頂いた際には相続人が11人いたそうなんですけど、今はどれくらいに増えているのか心配です。またその20年前にその土地をきちんと追求しておけばよかったんですが、当時の判断としては「後回しにしよう」ということになったみたいです。基本的には後回しにして良いことというのはなかなかないようです。

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 今日の午後は横になって休みました。この数日間ちょっと体調が悪かったんですけど思い切って3時間ほど静かにしていました。

 今日は寒かったです。弁護士の先生のお宅に行く際にもみなさん口を揃えて「寒い、寒い」でした。

ハダカデバちゃん帝国〔01〕

 2月に入りました。ブログ用イラストのテーマとしましては「ハダカデバネズミさん」を月の前半くらいをめどに練習しようと思います。

 NHKラジオの「子ども科学電話相談」でも名前が出たりしていましたでしょうか。もしかしたら「ざんねんな動物」とかそんな感じの本に出てきていて子どもたちに人気があるのかもしれません。

 私は上野動物園で展示されているのを見たことがあるんですけど、その時の印象はというと「とても精密に作られたロウ細工みたいな動物」というものでした。毛があまり生えていないのですけど、血液が通っている皮膚という「内側から輝くような感じ」ですね。私の中では「キレイな動物」という位置に入っています。別に「汚い動物」っていうカテゴリーを自分の中で定めているというワケでもないのですけど。

 今回もネットで多くの写真を参照してみたんですけど、私が実地で受けた印象とは裏腹に「けっこうシワシワな動物だな」だと感じました。

 当ブログ上での連作としましては、自分が見た印象と、写真で見る印象を合わせて作っていこうかと思います。

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 日記的な記述です。

 今日はお昼前に打ち合わせの会合を持ちました。

 3月に計画している地区のイベントを見据えたものです。

 依頼している講師の方に来ていただいてお話ししました。

 気になっていた点などを解消していきました。合意点を見出し、方向性がはっきりしてきたという感じ。注意すべき点であるとか、要望を引き受けたり、こちらからの考えも聞いていただきました。

 私の方でも2月中旬くらいまではボチボチこのイベントのための準備でちょっと作業が多くなるかもしれません。

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 ラジオ日記です。

 NHKラジオの「聞き逃しサービス」でお昼前の番組を聞きました。

 ポルトガルの音楽であるという「ファド」をまとめて数曲聞きました。俳優で音楽家の六角精児さんの選曲と解説。歴史的な背景であったり代表的な歌手の方の紹介。大変に参考になりました。

 つい最近に私はネットのニュースサイトで音楽プロデューサーの松尾潔さんの書いた文章で「ファド」というものを知ったばかりでしたので好タイミング。八代亜紀さんやちあきなおみさんもファドを取り上げて歌っていたのだそうです。松尾さんは現地までファドを聞きに行ったそうでかなり研究した後が垣間見られるんですけど、歌詞の当意即妙な部分はやはり日本語話者としての壁があって、結局は「俺には八代亜紀がいるじゃないか。阿久悠があるじゃないか」という地点に帰着したのだとか。しかしかなり突き詰めているなと感じざるをえないですよね。

 きのうのラジオ同番組中で歌手の伍代夏子さんも「ファド」を知っておいでだという話でしたが、もしかしたらそうした歌手の先達からの影響なのかもしれないと感じました。

 六角さんも番組でおっしゃっていたのと同様に「ブルース」に似た感じがあるんですけどブルース同様に暗いものもあれば明るいものもあるらしいです。独裁政権下の折はストレートな言い方ができないような内容を巧みに歌詞の中に織り込まれることもあったのだと学習しました。大衆音楽ですね。

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 ポルトガルの話題が出たところで、せっかくですので「オール・ザ・ヤング・シンセポッパーズ in 80s」いきたいのであります。次またいつポルトガルの話題に触れるかわかりませんからね。

 しかしごめんなさい「the Greytest Hist – She」という1984年の曲をご紹介しようと思ったんですけどネットの動画サイトから消えてしまっていますね。「the Greytest Hist」というのはバンド名ではなくてホントは単に「Hist」といいまして「the Greytest Hist」はアルバムタイトルです。他の曲である「HI$T – Sede」っていう曲は残っていますけど、こちらは比較的地味な曲。残念。「Hist」というのはポルトガルはオエイラスという土地の人たちのグループ。楽曲構造的には80年台前半としては早く意欲的ではないかと。当時やっておくべき音。みたいな感じです。素人録音というかほぼ間違いなくカセットテープ4トラックMTR制作。私のブログでご紹介するのはいつもこんな感じですけど普通は見ず知らずの人たちにお勧めするような水準じゃないですよね。

