「イラストとマンガ」カテゴリーアーカイブ

ヤマアラシ帝国〔18〕

 本日は朝に重い荷物を運ぶ活動をしました。

 スーパーマーケットでの買い物です。

 ココロづもりとしては、あさってに行こうと思っていたんですが、突発的な料理の必要が生じまして、お野菜の在庫管理に狂いが生じたため主にお野菜の買い出しをしました。ギリギリしかなかったんですよね。

 下の画像は本日の富士山の画像です。まだまだ冠雪してます。これは5月いっぱい大丈夫そうです。今日はちょっと肌寒かったです。

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 ラジオ日記です。リンダ・ロンシュタットさんの音楽を聞きました。それとロンシュタットさんに関係する音楽家の作品など概観して彼女のこれまでの活動であったり影響を理解していく番組の作り。

 NHKラジオ第1「ふんわり」です。

 あらためてロンシュタットさんの歌唱力がすごいと思いました。

 案内役は木曜日のパーソナリティーの俳優にして音楽家でもある六角精児さん。お相手はNHKアナウンサーの澤田彩香さん。

 番組で聞いた曲名を記しておこうと思います。

 「You’re No Good (悪いあなた)」

 「Blue Bayou」

 「Just One Look」

 「What’s New」すごい歌声でした。ジャズやオペラのスタンダードナンバーを歌うというアルバムでの歌唱。

 「Palomita De Ojos Negros」こちらも圧倒的。テックスメックスな世界を歌ったもの。

 (これより下は関連する音楽家の音源)

 J.D.サウザー「You’re Only Lonely」

 イーグルス「Desperado」リンダ・ロンシュタットさんがカバーしたバージョンも聞く。

 ジャクソン・ブラウン&デヴィッド・リンドレイ「Running on Empty」

 ニール・ヤング「Hert of Gold」。さすがの私も持っているアルバム「ハーベスト」より。しかしこの曲のコーラスがロンシュタットさんだとは知りませんでした。

 以上ですが、六角さんがかなりロンシュタットさんの歌がお好きだと知りませんで、その深さに驚いた次第。

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 私の好きなSF小説家のP.K.ディック氏は生前に「墓碑銘には「リンダ・ロンシュタットの良さに早期に気づいた男」でしたか「見出した男」だったかもしれませんが、そんな感じに彫ってほしい」とか言っていたくらい好きだったようなんですけど、まぁ思うにたくさんの人を魅了したんでしょうね。

 たしかディック氏はラジオかなんかで無名時の彼女の歌を聴いてレコード会社に電話して「即刻、彼女と契約するように!」みたいなことをまくしたてたということだったとか、よく覚えてませんけどそんな感じだったようです。

 関係ないですけどディックさんは一時期、フラートンという町に住んでいたことがあって。ここはエレキギターなんかの産地として有名な場所です。シンセサイザーの会社のシーケンシャル・サーキットもここだったと思います。

 ディック氏の「聖なる侵入」という作品にはモロにリンダ・ロンシュタットさんがモデルの登場人物が出てくるようです。

 私は一応これ読んでるんですけど、あんまり入り込めなくてよく覚えていません。20代の頃に読んだもので。ディック氏の作品として最後期の3部作でしたかね。宗教的なテーマが濃い、生前あまり報われなかった氏がたどり着いた自分教。自作宗教みたいに言われていたかなと思います。キリスト教の素養がないと読み通すのはキビしいなとかそんなことを当時の私は感じていたように思います。

ヤマアラシ帝国〔17〕

 長くなりますが去る5月9日のラジオ日記です。

 個人的にも記録しておきたいことが多くありましたので過去のことになりますが長々と書いていこうと思います。

 NHKラジオ第1「ふんわり」のことです。

 木曜のパーソナリティは俳優で音楽家の六角精児さん。アナウンサーは澤田彩香さん。ゲストは六角さんと親しい落語家の春風亭昇太さん。

 春風亭さんは公益社団法人「落語芸術協会」の会長でもあり、番組中そのお話も出ました。

 まずはその落語芸術協会が入っている建物のお話について。「花伝舎」という東京は西新宿、十二社通り(じゅうにそうどおり)。昔は小学校だった建物です。ここで会議をやったりするそうです。知りませんでした。

 私にとっての花伝舎というのはJSPAっていうミュージックシンセサイザー関連の団体があるんですけどその本部が入っている建物、あとは知らないって感じでしたけど落語芸術協会もそこなんですね。やっぱり芸術関係の団体が多く住所を置いたりしているみたいです。

