「イラスト・ウソいきもの」カテゴリーアーカイブ

子&その他どうぶつ帝国〔23〕

 悄然とする龍のイラストです。

 頭のてっぺんの方の盛り上がり具合の練習を兼ねています。

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 実は今回の「龍のイラストの練習」なんですけど、裏のテーマとして「実在の(動物園にいる)キリン」の「頭とかツノのようすを念頭に置きたい」というのがあります。

 たぶん先月のラジオ番組「NHKラジオ第1の「子ども電話科学相談」において「キリンのツノ」の話題が出てきたと思います。「キリンの場合はツノの中に骨があるんだよ」というご説明だったと思います。他の動物の場合はケラチンという、人であれば「爪」なんかの一種というかそういうのが「ツノ」として機能している場合もある。つまり、まとめますと「ツノっていっても動物ごとにいろいろだよ」みたいなお話だったと思います。

 そこでキリンなんですが、キリンのツノは5本。しかしツノ以外にも頭のてっぺんに注目すると、なんだかモコモコしているなって気づくんですよね。

 ちょっと調べてみたんですが、特にオスに顕著であるらしいんですけど、カルシウムが頭にてっぺん目がけて集まってくるらしいんですよね。性成熟を遂げるとかそんな時期において。で、どんどん盛り上がってくると。

 これは「なるほどね」って思いました。

 余談としては、以前に多摩動物公園のキリン解説ガイドに参加した時に「ツノが折れていて、もう片方のツノにくっついているように見えるキリンがいる」と知ったんですが、あれは正しく「骨折」していたんだと知りました。ネット上の記述において。つまり骨折すると元には戻らないみたいですね。「なんで折れてるのかな?」って疑問に思っていたので解決して良かったです。

 多摩動物公園で、その時にもらったパンフレットによると、ツノであるとかアタマ周辺って飼育員の人なんかにとっては個体識別の手がかりとして機能するみたいであって、つまり個体差がよく出る部位でもあるようです。動物も良く見てみると顔つきや体に特徴があるんですね。

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 マ以上のような感じなんですけど、「龍のイラストの練習」においてもいろんなタイプの龍のアタマ。を描いてみようと。そんな気持ちでいます。

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 今日はラジオで黛敏郎(まゆずみとしろう)さんが若い頃に作った曲を聞きました。

 曲名は「スフェノグラム」。

 NHK・FM「現代の音楽」より。

 フランス留学から(すぐに)帰ってきた後の作品だということでした。アジア的なものからジャズの要素までを含んだ作品。

 また伊福部昭さんが日本の戦後の現代音楽の場において精神的な支柱というか発言力のあった様子。日本人として何を作るかに自覚的だったのかなと私は感じましたが、西洋を追いかけるだけではいけないだろうという気持ちを表明していたんだそうで。黛さんと伊福部さんのつながりみたいなものも学びました。番組解説は西村朗さん。

 当時の黛さんの出現はインパクトがあったようで、アプレゲールと呼ばれるその一角、音楽界でのそれの代表が黛さんだったみたいな解説を伝えていただきました。これはその時代の日本社会のあり方の理解に役立ちそうです。

 つづけて書きますが、NHKラジオ第2「宗教の時間」。

 以前の「現代の音楽」でもそのお仕事の一端を知った権代敦彦さんがスタジオにいらしてお話をされている様子を聞きました。グレゴリオ聖歌のことをおっしゃっていたと思います。

 選挙の投票に行くためほんの数分だけしか聞けませんでしたが、後で聞き逃しサービスでちゃんと聞こうと思います。非常に明瞭な話し方。

 去年の「宗教の時間」での権代さんのお話は確か教会の尖塔からくる音響特性とかそこに響かせる自作の意図であるとか、それと感謝の気持ちみたいなことも聞いたと思います。

 かなり真剣な姿勢というか真面目な性格というか。私とはちょっと距離がありそうだなって思うんですけど、年代はもうかなり近くて1歳違いの同年代ですので、これからも曲を何かで聴かせていただく機会も複数あるのではという感じ。

 今ちょっと聞き返してみましたが冒頭から小さい頃からのクラシック好きというか宗教系の受難曲とか、またもや出てきますけど黛敏郎さんの涅槃交響曲との出会い。これは渋いですね。

