「イラスト・むし」カテゴリーアーカイブ

アニメ化帝国〔マツモムシ(02)〕

 きのう掲載した音楽(カラオケ)につけた詩です。

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 「針状口吻(はりじょうこうふん)マツモムシ」

 背泳ぎしながら眺める

 お尻で息をする

 背泳ぎしながら眺める

 ギンギン目を凝らす

 探査中 探査中 探査中 探査中

 探査中 探査中 探査中 探査中

 エ~モ~ノ~ エ~モ~ノ~

 エ~モ~ノ~ エ~モ~ノ~

 針状 口吻 つき さして

 送り込むンだ・ダ・ダ 消化液

 針状 口吻 つき さして

 送り込むンだ・ダ・ダ 消化液

 ドロドロの ドロドロの ドロドロの お肉

 ドロドロの ドロドロの ドロドロの お肉

 ホールド ホールド

 ホールド ホールド

 (2番の歌詞は基本的に同じ内容です)

 背泳ぎしながら眺める水中

 お尻で息をする

 背泳ぎしながら眺める水中

 ギンギン目を凝らす

 探査中 探査中 探査中 探査中

 探査中 探査中 探査中 探査中

 エ~モ~ノ~ エ~モ~ノ~

 エ~モ~ノ~ エ~モ~ノ~

 針状 口吻 つき さして

 送り込むンだ・ダ・ダ 消化液

 針状 口吻 つき さして

 送り込むンだ・ダ・ダ 消化液

 ドロドロの ドロドロの ドロドロの お肉

 ドロドロの ドロドロの ドロドロの お肉

 ドロドロの ドロドロの ドロドロの お肉

 ドロドロの ドロドロの ドロドロの お肉

 ドロドロの ドロドロの ドロドロの お肉

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 以上となります。

 池に住む水生昆虫である「マツモムシ」の生態についてまとめて詩にした。というものであります。

 内容としては昆虫学者の小松貴(たかし)さんがNHKのラジオ番組で語ったことが大部分です。

 具体的には、カルチャーラジオ・科学と人間「虫たちの不思議な世界」第6回「水生昆虫の明日」からです。もう4年くらい前の番組かもしれません。

 全部で12話あるんですけど、私的に録音しておいたので聞き返しています。

 内容としては、小松さんの体験に根ざしたもので、まだ小さい頃に自宅近隣の緑地公園の池にいるマツモムシ10匹ほどをお父さんに頼んでアミですくってもらう。ピチピチと元気よくはね回るマツモムシ10匹ほどを素手で握りしめる小松少年は失神。さされたのです。気づくとお父さんが必死の形相で水道水を手にジャバジャバとかけてくれていた。というものです。

 大人が1匹のマツモムシに刺されただけでも七転八倒するということですので、体の小さな子供にとってのたくさんのマツモムシの毒液注入が非常に危険であることは間違いないでしょう。

 非常に訴求力に富む体験談ですので、おそらく小松さんのご著書などでもされているお話なのではないかと思います。

 おどろくのは人が住むごく近所にそのような危険な虫が生息しているということなんですけど、その他にも興味深い点が多いムシです。

 そんなことがら、体外消化であるとかの要素、をまとめて、私が過去に作った自作曲にピッタリくるような詩を構成しました。

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 できあがりにはけっこう満足していますが、なんといっても「針状口吻突き刺して 注ぎ込むんだ・ダ・ダ 消化液」のくだりですね。

 単に文字数が合ったというだけでなくて、マツモムシが行う捕食者に対しての冷酷無比な態度までも表現できたのではないか。曲調も含めて。と感じています。

 音楽の中にマツモムシの佇まいまでもを封入することに成功できたのでは………と、若干大げさではありますけどつい自画自賛しちゃいます。かなりうまくいった部類です。私の場合。

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 マそんな次第でありまして、本日は「マツモムシの歌」につけた歌詞の掲載でありました。読んでくださって、ありがとうございます。