 元は淀橋第三小学校だった建物でありまして、私が初めて選挙の投票をした場所です。十二社のあたりは私の青春の大半が詰まっています。

 基本的には校舎をそのまま使っているようなんですけど、入口の子供たちの絵が貼ってあったりプラスチックの水槽なんかが置いてあったあたりは壁がぶち抜かれてロビーみたくなっているようです。そのほか投票箱が置いてあったりした体育館なんかも基本的にはそのままみたいでネットで写真を見て懐かしく思い出しました。

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 春風亭さんはご出身が静岡県の清水区ですのでご郷里の話題も出ました。楽しかったです。

 清水区というのは今は静岡市の一部ということなんですが、昔は「清水市」でした。市民の49パーセントがヤクザ。49パーセントがサッカー選手。残りの2パーセントが春風亭さんであるとか漫画家の故さくらももこさんであるとか海道はじめさん(スナッキーで踊ろうで知られる民謡歌手)など、芸術関係に優れた人材をも輩出する地区です。

 そんな生育環境にはぐくまれた春風亭さんは今でも清水エスパルスというサッカーチームの応援で遠くまで行ったりすることもあるんだと知りました。熱心だと感じました。

 そういえば六角さんが以前に同番組で清水にて「カレーを食べた」という話をしていたことを思い出しました。最近の清水には「もつカレー」という取るに足らないご当地グルメがあるんですけど、春風亭さんに紹介された名店に行かれて満足されたとか。私も缶詰でですけど買って食べたことがあります。おいしかったです。

 いわゆる「鶏もつ」を使ったカレーなんですが、むしろマズく作る方が難しいカレーという料理をご当地グルメとして売り出すあたりが清水区民らしいなと思います。食べてみるとおいしいのが腹が立ちます。

 清水の話題としては他に昔そのあたりを走っていた路面電車の話題も番組内でされたと思います。これはさすがに地元の人らしい話題だと思いました。

 昭和50年(1975年)に廃線になったということですのでそれなりに古い人じゃないと思い出を語れません。

 上のお写真群は私が以前に撮影したものなんですが10年ほども経ってしまいましたので「いつ、どこで撮ったものなんだか」全く記憶にございません。静岡の図書館に行ったときかもしれませんが自信ゼロです。

 あらためて地図を眺めてみますと思ったよりも短い路線ですね。

 私は過去に自転車で「三保の松原(みほのまつばら)」まで行った際に廃線跡が細長く続く公園になっているんですが、その辺りを並走したり中に入ったりしたことがあります。

 当時に走っていた電車が置いてありました。写真に撮ったハズなんですが行方不明で発見できず。その時の感想は「この電車で三保の松原まで行けたんだな…」と思いましたけど間違いでした。おそらくその電車が置いてあるあたりが終点なんだと思います。かなり人が多く住んでいるあたりまでしか走っていなかったんですね。それも道理だと思いますが認識を改めた次第です。

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 ブログをご覧の方には特に県外の方なんかですと「三保ってどんな場所なんだろうか?」と疑問に思う方もおられるかもしれません。お写真を掲載しておきましょう。

 私が以前に撮影したものです。こちらも14年ほども前でして古くてすみません。あまり参考にならないかも。

 三保の寒々しい粗末な海岸から見える素晴らしい富士山のお写真です。3月に撮ったみたいですので冠雪しています。

 やっぱりイマイチ遠いですね。

 「ふるさとは遠きにありて思うもの」と申しますけど「富士山は近くで見る以外は全部ゴミ」ということがよくわかるお写真だと思います。当ブログをご覧の方におかれましても、富士山を見るならぜひ富士市に来ていただきたいと思う私です。

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 以上、5月9日のラジオ日記でしたけど、もうちょっとあります。

 六角精児さんが番組最初で言っていたことです。アメリカのフォーク歌手デイヴ・ヴァン・ロイクさんについてですね。

 あまり聞かれなかった不運の人みたいな感じで、彼を素材にした映画もあるというご紹介でした。六角さんにしても「CDは持ってるけどそんなに聞かない」なんて感じだそうで。ボブ・ディランさんとのつながりも濃い人なんですけど、まぁ実際そんなにお名前を聞くこともないって感じですか。

 私にとっては「アラバマソング(ウイスキー・バー)」をガラガラ声で歌っていた人という認識です。しかしこのバージョンは私はかなり好きです。

 最初に聞いたのはハタチの頃。就職してデザイン会社に勤めていた頃に当時のTOKYO FMでかかったのを聞きました。ラジオをつけっぱなしの勤務環境だったんですよね。

 あらためて「アラバマソング」について調べてみると元は演劇の曲なんですね。Kurt Weillさんという方の作品なんだそうです。この方のことも調べてみたらドイツ生まれでDessauというところで生まれたんだとか。