 「現代の音楽」での西村さんのお話を聞くともう最近の若い生徒さんですと大学に入ってから現代音楽を学ぶとかの割合が相当に多そうで、聞くにつけまぁそうだよなとかその現状を知るわけなんですけど、権代さんはメシアンさんの作品もどうやらかなり若い時期から行けたみたいでビックリしますね。舞踏のバレエで現代曲を踊っていた人だとメシアンに馴染みがある人もいるのだと耳にしたりしますが。ですけどどうかすると自分と距離のある人のお話も相当に面白いです。

 そのあと帰宅してから「ニッポン時空旅」で「琴(こと)」の回の後半を聞きました。

 なんでしたっけ。再放送なんですけど、最初に聞いたときにも飲み込めなかった「琴(きん)の琴」と「箏(そう)の琴」でしたっけ。全然自信がないですけど。

 和琴(わごん)の響きは心に響くなっていう感想だけ確信があります。そんな感じ。

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 きのうの夜。そして今日の朝は「チェロ」の演奏をかなり大量に聞きました。

 きのうは「クラシックの迷宮」。チェロという楽器が現在の形を取るまでの歴史の概要を知り、そしてまた奏法の発達をこれまたかいつまんで聞きました。

 今より全音下げの調律が主だった時期もあると知りました。演奏も聞きましたが、これがけっこう良かったです。その後、だんだん調弦が高くなっていったようです。

 調弦だけではなく楽器としての大きさ。そして弦の本数についての試行錯誤も相当にあったのだとこれも教えていただきました。

 それとチェロの発達における支援者の存在をも知りしました。イタリアの都市ボローニャ。そしてモデナ。

 どさくさに紛れて突っ込みますが、今朝、以前から存在は知っていた1980年代のシンセポッパーの地元がイタリアはシエナ(どちらかというとスィエーナが正しいようです)であったと知りました。古い金融都市で世界遺産になるほどの古い建物が立ち並ぶ美しい場所であるようです。シンセポッパーの名前は「LAS’s Crime」です。それほどには聞かれていないかもしれませんが良いポップセンスですし、シンセサイザーでなければならないという必然性も感じます。

 チェロの話に戻しますが、チェロの響きは私も好きですので聞いていて大変に楽しかったです。奏法としてはやっぱり現代に近づくほうが華やかにその表現の幅を広げていったのかなという感想を持ちました。

 「クラシックの迷宮」としての番組の“締め”はパブロ・カザロスさんの「鳥の歌」でした。やっぱり感動します。ピース。ピース。本当ですよ。

 今朝は「名演奏ライブラリー」でもチェロの演奏。

 ガスパール・カサドさんの特集。この人がパブロ・カザロスさんの弟子筋の方だそうですね。同じカタルーニャの人。けっこうすごい話だと思います。また、奥さんがピアニストで日本の人だったとも知りました。

 カサドさんの演奏がこれまたとても良くて。聞き入っていたら「子ども電話科学相談」を20分ほど聞き逃してしまいました。

 「子ども電話科学相談」。今日は「昆虫」「鳥」「植物」。

 桜の木の葉っぱのフチがギザギザしているのはなぜかという問いに対する回答を興味深く聞きました。はっきりと確定した論というのはまだないようですが、その代わり、様々な知見を伝えていただきました。「植物」の先生は多田多恵子さん。細かいギザギザで空気の対流が起こり、葉っぱの上に停滞する空気を入れ替える役割があるのではという説が私は良いなと思いました。

 もうひとつ「葉っぱ」に関する質問がありました。葉っぱが落ちていくときクルクル回転するのはなぜなのか。要するに風を受ける面が大きくそして重心が偏心しているということなんですが、こちらも幾つか例をあげ、そして紙を切り抜いて実験する方法の紹介などを交えて質問に答えていました。

 前にネットで調べてみたら多田さんという人はご両親やその家庭環境がかなり良かったみたいで小さい頃から自然に親しみ、一応の専門は植物っていうことなんですけど、ひとり博物誌みたいな人だと思いました。ところが今日の番組終了間際に「鳥」の先生の上田恵介さんが、「昆虫」の先生の清水聡司さんにむけて「私も小さい頃に(清水さんが勤務する箕輪昆虫館に)よく行きました」と呼び掛ける場面があり、広範な興味の幅を知ることになりました。

