「イラスト」カテゴリーアーカイブ

ゴ×××帝国〔09〕

 ゴキブリさんの描写をしておりますが、予告がございます。

 ネットで参照可能な「黄金バット」さんのイラストがかなりの量ありましてですね。そちらを参考にしたイラストを掲載していく予定です。

 「カッコいいポーズ」を実習して自分のモノにしたいっていう意図です。

 製作にあたっては自分なりにアレンジする場合が多いですが(もうこの文を書いている時点で10点くらい完成しています)、わかりやすいものもあると思いますので、ネットのイメージ検索で「黄金バット」と入れて出てきた画像を見て「このイラストはこの絵を参考にしたのかな……?」と探索してみるのも面白いかもしれません。

 そもそも論としては、ゴキブリの場合、腕の本数が6本ですので、ポーズをそのまま使うことはできないんですけどね。難しいです。

 ヒーローものにおける「カッコいいポーズ」って類型があって大体は決まっていると思うんですが、よくあるポーズであっても自分で描いてみるっていうのは大事だなって思っています。今。

 やっぱり量をこなすことで昆虫のカラダつきというのが頭の中で組み立てられるようになってきます。この機会に会得したいです。

ゴ×××帝国〔08〕

 朝に市役所の建設総務の方や道路建設維持課の方たちが町内に来てくれて道路の実況見分を行いました。

 町内に残る私道を市に移管したい。という、我が町内の「市道化委員会」のお仕事の一環です。

 これまでの経緯を記しておきますと、3年ほど前に市から「ここはこう直してほしい。直ったら確認の後に引き取れる見込みです」というような段取りになっていて、言われた通りの工事は先ごろ終了。測量を終え(境界区分を厳密にしないと後々の紛争を呼ぶ可能性があるため市では引き取れないのです)、申請書類を整え、市に提出しました。

 ところがまだ何かあるという連絡がありまして大変に動揺したんですが。

 私が遅刻してしまったため、やりとりの詳細は分からない部分もありますが、補修、改善の必要のある箇所というのは理解しました。私の感想としてはかなり歴然とした部分ですので、やっぱり最初に言って欲しかったなと思いました。

 主に側溝のフタの部分が良くないそうです。跳ね上がりの危険があるので重量のあるものに変更するか、溶接だったり、ネジで固定するとか。

 コンクリートであれば、厚みの目安として10センチくらいないとマズいっていう決まりがあるみたいです。

 確かにうなずけますし、基準があるなら仕方がないですよね。

 問題になっているところは道路の道幅の4メートルっていう基準はクリアしているんですが、自動車がすれ違う時なんかを考えると側溝ギリギリとか場合によってはその上に乗ってよけるとか、退避する余裕がある方が良いのかなって思います。ましてや昨今の物流だったり宅配業のトラックの事を考えると尚更です。

 町内会としては痛手です。しかし将来的に私が死んだ後なんかの事を考えると、この辺の土地をまた誰かに買ってもらえるような水準に保っておくのは大事かもしれません。

 きのう私が市内の北部をさまよったというお話をしたんですが、実はその際に小学校の運動場が視界に入ってきました。体育の授業と思われますけど、先生の前に子供が数人いるだけという光景でした。あれがひとクラスっていうこともないと思うんですが。心配です。

 直後に通りかかった中学校の向かいにある幼稚園からは、にぎやかな声が聞こえてきてどうやら運動場に全園の子たちが集合して行進の練習をしていたみたいで非常に可愛らしかったのと大ざっぱに見て60~70名は居たんで、変な安心をしたんですが。

 子供の数に一喜一憂ですよ。

 しかし将来のことを考えると消滅する町内会っていうのも避けられないのではという危機感があります。

 日曜の防災会議の時に小学校の南校舎の1階を案内されました。発災の際にはこの教室は待機所になるとかですね。しかしやっぱりクラス数というのは非常に減っています。確認できて逆にショックなんですが。

 前にもチラッと書きましたが、うちの町内は新旧の東名高速道路のインターチェンジの中間という、交通的には便利な位置ですので、まだ望みはあるんではないか。

 「生き残り」と書くと殺伐とした雰囲気も出てきますけど、なんとかウマくいくようにしたいものです。実はもうすでに空き家の問題で悩んでいるという区域も出始めているんですよね。市内においては。私の目から見るとメチャクチャ良い住宅街だなっていう場所でも、ちょっとした使いにくさがあると顕著にそうした傾向が出てしまうみたいです。笑い事じゃないです。どうしたものやら。

