「イラスト」カテゴリーアーカイブ

テリアくん〔31〕

 カモノハシくんがおどろいているイラストです。

 イラスト練習の意図としてはカモノハシくんのクチの開き具合のテストです。

 イラストとして、自分の力量として、どれくらい開けられるかなと試してみた次第です。かなり手さぐりです。

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 ラジオで60年代ポップスを聞きました。「ドミニク」です。修道院のシスターだったスール・スーリールさんの歌。よく知られた、楽しい曲です。

 かかった番組はNHK・FMの「音楽遊覧飛行」。ダ・カーポの榊原広子さんの番組。

 スーリールさんの原曲の他に、ペギー葉山さんのバージョンと東京放送児童合唱団のバージョン。日本語の歌詞がつくとまた違う印象。演劇的というかお話的な世界を楽しみました。

 この曲は以前にも「世界の快適音楽セレクション」で耳にしていて、その時にスーリールさんの人生みたいな部分も知ったんだと思います。自分でも調べてみて、かなり人生としては大変だったと知ったんですが、今日の榊原さんの番組でも彼女の人生という部分についての紹介がありました。

 榊原広子さんといえばカレン・カーペンターさんと同い年。というワケで今年度から始まっているNHKラジオ第1のカーペンターズの特集なんですが、これまで1回も欠かさずに聞いています。平松愛理さんの番組。長年のナゾだったんですが、お名前の読み方は「あいり」ではなく「えり」で正しいみたいです。これはもうラジオで何回も聞いたので覚えました。

 カーペンターズに発展する前にやっていたバンドの「スペクトラム」時代の曲が興味深かったです。

 もうカーペンターズのサウンドというとバッチリできていて完璧無比。どこにもスキがない生まれた時からのスタンダードナンバーっていう風格を感じるんですが、彼らもそれ以前には「あともうちょっと……」っていう時はあったという発見でした。当時のちょっと込み入ったポップスの流れというかそんな風合いがあって、彼らも時代の同世代の人たちと共振していた部分があったのだなと驚きました。具体的にいうと私の知識ではサイケデリックミュージックのワウワウ言わない方面。若干プログレッシブに多層的な音楽っていうんですかね。そんなものを感じました。時代ですね。がしかし和声に関してはもう垢抜けているというかリチャード・カーペンター氏の品よくエグくいかない、繰り返しになりますけど何回聞いても色あせない音の世界っていうのは感じましたし、その辺は他の同世代のそれでも他に比べるとかなり凝った音を出していたバンドよりもアタマひとつ抜け出ていたんだな、と感心しました。

 番組としてはおそらく来年3月まで続くんだと思いますが、非常に楽しみです。

 あとはスール・スーリールさんの人生じゃないですけど、カレンさんの最期を扱うんだかどうなんだかっていう問題ですね。音楽だけでも素晴らしいのですけど。今現在に書かれた文章を読んでもわかることですが、カレンさんが亡くなって多くの日本人は拒食症というのを知ったんですよね。女性が自分のあるがままを肯定するっていうのは今の時代においても大きな問題だと思いますけど、そこまでいってしまうとまた別のテーマになるのかもしれない。という気もします。

 カレンさんの死を知った時の私はまだ10代中盤でしたけど、カーペンターズの音楽がかなり特別だというのは感じていましたし、今まで生きてきてずっと音楽を聴いてきて、私の専門はガチャガチャした音楽ですからとりわけ詳しいというワケでもないですが、結局のところカレンさんみたいな特別な声と正しい音程、非常に優れたリズム感を全部持っていてそれらすべてが音楽を聴く人に愛される方向にとても豊かに伸びているという特別な人は、他には見つけられなかったなと思っています。

テリアくん〔30〕

 カモノハシくんが池の底をゴリゴリしている場面のイラストです。

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 今日は夏祭りに向けた作業はありませんでした。ひさしぶりにゆっくりしました。

