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ラジオ体操犬〔34〕

 ラジオ体操シリーズを再開します。

 トイプードルちゃんが躍動しているイラストです。

 わりとウマくいったんでは……と、自画自賛したいです。

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 きのうはブログで日記的な更新をした後にグッッスリねてしまいまして。

 8時前には寝てしまったんではないかと思います。ちょっとわかりません。

 起きたら朝の6時でした。

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 今日は意外によく活動できました。

 きのうは終日、屋外にいて、気持ちも張り詰めていたので疲れがヒドいかもと考えていたんですが、よく寝たせいでしょうね。

 昼寝で時間を消耗することもなく、おおむねウマくいきました。

 とにかく「桜まつり」が無事に開催できてホッとしました。私的な作業にしばらく取り組もうと思います。

屈辱の印章製作依頼体験・その2「完結と旅立ち」

 上のイラストのご説明から参りましょう。

 お店の中の風景です。

 右側でガクゼンとしている紫色のタヌキが18歳コロの私です。

 奥の青いタヌキさんは私の友達で付き添ってきてくれたお友達のゴッピーくんです。

 で、左側のピンク色のタヌキさんね。もうわかってるかもしれませんけど、ハンコ屋さんのご主人です。

 記憶としてはまるで残っておりませんので、私が好きなように創作しちゃいました。ご主人の容貌であるとか雰囲気ね。おトシがいってるザ・職人さん。っていう感じ。それはもうむせかえるほどにプンプンしてくる方でした。

 でね。

 動機から参りますけど、私の名前はご存知かもしれませんがけっこう変わってるんですよ。「ひじくろ」ね。漢字だと「肬黒」と表記します。

 コマるのは印鑑ね。既製品だと売ってません。そりゃそうだ。

 じゃ作ってもらおう。というワケで前回の当ブログでご紹介した、小さくて古い感じのお店に頼みに行ったんですよね。

 お店の選定については、なぜソコに行ったんだか…みたいな部分含めて全然覚えていません。

 しかしわりとウキウキして勇んで行ったんです。うれしいなっていうね。

 うすうす気づいている方がいるかわかりませんけど私は普段の精神状態が「楽しいな」っていうあり方です。トクな性質かなって思いますけど究極的にはこういうことって自分でどうこう言うのは違うかもしれません。

 ガラッとトビラを開けましてですね。

 「すみません作ってください」と申し出たのです。

 「あなたの苗字を教えてください」

 「肬黒(ひじくろ)です」

 するとそんなに大きくはない使い込んだ辞書を取り出してきまして、ページをめくって示すんですね。「こういう字ですか?」「違うんです」「こうです(サラサラと紙に書いて見せる)」

 すると「載ってないなぁ」とおっしゃるんですね。ハンコ職人のご主人ね。

 で、次が驚くんですけど「辞書に載ってない字は掘れない」っていうんですね。

 コレがもうビタ一文ゆずれないっていう態度なんですよ。書きました通り「職人だな」っていう雰囲気も含めて説得力っていうかテコでも動かないって感じがもう満々。

 私はまだ全然若かったこともあって次の手が思い浮かばないっていうか、むしろまだ「どうやらオレは拒否された」っていう事実自体がアタマに入ってこなくてですね。頭蓋骨の内側と脳の間のスキマでカチンコチンと音を立てて鳴っている感じですね。

 しかしどうにもならないんで帰ってきました。お店の中での滞在時間は5分ほど、絶対に10分はないだろうな、といったところでした。

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 今の私であったら「すみません。“読み”としては「ひじくろ」なんですが、“表記”としては「肬」の字を使っています。と説明します。

 この字である「肬」ってホントは「いぼ」って読むんですよね。肌の上であるとか内臓の内部なんかにもできたりするみたいですけど突起状のアレね。

 ちゃんとそのように説明できたなら、違う結果もあったのかもしれません。

 しかしねぇ。思うんですけど。こと人名に関する限りは「そうは読まない文字を(あえて)姓名として使ってる」みたいな事例はチラホラあるんじゃないかと。

 であるとしたらあのご主人。そういう時も断ってたのかなっていうのが、40年近くかかえている私の疑問です。

 マともあれ以上が、私の「ハンコを作ってもらいに行ったけど作ってもらえなかった」というエピソードの全貌でありました。読んでいただき感謝です。

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 モヤモヤしてる方がいらっしゃるかもしれません。

 そもそもナゼ「いぼ」って字を「ひじ」って読ませるムリのある運用をしてるんだという疑問ですね。わかります。私だってけっこう迷惑してるんですけど戸籍の表記がこうなんで使わざるをえないというのが真相です。

 他の家族なんかは普段は「肱」の字を使ってたりします。こちらはちゃんと「ひじ」って読む漢字です。それに「肬」の字にも見た目としては近い。さあ、どうなんだ。

 話は江戸時代とかにさかのぼるみたいなんですよね。聞いた話です。平たく話しますけど武士のおウチだったみたいなんですよ。それで次男以降はおウチを継げないと。苗字も無くなってその当時の普通の人たちと同様にファーストネームだけになっちゃうとね。それじゃイヤだって思ったのかわからないんですけど、苗字をですね。お金を出して買いに行くぞという旅に出るんですね。このへんのイキサツが「ホントなのか!?」ってビックリするところなんですけど、私も自分の一族の事情でありながらウラは取っていません。

