「イラスト」カテゴリーアーカイブ

コウモリ帝国〔05〕

 ぶら下がって休んでいるコウモリさんのイラストです。

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 ラジオ日記です。

 NHKラジオ第1「子ども科学電話相談」を聞きました。今日はいつも質問に答えてくださっている先生方の一年の抱負を伺うのと、これまでの放送の総集編みたいな内容でした。

 最後の方で聞いた「人工知能(AI)と、天気予報のこれから」というようなくだりがおもしろかったです。スーパーコンピューターでなければ今まではできなかった予測がノートブックパソコンでもできるようになるんだとか。ただし、そうしたシステムというかAIに学習させる手間があるようですけど、そんなお話でした。でもすごそうですし、実現可能な感じが濃厚で良いことだなと思いました。

 今日はラジオ番組がおおむね普通の編成に戻ったようでした。お正月もおしまいですね。

 「吹奏楽のひびき」は、「ドラゴンの音楽」。辰年にちなんだテーマでした。私が過去にこの番組で聞いた中からですと福島弘和さんの作曲と指揮による「ラッキードラゴン」が記憶に残っています。というか録音してあります。マグロ漁船だった第五福竜丸の船名からの「ラッキードラゴン」なのですけど、ビキニ環礁における水爆実験での被曝。その記憶をとどめようという曲なんだそうです。

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 「現代の音楽」は100年のレガシー。サティーさんを取り上げました。新年最初の放送として大変けっこうな人選。特に意図はないというか偶然なのかもしれませんけども。内容としては、サティーさんの功績、後世の作曲家のヒントになり影響を与えたという脈絡についても伝えていただきました。勉強になりました。中盤で聞いたオルガンによるミサ曲。それと最後に聞いたキュビズム的な面白い曲が良かったです。もちろんよく知られたピアノ曲も最初の方で聞けました。

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 「名演奏ライブラリ」は高名なチェリストの演奏。冒頭の「動物の謝肉祭」だけ聞こうと思ったんですが、なんだか聴き入っちゃって30分ほどがアッという間。ハッと気がつき「伊集院光の100年ラヂオ」を聞きました。公開期間が終わってしまうタイミング。先週の大みそかに放送されたものです。「モンキーダンス」について真面目に語る当時の若者の肉声を聞きました。映像や写真を見ることはあっても当事者たちがモンキーダンス自体について語っているものというのは初めて聞きました。内容としては、主に身体的な面。運動による精神への影響みたいなことをおっしゃっていたと思います。スッキリするとか、そういうことだったようです。

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 きのうの夜に聞いたNHK・FM「クラシックの迷宮」についても書いておこうと思うのですが、非常に多くのことが語られていて内容的には大満足だったんですが、私としては書けるだけを書いておこうと思います。

 「音頭」についてでした。江戸時代から現代に至るまで長い命脈。それはつまりいろんな要素を盛り込んだとしても「音頭」として成立するという懐の深さというのか、陽気なパワーの重力圏が大きいというのか。たくさんの「音頭」を聞きながら確かめながらの100分でした。

 私がやはり一番良いなと思ったのは「オバQ音頭」でした。これは吹っ切れてるね。すばらしい。聞くだに思います。

 それと「東京五輪音頭」も聞きました。三波春夫さんの声をちょっと久しぶりに聞きました。あの人の声が今はないというのは寂しいことだなと思いました。近年にもオリンピックというものがあったのですけど、前の東京五輪に比べて文化的な面で凌駕するものが作り出せたのだろうかという気持ちがあります。ポスターや音楽にしろなんだかスケールが小さくなってしまったような気がして、何故なんだろうかなって思います。

