「イラスト・むし」カテゴリーアーカイブ

アニメ化帝国〔マツモムシ(18)〕

 こときれるコオロギ氏です。

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 日記的な記述です。

 今日は寝てばかりの1日でした。月曜、火曜と運動量が多かった影響だろうと思います。

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 ラジオ日記です。

 NHKラジオ第1、午前中の番組「ふんわり」にて音楽プロデューサーの藤井丈司(たけし)さんの語る楽曲制作についてのお話を聞きました。

 YMOにはじまり、サザン・オールスターズ、玉置浩二さん、布袋寅泰さんなどのお仕事で知られる藤井さんのお話はとても興味深いものばかりでした。

 私はずいぶん誤解をしていたんですが、そもそも藤井さんは最初からヨロシタにいたんだそうです。私はきっと冨田勲さんのところに若くして入って松武さんをサポートする立場でYMOの現場に携わったとかそんな感じに思っていました。間違いでした。

 そもそもシンセサイザーのことは知らなくて、むしろずっとギターを弾いていて、サザン・オールスターズのコピバンをしていたんだとか。

 わりとよく松武さんと一緒にYMO関連のことを振り返るみたいな集いでお話しされることも多いように感じていて、違う思い込みをしていたようです。

 現在では音楽制作の他に、大学で日本のポピュラーミュージックの講義をしているそうで、そこからのフィードバックで現在の若い人たちの音楽との接し方に触れる局面もあるんだとか。

 そうした若い世代の方達が現在のネット文化に接する上で醸成されたとおぼしき批評精神というか巨視的なものの捉え方。そんなお話もされていたように思います。

 番組中、藤井さんの手がけた代表曲をたくさん聞きました。

 最新のお仕事として、東京在住で中国出身の若い男女おふたりの音楽を聞きました。エレクトロポップスの作風を旨とする人たち。

 Wang One(ワンワン)の「Crap」という出たばかりのシングル曲だということでした。

 近未来的な音楽。クリーンなヴォコーダーサウンド。わりと整理された印象。その反面、ヴォーカリストの声質は表情豊か。よくコントロールされているように感じました。ラップパートあり。声の表情を余すことなく捉えた良い録音で、聞いていてドキッとするような部分もあったと思います。

 詩の世界としてはこれからのテクノロジーと人の関係、関わり方みたいなことを歌っているのではと思うんですが、上記、人らしさが溢れる美しい瞬間というのは詩の世界にもあっていると思いますし、禁欲的なシンセサウンドの構築との対比という点でも効果的でした。

 若い人の音楽制作ですが、どうやら特にベースなどはMoogの小さなリアル・アナログシンセを使っているようです。全体的な起伏も巧みで良いパートでした。ヴォーカルに対する楽器の距離の取り方も適切で、藤井さんがどこまで携わったかわかりませんが声の鳴りを阻害しない良いアンサンブル。先行シングルの曲も聞きましたが私の聞いた感じでは番組でかかった曲の方がシングル的というか、ヴォーカリストの良さをアピールするものになっていると感じました。

 パートの1本1本がかなり磨かれた高品質な音楽でしたけど若い人たちですのでガーッと行くロックンロールなものが1曲あっても良いのかなと思います。

 このユニットを手掛けるにあたり藤井さんの狙いとしては、かつて細野晴臣さんがしていたようなアジアと欧米のポップスの合流。懐かしく新しいサウンド作りということなのだそうです。納得でございます。

 私の感想としてはポピュラーミュージックとテクノロジーの合一点に藤井さんがいてくださるのは嬉しいことだなと感じました。

アニメ化帝国〔マツモムシ(17)〕

 マツモムシがエサとなるムシに消化液を注入しているところです。

 曲構成としては一番もりあがる“サビ”のところです。

 イラストではマツモムシに「クチと舌ベロ」があります。

 これは私が作ったウソです。セミのクチはストローみたいになってますけど、マツモムシにも、あんなかんじの「クチ」というか「口吻(こうふん)」があるのです。ホントは。歌詞中にも「針状口吻(はりじょうこうふん)」と歌い込んであるんですが。

