「イラスト・むし」カテゴリーアーカイブ

クワガタムシ帝国〔10〕

 ラジオで鉄道の番組を聞きました。日本の鉄道の歴史が今年で150年を迎えるのだそうです。まさにその歴史的経緯というか、全国の鉄道網を先につなぐべきか、軍備拡充して列強各国に伍する国づくりを優先させるのかを悩むといった最初の方の日本国としての立ち上がり。外国の技術に頼る構造から外国人技術者への出費が多く悩んでいた等々。そんなお話も聞けました。

 NHKラジオ第1での11時間番組です。きのうの日曜から鉄道デーは始まっていて、寝坊したため聞けませんでしたが、「吹奏楽のひびき」も鉄道がテーマだったようです。「子ども科学電話相談」も鉄道1色で、路面電車について熱く語る先生のお話も聞けました。

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 一方の私が熱い信念をもって探索を続けるすべてのシンセポップの野郎ども、オール・ザ・ヤング・シンセポッパーズを探す旅なんですけど、けっこう「鉄道もの」というのは収穫されております。折しも収穫の秋ってことで1曲ご紹介しようかと思います。

 スペインのシエロ(Cielo)というバンドの「Como en Tranvia」という楽曲です。「Tranvia」というのが「路面電車」をいうのだそうです。

 これは大変に良い曲だと思うんですが、絶えず近づいては離れを繰り返しその効果から来る遠近感というかパースペクチブって申しますかね。こういうのは機械仕掛けの音楽は得意とするところでその長所を遺憾無く発揮していると思います。空間処理のエフェクト使用も絶大な効果を上げていますね。電子な世界ですよね。

 歌詞としてはドイツのバンド、クラフトワークの「アウトバーン」の歌詞を当てハメてそのまま歌えるといった楽しさ、つまりビーチボーイズ直系の能天気な弛緩した感じっていうんですか。ビヨヨンって伸びていく感じなんですけど。

 そして曲全体を貫く基調としましてはアメリカの電子音楽家であるブルース・ハークさんがクリスマスソングを電子化した作品に似ていると思います。「Bruce Haack – Deck the Halls」。これがまた邪気のない原曲の良さをそのまま宇宙に連れ出した感じでして、無理なく取り入れられているように思います。ハークさんの「Deck the Halls」を下敷きにしたかどうかは不明ですが近い線に行ってるように思えて仕方ないんですよね。

 シエロ(Cielo)というバンド自体に戻そうと思うんですが、私が外国語が不得手であるため要領を得ないのですけど、どうやらペルーの人がスペインで結成したようです。本体としてはシルヴァニアというバンドであって、こちらも電子感はあるんですが、一方でシューゲイズな作風も演奏していたようで、つまりシエロは「より電子に特化した音楽を追求するサブ・プロジェクト」だったようです。時代背景的には2000年台のできごと。

 こうしたスペインだったり南米だったりメキシコなどの、要するに米英的な中心的なシンセポップ以外ということになりますが、そのあたりを観察していると例えばスペイン語が通じる国同士ではポップ音楽の相互的なやり取りがあることに気づかされます。文化交流ですね。ペルーの人がスペインで活動していたっていうのもそうことなのかなって思いますけど、チリやアルゼンチンでも聞かれていた形跡があります。

 映像もネットの動画サイトで多く確認できます。男性二人組で機材を操作しています。短髪であってどちらも体格的には立派な隆とした感じなんですが、問題は片方の人がメイクをしていて女装とは言えないまでもユニセックスなのか判断が難しいスカートを履いている感じでして要するに大変に紛らわしいです。音楽に集中できない。ひとりの人物の中で女装感と男性性がケンカしている印象を私は受けます。

 私の嗜好性が「変わっている人たちが作り出す音楽が好き」っていうせいもあるんでしょうけど、いたるところで女装をして演奏している人っていうのは見かけますね。しかし「これ必要なのかなホントに」って思うこともしばしばです。女装のムダづかいと申しますか。

 しかし法に触れるワケでもなし、誰かが言って止められるコトでもございません。

 シエロのおふたりは軍装もされていて、そちらはどうやら「ヨーロッパのデカダンス、退廃美」を狙っているのかなって思いますけど、こっちも全く自信はないのでした。

 「おもしろいな」とは思うんですけど、モヤモヤすることも一方でまた多いですね。

クワガタムシ帝国〔09〕

 ワクチン接種の副反応が出たようです。午後に2時間ほど横になりました。

 症状としてはカゼっぽい感じ。寒気とか関節の痛みと全身的なダルさでした。

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 午後3時からのラジオ番組を聞き終わる頃にはだいぶ体調は良くなりました。

 NHKラジオ第1「ディスカバー・カーペンターズ」。今日はアルバム「ホライズン」のB面について。聞いた曲はどれも初めて聴く曲でしたが、コーラスがとても柔らかく録音されていて、なごみました。