 また出ましたよ。Dessau。この名を冠した80年代中頃のボディ・ビートというかEBMのバンドがもう当時の私は大好きで。前にも書きましたけどね。

 せっかくなんでまだ書いてなかったことも書きましょう。

 ネット上の短文SNSでDessauのことを検索してみると今でも熱愛している方がいるということがわかります。この人は元ブレイン・ドライブの人ですね。そういうテクノな感じの男性ふたり組ユニットがあったんですけど。

 実は私はこのユニットにおハガキを送ったことがあります。まだ彼らのデビュー前ですよ。

 「バンドやろうぜ」っていう雑誌が当時にございまして、確かそのバンドメンバー募集のページだったと思いますけど、「天才募集」みたいな文面でメンバー募集していたんですね。私は加入したいとかじゃないんですけど、確かDessauであるとかMinistry。あるいはSkinny Puppyなんかも書かれていましたか。当時かなり新しかったんですよ。少ししてから一般的になったかもしれませんけどまだほとんどMinistry。ヤバい。気づかれていないっていうか具体的にああいうバンドやろうという人が少なかった頃でした。そのメンボを発見してから半年くらい経った後に「そろそろメンバーが揃ってライブをしている時期じゃないか?」という頃合いを見計らって「ライブやってたら教えて」みたいなおハガキを出したんですよね。それでまた半年くらい経った後にお返事がきました。

 「まだライブはやってないけど、ふたりはがんばっています」という文面でした。

 なんでも直前くらいまでにマネージャーをしていたという人物からの返信でした。おぉそうなんだって思ったんですが、その後も気にしていました。

 するとまたしばらくしてメジャーデビューしたみたいなんですよね。

 しかし私はその音を聞いたのは最近のネットの時代になってからです。彼ら流のEBMだったんだろうなという感想でした。

 私がDessauに感じていた粗野で乱暴な感じは、さほどなくて言ってみればスタイリッシュって言いますかね。このお二人というのが背が高くてお顔立ちも秀でているという望んでも得ること難しい要素を備えていたことも一因じゃないでしょうか。かなり売れる要素があったので、もしかしたらですけど制作サイドから「ちゃんと売れるものにしたい」的なものがあったのかなと思いますけど、あくまで私の妄想です。

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 すっかり長くなってしまいました。

 すでにラジオ番組「ふんわり」とは関係なくなっています。

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 この5月9日というのはですね。私がアメリカの音楽プロデューサーであり自らのバンドでギターを弾いたりしていた人、スティーヴ・アルビニさんが亡くなったのを私が知った日でもあるんですね。

 音楽的には上述のDessauにも近いですけど直接的な関係はないんだろうと思います。

 いやもうまだまだ若い。びっくりしました。私にとってはBig Blackの「ソング・フォー・アバウト・ナントカ」というアルバムですね。「Colombian Necktie」。震えましたよ。めちゃくちゃ聞きました。

 アルビニさんは割と汚いものの言い方でも知られた方だったんですけど、わりと近年に差別的な言動は間違っていたとする反省を表明されたりしていて。というのも基本的にはすごく真摯な人だったんですよね。じゃないとああいう音は作れないとも思いますけど。マイキングに独自の哲学と繊細さを持っていた人だったみたいです。あとは貧困に苦しむ人の住居の問題であるとか、クリスマスを楽しく過ごせるように物資を送るという活動をしていたということがら。それらはこの日に知りました。

 「おかしいじゃん」であるとか「不当だよ」っていうことには強烈に反応する人だったのでしょう。私が好きな人ってそういう極端な人が多いですけどね。

 そんなに大ファンだっていうわけでもなかったんですけど、重要人物でした。遅ればせながらご冥福を祈りたい。そういう気持ちです。

先月、静岡市で見た展覧会〔2〕

 ラジオ日記から始めます。

 NHK・FM「出会いは!みんようび」を聞きました。ゲストに大変に明るい女性タレントの丸山礼さんを迎えた回。丸山さんは北海道は北見の方だそうです。

 先日、当ブログにて私がかつて交流していたテクノポップのアマチュア音楽家であった方の訃報をお伝えしました。確か奥様が北見のご出身でご実家はメロンを作っていると聞いたことがあります。そのせいかわかりませんけど生前の氏は「ホタテメロン」というハンドルネームを使っていました。ホタテは氏の地元である紋別の特産ですから夫婦としての結びつきを象徴する名前だったのかなと思います。

 番組の内容に戻します。私なりにまとめますと「民謡におけるキャッチーな掛け声に今後の民謡の発展性を見出す」というようなものでした。堅苦しくなくまずは楽しもうというような提案なのかもしれない。

 「いやさか音頭」における「い~やさっか~」みたいな感じです。実際楽しいですよね。

 丸山さんと森口博子さんが楽しそうにリアルタイムに掛け声をかぶせるといった局面もございました。

 それと「伊勢音頭」も聞きました。

 私がよく聞く「ニッポン時空旅(NHK第2)」においても、もう数年前になりますか。聞きましたが非常に楽しい回でした。役者の永野宗典さんが江戸時代のいい加減なオジさんになりきっての怪演。おそらく実際に「お伊勢参り」という非日常下においてハメを外しすぎちゃった人も多数いたんだろうなって思いもしてくる内容だったと思います。