 今は見つからない楽曲はあきらめてちゃんとした音楽のことを書いておきましょう。たぶんNHK・FM「世界の快適音楽セレクション」で聞いて録音しておいたものですけど「Beatriz Nunes – Andorinhas」。イイですね。曲も良いですし演奏も良いですけど、女性ボーカルの魅力がとてもとても大きい。これは最高。ベースラインも実に良い。久しぶりに聞き返しました。2018年の作品だそうです。こういう普通に良い音楽のことを書いたほうがより多くの方に納得していただけるのではないかという思いもありつつの、しかし当ブログのような辺境中の辺境としてやるべきことは、って考えるとスットンキョーなたいして誰も聞きたがらないような曲の紹介というのが良いのかなと思います。

銭湯ライフ

 ちょっと古い話になるんですが、NHKのラジオ番組を「聞き逃しサービス」で聞きました。1月の中旬のことですので、いまはもうその音声の公開時期は過ぎちゃっていますけど。

 人気番組「伊集院光の100年ラヂオ」です。

 古い録音素材を聞いていこう! という趣旨の番組なんですが、その回は日本が主権を回復した昭和27年に作られた番組でした。

 「100年ラヂオ」を聞く上で、いろんなことを知れるんですけど、ひとつには、かつて番組制作を監督する立場におけるGHQの(中の一つの部署という)存在があったこと。そうした管理もなくなったのが昭和27年だったということなんだそうです。

 ざっくり言って自由な番組作りっていうことでしょうか。テレビの放送がまだですので、放送メディアはラジオだけで、そのせいなのかラジオ番組制作における力の入れ具合は今とは違う熱量があったのかなという感想もあります。

 具体的な内容なんですけど、本日のイラストには銭湯の番台周辺を描写いたしましたが、その通りというか「お風呂」にまつわるものでした。

 「今まで銭湯通いだったけど、おウチにおフロができたよ!」という一家の新しい日常の風景。これは一般リスナーである、この場合は小学生の男の子が作文をNHKに送り、その内容をラジオ劇にして放送するというものでした。これが大変にホノボノしておりまして、私はかなり好きな感じでした。

 その中で、「位置的に銭湯と離れているため、今までは銭湯通いが大変だった。特に寒い時期、おばあちゃんは足腰が悪いので、銭湯に通う日程も離れがちだった」ということも言われていました。

 昔の東京が背景になるお話でしたけど、当時の東京なんてもうかなり銭湯はそこいらじゅうにバンバン建っていたと思うんですが、地形なんかの条件だったりで離れていたおウチもあったのかもしれません。

 私も東京に住んでいたことがあるんですが、最後の数年をのぞいただいたい20年弱はずっと銭湯通いでしたので楽しく聞きました。

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 そんなワケでここからは私の個人的な思い出に移ります。私は西新宿周辺の銭湯についてはちょっと詳しいですよ。平成の中頃までの限定ですけどね。

 イラストに描きました情景。これは息子さんにほとんどおんぶしてもらうような体勢で銭湯に連れてきてもらっているご老人の姿です。

 誇張ではなく「ヨボヨボ」っていう感じのおじいちゃんでした。

 私の銭湯利用の時刻とかぶっていたのだと思いますけど、よく見かけました。たぶん息子さんは今の私と同じくらいの年齢だったと思いますけど甲斐甲斐しく良く尽くしてらっしゃるなと思っていました。大変に頭の下がる思い。ただもうおじいちゃんとしてはされるがままっていう感じでしたけどね。背中を流してもらったりしていました。

 たぶんこの方たちは距離的には割とすぐそばにお住まいだったんだと思います。すぐそばから来てるみたいで、玄関口でよいしょって体を持ち上げてしばらく道を歩いていくと銭湯の番台、なのかなっていう印象でした。大変そうだけど、息が切れるとかではない。っていう感じだったのです。銭湯の人とも顔なじみでやっぱり丁寧に接されていたと思います。良い人がやってるお店だったんですよね。もしかしたらあれが私の触れた下町の人情とかだったのかもしれないです。総じて私が通ったことのある銭湯ってそんな感じでしたけど。