子&その他どうぶつ帝国〔22〕

 おなかがすいている龍のイラストです。

 私の得意分野である「おじさんっぽさ」が出てまいりました。きのうあたりからですが。

 ネット上で「龍の作例イラスト」なんかを参照してみますと、「和のイメージ」っていうんでしょうかね。思うに平成から令和にかけての日本人が持つ「神聖ニッポン」みたいな感じではないかって、私は捉えているんですけど、どうでしょう。

 そういうのは私の流儀ではないかなって思いますので、「おうちで鍋焼きうどんを食べていそうな龍のイメージ」でいいのかな、私は。なんて思います。

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 ラジオ第1「文芸選評」。俳句の日。兼題は「亀鳴く」。

 選者は堀本裕樹(ほりもとゆうき)さん。著作が映像化されるなどして、どうやら若い世代の方達に俳句の良い部分を広く浸透させる働き、その一端を担っておられるのだとか。大変に素晴らしいことです。ポピュラリティーの獲得ってそうそうできることではありません。

 和歌山のご出身で、ご両親が熊野の方だそうです。田辺市。田辺市というか熊野といえば静岡県の東部に住む私としては三島市にあるお寺の龍沢寺。山本玄峰(げんぽう)さんの出身地であります。戦中、鈴木貫太郎総理に無条件降伏を進言したとかっていうお坊さんですね。

 その辺は関係無いでしょうけど、戻しましょう俳句に。兼題の「亀鳴く」。おどろきました。

 こんな季語があるんだと知りました。しかし番組を聴いていくと、俳句の世界では他にも「鳴かないような動物の鳴き声」を季語とする例があるのだそうです。

 堀本さんは「諧謔性」というキーワードを用いて、過去の俳人たちがことばを内から引き出すにおいての切り口たる季語としてのありえない鳴き声の効用みたいな解説をされていたのかなと思います。

 実際に聞いた人がいないはずの鳴き声に思いを寄せての俳句ということになります。

 たくさんの作品が番組に寄せられていたようです。

 やっぱりイマジネーションの世界に入った上での聴覚、感覚みたいなところがあるみたいでなんていうんでしょう。幻想的な作品なども番組で読み上げられていました。想像の世界に浸れることができたなという感想です。

 河童が出てくる俳句が私は好きでした。

 考えてみたんですが私なりに。「亀が鳴く」っていうのは池の中から岩の上に上がって日光浴している亀があくびをしているその口を大きく開いている様を見て、「鳴き声が聞こえそうだな」とか思う、そんな風景も関係しているんじゃないかと思います。

 タレントの伊集院光さんが以前に「岩の上に上がりこんでいる亀の写真」を撮りためているというエピソードを思い出しました。亀の生活において日光浴というのは必須なんですね。最近のニュースですと、夜に岩の上に上がることもある。外敵との遭遇を避ける目的であろうか。みたいな文章を目にしたことも記憶に新しいです。

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 FM放送の「世界の快適音楽セレクション」を聞きました。

 エラ・フィッツジェラルドさんの歌声を聞きました。1969年のモントルー・ジャズ・フェスティバルでの演奏を収めたアルバムが最近に発売されたとかで、選曲家の藤川パパQさんが紹介してくださいました。

 さほどフィッツジェラルドさんのファンであるとかの私ではないんですが、素晴らしかったですね。バックの演奏はピアノトリオっていうんですか。ピアノ。ベース。ドラム。まぁとにかくフィッツジェラルドさんの歌声が非常に音楽的であって四人の出す音とも思えない、そんな音楽を聴けました。

 曲としては「ディス・ガールズ・イン・ラヴ・ウィズ・ユー」。これはカバー・ソングでありまして、つまりバート・バカラック、ハル・デヴィッドの作詞作曲。演奏ハーブ・アルパートという名前だけでも超豪華ですけど「ディス・ボーイズ・イン・ラヴ・ウィズ・ユー」が原曲。原曲もフィッツジェラルドさんのカバーも良かった。それしか言えないという感想です。