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 というわけで、きのうからの引き続きです。静岡市の美術館で見てきた絵。伊藤若冲さんですね。

 本日のブログ用イラストは「踏歌(とうか)」と題された絵画というか水墨画。そちらを自分なりに描いたものです。

 イキイキとした楽しそうな雰囲気が伝わってくる楽しい絵でした。

 伊藤さんの作風というのはリアルであって真に迫ったもので知られると思うんですけど、その反面とても力が抜けた一発描きなんかも達者な人だったんだと展示を見て初めて知りました。ちょっと「しりあがり寿」さんの画風に通じる部分も感じました。

 私は前情報なしに見に行ったので「こんな絵の展示も含まれていたんだ!」と驚きました。なんかこう「芸術品!」みたいなおごそかなものを予想していたんですよね。しかし思いに反して当時の民衆の姿を捉えたものも多かったです。というか私がそういうのが好きなものですからそっちの印象の方が強く残りました。

 「踏歌」についてもニッポン時空旅で聞いたことがあります。

 非常に流行したのだけど風紀の乱れにつながる。これはよろしくないということで禁止された。今は神事として残るのみ。元は中国からきたもの。みたいな感じでした。

 今は残っていない「踏歌が“熱かった頃”の状況や音が知りたいものだ」なんて感じでした。

 私は伊藤若冲さんの「踏歌の絵」を前にして「ひょっとしたらこんな感じだったのかな……」なんていう数分間の濃密な時間を過ごしました。

 ただし伊藤さんは江戸時代の人なんですよね。にわとりを描いた見事な絵を見ても「これは日本に洋画だったり解剖学が伝わってきた後の人の視線なんだろう」と感じました。

 踏歌の全盛期は1500年ほども前だといいますから時代としては全然合いません。伊藤さん描くところの「踏歌」は「別の踏歌」なのかなと思います。

 しかし思うに盆踊りなんかも風紀が乱れるってことで幾度か禁止になったと聞きますし、要は大衆の楽しみ。とりわけ若い男女の営みってことだと思うんで、「ダンスパーティー内の交流」であったり「熱狂」「陶酔」ってことなんだろうと思います。

 そういう線で言いますと伊藤若冲さんの絵画というのも普遍的な人々の楽しみの瞬間を今に伝えるものであるんだろうなと思うのでした。

 以上のような感じでありまして、「琳派」と言われる迫真的な絵を見ておこうという動機でしたけど、昔の人々の暮らしであるとか表情、息遣いなども強く感じ取れる非常に良い展覧会でした。心境としてはかなり興奮しました。良いものが見れました。あとドえらい細密表現の絵も多数ございまして。息を呑みました。面相筆の限界を見た思いです。

 ゴールデン・ウィーク前夜の夕方でしたので地下道に人がたくさんいまして。こんな角度から迷惑にならないように撮影したお写真です。

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 ついでに当日のお写真も掲載しておこうと思います。

 どれも4月26日のものです。

 上のお写真は富士山です。この日はくもりでした。

 やはり最近に比べると冠雪の残り方が違います。

 手前の川は潤井川(うるいがわ)と言います。

 自転車に乗って行ったんですけど、川の脇に細い道があるのです。

 上のお写真は富士川(ふじかわ)の下流というか河口付近というか、スポーツ公園などが広がる場所なんですけど解禁された桜エビ漁。その天日干しをするエリアです。

 こんな感じにピンク色になってます。イイですね。おいしそうです。

 私が子供の頃には由比(ゆい。桜エビ漁の本拠地)の道端にゴザかなんかをひいて天日干しにしていたんですけど、「これは排ガスの影響であるとか大丈夫なんだろうか」って印象も非常にありましてモヤモヤしてましたけど今はご覧の通りで安心です。

 昔は自動車の排ガスもけっこうヤバかったですからね。あれはちょっとムリがありました。車が通るすぐ脇でしたからね。

 3月の末にもこのドラッグストアで休憩したんですけど、今回もここで休みました。

 寄る年波には勝てないといいますか、静岡市の市街までとなると「えいやぁ」とはいかないという。

 しかし帰り道もヤバかったです。

 日が暮れてしまって暗かったので曲がり角を間違えました。

 あやうく「三保(みほ)」まで行きそうになりました。

 本当はJR清水駅を目指さなければいけないのですけど。

 無事に帰宅できてよかったです。

 関係ないですけど、5月5日に撮影したお写真もついでに掲載しておきます。

 こちらは富士市内からのお写真です。