 この話題になると「うち(本家のコト)は地元じゃけっこうイイ家だった」みたいなどうでもいい自慢が始まってそれを聞くのが非常に苦痛なんですね。生まれにこだわってイイコトなんか無いっていうのが基本的なスタンスっていうか、自分で磨いた技術とかでヒトは認められるべきっていうのがありますので。

 でね。苗字を売ってもイイよっていうおウチがあったみたいなんですよね。

 話しぶりによりますと、たまたま行き当たったとかそんなニュアンスですよ。なんの見当もなく旅に出たんですね。その辺は私の祖先だなっていう気がしますけどね。

 おそらくですけどこの売ってくれた人の苗字はちゃんとした「肱黒(ひじくろ)」であったのではないかと思います。

 場所的には出水市(いずみし)っていう海沿いの自治体なんですけど、トリのツルが飛来するところですけど、なんでも果物だったか野菜だったかを売ってる商店。そこから買ってきたと。

 道のりとしては、伊佐市(いさし)っていう鹿児島の北部にある山奥から西にバンバン下って行くと出水市なんですけど、どうでしょう。けっこう離れているので土地的なしがらみもなさそうです。苗字を売り買いするっていう点から見てね。想像ですけど。

 こんな変わった苗字を名乗る人たちって言ったら親戚かもしれない。がしかしあの人らはうちが売った苗字を名乗っているに過ぎないんだという、世代が変わるくらい時間が経過した後から見るとですね、誤解を招きそうなやりとりです。今でも「ひじくろ」っていう姓を名乗るヒトはそんなにいませんけど、精査していくと元からの血縁ではない人たちが分布している。すなわちそれは私の親戚たちであろうっていう構成ですね。

 私の考えではこの「苗字の売り買い」のタイミングとかで漢字の表記のわずかな違いに誤解が生じたんでは無いかと思うんですよね。「肱」と「肬」。

 昔は誰もが辞書を持って参照できたって時代でもないですし、ましてや私の祖先にしてみても元から名乗っていた苗字じゃないワケですから原典みたいな確証に乏しい状況ですよね。

 ちょっとニョロンってしていて、点がついてる方が見栄えがイイじゃないかとか。そういう線も非常にありえます。エラく見られたいっていう傾向がけっこう私の一族のマインドには見え隠れしてるフシがあるんですよね。私はあまり好きじゃないんですけど。ていうかスゴくイヤなんですけど。

 長く語ってしまいましたが、以上のような事情ですよね。実際はどうだったのか私にはわかりませんけど、ニョロンってさせちゃったおかげで。ソレを戸籍に記載しちゃったおかげで。子孫の私などが苦労することもあるよという。

 もうちょっとポピュラーなですね。多く存在する人の苗字を売ってもらっておけば後々、便利だったのになって思いますね。あんまりイイコトないです。「ひじくろ」っていう苗字はね。しかも誤用な雰囲気が濃厚という後ろめたさもありますからね。コマったものです。

屈辱の印章製作依頼体験・その1「お店の位置と外観」

 ラジオ体操のイラストシリーズはほんのちょっとだけ中断です。

 私の昔話をします。

 私が高校生の頃に印鑑を作りに地元のお店を訪ねたよ、というエピソードなのです。

 上のイラストが、そのお店の外観。

 もう40年近く前のお話ですから、ほとんどが想像です。おぼえてないです。特に看板の表記なんかは完全なウソですよ。絵にするとなんだかそれっぽく見えちゃいますけどコレを信じちゃダメです。

 かなり小さいお店だったなという記憶だけは確かだと思います。

 私が好きなタイプのお店です。小さくて古くて。

 ブログを長く見てくださっている方には「前に出てきた不動産屋さんに似てるな」って思ってくださるかもしれません。アレも小さくて古い建物でした。千駄ヶ谷の共産党本部ビルの前っていうかハス向かいあたりにあったお店でした。

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 今日の記述としてはですね。お店の所在地のみの説明にとどめて、明日が完結編という段どりにしようと思います。

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 前に自転車のレースのお話を書きました。先週でしたか。

 その際に富士市産のほうじ茶を練り込んだ「ほうじ茶ようかん」のご紹介もしました。

 そのお菓子を製造販売しているお店の写真がこれです。クリーム色のビルの路面に面した1階です。

 「菓子処たかぎ」です。

 富士市には何ヶか繁華街があるんですが、そのうちの一つである「吉原(よしわら)」っていう町の本通りの一本南側です。

 この「たかぎ」さんのお店のほど近くですよ。ハンコ屋さんね。今はもう無いみたいです。古い話ですからね。

 たぶんこのあたりではなかったか? というのが下のお写真です。

 ジャリがしいてあって奥に行けるようになってるトコロ。つまり何も建物が建っていない部分。小さな区画。ソコがかつてのハンコ屋さんではないかと思います。非常にアヤフヤな記憶ですけどね。

 写真を見てくださっている方にとりましては、むしろ「中山サイクル」の建物の方に引きつけられるかもしれません。「見るからにレトロだな」っていうね。存在感があります。実は中山サイクルさんは右側の方に。写真には写っていない方に立派な本体がありまして、写真に写っているのはたぶん倉庫とかそんな感じに使っているのではないかと思います。でも雰囲気としてはハンコ屋さんもこんな感じではありました。この辺もずいぶん変わりました。やっぱり新しいビルがドーンと建つと雰囲気含めて一変します。

 そんな感じの導入なんですけど本日は以上でございます。また明日。