 明日はアニメのラフ・スケッチを公開する予定です。まだできてないです。大変です。

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 以下は日記的な記述です。

 明日から数日、雨が降るそうです。台風が近づいているんですよね。かなり強く降りそうでありまして、風も相当ありそうだと。

 そこで今朝、スーパーマーケットに行ってちょっと追加の食べ物などを買ってきました。

アニメ化帝国〔マツモムシ(01)〕

 本日から新しい自作曲について始めます。

 きのうまでと同様に、最終的にはアニメをつけるつもりです。

 しかし私の個人的な事情なんですが、生活における時間的な余裕がなくなっておりまして。別種の作業が山積しているのです。こちらも進めないとヤバくてですね。

 そこでブログ活動としては、きのうまでの「デメニギス・アニメ」よりも、いくぶんペースを落として「極力、小出しにして」進めます。

 よろしかったらお付き合いください。

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 そんなわけで本日は音楽(カラオケ)だけの掲載です。

 3年くらい前に作った音楽を少し改良しました。

 タイトルは「針状口吻(はりじょうこうふん)・マツモムシ」です。

 改良点は主にイントロの部分です。

 今はアニメ作成に集中したいので、音源におけるちょっとした変更なら放っておいてアニメ作成を優先させたいのですけど、イントロとなりますと、アニメができた後では変更作業が二度手間になりそうです。

 そこで、ちゃんと取り組んで「一応できたぞ!」ってところまで追い込みました。

 もう少しアニメ作成に影響の無い部分を改良するかもしれませんが、ちゃんとした音源はアニメができたときに、きのうのエントリみたいな感じでアニメに付随したものとして掲載しようと思います。

 以前はこの曲って「とったと」という、なんのひらめきも無いタイトルでした。

 よく調べたらこの曲については初公開です。

 公開していたつもりでしたが、過去記事を探しても出てきません。イントロがいまいち気に入っていなかったので公開を控えたのかもしれません。

 カンちがいしましたが、それよりもアニメ作成を急がないとマズいので、自分の記憶力の不鮮明さなど、その他のことは忘れようと思います。

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 詩については明日、掲載いたします。

 楽しい内容になったと思います。

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 以下、日記的な記述です。

 朝の8時より、町内会のお仕事をしました。自主防災会の関係。救護班として倉庫内の備品の点検などをしました。

 30分ほどで終わりました。まださほど暑くない時間でしたので動きやすかったです。早く終わりましたので、その後の生活への影響も少なく済みました。

 参加率もわりと良かったと思います。全員じゃ無いにしろまぁこんなものでしょう。

 そうだ。以前に私が住んでいる町内会の自主防災会において、無線関係のお世話を某大家の漫画家さんにゆかりのあるお店に依頼していると当ブログにおいて記述しました。

 今日、壁際に置いてあった書類をなんの気なく眺めてみたら、無線の基地局かなんかの許可証みたいなものだったんですけど、期限が平成31年とかで切れていました。

 どうやら我が町内の防災として無線を活用するのは、やめちゃったのかもしれません。いろんな判断があったのかもしれませんから私から言うことは特に無いですけど。

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 ラジオ日記としては「子ども科学電話相談」の編集版を聞きました。質問を寄せてくれた子どもさんの中から研修者になった実例をふたつ聞いたりしました。やっぱりあどけないお子さんも長じて研究者ともなると非常にしっかりした人格になるのだなと感じます。

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 きのうのラジオ番組ですけど「クラシックの迷宮」は「ラジオ体操の歴史」を圧縮して知るという内容。

 特に興味深かったのは、占領中からそのあとのラジオ体操、とりわけ音楽のあり方について知ったくだりでした。

 番組解説の片山杜秀さんによると「アメリカには日本のラジオ体操というのが全体主義的、軍国的に見えた。そのためラジオ体操にも規制をかけようとした」「しかし日本放送協会としては国民の健康増進が主たる目的であって、そもそもの成り立ちからして健康保険制度に付随するもの。きわめて平和的である」それでどうなったかというと、「マーチ的な音楽で体操することが多かったのだが優雅な3拍子で体操をする。わりとそんな時期が長くあった。」ということでした。

 実例としていくつか音楽を聞きました。「なるほどね」と思います。3拍子というもののカドの無い丸さっていうんですかね。でも朝の眠い時間には腰が砕けちゃうかもしれません。

