「イラスト・ウソいきもの」カテゴリーアーカイブ

宇宙人の帝国〔01〕

 きのうのエントリは文章が長かったです。

 不幸にして読んじゃった方にはお詫びいたします。

 なぜ長かったのか。

 それは今日の文章も長いので、きのうに振り分けるしかなかったのです。

 1週間前から用意しておいた文章です。それではどうぞ。

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 宇宙人シリーズを今月も続けようと思います。

 なぜなら私の生活が忙しい中、わりとカンタンに描ける題材だからです。

 9月度の初回は「メルセデス星人」を描いてみました。

 なぜ「メルセデス星人」とよばれるのか。それはメルセデス・ベンツという車に乗っていた宇宙人だから、なのです。

 ネット上の「オカルト・クロニクル」というサイトに記述されています(書籍としても売られているらしいです)。

 「オカルト」と銘打たれていますが、特別に怪しい世界が好きとかじゃない人が読んでも問題ないと思います。

 「だましてやろう」みたいなサイトではありませんので、ご興味のある方はご覧ください。

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 そこまでする気はないので要約してほしいという方もいらっしゃるかもしれません。

 これは1974年。昭和49年の出来事です。

 トラックの運転手のオジさんが「オラ宇宙人の円盤に乗っただよ」と語った。そんな事件です。ナマりは静岡県東部のものであって、私が住んでいる富士市で起きた事件なのです。

 私は当時8歳でした。なにかの記事で読んだんじゃないかと思います。「数年前にこんな出来事があった」みたいな文脈だったと思います。

 まだ8歳ですと文字が小さい大人向けの印刷物はちょっとハードルが高いかなと思いますので、今の私が思うに10歳とかの数年経ってから知ったんでしょう。それか古い雑誌をたまたま目にしたか。今となっては全然覚えていないのですが。

 ほんの小さな記述で、読んで一層モヤモヤするっていう種類の記事だったと思います。

 しかしネット以前なんて一方向に情報が伝えられる。それを読んだ人が頭の中で想像を膨らませる。それがごく普通というか、おおむねそれしかありませんでした。

 当時の私の感想は「この富士市で!」っていう感じで、とても戦慄しました。

 上にあげたサイトを読まれた方なら世代が違っても理解できるかもしれませんが、当時は普通の新聞にも小さく「UFOか!?」「宇宙人が現れたか!?」みたいな記事は割とよく出てたんですよね。

 そういうテレビ番組とかも多かったですし、マンガ、読みもの、つまり全周囲を「宇宙人もの(を含んだオカルト・ブーム)」で取り囲まれていたと言ったも過言ではないでしょう。

 以前にも申し上げました通り私は雑誌「ムー(1979年発刊)」であるとか「ノストラダムスの大予言(1973年発行)」と言った「ちょっと怖そうなもの」には一切手を触れずに来た少数派であるんですけど、宇宙人とかUFOはとても好きです。

 おそらく私があの昭和の一時期に子供でいたからなんだろうと思います。

 熱心なマニアの人たちが騒いでいる地点を「大揺れ」とするならば、かなり離れたところで感じた「微動」でしかなかったと思いますが、「微動」であっても私が受けた不思議な感覚は大きくて。周囲の環境的にも「きっといるんだよ」っていう説得力ですね。宇宙人を信じるっていう雰囲気。それらは濃厚だったのです。

 思い返しますと当時は大真面目に「UFOを呼ぶ!」みたいな集会とかもあったそうです。

 呼ばれたからってホイホイ来てくれるものなのだろうかと今の私なら思いますけど、宇宙人さんのご都合なんかも無視した、UFOの来訪とは現象であるみたいな捉えられ方をしていたんだろうと思います。

 もしかしたらアレって宗教観とかにも関連するのかもしれませんね。その方面になるとより一層私にはわかりませんが。

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 イラストの説明に移ります。

 上の車はメルセデス・ベンツ。私が8歳の頃に富士市にベンツは珍しかったと思います。ただし、色は黒色だったようですのでイラストとは違います。

 宇宙人はネコではなくてヒトっぽくて、髪の毛が短くてコケが生えているような見た目。両目の間が離れている。そんな感じの宇宙人がふたり。片方は小柄だったということです。