 ラジオ日記的には「子ども電話科学相談」を聞きました。いやーもう久しぶりです。

 今日は朝9時からの拡大版。スタジオに4人の先生が集まるのも久しぶりというかこちらは数年ぶりなのだと思います。

 脊索動物が進化して脊椎動物になったという説明が面白かったです。

 町あかりさんの歌「動物かわいいエレジー」がかかりました。かわいらしい歌でした。

 きのうのラジオ番組になりますが、「クラシックの迷宮」を聞きました。

 17世紀の音楽。作曲家シュッツさんのお仕事。ドイツを中心に30年も続いた長い戦争を背景にどんな音楽が作られ聞かれていったか。歌は世につれなんて言いますけどまさにその通りで、戦争のあとには何にも残らないなみたいな虚無感。そんな歌も含めて聞いたのですけど、終わらない戦争を過ごすうちに音楽表現に深みが加わったのだというなんとも皮肉な顛末などなどを学びました。

 今回の企画は政治と歴史に明るい片山杜秀さんのような人でないと扱いきれないのではというテーマだったと思います。

 そうだ。先週たしか「らじるラボ」でクラヴィオリンとおぼしき音色の入った曲を聴いたのでした。あまり知名度はないと思いますけど多くの人が聞いたことがある古い電子楽器です。私みたいに根っこが洋楽ポップスみたいな人にとってはデル・シャノンさんの「ラナウェイ」とかのピーパラピッポみたいな旋律。あの曲があったからドアーズの「ハートに火をつけて」なんかは一発で理解できました。私は。

 フィルターもついていないという意味ではムキ出しの電子楽器みたいなある意味野蛮な構造なんですけど音はあえていうならオーガニックみたいな表現のシミジミと人のココロに染み入るっていうんですかね。日本でいうならもうたくさんの演歌に使われています。調律的にわずかに音痴とか言われていますけど、これがまた合うんですよね。

 確か数年前の「クラシックの迷宮」でクラヴィオリンだったかどうだったか忘れちゃいましたけどそうした初期の電子楽器を扱った回があって非常に興味深かった。

 バンドで鍵盤を弾いて日本中を巡業するという日常を送っていた人が高価だったその楽器を買ったがために録音の仕事が増え、譜面が読めたために、ついには現代作曲家の仕事としての映画音楽の劇伴なんかの仕事もこなしたという。そのへんを片山さんの語りで学んだんだと思います。

 ポップス系ミュージシャンと現代音楽との邂逅ですよね。その橋渡しが初期の電子楽器だったみたいな。私が好きな要素が3つも入っているという、大変に楽しい回でしたし、私の中ではその時の様子みたいなものがなんとなくイメージとして絵みたいな感じになっています。

テリアくん〔29〕

 タヌキ酒を出荷する場面のイラストです。

 夏の需要を当て込んでタヌキのオジさんがはりきって大量に作った…という感じです。

 カモノハシくんの描写が安定してきまして。ちょっとうまくいったイラストなんじゃないかと自分で思っております。とてもノンキな場面になりました。

 実際のカモノハシくんってもっと前足がパドルっぽくなっていますし、体形としては「ひょうたん(横に平べったい)」みたいな感じなんですけど、そうした実態を離れて独自のキャラクターになってしまいました。悪くはないなって思うんですが。

 動画を見ると、けっこう活発に動く動物らしいんですが、そういうやんちゃというかイタズラっ子っぽい部分は表現できているかなって思います。

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 今日は午前に重い荷物を自転車で運搬する活動をしました。

 きのうの夜には会議がありまして、今月末の夏祭りについて話しました。それと9月には体育祭がありますので、開催形態の大枠について当会議としての意見をまとめました。私は「企画委員」に属していておりまして、数十名からなる企画委員としての意向を固めたのです。