 マツモムシは肉食性なので、ストローみたいなクチではお肉をそのまま食べることができません。

 そこで生きたムシ氏を捉えて、ウムを言わせず消化液を注入してお肉がドロドロになった後でチュ〜チュ〜とお肉を吸い出すのだということです。体外消化というらしいです。

 別にマツモムシに限ったお食事の仕方ではないということです。

 吸い出されたムシはどうなってしまうかというと、透明なカラになってしまうんだそうでありまして。ムシは外骨格ですから、硬いカラだけが残るんですね。

 私はこのあたりのことを知って「スゴい!」って思いました。

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 以下は日記的な記述です。

 きのうに引き続き今日も重い荷物を運搬しました。

 今日は通常のお買い物。

 空がきれいな1日でした。

アニメ化帝国〔マツモムシ(16)〕

 バッタを見つけたところです。

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 以下は日記的な記述です。

 朝に重い荷物を運搬する作業に従事いたしました。

 お米を買いに行ったのです。

 つい最近に前回のお米調達を済ませたつもりだったんですけど、5キロですとアッという間ですね。もうちょっと持つんじゃないかと思ってましたけど9月も中旬を待たずに危機的な状況を迎えた我が家のお米事情です。

 いつも買っている銘柄は売られてませんでしたけど、なんと10キロの袋があるじゃないですか。これはありがたいというわけで買って帰ってきました。しばらく持ちます。良かった。良かった。

 下の画像は今朝の富士山です。

 秋ですね。

 別件の用事を済ませるために、荷台にお米10キロを乗せたまま自転車で坂を登ったんですが、古い街道をリュックを背負って地図を見ながら登って行く男性ふたりを発見しました。

 我が富士市が独自に設定した「富士山登山ルート3776」っていうのがあるんですけど、その道中の登山者に違いありません。

 おそらく朝早くに海抜ゼロメートルから登ってきたんでしょうね。

 下のお写真は私が彼らを発見した地点からのお写真。

 残念ながら当事者おふたりの姿はもう映っておりませんけど、このあたりでどうなんでしょうね。ちょっと行った先の小学校が海抜250メートルですので、このあたりはまぁ220メートルってところですか。

 朝からずっと歩いてきたんでしょうけど、かなり良いペース。健脚ですね。

 なんでも9月10日が閉山日であるようですので、今日は山小屋に泊まって、明日に登頂って計画なのかなと思いました。どうぞご安全に。

 本日は朝から富士山がきれいに見えていました。10時過ぎには見えなくなっちゃったんじゃないかと思いますけど最高の登山日だったのでは。

  ×  ×  ×

 ついでにこの標高200メートル近辺のお話なんですけど、私が幼稚園に通っていた頃にはまだチラホラと製材所が稼働していたんですけど、今ではもうすっかり住宅地。

 時代の流れを感じますね。まぁ50年ほど前のお話ですから変貌を遂げて当然なのかもしれません。いやはや。

 この辺に行くたびに脳裏に木を削った時の匂いがよぎるんですけど、それももう当時を知る人にだけ起こる現象なのかなと思います。

アニメ化帝国〔マツモムシ(15)〕

 小さなクモを発見したところです。

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 以下はラジオ日記です。

 きのうの夜のことになりますが、「クラシックの迷宮」を聞きました。

 NHK・FM。

 シェーンベルクさんの人生におけるユダヤ人であるという出自にまつわる、それも第1次世界大戦と第2次世界大戦を経る中で厳しく社会からも自分の中からも問われた結果の変遷、みたいなものを知りました。