 先週も言われていましたが、このアルバムから以前の16トラック録音から24トラックになったそうです。さらに当時の音楽的な状況もそれぞれの楽器をクリアによりハッキリと作っていく風潮にあったのだとか。言われてみれば思い当たることの多い解説でした。1975年の作品なんだそうです。

 ニーヴの8048の写真なんかを見ると今の録音ミキサーとほとんど見た目には変わらないようです。たぶん当時の録音スタジオのようすはこんな感じであって複雑なワイヤリングが可能になったのかなって思います。これが60年代のビートルズの録音風景を見ると前世紀か?っていうミキサーが使われているんで大変な革新がおそらくあったのかなって思います。70年代までに。

 キーボーディストで編曲家の森俊之さんがアナログシンセをスタジオに持って来て下さり、このアルバムで使われたシンセソロの音色について音を実際に出しながら解説してくれました。矩形波(くけいは)をデチューンさせた上で柔らかいエンベロープを与え、リヴァーブをかけた伸びやかなフレーズでした。曲のエンディングを飾る曲想に合った音色。リチャード・カーペンターさんは冒険的である面も持ちながら基本は非常に手堅いというか普遍的なジャストを見極められる審美眼に優れた音楽家だと思います。

 それとこのアルバムからエレピにローズも用いられるようになったということでした。キラッとした高音域の特徴についてもご紹介がありました。カレンさんはアルトの音域に素晴らしい魅力のあった人ですが、そこはやっぱり女性らしい華やかな倍音もあるワケでして、ウマく組み合わせていたなという印象でした。こうやればかわせるなっていうアイデアがあったのかもしれないなと思いました。しかしカレンさんに対するベストマッチはウーリッツァーのちょっとくすんだ感じなのかもという感想を持ちました。それともちろんアコースティックピアノでもあるんですが、私は生ピアノの方の知識はゼロですので良くわからない世界です。

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 4時からは同じくNHKラジオ第1において、先日に亡くなられた宮沢章夫さんのトボけたお話を、NHKに残された録音で振り返る番組を聞きました。以前に午前中に放送されていた帯番組「すっぴん」より。藤井彩子アナウンサーの語り。まだ全然若い方でしたのでお別れを言うのが辛そうでした。ちょっと川勝さんの死にもダブりますね。

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 ちょっと調べてみたんですが私の好きな録音作品で言いますと。主に鍵盤系において。アル・クーパーさんの「赤心の心」が1972年。「ジョリー」ね。なるほど。やっぱり70年代の最初の方。

 この1972年というのはポップス史においても大変な当たり年っていうことで良く知られているみたいです。カーペンターズにおいては「ア・ソング・フォー・ユー」。ベスト盤しか持っていなかった私はラジオ番組「ディスカバー・カーペンターズ」で時系列等を学習しているんですがこのアルバムにはビックリ仰天しました。コレはスゴいと。いったいいくつシングルカットされているのかという大変な名盤でした。

 それとニッキー・ホプキンスさんの「夢見る人」は発売は翌年の73年ですが録音は72年から録ってたみたいで。「ドリー」ね。

 私の場合はちょっとゴッチャりした音像の方が好きなので、あえていうなら70年代最初の方が好きっていう感じですかね。つい最近に熱弁しちゃった通り粒子の粗い質感が好きなので当然と言えば当然ですが。

 あとは米ロックバンドであるシカゴの「サタデイ・イン・ザ・パーク」。大好きなんですが、今日の番組で森さんが言っていたデイヴィッド・フォスターさん。彼が関わる前のシカゴの名曲。私は必要以上にデイヴィッド・フォスターさんを毛嫌いしておりまして、いわくシカゴをダメにした張本人なんですが、しかし今日の森さんのコメントにある通り、リチャード・カーペンターの系譜に入ることはまた間違いないと、言われて初めて気づいて慄然としました。

 しかし「サタデイ・イン・ザ・パーク」なんかも録音は71年なんですね。調べてみると面白いですね。

 ダニー・ハサウェイさんの「ライブ」も演奏それ自体は71年で発売が72年だそうで。さあみんなで歌おうっていう「君の友だち」ね。♪ユジャスコーっていう。客のノドが完全にあったまっているのが驚きます。あの人たち始終歌ってるんですよ。おそらく日曜の教会とかで。

 あとは鍵盤系の名盤っていうと天才の所業スティーヴィー・ワンダー氏の「トーキング・ブック」。私もメチャクチャ聞きました。神がかっていた70年代のスティーヴィー・ワンダーさんですけど、「トーキング・ブック」はちゃんと72年にタムラ・モータウンでの録音で発売も72年ってことみたいです。

 やっぱりスゴい70年台前半っていうか72年を軸にして調査してみました。いやースゴいね。この時期の濃密な歌心ね。異常ですよ。キャロル・キングさんの71年の「つづれおり」にしたってね。マ、長くなっちゃいましたが、もし読んでいただけた人がいるならば感謝をお伝えしたいです。ありがとうございます。なんかまとまりに欠いたいつもの私の文章でした。