ゴ×××帝国〔07〕

 朝方、自転車で重い荷物を運ぶ修行に出かけました。

 今朝の富士山です。きのう掲載した写真と特に変わった点もないのですけど、朝の清涼な空気を感じられるのではと思い撮影しました。

 このあと新しい通行ルートを開拓しようとして失敗しました。道に迷ってしまいました。

 月に1回だけお墓参りに行くのですが、そこから重い荷物運搬の拠点であるいつも行くスーパーまでの最適と思われるルートが確定していないのです。

 富士山の斜面を下っていくワケなんですが、降りていく方角を慎重に選定しないとせっかくの位置エネルギーがイマイチ活かしきれません。

 沢が何本かありますので橋の関係なんかも考慮するといっそう精密に行く道を選びたいのです。

 今日は手始めに、高度をなるべく下げないように西進してみました。してみたつもりがナゼか北進してしまい全く初めて通る道というか、おそらくこの秋になってから誰も通っていないのではっていう細い道にハマってしまいました。横に折れる道も無し。

 この機会ですし、おそらくこの道を通るのは一生に1度きりだろうということで今日はもうあきらめて最後まで行ってみました。

 富士市の北部に丸火(まるび)公園というステキな公園があるのですが、その南端まで行っちゃったみたいです。標高にして300メートルとかそんな感じ。

 「丸火」という名前は昔の言い方で「溶岩」をいうのだそうです。真っ赤に焼けた石がモコモコしているようす。それが重力に従ってボボボと降りてくる感じですね。つまりこのあたりは富士山の噴火があった場所なのです。といっても富士山のてっぺんからドカーンっていうアレじゃないですよ。かなり小規模な噴火であって、山体の横側からボーン。ドロドロ〜みたいな感じだと思うんですが。公園内で冷えて固まった溶岩を観察できると思うんですが、何しろ緑の深い場所でコケなんかに埋もれてるのも多いんじゃないのかなって思います。

 買い物に行くつもりが富士市の遠足であったりアウトドア活動のメッカに接近してしまいました。朝から何をしているんだか。

 細い道の左右からススキの穂が垂れ下がって行く手を阻む景色などは面白かったんで写真を撮っておけばなとも思うんですが、時間も心にも余裕がなかったので写真は無しです。心細かったです。

 帰宅後、つかれてしまってお昼寝を2時間ほどしました。

ゴ×××帝国〔06〕

 午前中は防災関係の訓練でした。

 体育館に小学校区から70名ちょっとが集まりまして、発災後の体育館や小学校の校舎、及びグラウンド、その他(洗濯物を干したり仮設トイレを設置するという細部について)の使われ方など、それとダンボールベッドの組み立て方、それと小学校としての防災対策、生徒の子たちの動きと日頃の訓練のようすなどを学びました。学校からは教頭先生。そして、その他の全体的な事柄は市役所から聞き防災管理科の人たちと体育館や地域を担当する係になっている人たちが来て教えてくださりました。

 マニュアルが体育館ごとに定められておりまして、その版が去年のもの。基本的には去年に聞いたお話と変わらないのですが、コロナ渦において必要と考えられるものなどの物資が倉庫に新たに加わっているのかなという感想を持ちました。

 私が住んでいる地域には中学校が1ヶあって、小学校が2ヶあるんですが、つまりふたつの小学校に通っていた子たちが成長するとひとつの中学校に通うといった感じです。

 この3ヶの学校というのはそれぞれが避難所になると位置付けられておりますが、日頃の訓練としては市内のどこも小学校区の単位で動いているので、たぶんおそらくどの地区でも中学校を使った訓練はしていないのかと思います。なぜこんな込み入ったことをブログにおいて書くのかというと、私は小学校区のはじっこに住んでいて、避難所は中学校なんですよね。おとなりの地区と合同で身を寄せるといった塩梅。

 まぁ大きな注意点だったり運営の方法というのは共通しているんですけど、ちょっと不安があります。

 私の立場はあくまでボランティア的な補助であって、中心は防災に関わる自主防災会だったり町内会長ってことになるんですが、1年ごとに変わる人の割合も高いので何年も続けて地区のことをやっている私及びその他の人たちの存在というのも案外小さくないのかもしれません。とにかく原理原則を正しく知っておいて指示が必要かって時にはアドバイスするとかですかね。私がもしもその場にいれば。ちゃんと言っておくタイミングが後にズレればズレるほどコジレちゃいそうだなっていう心配もありますし。

 ただし一番大事なのは私にしろ震災で死んじゃわない。ケガをしないでおくということではあるのですが。まずはそこからですからね。

訓練が終わって自転車で帰宅する道すがら撮影しました。ちょうど正午頃。富士山がよく見えます。気候的に冬に近づいています。気温的には暖かかったのですが、湿度が低かったせいか、富士山の姿が隠れることなくのぞめました。