 他に聞けた曲としてはシカラムータの「好きになってごめんなさい」がとても良かったです。トルコの民謡を素材に主にアジアな音楽の断片を散りばめていくっていう豊かな音楽が聞けたという印象。大変に良かった。また「好きになってごめんなさい」っていうタイトルがチャーミングで良いなと思いました。

 それと「別れても好きな人」のカバーを、なかの綾さんと横山剣さんの歌唱で聞きました。

 それより先にブーガルーの曲も流れました。Pete Rodriguezさんの「I Like It Like That」。横山剣さんの楽曲に「ブーガルー」の名前がつくのがあったような気がします。藤川パパQさん的にはここで繋げたのかなとも思いました。

子&その他どうぶつ帝国〔21〕

 龍が困っているイラストです。

 髪の毛を生やしてみました。

 「龍」とひとくちに申しましても様々な様式がございますね。

 この際ですので色々と試してみようと思っています。

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 ブログの更新が遅くなりました。

 本日は先ほどまで会議に出席していました。

 小学校区の「まちづくり協議会」の関係です。

 今年の夏祭りについて、大まかな枠組みについて話し合いました。

 もしかしたらだいたいの構成は見えてきたのかもしれません。

 今後のこの地域で、できそうなことなども勘案して持続可能な形態を念頭に話し合いました。

 現段階においては「山車(だし)」を出せそうな雰囲気です。それも2周ほどの引き回しはできそう。

 ぜひやる気にあふれた子供達に参加して欲しいという、これは私の個人的な思いですけど、マ何にせよ実現させたいものです。

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 ラジオ日記的には、先週の「世界の快適音楽セレクション」から「これは気になるな」っていうものを録音しました。この週の選曲家は湯浅学さんでした。

 寺内タケシさん作曲の「会津喜多方青年会「組曲「会津喜多方蔵太鼓」から「乱調乱れ太鼓」前半」」は良かったです。

 ちょっと切腹ピストルズみたいでした。歴史的な順序が逆ですけどね。昭和50年台中盤のものだというご紹介だったと思います。

 他にはマーク・リボーさんの曲。これは5拍子なんでしょうか。複雑な感情を掻き立てる曲でした。おもしろかったです。

 あとはLol Creme&Kevin Godley(つまりゴドレイ&クレームだと思いますが)の曲、が良かったです。番組を進行するゴンチチのお二人の弁から推測するにどうやら曲の冒頭に「ギズモトロン」が使われていたのかもしれません。

 変なエフェクターとして有名な存在ですけど、私は初めて聞きました。そうなるとまだ1例目の出会いですので、ギズモトロンについて何も確定的なことを言える段階にはありません。曲的にはこれも大変におもしろい凝った曲構成でしたが「スッ」と終わる歯切れの良い一瞬の旋風のような曲でした。

 ゴドレイ&クレームのおふたりというのは言うまでもなくバンド「10cc」の元メンバーなんですけど、そのバンドにはグレアム・グールドマンって方もいらして、その人はバンド以前には職業的に楽曲提供を行う作家をしていてホリーズの「バス・ストップ」なんかが有名。そのあたりは以前の「快適音楽セレクション」においても湯浅学さんによる言及がありました。

 湯浅さんといえば評論家の中でも相当によく聞いておられる方ですんで私が自分の身に引き寄せて何か言えるような人物では無いんですけど、中村とうよう亡き後って水準の人なんですが。しかし私はその放送を聞いて「湯浅さんのくちからもグレアム・グールドマンといえば「バス・ストップ」なんだな」と思いました。クドいようですが私に湯浅さんの真意は推しはかれません。ンガしかしですよ。「バス・ストップ」ね。これはおそらくギュッと凝縮したポップソングが好きな方なら特別の思いで聞く1曲では無いかと思います。私なんかもう大好き。

 しかしこの先の私の文章がちょっとあやしくなっていくことをお許し願いたい。というのもホリーズの「バス・ストップ」は、私の中においては英パンクバンド「ダムド」の楽曲「1 of 2」であるとか「Fan Club」、「See Her Tonite」なんかと直結してるんですよね。英国のエモいポップソング臭って申しますかね。最近の言い回しをお借りするならばね。