 以上の事柄はサイトの文章を読んで知りました。

 当時けっこう取材を受けたみたいで、そうした記事なんかが残っていたのだそうです。全然知りませんでした。

 しかし「東名高速道路の側道でどうたらこうたら」みたいな部分は記憶にあったので、「覚えている通りだ!」と思った私でありました(つづく)。

フニャフニャ宇宙人の系譜帝国〔31〕

 レオナルド・ダ・ビンチさん発案の装甲車の内部の様子です。

 薄暗い中で、みんながんばっています。

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 今日はよく寝ました。きのうがんばった影響で疲れていたようです。

 きのうの夜の会議の内容なんですが良かったです。

 「スポーツ・フェスティバル」の計画が現実的になりました。

 私を含めて5人で話し合ったんですが、みんな長くやっている人なので現実的な意見が聞けて良かったです。

 その他、会議の前に倉庫に行って「競争の時に使うピストル」を探したりしました。

 4丁もあって驚きました。何に使ったんだろうと思いました。

 今日はきのう修正された内容を書類に反映する作業をしています。

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 ラジオ日記的にはNHKラジオ第1の午前の番組「ふんわり」を聞きました。

 澤田アナウンサーと俳優の六角精児さんによる楽しい進行。久しぶりです。

 番組の後半で、昔のジーパンの「ベルボトム」と言われる形状について、そしてまた70年代のファッションについて「チューリップハット」などのワードを織り交ぜながらの数分間がありました。

 六角さんもベルボトムのジーパンをひとつお持ちなんだそうです。

 直後にかかった曲がジ・アート・オブ・ノイズの「ビート・ボックス」でした。一気に80年代に飛んで頭がクラクラしました。圧倒的に新しかったサウンドでありまして、80年代の一時期などは私の住む静岡におけるFMラジオ放送でも毎日1回は流れていましたね。

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 ところで私も1本だけ「ベルボトムのジーパン」は持っておりますのでご紹介しましょう。右のほうがそれです。

 どちらかというと私の年代だと「ラッパズボン」っていう方が親しみがあります。

 どちらも同じメーカーですので違いがわかりやすいかなと思い、掲載しました。

 こうしてみると、裾が広がっているのもあるけど、膝の部分が締まっているんですね。

 店員さんの弁によりますと「当時のジーパンから採寸して作った」とか。

 また今日の六角さんも裾の長さが重要みたいなことをおっしゃってましたけど、私が買った時も店員さんが「ここじゃ!」っていうポイントを割り出して裾上げの部署に回してくれました。この辺はよくわかっている人に任せるのが一番です。もう20年も昔に買ったんですが。しかし当時よりも脂肪を落としましたので今でも全然履けるはずです。

 写真で見ると「案外ひかえめな広がり方だな」ってなりますけど実際に履くとけっこうハタハタします。

 最近の私はもっぱら自転車ですのでジーパンを履くことはほぼ皆無です。半ズボンが楽なんですよね。

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 かなり文章が長くなってしまいましたが。

 以前から用意してあった原稿がございまして。

 タイトルを「印象的な女声ボーカルを巡る旅。in ニューウェイヴだったりシンセポップ」といいます。

 連続した読み物にしたいのですが、まだ2回分しか書いてません。

 その中から「第2回」を掲載します。

 ナゼいきなり「第2回」なのか?

 それは先週にNHK・FMで放送された悪の番組「ジャズ・トゥナイト」で特集されたエラ・フィッツジェラルドさんの楽曲の数々を耳にして感銘を受けたからです。

 フィッツジェラルドさんの“スキャット”に注目した部分がありました。

 まだ今週土曜まで「聞き逃しサービス」で聞けますので、興味のある人は聞いてください。

 私としてはディジー・ガレスピー氏のトランペットに合わせてスキャットによるアドリブ合戦のところ。とても良かったと思います。

 フィッツジェラルドさんは歌手として本格的に始める前はダンスの方に自信があったということですが、聞いて納得。リズムに乗る能力がとても高い。すごいものを聞いたと思いました。実にエキサイティングでした。

 そんなワケで、たまたま“スキャット”に焦点を当てた原稿を用意してありましたので、この機に乗じて掲載したいと。そう思うのです。

 それではどうぞ。もちろんジャズの話じゃなくて、ニューウェイヴです。

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 「印象的な女声ボーカルを巡る旅。in ニューウェイヴだったりシンセポップ」の第2回です。

 「サリー久保田グループ フューチャリング 井出ちよの from 3776・香港庭園」という作品に戻すところから始めたいんですが、「香港庭園」にしろ3曲目の「リボンの騎士」にしろ、中間部の歌詞のないスキャットな部分の「声の鳴り」がまた素晴らしいですね。ボーカルを器楽的にとらえた意図と申しますか。

