長くなりますが去る5月9日のラジオ日記です。
個人的にも記録しておきたいことが多くありましたので過去のことになりますが長々と書いていこうと思います。
NHKラジオ第1「ふんわり」のことです。
木曜のパーソナリティは俳優で音楽家の六角精児さん。アナウンサーは澤田彩香さん。ゲストは六角さんと親しい落語家の春風亭昇太さん。
春風亭さんは公益社団法人「落語芸術協会」の会長でもあり、番組中そのお話も出ました。
まずはその落語芸術協会が入っている建物のお話について。「花伝舎」という東京は西新宿、十二社通り(じゅうにそうどおり)。昔は小学校だった建物です。ここで会議をやったりするそうです。知りませんでした。
私にとっての花伝舎というのはJSPAっていうミュージックシンセサイザー関連の団体があるんですけどその本部が入っている建物、あとは知らないって感じでしたけど落語芸術協会もそこなんですね。やっぱり芸術関係の団体が多く住所を置いたりしているみたいです。
元は淀橋第三小学校だった建物でありまして、私が初めて選挙の投票をした場所です。十二社のあたりは私の青春の大半が詰まっています。
基本的には校舎をそのまま使っているようなんですけど、入口の子供たちの絵が貼ってあったりプラスチックの水槽なんかが置いてあったあたりは壁がぶち抜かれてロビーみたくなっているようです。そのほか投票箱が置いてあったりした体育館なんかも基本的にはそのままみたいでネットで写真を見て懐かしく思い出しました。
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春風亭さんはご出身が静岡県の清水区ですのでご郷里の話題も出ました。楽しかったです。
清水区というのは今は静岡市の一部ということなんですが、昔は「清水市」でした。市民の49パーセントがヤクザ。49パーセントがサッカー選手。残りの2パーセントが春風亭さんであるとか漫画家の故さくらももこさんであるとか海道はじめさん(スナッキーで踊ろうで知られる民謡歌手)など、芸術関係に優れた人材をも輩出する地区です。
そんな生育環境にはぐくまれた春風亭さんは今でも清水エスパルスというサッカーチームの応援で遠くまで行ったりすることもあるんだと知りました。熱心だと感じました。
そういえば六角さんが以前に同番組で清水にて「カレーを食べた」という話をしていたことを思い出しました。最近の清水には「もつカレー」という取るに足らないご当地グルメがあるんですけど、春風亭さんに紹介された名店に行かれて満足されたとか。私も缶詰でですけど買って食べたことがあります。おいしかったです。
いわゆる「鶏もつ」を使ったカレーなんですが、むしろマズく作る方が難しいカレーという料理をご当地グルメとして売り出すあたりが清水区民らしいなと思います。食べてみるとおいしいのが腹が立ちます。
清水の話題としては他に昔そのあたりを走っていた路面電車の話題も番組内でされたと思います。これはさすがに地元の人らしい話題だと思いました。
昭和50年(1975年)に廃線になったということですのでそれなりに古い人じゃないと思い出を語れません。
上のお写真群は私が以前に撮影したものなんですが10年ほども経ってしまいましたので「いつ、どこで撮ったものなんだか」全く記憶にございません。静岡の図書館に行ったときかもしれませんが自信ゼロです。
あらためて地図を眺めてみますと思ったよりも短い路線ですね。
私は過去に自転車で「三保の松原(みほのまつばら)」まで行った際に廃線跡が細長く続く公園になっているんですが、その辺りを並走したり中に入ったりしたことがあります。
当時に走っていた電車が置いてありました。写真に撮ったハズなんですが行方不明で発見できず。その時の感想は「この電車で三保の松原まで行けたんだな…」と思いましたけど間違いでした。おそらくその電車が置いてあるあたりが終点なんだと思います。かなり人が多く住んでいるあたりまでしか走っていなかったんですね。それも道理だと思いますが認識を改めた次第です。
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ブログをご覧の方には特に県外の方なんかですと「三保ってどんな場所なんだろうか?」と疑問に思う方もおられるかもしれません。お写真を掲載しておきましょう。
私が以前に撮影したものです。こちらも14年ほども前でして古くてすみません。あまり参考にならないかも。
三保の寒々しい粗末な海岸から見える素晴らしい富士山のお写真です。3月に撮ったみたいですので冠雪しています。
やっぱりイマイチ遠いですね。
「ふるさとは遠きにありて思うもの」と申しますけど「富士山は近くで見る以外は全部ゴミ」ということがよくわかるお写真だと思います。当ブログをご覧の方におかれましても、富士山を見るならぜひ富士市に来ていただきたいと思う私です。
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以上、5月9日のラジオ日記でしたけど、もうちょっとあります。
