「イラスト・むし」カテゴリーアーカイブ

ゴ×××帝国〔24〕

  ヒーローアニメなんかによくあるラストシーン的なイラストです。

 「よかったよかった」とか「一件落着」みたいな感じですね。

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 ラジオ日記です。

 俳優の六角精児さんご選曲による鉄道ソングの数々を聞きました。

 パット・メセニーさんのバンドの「ラスト・トレイン・ホーム」という曲では列車が線路の上を走る音をブラシ奏法で見事に再現していて驚きました。

 エルヴィス・プレスリーさんの「ミステリー・トレイン」ではギャロッピング奏法の解説あり。私もちょっと試してみたことがあるんですが歯が立ちませんでした。いつか弾けるようになりたいです。具体的にはビートルズでのジョージ・ハリソンさんによる「オール・マイ・ラヴィング」の間奏です。この曲はレノン氏による伴奏の3連譜もあのニュアンスを出そうとするとかなり難関で。土屋昌巳さんなんかはわりと簡単に最初から弾けたとか聞いたんですけど。言いぶりからするとまだ地元・富士市にいた頃だと思うんですよね。

 別に番組内ではビートルズはかからなかったのですが、モンキーズがかかりました。

 「ラスト・トレイン・トゥ・クラークスヴィル」。

 詩の内容を六角さんから教えてもらえました。反戦歌のおもむきもあるんだそうです。

 またよく言われることですが、「モンキーズは演奏できたのか?」という話題についてもひとくさりありました。これについてはジ・アルフィーの坂崎幸之助さんのラジオを録音したものがネットの動画サイト等で参照できると思いますが、その内容で信頼の置ける演奏者の方がかつて彼らの演奏に随行した際の証言がございまして、それによると「3コードの曲なんかはけっこうウマい」だそうです。ただポップス寄りの若干難しいコードになると弾けないのだろう、音源を流して当て振りもあったのかな、みたいな感じのおっしゃり方だったと思います。主旨としては意外な演奏力という文脈だったと思います。

 ウッディ・ガスリーさんの曲もかかりました。フォークソングにおけるプロテストソングの意義というか、重みというか、六角さんの思いとしては、こここそが本質ではないかと熱弁されていました。

 あとローリング・ストーンズにおけるミック・テイラー氏の名演も聞きました。これはロックとかを聞く人ですと誰にも否定できないというか「ありがとうございます!」って拝聴するしかないですよね。ミック・テイラーさんの後ろに万単位のギタリストが「オレもこれはコピーした」っていう勢いで連なるといった存在です。

 以上のような感じでした。六角さんは舞台のお仕事のため、番組を中座して仕事場に向かったのですけど、プロテストソングの来歴のあたりは聞き応えがありました。

 番組の最後の方で、ザ・ブームの楽曲「中央線」を聞きました。

 番組を聴き終えた後、個人的な音楽聴取としてザ・スターリンの楽曲「STOP JAP」をネットの動画サイトで聞きました。歌詞の中に「中央線はまっすぐだ」という一節があるのです。

 やっぱりくつろぎますね。家に帰ってきたような思いがいたします。

 近況に入りますが、非常にたくさんのシンセポップを聞いて整理する活動をイラスト作成のかたわら進めているわけですが、ちょっと疲れましてですね。

 きのうの晩は手持ちのパンクロックソングを片っぱしから聞いて心の安静を得ました。そんな最近です。

 本日のブログ更新の後はモーターヘッドによる「トレイン・ケプタ・ローリン」のカバーを聞こうと思います。

ゴ×××帝国〔23〕

 涙の邂逅という感じのイラストです。

 ちょっとおもしろくまとまったと思います。

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 お昼にNHKラジオ第1で「ひるのいこい・70周年スペシャル」を聞きました。

 今日はアナウンサーの人が3人も集まって進行するという珍しい番組作り。

 歴史的な紹介もありました。

 「ひるのいこい」の前身番組「農家のいこい」が昭和24年から。GHQによる食糧増産の施策の一環であったとのご紹介でした。各地に農業普及指導員を置き、その人たちの報告を「列島リレー」的に放送するというような基本的な構造。お昼の休み時間に農家の人たちがその情報を共有し休憩明けにはまた作業に励むというような狙いがあったようです。