 大友良英さんとその仲間による「ええじゃないか音頭」が番組としてのピークだったかなと思います。今の私が聞きますと、大友さんが敬愛するというカーラ・ブレイさんの音楽から学んだことなども織り交ぜてさらに「音頭」という枠に民衆の思い。多くの多くの人たちの気持ち。「顔と顔」ですね。「東京五輪音頭」的に申しますとね。やっぱり民衆の音楽は顔が見えないとダメね。また、同じく大友さんが敬愛するという篠田昌己さんからの影響も大きかったという「あまちゃん」の断片であるとか賑やかで雑多なものらを内包したいという気持ちがよく表現されているなと感じました。楽曲の締めくくりとしては福島の震災でたぶん多くの人が感じたんじゃないかと思いますけど「これでいいのかな?」っていう曲がり角があそこにあったんじゃないかなっていう記録にもなっているようで、いろんな思いが去来するような長尺の音頭でした。唄は今は亡き遠藤ミチロウさんと今も元気な長見順さんでした。

 番組を聞きつつ思った別のこととしては、去年最後の放送でとりあげられたシェークスピアさんの「テンペスト」。私はその時初めて内容を知ったんですが、対極にある群それぞれが、どうやって和合するのか和合し得るのか、結実した時にある風景とは、みたいなことだったと思うんですけど、「音頭」という輪になって踊る形式そして多くを飲み込める度量の大きな音楽性を俯瞰するにつけ通底するものを感じました。ともあれ良い番組だったなと思います。

コウモリ帝国〔04〕

 おなかをすかせていたコウモリさんが、くだものを食べているイラストです。

 大きなコウモリはくだものを食べる種類が多いのだそうです。

 もちろんそのときの体勢は、私がイラストに描いたようなものではありませんので念のため。これじゃただのマンガです。

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 ラジオ日記です。

 昔の蒸気機関車「彗星」が駅を発つときの汽笛の音やホームのようすを録音した音声を聞きました。非常に良かったです。蒸気機関車の音には動きがありますね。

 今では蒸気機関車って地方の小さな駅から駅へと走っているイメージがありますけど、当然ながら昔は都市圏の立派なホームからも出ていたんだなと思いました。

 NHKラジオ第1「鉄旅・音旅 出発進行」より。

 つづく「文芸選評」。

 今日は俳句の日。兼題は「鰤(ぶり)」。選者は西村和子さん。

 メニューが書かれた黒板の「鰤」のところに星印がしてあったよ、という俳句が私は好きでした。解説として「ちょっと誇らしげなところ、自信作だったのかな。その光景が良いですね」みたいな感じ。私もそうだなと思いました。

 今日の放送はブリ大根の話題が大活躍。

 つづく「ひるのいこい」の冒頭は野菜栽培のお話でした。「畑で採れた丸々とした白菜でキムチ作り」というもの。ご家族で食べるということだそうで、楽しげな雰囲気が伝わってきました。私はキムチを食べる習慣がないのですが、高年齢に差し掛かり、味覚の方向性もずいぶん変わってきたと感じております。もしかしたら今なら美味しく思うかもしれません。色彩的にいかにも辛そうなのが恐怖感をあおるなと感じるのですが。

 つづく朗読のお時間は夏目漱石さんの短編「文鳥」の第1回。お話の内容も朗読の浅井理(おさむ)アナウンサーもとてもよくて、夏目さんの文体を表現するにぴったりな読み方だと思いました。おちついて聞けました。

 来週はどうなるのかなと思い、出来心でちょっと調べてみたら悲しい展開が待っているようす。この先を聞ける自信がなくなってしまいました。

 NHKラジオの朗読で初めて知る文学というのが私は多いんですけど、「野菊の墓」を以前に聞きました。聞いたことを非常に後悔しています。かわいそう。考えてみればタイトルに「墓」と書かれている時点で気付くべきだったんですけど、やるせない。もっとホノボノとしたかわいらしい恋愛物語だと思っていました。

 このまま本日のエントリを終わらせるのはあんまりですので、最後はかわいらしくしようと思います。こちらもNHKラジオで聞いたお話です。

 「らじるの時間」より。今週の担当の中村慶子アナウンサーの子育てエピソードが可愛かったです。

 朝のあわただしい時間に、6歳の息子さんが服を後ろ前に来ている時があり、ムキョーっとなるというお話でした。上下そろって後ろ前の時もあるそうで、子供の頃に前後の区別に苦労していた体験などを思い出します。また息子さんをとがめた後に自分の服を見てみたら自分も後ろ前だったという、よほど急いでいたんだなと思える。知らないお宅の出発前の一場面を垣間見た思いでした。