 今後、上位に位置する執行役員会とか町内会連合会とのやりとりになってくるんだと思います。

 体育祭や文化祭は一応のところ、企画委員マターであると聞いているんですが、まぁ久しぶりの体育祭ですし、参加人数の多寡についての見込みも不明瞭です。今回はテスト的な体育祭になるのかもなと個人的には思っています。

 そんな感じの昨日と今日だったのですが、今日は久しぶりにお昼寝しました。ちょっと疲れがあったみたいです。

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 ラジオ日記的には「文芸選評」を聞きました。

 俳句の日。兼題は「ハンカチ」。

 女性におけるハンカチの存在。男性におけるハンカチの使い方。子供らしいハンカチの使い方。みたいなものがあらわれて面白かったです。

 私はつい最近、Tシャツがボロボロに崩壊してきたものが多く、「俺にはキレイなTシャツがあと何枚残されているのか?」と調査活動したのですけど、その際にまとめてあるハンカチを発見しました。中学生の頃に買ったのではないかというハンカチもキレイな状態。私はほとんどハンカチを使いません。しかしであればこのハンカチを私はいつ使うんだろうと考えたところでした。

 ハンカチについて寄せられた俳句を聞いているとむしろ他の方達はよくハンカチを使うものなのであるらしいのかも、と伝わってきます。

 そろそろハンカチをまずは洗濯して携行するクセをつける。活用する。そうした方が良いのではと思いました。

テリアくん〔28〕

 カモノハシくんが電撃ショック療法を受けているイラストです。

 カモノハシって、くちばしで電気を感じるとか、エサを探すためのセンサーがあるらしいんですよね。

 そのあたりから連想して素朴なSF映画っていう感じの場面を思い描いてみました。

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 きのう当ブログにおいて「少年戦車兵」の小さなエピソードを取り上げました。

 長文でしたので途中で閉じちゃった方もいるかもしれませんが。

 実は関連のお写真がございます。私が先週でしたか。撮影してきたものなんですが。

 富士市の北東部に「神戸(ごうど)」という地区があるんですが、そこで昭和18年に戦車が沢に落ちるという事故があったみたいです。

 富士市が発行している市内の戦争遺跡を紹介するパンフレットで知りました。

 その事故では一人の若い方が亡くなったのだそうです。

 そのへんを簡単に紹介した文が刻まれているのが石碑の裏面です。

 広島の三原市のご出身だったらしいです。18歳。いたましいですね。

 どんな沢に落ちたと思われるのか、それをご紹介しておこうと思います。

 この石碑のすぐそばの写真ですので特定したというワケではないです。

 けっこう深い沢です。

 富士山の南嶺の沢って大体こんな感じで深く切れ込んでいるんですが。

 きっと今の富士山の形状が落ち着いた頃からずっと水が流れていたのではないか。と私は思っています。

 この石碑が建っている場所自体のご説明もしておこうと思います。

 小学校のすぐそばですが、つい最近まで駐在所があった場所です。

 おそらく神戸地区の中核って感じの扱いだと思います。

今現在は機能していない駐在所です

 今年度から富士市の駐在所とか交番が整理されるという新体制が発足しましてですね。駐在所の数は減って、距離は離れてしまいますが交番を新たに置いて、そこにお巡りさんを集約するっていう編成になったみたいです。多少の人員削減になりそうだなって思いますけど素人考えですのでわかりません。

こんな感じの交差点に石碑は立っています。奥に見える木々の植え込みは小学校です。

 少年戦車兵の石碑に戻しますが、もうちょっと詳細が知りたいのです。

 地域の公民館的な施設がこれまたすぐ近くにありますので、本棚に置いてある地域の本を参照してみました。

 結果から申しますと、詳細が書いてある本は見つけられませんでした。

 調査は継続ということにします。

昔の出来事を伝える文集がありました。戦時中の可愛らしい子どもたちです
神戸地区一帯の空中写真。真ん中が小学校です。上の方のかすんでいる領域は富士山の山肌と考えていただいて差し支えありません。