 数年前のラジオ番組「ニッポン時空旅」でもラジオ体操のことを学びました。そこでは戦中の事情も知りましたが、同時にまだ西洋音楽を扱い慣れていない時期の、そしてまた、みんなで一斉に行う体操というものがよくわかっていない中で生まれた珍品みたいなものも聞けて楽しかった記憶があります。日本人が体操などの集団行動を行えるようになったのは比較的最近ですからね。

 「クラシックの迷宮」の方は比較的長尺ですので、昔の労働環境における労働災害の多さ。予防に努めるという動きだったり願いと言っても良いと思いますけど、そうした人間の営みのあり方も感じられて思うこと多かったです。

 私も若い時期に建設現場であったり自動車工場での組み立て作業に従事していた経験からラジオ体操は割とちゃんと真剣にやる方です。可動域を大きくしてケガ予防ですよね。非常に大事なことですよ。

 しかしそんな国民的習慣もヨソの国から来た人には奇異に見られることも実際あるのでしょうと思いました。

 逆の立場になったとしたらやぱり私だってギョッとするだろうと思います。

 いきなりみんなで「イチ、ニ!」みたいな掛け声が発生したりしますからね。おどろいたとしてムリもないですよ。

銭湯ライフ

 ちょっと古い話になるんですが、NHKのラジオ番組を「聞き逃しサービス」で聞きました。1月の中旬のことですので、いまはもうその音声の公開時期は過ぎちゃっていますけど。

 人気番組「伊集院光の100年ラヂオ」です。

 古い録音素材を聞いていこう! という趣旨の番組なんですが、その回は日本が主権を回復した昭和27年に作られた番組でした。

 「100年ラヂオ」を聞く上で、いろんなことを知れるんですけど、ひとつには、かつて番組制作を監督する立場におけるGHQの(中の一つの部署という)存在があったこと。そうした管理もなくなったのが昭和27年だったということなんだそうです。

 ざっくり言って自由な番組作りっていうことでしょうか。テレビの放送がまだですので、放送メディアはラジオだけで、そのせいなのかラジオ番組制作における力の入れ具合は今とは違う熱量があったのかなという感想もあります。

 具体的な内容なんですけど、本日のイラストには銭湯の番台周辺を描写いたしましたが、その通りというか「お風呂」にまつわるものでした。

 「今まで銭湯通いだったけど、おウチにおフロができたよ!」という一家の新しい日常の風景。これは一般リスナーである、この場合は小学生の男の子が作文をNHKに送り、その内容をラジオ劇にして放送するというものでした。これが大変にホノボノしておりまして、私はかなり好きな感じでした。

 その中で、「位置的に銭湯と離れているため、今までは銭湯通いが大変だった。特に寒い時期、おばあちゃんは足腰が悪いので、銭湯に通う日程も離れがちだった」ということも言われていました。

 昔の東京が背景になるお話でしたけど、当時の東京なんてもうかなり銭湯はそこいらじゅうにバンバン建っていたと思うんですが、地形なんかの条件だったりで離れていたおウチもあったのかもしれません。

 私も東京に住んでいたことがあるんですが、最後の数年をのぞいただいたい20年弱はずっと銭湯通いでしたので楽しく聞きました。

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 そんなワケでここからは私の個人的な思い出に移ります。私は西新宿周辺の銭湯についてはちょっと詳しいですよ。平成の中頃までの限定ですけどね。

 イラストに描きました情景。これは息子さんにほとんどおんぶしてもらうような体勢で銭湯に連れてきてもらっているご老人の姿です。

 誇張ではなく「ヨボヨボ」っていう感じのおじいちゃんでした。

 私の銭湯利用の時刻とかぶっていたのだと思いますけど、よく見かけました。たぶん息子さんは今の私と同じくらいの年齢だったと思いますけど甲斐甲斐しく良く尽くしてらっしゃるなと思っていました。大変に頭の下がる思い。ただもうおじいちゃんとしてはされるがままっていう感じでしたけどね。背中を流してもらったりしていました。