 以下はラジオ日記です。

 NHK・FM「現代の音楽」。先月の上旬に亡くなられた作曲家の一柳慧(いちやなぎとし)さんの追悼番組。

 なんと3週にわたっての放送です。みっちりとその業績を捉え、振り返り、おそらくラジオを聴いている人たちみんなで故人の死を悼む、もしくは一柳さんの残したもの存在を忘れないでいようっていうメッセージを感じます。

 私は先月に個人的にささやかな追悼活動をしました。過去ブログに書いたとおりでありますが、がしかし私が思っている以上に一柳さんが日本の現代音楽に残した足跡が大きかったということなんだろうなと思います。

 本日の放送の内容としては60年代から70年代最初の方までということでテープ作品であったり電子機器を介した曲をふたつ。それとピアノ曲を聞きました。

 電子音楽の方は聞き返したばかりであったせいか、今までとはまた違った聞き方ができて新たな発見がたくさんありました。収穫でした。「東京1969」において特に顕著でした。もしかしたら体育館でたくさんの人がすれ違う、または協業するという活動をした直後に帰宅してから聞いたせいもあるのかもしれないなと思いました。“群”としての様相ですよね。“人”がある曲だと思うんですよね。「東京1969」って。

 ピアノ曲は「ピアノメディア(1972)」を聞きました。初めて聞いたのですが、解説の西村朗さんおっしゃるとおりで衝撃的にカッコよかったです。演奏の高橋アキさんが最高でした。

 基本的にはミニマルな作りをした曲でしたが後半に仕掛けがしてあって鮮烈なおどろき。そしてまた瞬時に元あった連続体に戻っていく何事もなかったかのように。大変面白かったです。多くのピアニストに取り上げられる人気曲だということですが納得します。

 今回の3週の特集では、特に個人的には私が知らないでいた一柳さんのピアノ方面を聞ければ良いなと思っています。最晩年までピアノを愛していたようなんですよね。来週以降も楽しみです。

 ───────────────

 NHKラジオ第1の午後の番組「ディスカバー・カーペンターズ」を聞きました。ハーマンズ・ハーミッツのカバーなどを聞きました。それとARPシンセサイザーが用いられたというエピソードを編曲家の森俊之さんに教わりました。たぶんオディセイですよね。ハービー・ハンコックさん等の名前が出たので間違いないと思います。

 森さんは収録スタジオにキーボードを持ち込んで実演をよく番組の中でしてくださるのですが、どうやらヤマハのCP4という機種を愛用されているのかと思います。それと一緒に写った写真がネットにありました。これが私は知らなかったのですが木製88鍵でありながら重さが17キロ台というちょっと前の常識では考えられないというか昨今は61鍵の普通のシンセサイザーも飛躍的に軽くなっているんですが、それはともかく驚きました。

 その後、思うところあって過去の放送を録音していた音声を聞き返しました。作詞家ジョン・ベティスさんを取り上げた2週間分です。7月の後半とかの放送でした。

 確かめたかったことはカレン・カーペンターさんの低い音程での歌いだしを母音の「ア」に置いて一番良い響きを引き出したという点でした。

 確認を終えて満足したのですが、別の話になりますが、「青春の輝き(I Need to be in Love)」の詩の内容であるとか、ジョン・ベティスさんがカレンさんに向けてもしかしたらカレン自身も感じていながら言葉にはできなかった心のあり方をズバリといぬく形で詩にしたのでは……という解説を聞き返してまた感動。そして放送第1回目にも「I Need to be in Love(この曲に関しては原題のほうがストレートに楽曲を思い返せて良いなと思います)」が取り上げられていたのでそちらの音声も聞き返しました。

 もう私も泣いちゃって大変でした。歌詞ができたばかりの清書もしない読みにくい状態でしかし何回か歌ううちに完璧に歌として捉えたというカレンさんのエピソードでした。いわく「一番好きな曲」となったということで。完璧な詩作だったんだなと思いました。

 他の曲を聞くにつけ改めて思いますが、カレンさんの楽曲に対して声のトーンを寄せていく能力の高さは凄いですね。ノドの制御の巧みさと申しますか。もちろん名のある歌手の人は誰でもできていることではあるんですが、群を抜いていると思います。曲想に対して自然でありまして、もう歌いだしから聞く人が判断するよりも早く「あ、メッチャ落ち着いた曲なのね」とか曲の道筋がそれはもうハッキリしてます。迷わず音楽に入り込めます。こうしたテクニックって音楽を伝えていく上で本当に大事なことなんだって学べますね。