 知りませんでした。

 「ひるのいこい」に番組名が変わったのが昭和27年。いわゆる「主権回復」の年と申しましょうか。サンフランシスコ平和条約発効。象徴的なものを感じます。むしろこの年は沖縄が奪われた年と言っても良いのだと思います。カッコ付きの主権回復なんでしょうけど、新たな日本国のはじまりだったんですね。

 番組の中では復員後に健康の優れない夫。姑と子供達を抱えて大変な中で「ひるのいこい」のラジオ放送を聞いてとても心いやされた、そして今でもラジオをポケットに入れて農作業していますというようなリスナーからの声も紹介されました。

 歴史ある番組でも聞かれなくなってしまっては存続が難しいと思うんですが、今も続いているというのは、こうした激しくも淡々とした日常に求められる多くの人たちのいこい。となりえているから。だろうなと思いました。

 あと30年続くと100周年であるわけですが、ぜひ私も生きてその日を迎えたいものです。

ゴ×××帝国〔21〕

 クロゴキブリさんの“杖”が光って電撃的な攻撃をヨロイモグラゴキブリさんに加えているようなイメージです。

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 “杖”っていえば思い出したんですが、松平頼暁さん作曲のテープ音楽「杖はひるがえり」という曲があるのです。

 今この文を書きながらネットの動画サイトで聞いています。題名だけは私が20代の頃に知ったものですけど聞くは初めて。

 これは面白いですね。1970年の作品。私が4歳の時ですか。

 初めの方に笑い袋という玩具の声が収められていますが、私が個人的に人生最初の笑い袋との出会いを果たしたのも確か4歳の頃でした。きっと当時に流行していたんですね。

 それはともかく曲としての概要なんですが、宇佐見英治さんの詩の朗読が骨格をなす5分程度の曲でした。

 電子音が印象的に使われていますが少なめの使用にとどまっています。その他は現実音、それと歌謡曲の大胆な引用が配置されているという感じ。朗読劇っていうおもむきも濃いです。

 こういう感じの曲だったんですね。感激です。

 詩の内容としては神に呼びかける、問いかける、その存在について疑問を呈する。しかし肯定もできず否定もしない。やがて神と人間。その置かれた位置を明らかにしていく。差異を明らかにしようとする。ここまでが前段。後段になると私には意味が読み取れない、ただ安寧な風景の描写であるのかなという気がします。常就救済という言葉で終わる。大きなビジョン。全体を改めて眺めますと、個的な内面における問答から宇宙的なスケールにまで広がる詩の内容でした。

 かなり明確に宗教的な内容の曲でした。「杖はひるがえり」。まぁなんとなく宗教っぽくあってもおかしくはないかなという予感はわずかにあったものの、ド直球で迫ってくる内容とは全く想像していませんでした。

 現実音の内容は主に人間世界のスケッチとして用いられていたようです。当時の風俗が多く盛り込まれていて、先月に当ブログで書きましたが一柳慧さんの「東京1969」。そこで書き残したことでもありますけど、同じような「湿気」を感じます。「汗」と「人いきれ」が渾然一体となったその様子。松平さんのこの曲においては「聖」と「俗」における地面に近い方「俗」のありよう、舞台背景っていうことなのかなと思いました。

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 以下は日記的な記述です。

 先週から取り組んでいた年賀状の図案が完成しました。

 思っていたよりも可愛らしいものができたと喜んでいます。

 色彩計画も立てようかと思ったんですが、色合いとしては比較的にシンプルな内容ですので、これから清書に移った際に作りながら色彩を与えていこうかと思っています。下書きが案外ウマくいったので、完成させるのが楽しみです。特に踊っているドッグ氏のポーズがウマくいきました。ドッグらしい無邪気さが動作によく投影できたのではないかと考えておりまして。それだけで非常にうれしいです。

 これから別の年賀状の図案を考えようと思います。こちらは自分用です。

 可愛らしくも、いじましい(ちょっと哀れな)変な感じにしようと思っています。

 こちらも楽しみです。