「イラスト」カテゴリーアーカイブ

カムイサウルス帝国〔03〕

 よりマンガっぽく描いたカムイサウルスさんのイラストです。

 形状の省略化と描線の単純化を行いました。

 私の気持ちとしてはかなり気に入っています。これはバカバカしくなってきました。

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 そもそも、なぜカムイサウルスの練習を始めようと思ったのか。その動機なんですけど、ネット上でいろんな想像図を見てみたら、「イイ顔をしている恐竜」だったからです。

 本日の当ブログでの上掲イラストでは、その「イイ顔っぷり」をさらに推し進められたのではないかと手応えを感じています。

 もっと生き生きと描けるようにがんばりたいです。

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 きのうはブログを更新せずに寝てしまいました。

 すみません。

 イラストのラフ作成のお仕事を終わらせたらもうフラフラ。

 起きていられませんでした。

 しかしラフイラストの仕上がりはわりと良いものができたと思います。

 きょうは何度か自分で見返して楽しみました。

 かわいらしく描けたと思います。

 子どもたちが教室でタブレットを用いた学習をしているイラストのラフ作成などでした。

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 今日は重い荷物の運搬をしました。

 通常の運搬以外の作業でありまして、点数は少ないのですが特に重いものを運びました。お米など、全部で15キロほど。

 いつも行くスーパーマーケットですけど、今日はあまり見かけないくらいの混雑でした。家族連れが多かったせいでしょうか。連休中だからなのかもしれません。時刻的には開店して間もない早い時間。

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 帰り道の途中でひとつ用事を済ませました。

 今年の「夏祭り」で演奏してもらおうと考えている大正琴グループのリーダー宅に寄りました。

 同じ町内会の人です。

 つきあいは長いんですが、考えてみれば私から連絡したことがなくて、電話番号を知りませんでしたのでお宅に伺いました。

 今年の夏祭りはステージ(舞台)を設置しない方向で話が進んでいるんですが、それでもよければご出演をお願いします。という申し入れをしました。

 快諾いただき、ついでに出演する際の予想される人数や自動車の台数などの情報も聞いてきました。これで当日に必要とされる机や椅子の台数がわかりますし、駐車場の規模などに関係する数字の把握に役立ちそうです。

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 午後は疲れてしまって5時間近く眠りました。

 これから「スポーツ・フェスティバル」の書類を関係者に送ったり、それと去年の「まちづくり協議会」の書類などを全部電子化して題名をつけて整理してしまおうと思います。

 眠くなるまで書類整理です。

 マイルス・デイヴィスさんの音楽を聴きながらがんばろうと思います。

 5月1日からずっと聴いてますね。

 今日はまたもや「パンゲア」「アガルタ」一気聞きに挑もうと思います。

 もともとは悪のラジオ番組「ジャズ・トゥナイト『キース・ジャレット特集』」を聞く前段としての準備としてデイヴィス音源からジャレット氏参加の音源を確認する作業をしていたんですけど関係なくなっちゃって。

 おとといからきのうにかけては「コンプリート・ジャック・ジョンソン」一気聞きを実行してしまいました。これがCD5枚組とかで、私は基本的に好きな曲とそうでもない曲を選別してあるので「良いな」って曲だけ聴くんですが「コンプリート・ジャック・ジョンソン」に関しては2曲ほどを除いて全部好きなんで聴き通すにも時間がかかります。

 やはりジョン・マクラフリン氏のエレキギターが素晴らしいんですよ。

 私はリフものが好きなんで演奏自体はマイケル・ヘンダーソン氏の弾いてるフレーズの方なものが多いと言えばその通りなんですが。

 「コンプリート・ジャック・ジョンソン」はもう少し聞き込んでも良いなって思うんですが、聞こうと思うと1日かかるのが難点ですね。「セラー・ドア・セッションズ」なんかについても私は全貌をつかめたとはまだ言えません。こっちも長くてね。こういうのは私の場合やっぱりイラストのお仕事が入っている時にドドドと聞くのが良いんですが。

 とにかく今日は「パンゲア」「アガルタ」でピート・コージー。レジー・ルーカス。マイケル・ヘンダーソン。ジェームズ・エムトゥーメなんですよ。他はドラムがアル・フォスターさんなんですね。あとソニー・フォーチュンさん。

 ネット上の記述によるとデイヴィスさんってこの来日時、48歳だったんですね。まだまだ若かったんですね。そうなんだ。いやーすごいな。

 そうだ。思い出しました。アル・フォスターさん。この人は私の中では包容力のある演奏スタイルというか「みんな俺の太鼓の中でガンガン演奏してちょうだい!」っていうタイプじゃないかと思っています。ダイナミズムと安定感っていう感じだったと思います。