六角精児さんが番組最初で言っていたことです。アメリカのフォーク歌手デイヴ・ヴァン・ロイクさんについてですね。
あまり聞かれなかった不運の人みたいな感じで、彼を素材にした映画もあるというご紹介でした。六角さんにしても「CDは持ってるけどそんなに聞かない」なんて感じだそうで。ボブ・ディランさんとのつながりも濃い人なんですけど、まぁ実際そんなにお名前を聞くこともないって感じですか。
私にとっては「アラバマソング(ウイスキー・バー)」をガラガラ声で歌っていた人という認識です。しかしこのバージョンは私はかなり好きです。
最初に聞いたのはハタチの頃。就職してデザイン会社に勤めていた頃に当時のTOKYO FMでかかったのを聞きました。ラジオをつけっぱなしの勤務環境だったんですよね。
あらためて「アラバマソング」について調べてみると元は演劇の曲なんですね。Kurt Weillさんという方の作品なんだそうです。この方のことも調べてみたらドイツ生まれでDessauというところで生まれたんだとか。
また出ましたよ。Dessau。この名を冠した80年代中頃のボディ・ビートというかEBMのバンドがもう当時の私は大好きで。前にも書きましたけどね。
せっかくなんでまだ書いてなかったことも書きましょう。
ネット上の短文SNSでDessauのことを検索してみると今でも熱愛している方がいるということがわかります。この人は元ブレイン・ドライブの人ですね。そういうテクノな感じの男性ふたり組ユニットがあったんですけど。
実は私はこのユニットにおハガキを送ったことがあります。まだ彼らのデビュー前ですよ。
「バンドやろうぜ」っていう雑誌が当時にございまして、確かそのバンドメンバー募集のページだったと思いますけど、「天才募集」みたいな文面でメンバー募集していたんですね。私は加入したいとかじゃないんですけど、確かDessauであるとかMinistry。あるいはSkinny Puppyなんかも書かれていましたか。当時かなり新しかったんですよ。少ししてから一般的になったかもしれませんけどまだほとんどMinistry。ヤバい。気づかれていないっていうか具体的にああいうバンドやろうという人が少なかった頃でした。そのメンボを発見してから半年くらい経った後に「そろそろメンバーが揃ってライブをしている時期じゃないか?」という頃合いを見計らって「ライブやってたら教えて」みたいなおハガキを出したんですよね。それでまた半年くらい経った後にお返事がきました。
「まだライブはやってないけど、ふたりはがんばっています」という文面でした。
なんでも直前くらいまでにマネージャーをしていたという人物からの返信でした。おぉそうなんだって思ったんですが、その後も気にしていました。
するとまたしばらくしてメジャーデビューしたみたいなんですよね。
しかし私はその音を聞いたのは最近のネットの時代になってからです。彼ら流のEBMだったんだろうなという感想でした。
私がDessauに感じていた粗野で乱暴な感じは、さほどなくて言ってみればスタイリッシュって言いますかね。このお二人というのが背が高くてお顔立ちも秀でているという望んでも得ること難しい要素を備えていたことも一因じゃないでしょうか。かなり売れる要素があったので、もしかしたらですけど制作サイドから「ちゃんと売れるものにしたい」的なものがあったのかなと思いますけど、あくまで私の妄想です。
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すっかり長くなってしまいました。
すでにラジオ番組「ふんわり」とは関係なくなっています。
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この5月9日というのはですね。私がアメリカの音楽プロデューサーであり自らのバンドでギターを弾いたりしていた人、スティーヴ・アルビニさんが亡くなったのを私が知った日でもあるんですね。
音楽的には上述のDessauにも近いですけど直接的な関係はないんだろうと思います。
いやもうまだまだ若い。びっくりしました。私にとってはBig Blackの「ソング・フォー・アバウト・ナントカ」というアルバムですね。「Colombian Necktie」。震えましたよ。めちゃくちゃ聞きました。
アルビニさんは割と汚いものの言い方でも知られた方だったんですけど、わりと近年に差別的な言動は間違っていたとする反省を表明されたりしていて。というのも基本的にはすごく真摯な人だったんですよね。じゃないとああいう音は作れないとも思いますけど。マイキングに独自の哲学と繊細さを持っていた人だったみたいです。あとは貧困に苦しむ人の住居の問題であるとか、クリスマスを楽しく過ごせるように物資を送るという活動をしていたということがら。それらはこの日に知りました。
「おかしいじゃん」であるとか「不当だよ」っていうことには強烈に反応する人だったのでしょう。私が好きな人ってそういう極端な人が多いですけどね。
そんなに大ファンだっていうわけでもなかったんですけど、重要人物でした。遅ればせながらご冥福を祈りたい。そういう気持ちです。