クワガタムシ帝国〔08〕

 ワクチンを打ってきました。コロナの対策です。

 4月に打ってもらったんですが、もう半年が経ったんですね。早いものです。

 今のところ副反応は出ていません。

 4月の時はよく言われるような反応が3種類ほど日替わりで出てきてちょっと困りましたが、今振り返ると総じて大したことはなかったです。

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 私がワクチンを打ってもらったのは集団接種会場です。

 私の住む富士市に数年前に出来た新しい環境クリーンセンターに併設された大きな建物。

門のあたりの写真です。建物の全体的な写真を撮るのを忘れてしまいました。すみません。

 大きなお風呂もあるみたいです。「ふじかぐやの湯」って言うんですが。

富士市としては「源平ゆかりの地」ってコトで行きたいみたいです。私は今日はじめて知りました。

 おそらくゴミを燃やした排熱を利用する形なんだと思います。

この写真を見るとカラオケもできるみたいですね。

 先日の当ブログにおいて、「近所にある高齢者向けの施設が廃止されるという件について会議が紛糾した」みたいなことを書きました。

 来月の「市政行政懇談会」に向けての会議でした。

 市役所の担当部署の人の説明としては、市の現状であったり、将来の展望その他。そして(高齢者施設の)代替施設の存在にも触れられまして、つまり「かぐやの湯」がそのひとつなんですよね。

 しかし別段に「高齢者向け」に特化しているワケでもなくて、利用料金がどうやら700円くらいするみたいです。廃止が決まった方の施設はタダで使えるんですけど。これはもう見るからに問題を引き起こしそうだって感じです。

 難しいですね。

 会議において反対していた人たちは地域で長く福祉推進の役をやってきた人などで、私も以前に福祉推進委員を1年間やったのでよく知っている人ですが別にゴネているとかではなくて、施設を利用している人たちのことをよく知る立場からの発言なんだと思います。おっしゃっていましたけど半額の券を月に何枚か希望者向けに配布するとかでしょうかね。私の感覚ではそれくらいしても良いのでは無いかと思いますが。もうすでにそういう補助っていうのも市の方で用意しているのかもしれませんが。

雨水調整池が併設されているようです。ワクチン接種でここに来るのは3回目なんですがはじめて知りました。
写真では分かりにくいかもしれません。調整池です。市内の標高的に上の方においては無数に点在しています。

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 訃報に驚きました。作曲家の一柳慧(いちやなぎとし)さんが89歳で亡くなったとの報せ。ご高齢ではありますが、現代音楽というかとりわけ私が好きな電子音楽の方面でも大きな存在でした。

 個人的に今日はワクチン接種から帰ってきた数時間を使って「一柳慧まつり」を開催して故人の業績を再確認しました。やっぱり素晴らしいですね。楽曲「アピアランス」の切り立った激しさキビしさ。傑作です。金属的にウネる感じがたまりません。

 あとは「生活空間のための音楽」。「カプセル宣言」ね。黒川紀章さんのね。建築に思想が大投影されてしまってそしてなおそのフォルムが美しかったという中銀カプセルタワー。メカメカしい合成ボイスが冷酷無比であり、そしてまたちょっとユーモラスな味もあるという。

 前にも当ブログで書きましたが私が子供の頃にテレビの科学番組だったかで聞きました。「西郷隆盛さんの電子合成ボイス」これがまた素晴らしくて。「これはもう未来はとんでもないコトになるぞ!」と戦慄していたんですけど、その未来が到来した時に実現したのは「初音ミク」だったっていうね。大変に落胆いたしました。別にミクさんはミクさんで居てくれて構わないんですが、「メカ西郷どん」みたいなこの自由に骨格や体型、胸郭の大きさなどを想定して口腔の形状であったり舌ベロの長さとかね。そこから発せられる音声というものを「合成」して欲しいんですよね。グラニュラーシンセシスの応用も大変に素晴らしいのでしょうけど、「ジェネレート」した感じがないと寂しいじゃないかっていうご提案なんですけどね。この話題になると熱弁しちゃうんですけど。

 マそんなワケでして「一柳慧まつり」のしめくくりとしてはやっぱりコレ。「東京1969」ですよ。落語の「時そば」の変調から始まり「メカ・いっぽんどっこ」で終わるという知らない人がこの文を見たらまるで中身が想像できない「なんじゃこりゃ」っていう前衛性。聞いてみたら割合に庶民的な風俗その他が詰まった、なんていうんでしょうね。位置付けとしてはジャーナリスティックな視点なのかなっていう、湯浅譲二さんのソレとはまた違った、その時々の時代の見方ってことになるんでしょうか。

 一柳さんって、音の鳴らされ方としてはけっこうキビしかったり唐突に驚かされたりするなっていうのが私の感想として総体的にあるんですが、ものごとを面白がって柔らかく見ることもできる人だったのかな、なんて、今日は一柳さんの何曲か特に私の場合は電子音楽な面に限ってですけど。聞き返してみて思いました。

 一柳さんの魂が安らかにありますように。