コウモリ帝国〔03〕

 おなかを減らして飛んでいくこうもりさんのイラストです。

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 今日は朝9時ころに重い荷物を運搬する作業に従事いたしました。今年最初の作業でした。

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 ラジオ日記です。NHKラジオ「ひるのいこい」を聞きました。

 ヒヨドリがエサをくわえて飛んでいくという俳句なのか短歌なのか、そのどちらかだと思いますがラジオ聴取者の方からの投稿に「良いな」と感じました。

 万年青(おもと)の赤い実をくわえていったんだそうです。冬の景色の中にも鮮やかな生命の息づかいと申しますか、動き、を感じさせる感性でした。

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 個人的な音楽聴取活動についてのメモです。

 おもに80年代のニューウェイヴを大量に聞いています。元日から200曲ほどを聞きました。そのうち「これは捨て置けないぞ」と感じたのがその半分くらい。相当な確率です。非常に良い鉱脈を発見いたしました。“私ごのみ”です。

 未知だったニューウェイヴ曲をたくさん知れて嬉しいです。

 それらはシンセポップとも表裏一体みたいな部分もございますので、未知のニューウェイヴ曲を知るということは未知のシンセポップ曲を知ることと同義ではないにしろ曲によりましては「これは良いシンセポップ曲を知れたな」という嬉しさもあります。

 いつも利用している巨大ネット動画サイトの検索システムが去年の末くらいから変わってしまったようでありまして、主に私が追い求める「80年代の変な人たち」が引っかかりにくくなっているような感触があります。別に今の主流ではありませんから、そこに私としての不満があるということはないです。そんなものだろうな、というくらいで、むしろ感謝です。

 私企業の運営するサイトですから、著作権的にアヤフヤな楽曲というのはいつ消滅するかわかりません。私が追い求めているものって多くが自主制作ですし、調べていると関係者が没している場合も普通。40年前の潮流ですからね。きのうなんかメンバーの半分くらいが90年代冒頭にHIVで亡くなっているなんていうバンドもございました。戦慄しますね。あれは大きな出来事でした。いうまでもなくそうした場合、権利的には難しいことになるでしょう。遺族にしたところで「うちのダンナが若い頃にバンドやってて録音物を売っていた時期がある」なんて知りもしない場合が多そうです。

 今の私が町内会のお仕事として「権利者がわかりにくくなっている私道について権利の所在をハッキリさせる活動。それらを市に移管したい」っていうのに苦労していることからも強く思うんですけど。

 別にアマチュアの人たちが熱意の発露として制作した個々の楽曲にそうした困難があるとも思っていませんが、将来的に権利のことがもっときちんと扱われるようになるとヤバいことになりそうだって予感もゼロではございません。

 幸いにしてこの10年くらいの活動でかなりの調査はできました。世の中にある80年代産シンセポップだったりニューウェイヴのまぁ半分くらいは聞けたんじゃないでしょうか。根拠のない憶測ですが。

 今の時点で私的に重要というのが4千件ほどです。感覚としては10曲聴いて1曲か2曲くらいが私にとっての良曲ですので、そうなるとこれまで私が聞いてきたのは数万曲になっているのかもしれません。恐ろしい数ですけど毎日20曲ほどは少ない日でも聞いているのでそれくらいになっていても不思議ではありません。

 私の趣味嗜好に合うシンセポップってかなり限られた方向性ですので、そうした観点から集めてきた「多くの人はあえて聞きたがらないようなこまかい曲」の数としての4千ってかなりがんばった結果じゃないかっていう他人事のような感想もあります。

 いま私の知るところにある楽曲単位から更に調べていくだけでも派生する未知の領域に切り込んでいけそうです。ここはがんばっていきたい。私の命の続く限り。

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 ネットの時代になって簡単に聴けるようになったほぼ素人の情熱だけはあった当時の若者の音楽を聴けるのは、私にとっては“懐古”ではあるのかもしれませんが同時に“未知の領域”でありますのでエキサイティングな体験だと感じています。