 具体的なことも書いておきましょう。これは西新宿の4丁目の奥の方っていうか環状6号線に面してはいないんですけど背中合わせの位置でして、大きく申しますと西新宿のバスの駐車場とかロッテの本社。そのそばにスバルの販売店があるんですけど、その道を入って行って奥の角まで行く感じ。今のネットの地図で見ますと立派なマンションが建ってますね。しかし平成の当時でも「ここはむしろマンションとかアパートが建っていてしかるべきじゃないのか」っていうもうこのあたりでも銭湯の命脈の最後の方っていう感じだったと思います。私みたいにお部屋にお風呂が付いていない人にとってはとてもありがたかったんですけど、やっぱり「ここもいずれは無くなっちゃうんだろうな」っていう予感は濃かったです。お風呂は薪で炊いておりまして、その古い感じがまた良かったです。良いお風呂屋さんでした。併設されたコインランドリーもよく使わせてもらっていて。ありがたい存在でした。

 「100年ラヂオ」では「寒い時期の銭湯通いが大変」みたくいわれておりまして、確かにその通りなんですけど、私は前にも書きましたけど貧乏なくせにお風呂には毎日通っておりまして、とは言えやっぱりとても寒いんで革のズボンをはいていくという、お風呂通いなんだかロックな(すごい長さの長髪でしたし)お兄ちゃんが夜中に洗面器にシャンプーとか入れて歩いているだけなのか判然としないっていうスタイルで通っていました。私の場合、銭湯に行くにも黒い革のブーツでしたから余計におもしろいっていうか不審な感じでしたね。

 お風呂通いの時に続けている習慣がございまして、近くに小学校があるんですけど、そこの門の前にいつも空き缶などが落ちていたのでその他のゴミなんかと合わせて拾って帰るのが日常でした。

 たぶんここは西新宿の高層ビル街に一番近い小学校だと思います。

 以前にはもっと近くに小学校があったんですけど、私が西新宿に住み始めたくらいに無くなってしまいました。建物としてはしばらく残っていて、新宿警察署が建て替えになった時に機能移転していたと思います。免許の書き換えかなんかで一度入ったことがあったという記憶。おそらく芸人の玉袋筋太郎さんの母校じゃないかと思います。

 それと今は芸能関係の団体の所在地にもなっている淀橋第三小学校というのがありましたけど、こちらも無くなっています。私が生まれて初めて選挙の投票をした小学校の建物でしたので印象深いんですが。

 マそんな具合でして、西新宿には今はもう小学校というのがおそらく上で書きました西新宿小学校しかないんですよね。いうまでも無く非常な繁華街にも近いですし、行き交う人たちも多い。朝方なんてサービス精神を使い果たした夜のサービス業の人の帰宅なんかもあります。ヤサぐれてますよ朝なのに。そんなお土地柄。きっと子供ながらに見たくないものも見てるんじゃないかなってことで、せめて学校の周りはキレイにしておいてやろうじゃないかと個人的なゴミ拾いを毎日していました。全周囲をキレイにしていたというわけではなくて自分が通るところだけです。

 私がキレイにした後に空き缶1ヶでも置かれたら台無しなんですけど、とりあえず私が継続してできることをしていたという感じです。

 おもえば今の地元に帰ってからのボランティア活動につながるのかもしれないです。昔からそういうのが私は好きなんですね。きっと。地味だけど継続していく行動。これで地域が変わるかもしれないし変わらないかもしれない。

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 日記的な記述なんですが、今日は買い物のため2回外出しました。

 そのうち1回はお米を買って運搬したので重かったです。

 その他お料理したり洗濯物を取り込んだり、お昼寝したりしていたら夕方になってしまった感じです。

 夜から会議があるので出席してきます。まちづくり協議会の関係です。福祉の関係の会議です。

 明日も午前中に打ち合わせがあるので忙しいです。

子どもライフ-まつばづえ

 きのうの「サブマリンシュートで骨折」の続きです。

 ポッキリいっちゃった子なんですけど、その後しばらく松葉杖を使っていました。

 周囲の子たちの間に「小学生らしからぬカゲがある感じ。なんかカッコいい」みたいな評価が顕現しまして「なんとも言い難いストーリーを背負ってる感じ。憧れる!」みたいな間違った思想が立ちあらわれる始末。

 みんなちょっとどうかしている感じでした。マンガのマネしてケガしただけなのに。

 しかしそんなバカさこそが小学生なのかなっていうのも、ありますでしょうかね。