 私の中ではダムドのメンバーってパンク以前の曲をよく聞いて研究しているって感が濃厚なんですけど、私がまだかなり若い頃に「ダムドのスピード感なりは私の中ではビートルズの「She Loves You」と直結している。と当時のお友達に向けて独自の論の展開をいたしましたらこれが非常に反応が悪くてですね。「そんなハズがない」「何をバカなことを言い出すのか」と。私も若い時分でしたからガッカリしたんですが、今でも私は自分の感覚が間違いだとは思えないんですよね。どうなんでしょうか。

 ネットの動画サイト上において日本においての「追い詰められたようなやぶれかぶれなドラム演奏」の第一人者だと私が思っている元ギターウルフで現ラフィンのトオルさんがリンゴ・スターについてはかなり褒めてらっしゃったので、あの人がああいうんなら私の論もさして間違っていないのではないかと考えています。「Run Wolf Run」なんかの演奏を聞くにつけですね。そういえばトオルさんにおかれては確かラット・スキャビーズさんも相当にお好きっていうかドラムを始めた時の目標の一人だったとかの文を読んだ記憶があります。察するにおそらく彼の中でもラットとリンゴって矛盾しないと思うんですよね。

 つい最近の当ブログ内の記述において「私にとってのパンクロック観は「ロッケンロール・ルネッサンス」にかなり傾斜している」そんな自覚を申し上げたのですけど、「パンクロック」と「(とりわけ初期の)ビートルズ」って私の中ではけっこう近い場所に置いてあるワケなのです。

 長々と何かに拘泥しているような書き方になってしまいましたが私もひとりで音楽を聴いている時間がかなり長くなってしまったせいか、別に持論と違う、または持論が受け入れられないその局面に直面したとしてもさほど気にならないというか、他人なんだから感覚が違うのは当然みたいな心境に至っておりまして、自分と似た感覚の方がいればそれはそれで嬉しいですけど、全然違う場合もまたおもしろい。みたいな感じですね。

 長くなっちゃってすみません。今日は以上です。

 ホントはホリーズの「バス・ストップ」から平浩二さんの「バス・ストップ」につなげ、昭和の歌謡曲において多く見られる「耐える女、待つ女」みたいなね。ラッパーの故ECD氏が「俺はああいうの嫌い」だったか、もしかしたら「聞かない」くらいのことはおっしゃっていて、それを知った私は「ECD氏。一貫してるな」って驚いた。私はもうあそこまでいくと、そんな女の人いないっていうような一種のSFみたいな気持ちで接しておりましたが反省するとともに、でも私はこの手の曲ずっとこれからも聞いちゃうなぁ。みたいなお話に接続しようと思っていたんですけど長くなるのでやめました。

子&その他どうぶつ帝国〔20〕

 重い荷物の運搬をしました。今日は気温が高めでした。

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 ラジオ日記です。

 ニナ・シモンさんの歌や、RCサクセションの楽曲を聴いたりしました。

 NHKラジオ第1「ふんわり」より。

 木曜日は俳優の六角精児さんの担当ですが、今週も中座されてお芝居のお仕事のある劇場へと向かったんだとか。

 番組冒頭で「ペーソス」というバンドの「いそうろう」という曲を聞いたところで私は外出したのですが、帰ってきたら六角さんの代わりというか代打みたいな感じで、ふたりぐみバンドの「T字路s(てぃーじろす)」と、澤田彩香アナウンサーのやりとりで番組進行がなされていました。

 つづく番組「ひるのいこい」では、榊ひろみさんの「花の合唱(コーラス)」という曲を聞きました。初めて聞きましたが良い曲でした。

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 少しだけ昨日の当ブログにおける考察の続きを記述しようかと思います。

 「ブラジルにおけるシンセポップや、ニューウェイヴの産出数が少なすぎるのではないか?」という問題ですね。

 一体、今まで私はどれくらいを知りえたのか。ブラジル人民の音楽的活動において。まずはその数を確認してみました。すると10に満たない数しかないじゃないですか。

 ブラジルってとても大きな国ですから、やっぱりおかしいんですよね。

 ためしに他国の事情と比べてみました。ユーゴスラビアというか旧ユーゴ。するとこっちは50曲くらいあるんですよ。

 念のため申し上げますが、その数倍、数十倍の曲数を聞いて「これは捨て置けないぞ」っていう私にとっての重要曲の数です。

 ブラジルと旧ユーゴ。決して一緒にすることはできませんしモロモロ事情はあるにせよ、しかし単純に楽曲数だけでも同等に出てきておかしくないんではないか。そう思います。変な曲を作ってる人は一定の割合でどうしても出てきてしまうと思うんですよね。もうブラジルなんかであれば、あっちにもこっちにもいておかしくないんですよ。