 マそのへんも「パンゲア」「アガルタ」で確認したいなと思っています。

カムイサウルス帝国〔02〕

 カムイサウルスさんの顔を捉えたイラストです。

 口の先の色が濃くなっています。どうやらカムイサウルスには「クチバシ」があるようなのです。

 草などを食いちぎるのに役立ったんだと思います。

 ブチブチッと食いちぎって、奥歯でゴリゴリと、かみつぶしていたのでしょうね。

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 イラスト化するにあたってクチバシを強調しています。

 昔の金属製の洗濯バサミに、挟む部分が広がっているものがあったんですけど、そうした感じです。

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 頭には「とさか」があったのでは、とする説が有力なんだとか。

 楽しいですね。私のイラストにも反映しました。

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 手持ちの音源からマイルス・デイヴィスさんの音楽を続けて聞いています。止まらなくなっちゃいました。

 悪のラジオ番組「ジャズ・トゥナイト」の「キース・ジャレット特集」を聞くその前段、下ごしらえとして、ジャレットさんの演奏を聴いて確認しようというつもりだったんですが、「ビッチェズブリュー・ライブ」から「ブラック・ビューティー・ライブ」に続けてしまったのが運の尽きというか。こちらの「ディレクション」っていう曲におけるチック・コリアさんのエレピがとてもすごい。今は「セラードア・セッションズ」から数曲聴いたのちに「コンプリート・ジャック・ジョンソン」を聞いています。これ特にエレキギターにワウかけた音が好きな人にはとても良いと思うんですよね。別にジャズを毛嫌いしている私のような方でもロックが好きであれば聞けると思います。音色的には歪んでますしね。リフものでもありますし。

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 お仕事的にはイラストのお仕事をがんばっています。原稿を見落としていたラフ作成の数点。明日の午後にはなんとかしたいです。

カムイサウルス帝国〔01〕

 「カムイサウルス」という恐竜の練習をしていこうと思います。

 本日より1ヶ月ほどの予定です。

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 今回も「顔の描写」からはじめて、しだいに慣れていこうと思います。

 今日のイラストは頭蓋骨の化石です。

 明日のイラストで肉付けします。

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 カムイサウルスさんとは?

 別に私はくわしい人間ではないのですけど「こういう恐竜なのかな?」と私が思っていることをまとめてみました。

 ヒマで仕方ないという方は読んでみるのも良いかもしれません。

 発見されたのは、北海道の真ん中寄りの南側。「むかわ町(ちょう)」だそうです。

 だいたい全身の骨格が見つかっているので、「昔、ちゃんとこういう恐竜がいたよ」ということが判明しているようです。

 分類としてはハドロサウルスというグループの一員ということです。

 植物を主に食べていた恐竜。その中でもカムイサウルスは海辺に住んでいたということです。

 草食恐竜の仲間には、胃の中に消化を助ける「胃石」を持つものが多いのですけど、カムイサウルスの胃の中に石は入っていなかったそうです。

 ハドロサウルスのなかまは立派な奥歯を持っていて、ゴリゴリとすりつぶして飲み込んでいたようなのです。

 全長8メートル。体重5トンとかの、体の大きな恐竜ですので、食べる量も多かったと思います。

 私のイラストでは(想像ですけど)、「いつもクチをモグモグさせている動物」として描いていこうと思います。起きている間はずっとなにか食べているイメージです。

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 「子ども科学電話相談」で恐竜の先生を務める、北海道大学教授の小林快次(よしつぐ)さんによりますと、海のそばというか浜辺に住んでいたカムイサウルス氏が洪水か何かで押し流されて海の深いところに沈んでいったのではないかということで、ご遺体の上にさらに土砂などが押し寄せたんでしょうか。結果、非常に良い状態で発見されたというイキサツなのでは、ということです。

 恐竜の化石って内陸で見つかるものが多い傾向にあるのだそうですけど、こと日本において見つかる化石というのは海岸線から出るものが少なくないそうで、恐竜が生きた時代を知る上で日本から出土した化石が果たす役割というのはとても大きいのではないか。というお話もラジオで聞きました。海辺にいた恐竜の生き方を示す証拠になりそうだと思います。

 では具体的にどんな生活をしていたのかというと、グループで生活していたのではないかということです。“群れ”です。肉食の恐竜という捕食者への対策だったのでは、という見立てのようです。

 私の個人的な想像としては、そうなるとおそらく個体間のコミュニケーション能力であるとかは発達していたのではないかと思います。

 恐竜の鳴き声が、鳥に近かった可能性がある。という研究成果があるということなんですが、そうなると、単独でいる恐竜よりも群れで暮らす恐竜のほうが、意思疎通の面において、けっこう細かい情報のやりとりもしていたんではないかと、そういう可能性があるんじゃないかと思います。