 重かったですね。しかし今の社会情勢。イスラエルとパレスチナ。国内に目を転じましても民族差物は存在しています。やっぱりなくさないといけない。

 先週にネットの動画サイトでルポライターの安田浩一さんが「差別に取り組むのはそれが生命の問題に直結しているから」とおっしゃってましたけど、本当にそうだと思います。

 聞いた楽曲としましては「ワルシャワの生き残り 作品番号46」。すごいダイナミズムでした。聞いていて驚きました。この曲に限らず、合唱のパート、あるいは単旋律。人の声ってすごいなと感じました。強制収容所における虐殺。憤りをたぎらせた。告発する内容であるとのことでした。

 ラジオを聴きながら初めて白ワインというのを飲みました。

 きのうは作曲家の西村朗さんの命日でした。西村さんが白ワインがお好きだったとの情報を得ましたのであやかってみたんですが。おいしく飲めてよかったんですけど、思っていた以上に強いお酒で、ベロンベロンになりました。いつもはギリギリ、イラストを描くことができるくらいまでしか飲みませんので割と大変。天井が回っている感覚を久しぶりに味わいました。気をつけないと。

 本当は西村さんの曲を聴きながら飲もうと思っていたんですけど、夜の7時過ぎという良い時間に「クラシックの迷宮」は始まりますので、お酒タイムを占有されてしまいました。シェーンベルクを聴きながらであれば西村さんも納得してくれるかもしれないですけど。

 酔いすぎたせいかもしれませんが今朝は寝坊してしまって、朝の番組「現代の音楽」に間に合わず。あとで聞き逃しサービスで聞こうと思います。

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 お昼前にNHKラジオ第1「子ども科学電話相談 岡島」を聞きました。

 「コンピューター・ロボット」に寄せられた質問が興味深かったです。

 コンピュターに“心”はありますか? という質問。さぁどうなんでしょう。技術は日進月歩ですので最新の知見が気になります。

 回答する先生は中央大学教授の岡嶋裕史さん。「まだ無いけど、あたかも心があるように振る舞えるようになるまであとわずか。」みたいなお答えだったと思います。

 人の心、というのも非常に難しくて、はっきりとした形が無いものは作りにくい。しかし人工知能で名作である小説を大量に処理することで、「こういう時は感動」「こういう時は哀切」みたいに学習できる。その結果、人との対話における対応上は「心を備えた存在」として振る舞えるようになりそうですよ、ということだったと思います。また別の話として、「人というのは相手が機械であっても、心が備わっていると思い込みやすい、無意識にそれを期待する、信じようとするもの」といった傾向を伝えていただきました。

 私はそれらを聞いてヒトと機械の境界線というか、まるでSF小説家のP.K.ディックさんがこだわっていたテーマに近いなと思いました。

 また、質問を寄せてくれた子の持論というのが興味深くて「“鉄”にも心があるのでは」というのにギョッとしました。

 SF小説家のJ.P.ホーガンさんの著作、確か「創造主の掟」だったと思うんですが、記憶がアヤフヤですが、なにしろハタチの頃に住んでいた千駄ヶ谷で読んだ小説です。そこに出てくる自律的に考え行動するロボットさんが鉄だったと思いますけど、植物のように扱っていて、まるで人がジョウロで水を与えるがごとく、花壇みたいなのを持ってるんですよね。鉄がニョキニョキと育ってくる。非常にビジュアル的にも素敵でしたので、小説としてのスジは忘れちゃってるんですけど、自分で思い描いたその風景だけ覚えています。

 人工知能すごいですね。肉親であるとか配偶者、恋人よりも重要なパートナーになりそうな気配満々です。

 音楽家のブライアン・ウィルソンさんが、心を病んだ後に精神科医の人に依存してしまって、ファンの人はヤキモキしたってことがありましたけど、そんなもんじゃない大量の人の心の支え、なら良いんですけど過度な依存というのも発生していくんでしょうか。これくらいの未来的な事象であれば、私の生きているうちにその一部始終を観察できるかもしれませんし、私自身どうなるかわからないですね。クワバラですよ。