 人口比で言いますと旧ユーゴとブラジルは10倍くらいの差があります。

 ただし旧ユーゴからの産出数の豊かさにはひとつの事情がありまして。ネット上の動画サイトに大変に熱心に旧ユーゴの80年代を中心とする変な楽曲の数々を紹介するアカウントがあるんですね。カセットテープで少量しか出回ってないんじゃないかみたいな曲まで網羅していたりするので。

 その人っていうのはアイコン画像がドイツの奇人ミュージシャンであったコンラッド・シュニッツラーさんがメイクしたお顔写真を借りてきていることからも「こいつは奇妙な音が大変に好きなヤツであろう」というその趣味性向が伝わってまいります。

 以前にも書きましたが私もこのコンラッド・シュニッツラーさんのことはかなり好きでありまして。

 ごく簡単に紹介しますと、「シンセサイザーをいじっていると、できてしまいがちな変なサウンド」「特徴的だけどこんなバカ目立ちする音色は楽曲制作に持ち込めないな」って多くの人ならそう思うような場所を取るサウンド。「ホゲー」とか「ピギャー」「ギョウオウオウン」みたいな音ですね。それらを組み合わせて曲にしちゃうのが上手な人で。元々は彫刻をやっていた人なので、おそらくこの人がやっているのは「音というカタマリの配置、構成」だと思うんですけど。そうした構造を貫く空気感であるとか色彩感、あるいは感情、風景描写とかも含むのかもしれませんけど、要するに単に変な音を並べるだけではなくて、楽曲を聴かせきるに値する「みなぎる何らか」を乗せて伝えるのが巧みな人であったんじゃないかと思います。変な音楽なんですけど吸引力がすごいんですよ。

 期せずしてまた演説しちゃいましたけど、シュニッツラーさんほどの巨人(作品数がメチャクチャ多い)ではなくても在野の若き変なシンセミュージックを作っていた80年代人との出会いが欲しい。その存在と楽曲的な成果を知りたい。そう考えている私です。

 で、きのうの夜の寝入りばなに「そういえばブラジルの歌手であるナラ・レオンさんは軍事独裁政権の樹立を嫌ってパリに亡命していたことがある」という歴史を思い出しました。パリ在住時にボサノバに取り組んだのが私も大好きなアルバム「美しきボサノバのミューズ」っていう作品なんですけど(Nara Leão Des Anos Depois)。

 それで改めてブラジルのそのあたりの歴史を読んでみました。すると確かに60年代末から80年代の中頃まで軍事政権というのは続いていたようです。その後、文民政権に転じたみたいです。ココまではわかりました。

 しかし私の知るブラジルの80年代のシンセポップであるとかの楽曲を見てみますと、別に80年代初めの方でも割と良い出来の楽曲はあるなっていうのが判明しまして。

 それとか以前にラジオ番組「世界の快適音楽セレクション」で知ったRita Leeさんの楽曲「Nem Luxo Nem Lixo」なんかはシンセとかニューウェイヴとか関係ない音楽性ですが、大変に素晴らしい。あるいはこちらも「快適音楽」で知りましたがガル・コスタさん。この人なんてその才能の奔出というのはモロに軍政権下にかぶるんじゃないかっていうマあんまり詳しくないので突っ込んだ結論みたいのは私には言えませんが。

 政情が与える影響がポピュラー音楽にどれくらいあったのか。ブラジルにおいて。というのは私にはまだ理解できていません。けっこうしたたかにみんなやってたんだなっていう感想もあります。

 あまり国情の分析に傾くよりは、音楽的な実例を積み重ねたいなと思いますので、またしばらくはひたすら聞いてみようかな。と思います。たぶんそういうのが私の流儀でしょう。おそらくいったんモロモロの事情は忘れて虚心坦懐に聞いていく接していくのが良いかなって思います。音に予断を持ちたくないみたいな。そんな気持ちです。