 恐竜たちの生き方の一端ですね。想像ではあるにせよ、かなりリアルに浮き上がってくる感がします。一番多用されていた声情報は「おなかすいたー」「そうだねー」ではないかと私は思っています。

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 個人的な音楽聴取メモです。

 NHKのラジオの「聞き逃しサイト」を監視していたら悪の番組「ジャズ・トゥナイト」の先週土曜深夜で取り上げたのはキース・ジャレット氏であるようです。月イチ企画の「ジャズ・ジャイアント」です。

 悪のジャズ音楽家列伝を知る上において有益なシリーズ企画ですが、よく聞かれている曲は今更かからない傾向にある企画でもあります。

 私とジャレットさんの接点なんてマイルス・デイヴィスさんのエレクトリック期しかありません。その中でも2年くらいなんでしょうか。ジャレットさんが在籍したのって。ドラムのジャック・ディジョネット氏であるとかベースのマイケル・ヘンダーソン氏なんかは結構長い印象がありますけど、ていうか超名盤に多くクレジットされているからかもしれませんけど、マしかし「エレクトリック・マイルス(期)」であれば私も30枚近く持っています。そんなに熱心なファンでなくてもこれくらい集まっちゃうところがすごいところなんですよね。重要な作品が多いのと単なるロックファンでも聴けるところですね。

 悪の番組「ジャズ・トゥナイト」を聞く前に私の好きな曲の数々におけるジャレットさんの演奏を確認して足場を固めようと決意いたしまして。今日の午後からは「エレクトリック・マイルス」しか聞いていません。まぁあらためてジャック・ディジョネット氏がすごいんですけど、「フィルモア・イースト」。ジャレット氏の演奏もすごいです。ネット上の文章を読むと「再びデイヴィスさんと演奏するのを熱望していた」とか書かれてますけど、もしかしたらデイヴィスさんと演奏するときにしか開かない門みたいのがあったのかなと思います。以前にジャレットさんの有名なライブ演奏の「ケルンがどうした」みたいなタイトルの盤をネットの動画サイトで聞いたんですが、全然これが違うんですよね。「あらま」って思いまして。きれいはきれいだけどね。つまりおそらくジャレット氏個人としての音楽表現は違う良さがあったんだけど、それとはまた違う面。おそらくそれがずっと残っていたんだろうな。心残りだったのかなという感想です。それを実現できるのはマイルス・デイヴィス氏のバンドだったのでしょうかね。まぁ強烈ですからね。

 あとは「ビッチェズ・ブルー・ライブ」も聞きました。素晴らしいんですが、チック・コリアさんも弾いているという豪華な布陣だったみたいでどっちがどっちなんだか私にはわかりません。

 他にも手持ちの音源「ゲット・アップ・ウィズ・イット」の「ホンキー・トンク」などを聞きました。これってハービー・ハンコックさんも参加してるんですね。そうなんだ。こっちもわからないですね。

 実はちょっと前に「アガルタ」と「パンゲア」を聞き返したところだったんですけど、やはりこの辺は何度聞いても良いですね。

 マ以上のようなわけでして、悪の放送番組「ジャズ・トゥナイト」を仔細に監視する作業はまた明日にでもしようかと思います。

 そうだ。聞き返したといえば、別の機会の過日のことになりますが、アルバム「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」を聞いたんですよね。前にも書きましたけどこれは私の若い頃の友達の遺品でありまして。借りたまんまだったんですけど死んじゃって。私が貸したバート・バカラックさんのベスト盤は遺品整理していた親族の方から送って返してもらったんですが、「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」は私の手元にあるままです。

 いつの間にかアルバム全部通して聴けるようになってしまいました。なじんできたんですかね。

 その友達というのもイラストレーターでした。私はイラストレーターの友達というのがかなり少ないので貴重な存在だったんですけど、要するに貧乏をこじらせて体を悪くして死んじゃったみたいです。死因としては心臓の不調だったみたいですけど。

 イラストレーターしかできないっていう人がいるんですよね。

 私はそうではなかったと様々な体験や職種を通して知りました。細かいことを気にしない(気にできない)大ざっぱな性格と、意外に丈夫な体のおかげだと思います。まぁイラストレーターって普通は繊細な性格をしていますからね。私が少数派なんですよね。

