なにかを叫んでいるプレーリードッグさんのイラストです。
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もう数ヶ月前になりますけど当ブログ上に記述しました通り、私がかつて一緒に音楽的な活動をしていた方が亡くなってしまったんですが、「来る8月は“初盆”なんだな」って思うのです。
何か送ろうと思って外出してお菓子を買ってきました。
ようかんとお茶です。
どちらも私が住む富士市のものです。お茶関係ですよ。
これらをお仏壇に供えるですとか、そんな感じにしてもらおうかなと考えたのです。
確認したわけじゃないのですけど、まだ以前の住所にお住まいなんではないかと考えて宅配便で送ってきました。
前日まで元気だったということなんで急なことであり。そしてまた確実に言えることは「故人が残した荷物が多いだろう」ってことなんですね。音楽関係のコレクション的な。だからまだ以前の住所に住まわれてる公算高しってことなんですけど、想像ですからわかりません。
しかしこんな買い物したりしてると本当に死んじゃったんだなって思いますね。
儀礼儀式なんてこうした場合、生きてる人の為なんてことも言われますけど、まぁご遺族の方にはまだ何も伝えていない状況ですので、お悔やみついでに 私が住む土地の銘菓を食べてもらおうってことですね。
ごく狭いテクノポップ関連のファン活動というフィールド限定ではあるものの偉大な人だったと思います。
幸運なことに数年の間やりとりしたり、創作したりしましたが、おそらく一生の間に一人出会えるかどうかって、いやおそらくというよりは確実になかなかあんな人はいないっていう貴重な人でした。
60過ぎたらまた何かやりましょうなんて言われていて、私もそうですねなんて応えたのがもうどうかすると20年前とかになりそうですけど、そうした共同作業もマボロシになってしまいました。さみしいね。
おもしろいテクノポップを作り続けた故人の意思を継ぐと言ったら大げさかもしれませんけど、この私も今まで以上に輪をかけてバカバカしくもハッピーな、それでいてミニマルな機械的フレーズの妙を体現したような創作を続けていければ良いなと思います。
あとは政治的スタンスですよね。決してそれ自体を目的にした活動ではなかったんですけど、考えていることがほぼ一緒という。色々と話してみた後に判明したことだったんですが。
マしかし私は私も聞いてきた音楽群を正しく学んでいれば絶対にそうなると信じていますので決して不自然には捉えていませんというか「やっぱそうなりますよね」というくらいです。
モロにそれ系の曲っていうのはなかったかなって思うんですけど、でもそうした表現に興味はあったんではないか。
とはいうものの難しいは難しくて。それなりに継続的に考えてますけど浮かんできませんね。単にバカバカしくて楽しい曲なら何かの拍子で生まれてくることがあるものの。政治的であってなおかつ面白い、品良くまとめたいっていうのはね。でもひとつくらいは作れたら良いなと思います。
前にラジオ番組「クラシックの迷宮」で大正時代の世相と音楽みたいなご紹介の時に聞いた「オレに選挙権なぜくれぬ デモクラシー デモクラシー」みたいな曲は良かったですけどね。ああした端唄みたいなものでも良いのかな。まずは簡単なところから、ノンポリの人でも「でもそうだよな」って思える、ふと口をついて出てきたりもする。そんな表現のカタチってことでしょうか。
故人お住まいの地というのは北海道も東の先端、流氷が流れ着くっていう場所だったんですけど、2013年にドイツのバンドであるクラフトワークが来日した時は見に行っていて、大きな感銘を受けたんだそうです。
奇しくもまた近日にクラフトワークの来日公演があるわけなんですけど、かなりお好きでしたからね。都合がつけば、そしてご存命であれば見に行ってたのかもしれないなって思います。
なんでもそうですけど、生きていればこそですね。
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ちょっとだけラジオ日記です。
六角精児さんのバンドの歌を聞きました。「京都鉄道博物館の歌」という曲。ちょっとジョン・リー・フッカーさんの「ブーム・ブーム」を思わせるような良いブルース・ナンバーでした。洒脱にして軽妙なギターワークと六角さんの歌の馴染みと弾力を利用したジャンプ感。絶妙でございました。