「イラスト・むし」カテゴリーアーカイブ

ゴ×××帝国〔30〕

 本日のイラストも構図を古いアニメ作品「ガッチャマン」からお借りしてきました。

 私なりに面白くできたかなと思います。

 明日から12月。

 本日をもちまして「ゴキブリさんシリーズ」は終わりです。ご覧いただきまして、ありがとうございます。

 苦しみながらも数をこなしたことで、6本の脚の扱いにもうまくいく時が増えてきたと思っています。

 全然うまくいかない場合もありますが、それはヒトなんかの手足が4本の時も一緒かなと思います。絵にしにくいポーズというのがあるのですね。やっぱりそういうのは避けることになるんですけど要するに極力うまくやりたい。それでいながら意欲的なポーズや構図取りを実践していきたいと思っています。

 今回のゴキブリさんシリーズでは定番のポーズを多く実習しました。多少の自信につながりました。

 体力的にはかなり疲れました。ドッときました。

 「このポーズ。1度は描いてみたかった! 昔ッから」という感激に駆動されて一生懸命描くワケですが、トシはとりたくないもので集中しすぎて休憩を取らないと案の定、疲労の影濃厚というような。

 迷いなく没頭できるのは良いことなんですが、ひんぱんにストレッチをした方が良いですね。次の日にひびきます。

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 今日をもちまして、作っておいたブログ用イラストの備蓄がついえてしまいました。あっという間です。

 備蓄分でブログ運営をしのいでおく間に他の作業をしていたのですが、具体的には来年の年賀状作り。

 画像だけは完成しました。今まで手をつけていなかった画風に挑戦しました。全部がウマくいったとは言い難いですけど多くの収穫がありました。

 何度も描きなおしをして試行錯誤しました。こんなことも時間がないとできないです。

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 別の作業も区切りがつきました。

 たびたびお伝えしておりますが「オール・ザ・ヤング・シンセポッパーズ in 80s」企画ですね。

 企画って言っても単に自分で聞いて楽しむというだけの活動ですが。

 去年の12月から録音しておいた音源の整理が終わりました。

 シンセポップについては480曲ほど新たに加えました。

 別に秘密でもないので1曲だけご紹介しておこうと思います。

 The Creamersというバンドの「Little White Lies」という曲がですね。楽しくて気に入っています。1979年の作らしいので「80s」ではないのですが。しかもコレ、シンセポップっていうよりディスコ色が強いです。さらにいえばかなりイナタい。そこがニコニコさせてくれる要因のひとつにもなっているので決して短所ではない。と思うんですが。

 ボコーダーも活躍しておりますのでお好きな方はぜひどうぞ。

 このバンドも私が収集している他の多くのバンドと同様に詳細が不明。シングルを1枚出したきりという存在ですね。ただしちゃんとしたプロの仕事であるっていうのはその線からそれてしまいます。

 そうなってくると典型的な「メンバーのおウチで作った感」これが濃厚な作品も上げておいたほうが良いかもしれません。

 スエーデンのバンド「Tres」の85年作「Feeling Like A Clown」。

 かわいらしいシンセポップですよね。曲としても雰囲気としても。威圧感がないです。しかし「Dans」っていう曲のライブ演奏では最後に「サンキュー!」って叫んでおりまして「若いな!」という印象を受けます。

 この85年って言ったら一般的にはティアーズ・フォー・フィアーズの大ヒットって申しますかね。個人的には彼らの音楽を好きだと思ったことは一度もありませんが。「デカいクチ開けて歌いやがって」って思ってましたけど。まぁそういう時代。デジタルシンセも存在していましたから音作りとしてはレトロと言えそうです。私はスゴく好きです。

 他には「アイ・ラブ・ジャパン」って連呼する曲もあります。きっと日本製のシンセ機材をかなり持っていたんでしょうね。

ゴ×××帝国〔28〕

 カッコいいポーズの実習としてのイラストです。

 ネットで見たガッチャマンのイラストからポーズをお借りしてきました。

 奥の方のヨロイモグラゴキブリさんのポーズは「白鳥のジュン」のよく見る決めポーズです。しかしヨロイモグラゴキブリ氏に同じポーズをとらせると全く印象が変わります。描いてみて面白かったです。

ゴ×××帝国〔27〕

 クロゴキブリさんを巨大ロボットとして扱ったイラストです。

 ゴキブリとかのムシには体に“節”があります。元からロボット感があるので違和感は少ないかなと思います。

 このイラストでは「胸の部分」がリング状に個別に動くと想定してポーズを作ってみました。3段構成です。

 全体的な状況としては特に元ネタはありません。しいていえば私のオリジナルです。

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 今朝は重い荷物を運搬する作業をしました。

 ラジオ日記的には「吹奏楽のひびき」をほぼ丸ごと聞けました。「現代の音楽」は途中まで聞きました。

 夜からは「ニッポン時空旅」を聞こうと思います。

 この文章を書いている今の時点では甲斐説宗さんの「ヴァイオリンとピアノのための音楽 ’67」を聞いています。ヴァイオリン演奏は甲斐史子さん。ネットの動画サイトです。

 私の甲斐さんの音楽への印象って、思い切った抽象性みたいなところに置いてあったのですが、この曲ではかなり衝動的なくだりもあります。ピアノとヴァイオリンが絡み合う、ねじれ合うという感じではないかと思います。

 抽象といえば、つい最近にネットの動画サイトにアップロードされた、作曲家同士の対談。西村朗さんと久石譲さんのそれには衝撃を受けました。特に久石さんが求めるミニマルのあり方について。

 いわく政治性とか思想みたいなものから出発するのではなく、純粋に音の運動として作りたいみたいな感じだったと思います。

 バッハの作曲に近いかと問われれば、まぁ近いかな。みたいな感じだったでしょうか。

 久石さんといえば非常に作風が広いというか、さらに大変に多くの人に聞かれているスーパーマンみたいな方ですが、ことミニマルに関してなのかはわかりませんけど、音を音として解体していきたいみたいな、そこまでお考えとは初めて知りました。

 番組「現代の音楽」で以前に語ったところによると学生の頃にテリー・ライリーの「レインボー〜」に出会ってその衝撃で寝込んだ。みたいな述懐もあった久石さんですから昔からのテーマであるのかもしれませんが、ご本人の口から聞けて、聞いてみるものだなと思いました。

 私個人はもうあからさまにパンクロックに本籍があるみたいな人間ですのでむしろ政治的なもの大歓迎ではあるんですが、いったんそれらを取り払って再度、音を音として並べてみましょうというのは興味のひかれるところです。純粋なコンポジションっていう感じですかね。

 対する西村さんとしては粒子の総体としてのカオス。その運動とか振る舞いを音にしたいとかそんな感じだったと思います。西村さんの諸作というのは、ラジオ番組も通して折々に聞けているかなと思いますけど、そうした聞き手たる私からもそれは伝わってきます。

 トランペット・ソロでオーロラの様子を描いた曲なんかはもしかしたらそうした興味から生まれたのかな、なんて思った次第です。