 時たま「今生きてれば人生楽しかったよ。きっと」であるとかその友達に向けて話しかけたりするんですけど、結局のところわからないですね。

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 お仕事メモです。

 先週から忙しくしているのは当ブログの記述でも明らかなんですが、そんな中でも意外とうまく計画通りに進められていると思っていました。

 ところがそれが全然そうじゃなかったことがわかりました。間違えていました。私が。

 先週に入ってきたイラストの仕事の原稿の一部を見逃していました。

 手つかずの原稿があったというわけです。

 いそいで仕事をしています。明日かあさってにはできると思います。

 そんなわけで明日もおそらく大量の音楽を聴きながら目を三角にしてイラストを描いていると思います。

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 今日は「まちづくり協議会」の会議もありました。「夏まつり」に向けての話し合いです。

 段々とおさまる感じになってきたかなと思います。

 しかし今まで多くを担っていた人たちが抜けた後ですので、当日は大変なことになったりしてね。

 とにかく事故を起こさない。これがとても大切。

 まだまだこの先、たくさんの会議があります。忙しいんですよね。やれやれ。

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 今日は午前中に重い荷物を運搬する作業も行いました。

子&その他どうぶつ帝国〔30〕

 こどもたちが「おみこし」をかついでいるところです。

 「おみこし」は金魚をあしらっています。

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 半月ほど前になりますか。14日の当ブログにおいて、「歌手の伍代夏子さんが子どもだった頃に下校時に歌を歌って帰っていた」というお話から着想を得たイラストを描きました。下に再掲いたします。

 ちょっと調べてみたんですが、伍代さんが育たれた場所というのは鉄道の駅で言うと、東京都の代々木上原とかそんな辺りなのだそうです。

 本日のブログ用イラストは、私の知る代々木上原の行事とか思い出みたいなものを描いてみました。

 「代々木八幡」という、けっこう古くからの神社なんだそうですけど、そこで近年より行われている「子ども向けのお祭り」というのがございまして、正式名称は知らないんですが、「金魚まつり」ともいうべきお祭りです。つまり本日の冒頭のイラストなのです。

 私が以前に西新宿に住んでいたというのは、当ブログ上において度々記述しておりますが、特に3丁目に住んでいた頃ですね。ひんぱんにポスターを見かけました。

 「どんなお祭りなんだろうか?」と思っていました。あとでわかりましたけど、子ども向けなんでポスターも可愛いく作ってあるんですよね。

 私自身が可愛らしいものが好きなんで、引き寄せられるように行ってみた。という、そういう次第なのです。

 地理的にいうと「西新宿3丁目」と「代々木上原のあたり」って隣接していませんが、2キロくらいの距離です。

西新宿3丁目。かつての自室の窓からの風景です。このあとに100メートルくらい東にあるビルの1室に引っ越したりしたという私の西新宿3丁目時代です。

 「東京オペラシティの交差点」から、山手通りを南下していくと小田急線と交わる。たぶんそのあたりが「代々木上原」なんじゃないかと思います。道を歩いているとちょっと小高くなっていて右側が開けていて「たくさんの人が住んでいるな」って思う場所なんですよね。私的には。

 この小高くなっているところの頂点とかだったと思います。「代々木八幡」があります。

 やっぱり昔からある神社は地域の中でも小高い場所に存在するっていうのがあるみたいで。千駄ヶ谷の鳩森神社もそうでしたけど、私が東京に住んでいた頃の活動範囲の神社っていうとそんな感じですね。活動範囲が狭かったのでなんとも言えませんが。お金がなくて主に徒歩だったんですよね。私の東京時代って。自転車すらなかったと書けばその困窮ぶりが伝わるかもしれません。

 下のお写真は、私が「金魚まつり(仮称)」に行った際の1枚です。

すべてが終わった後の神社。真っ暗でした。中央のしめ縄の下に1対の金魚がぶら下がっています。

 タイムスタンプを見るとちょうど20年前の5月のことだったようです。もうそんなになるんですね。

 じつは私。「金魚まつり(仮)」には2回行っています。

 今回掲載している写真はすべて1回目に行った際のものです。

 「お祭りといったら夜」っていうイメージを持って行ってみたんですが(子ども向けのお祭りだというのが理解できていなかったのです)、誰もいなくて「あらこれは間違えた」と思いました。

こちらがその金魚。ちょうちん状に作られています。可愛らしいんですけど、なんともいえず恐ろしかったです

 今日は文章が長くなりました。この翌年にも「金魚まつり」に行ったんですが、その際のお話はまた後日にでも書こうかなと思います。

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 日記的な記述をします。

 私が関係する「まちづくり協議会」のための資料を作っています。きのうも書いた通りですが、「スポーツ・フェスティバル」開催についての草案というか原案というか。

 なんとか今夜中に仕上げようとがんばっています。

 今、ふと思ったんですが、20年前にお祭りを眺める立場だった私が地元に帰ってきて、なんの因果か、お祭りを運営する方になっているんですね。ナゼ俺が……。けっこう複雑な思いがありますけど、なるだけ良くしたいと思っています。