 たぶんこの方たちは距離的には割とすぐそばにお住まいだったんだと思います。すぐそばから来てるみたいで、玄関口でよいしょって体を持ち上げてしばらく道を歩いていくと銭湯の番台、なのかなっていう印象でした。大変そうだけど、息が切れるとかではない。っていう感じだったのです。銭湯の人とも顔なじみでやっぱり丁寧に接されていたと思います。良い人がやってるお店だったんですよね。もしかしたらあれが私の触れた下町の人情とかだったのかもしれないです。総じて私が通ったことのある銭湯ってそんな感じでしたけど。

 具体的なことも書いておきましょう。これは西新宿の4丁目の奥の方っていうか環状6号線に面してはいないんですけど背中合わせの位置でして、大きく申しますと西新宿のバスの駐車場とかロッテの本社。そのそばにスバルの販売店があるんですけど、その道を入って行って奥の角まで行く感じ。今のネットの地図で見ますと立派なマンションが建ってますね。しかし平成の当時でも「ここはむしろマンションとかアパートが建っていてしかるべきじゃないのか」っていうもうこのあたりでも銭湯の命脈の最後の方っていう感じだったと思います。私みたいにお部屋にお風呂が付いていない人にとってはとてもありがたかったんですけど、やっぱり「ここもいずれは無くなっちゃうんだろうな」っていう予感は濃かったです。お風呂は薪で炊いておりまして、その古い感じがまた良かったです。良いお風呂屋さんでした。併設されたコインランドリーもよく使わせてもらっていて。ありがたい存在でした。

 「100年ラヂオ」では「寒い時期の銭湯通いが大変」みたくいわれておりまして、確かにその通りなんですけど、私は前にも書きましたけど貧乏なくせにお風呂には毎日通っておりまして、とは言えやっぱりとても寒いんで革のズボンをはいていくという、お風呂通いなんだかロックな(すごい長さの長髪でしたし)お兄ちゃんが夜中に洗面器にシャンプーとか入れて歩いているだけなのか判然としないっていうスタイルで通っていました。私の場合、銭湯に行くにも黒い革のブーツでしたから余計におもしろいっていうか不審な感じでしたね。

 お風呂通いの時に続けている習慣がございまして、近くに小学校があるんですけど、そこの門の前にいつも空き缶などが落ちていたのでその他のゴミなんかと合わせて拾って帰るのが日常でした。

 たぶんここは西新宿の高層ビル街に一番近い小学校だと思います。

 以前にはもっと近くに小学校があったんですけど、私が西新宿に住み始めたくらいに無くなってしまいました。建物としてはしばらく残っていて、新宿警察署が建て替えになった時に機能移転していたと思います。免許の書き換えかなんかで一度入ったことがあったという記憶。おそらく芸人の玉袋筋太郎さんの母校じゃないかと思います。

 それと今は芸能関係の団体の所在地にもなっている淀橋第三小学校というのがありましたけど、こちらも無くなっています。私が生まれて初めて選挙の投票をした小学校の建物でしたので印象深いんですが。

 マそんな具合でして、西新宿には今はもう小学校というのがおそらく上で書きました西新宿小学校しかないんですよね。いうまでも無く非常な繁華街にも近いですし、行き交う人たちも多い。朝方なんてサービス精神を使い果たした夜のサービス業の人の帰宅なんかもあります。ヤサぐれてますよ朝なのに。そんなお土地柄。きっと子供ながらに見たくないものも見てるんじゃないかなってことで、せめて学校の周りはキレイにしておいてやろうじゃないかと個人的なゴミ拾いを毎日していました。全周囲をキレイにしていたというわけではなくて自分が通るところだけです。

 私がキレイにした後に空き缶1ヶでも置かれたら台無しなんですけど、とりあえず私が継続してできることをしていたという感じです。

 おもえば今の地元に帰ってからのボランティア活動につながるのかもしれないです。昔からそういうのが私は好きなんですね。きっと。地味だけど継続していく行動。これで地域が変わるかもしれないし変わらないかもしれない。

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 日記的な記述なんですが、今日は買い物のため2回外出しました。

 そのうち1回はお米を買って運搬したので重かったです。

 その他お料理したり洗濯物を取り込んだり、お昼寝したりしていたら夕方になってしまった感じです。

 夜から会議があるので出席してきます。まちづくり協議会の関係です。福祉の関係の会議です。

 明日も午前中に打ち合わせがあるので忙しいです。