今日から半月ほど、来年の干支である“龍”の練習をしようと思います。
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日記的な記述です。
ブログ用イラストの量産をしているんですが、妙に快調でありまして、いきおいにまかせて描きまくっていたらブログの更新時間も忘れて、気づいた時にはきょう聞いたラジオ番組のことなどを書く気力が枯渇していたという次第です。ねむいです。これで失礼いたします。
今日から半月ほど、来年の干支である“龍”の練習をしようと思います。
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日記的な記述です。
ブログ用イラストの量産をしているんですが、妙に快調でありまして、いきおいにまかせて描きまくっていたらブログの更新時間も忘れて、気づいた時にはきょう聞いたラジオ番組のことなどを書く気力が枯渇していたという次第です。ねむいです。これで失礼いたします。
歌を歌いながら歩いている3匹の猫さんたちのイラストです。
みんなで長いマフラ-1本を共有しているようすです。
NHKラジオ第1でつい先月まで放送されていた午前中の番組「らじるラボ」で耳にしたお話が着想の元になっています。
演歌歌手の伍代夏子さんがまだ中学生くらいだったころに仲の良い友達と学校の帰り道によく歌を歌っていたというお話。
長いマフラーは伍代さん自作のものであったとか。
とてもかわいらしエピソードでしたのでいつか描こうと考えていたものです。
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以下は日記的な記述です。
めずらしくお昼過ぎに重い荷物を運搬しました。
明日は朝から雨が降るようですので前倒しで買い物を済ませました。
いつもと勝手が違ったせいなのか、忘れ物をしてしまって一旦自宅に戻ったりしました。
良い運動になりましたがやっぱり疲れちゃって。今日は早く寝ようと思います。
古典的な宇宙人さんを描きました。
タコ型宇宙人です。
もう相当に古いイメージですね。楽しいなと思います。
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ラジオでフォークミュージックの歴史や変遷などのお話を聞きました。
NHKラジオ第1「ふんわり」にて。
主に日本におけるフォークの歴史といった感じだったでしょうか。
カレッジ・フォークとニューミュージックに挟まれたアングラフォークに力点があったように思います。
高石ともやさんがカレッジフォーク的なものに批判的な立場だったというのは初めて知りました。
私が高石ともやさんに関してリアルタイムで接した情報というのは「あの高石さんが最近はマラソンを始めました」とかそういう芸能ニュースでした。まだ私が全然子供だった頃です。生命力の強そうな人っていうイメージですね。
番組としては木曜日の番組パーソナリティーである俳優の六角精児さんを中心にする感じではあったんですが、六角さんがお金儲けにお忙しいということで「やってられるか」という捨て台詞を残してスタジオを退席。かわってゲストでいらしていた、なぎら健壱さんが後半は主に発言するという形でした。
おどろいたんですが、なぎらさんが最初はわりと爽やかなカレッジ・フォークよりの歌を楽しんでいたというご自身の弁。だったのだが後に高石ともやさんの音楽などに触れて激変したという経過だったみたいです。URC関連の音源とかですね。
私の認識では、なぎらさんの最初の方って中津川フォークジャンボリーに最初はお客として、その次には演者として参加したみたいな感じでかなりもう最初っからディープなまぁやっぱりピート・シーガーだったりボブ・ディラン。ウディ・ガスリーみたいな源流を持つそっちの方だと考えていました。
しかし年齢的な成長なんかもあるでしょうから最初は放送なんかで知りやすいカレッジ・フォークから。そして長じてより深いところに達したという感じなのかもしれないなと思います。かえって両面知ってるわけで悪くはないんだろうなという感想。
最後の方では道谷眞平アナウンサーも加わって、フォークその他の話題が膨らんで終了という感じでした。
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フォークソングの来歴について色々と知れて有意義でした。細部がはっきりしてきたというか、自分の中では組み変わる部分もあって、認識を新たにしました。
番組を聞いてから自分で調べてみたりましたが、小室等さんによる「フォークは最初はアメリカンポップスの一部として入ってきた」という言葉ですね。この発言だったりは以前にも聞いていたような気もするんですけど、商業ベースの方から日本においては染み込んでいったということなのです。それで最初はカレッジ・フォークが立ち上がったという構造がようやく飲み込めた感じです。浜口庫之助さんとかが作ってましたからね。なるほどねぇ。
私は東京の西新宿というところに住んでいたことがある都合上、新宿駅から出た地下の広場みたいな場所は日常的に歩いたりしていたんですけど、時折「この広い場所でフォークソングを多くの若者たちが歌ってたりしてたんだよなぁ」みたいなことが浮かんできて、今は昔ね。みたいな過去と現実がダブる感覚を感じていたことなんかを思い出しました。政治的にどうこうっていうのに加えて日本のユースカルチャーの発生みたいなものもないまぜになっていたのかなと想像します。日本という国が若かったということなんでしょうか。
ブログの更新が遅くなりました。
会議に出席してきました。小学校区の「まちづくり協議会」の関係です。
4月からの新体制が始まりまして、しかしノンビリしている時間もなくて、夏祭りに向けての準備から始まるといった感じです。
今日はお祭りの会場となる商店街の代表の方から、出店する人たちの意欲や気持ちなどを伺いました。
スポーツ推進委員の方からは、秋に予定されているズポーツフェスティバルについての参考になるような意見を伺ったという次第です。