 私の耳には狙ってやっていそうだと聞こえました。

 エンジニアは佐藤清喜さん。久保田さんと相談して作ったんでしょうか。高域を丸めているのも元気な女声の豊富な倍音をなるべく器楽的に扱いたいからなのかなとか、色々考えてしまいます。元ナイス・ミュージックの佐藤さんがバンドサウンドの録音、そして音の自由な扱い方が出来るとは。私は初めて知りました。

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 本日ご紹介したいのは、スペインはマドリッドのバンド、Ataque De Caspa の楽曲「Viaje A Egipto」。1985年の作品です。

 中間部にスキャットがあるんですけど、ほぼ器楽的に鳴っていると思います。

 そしてまた曲が良いですね。

 私もこうした音楽を聴いて長いですけど例えるならホームラン。160m弾です。

 怪童・中西太さんね。亡くなられましたけど。

 永六輔さんのラジオに出演された際に「永さんがよく着ている刺し子半纏(さしこばんてん)が欲しいんだけどさ」って相談してました。春先のヤクルトのキャンプ地っていうか神宮から電話でね。

 永さんがそれはもう我が意を得たりとばかりに嬉しそうに「じゃ送りますよ」っていう。

 ああいう手仕事とか日本の職人とかが大好きな人でしたけど中西さんもそういう人だったのかなって思います。

 まだ外山惠理アナの通訳が必要じゃなかった頃の元気な永さんと、そして中西さんの思い出なんですけど、関係なさすぎますので戻しますよ。

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 Ataque De Caspa の「Viaje A Egipto」というのは和訳すると「昆虫学 – エジプト行き」っていう意味みたいです。

 ふたつがつながると「エジプトに昆虫を探しに行く旅」みたいな意味が浮上してきますけど、別にそれを意図したわけではないでしょう。

 この録音はデモテープだったみたいです。

 そういう音質だなって気もしますね。冒頭のギターのフレーズがほんのちょっと欠落していますし。過不足なく録れていると思いますが素人っぽさも大きく感じます。

 スキャットのところは格別にテープコンプがかかってる。オーバーダビングしているとすればここだけゲインが上がっているというか悪く言うと平板というか、それがコンプレッションっていうことではありますけど、納得できるかなと思います。

 不鮮明ですけどとても印象的な良さがありますね。声の他にユニゾンでギターが鳴っているかもしれませんが、あまりに渾然一体で、どうとも言えそうにありません。

 デモテープの録音としては、この他にも数曲が残ってまして、後でちゃんと本番の制作をするつもりだったのかも知れないですが、デモを録音した後にバンドは解散したようです。

 残念ですけどリアルな若者たちの音楽的活動っていう何かしらかが垣間見られるようで、それはそれで悪くないです。私のような老人からしますとね。

 近年に再結成してわりと最近まで活動していた形跡がネット上にはあります。再結成した後に2枚のアルバムを作っているようで、聞いてみた感じわりと良いです。やはり女性ボーカルを核に据えたポップスが非常に好きな人たちの集まりなんだなと確認した次第です。

 あとバンドの核はギターの人ですよね。ギターが引っ張る曲想といい、音もデカいしね。私はギターの音がデカい曲は好きですけどね。

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 以上、中間部のスキャットに多大な魅力を備えた楽曲、Ataque De Caspa の「Viaje A Egipto」のご紹介でした。ありがとうございます。

 「Lalala」という曲もスキャットが印象的な良い曲だと思います。ご興味ある方は聞いてみてください。

 これらの曲はバンド的にも広く共有したい気持ちがあるのかわかりませんけどbandcampのサイトでタダでダウンロードできます。

フニャフニャ宇宙人の系譜帝国〔30〕

 レオナルド・ダ・ビンチさん発案の装甲車的な乗り物の上部には穴が空いていて、ポール星人型ロボくんが頭を出せるようになっています。

 イラストはその定位置に収まったロボくんです。

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 今日も「スポーツ・フェスティバル」の準備で大変に忙しかったです。

 これまでに作った書類を見直したり改訂したり。目が回りそうでした。

 今夜は会議でありまして、つまり夜までこの忙しさが続きそうです。

 会議では、決まりつつある業務の内容を関係各位に説明、理解していただくつもりです。

 来週の月曜日に実行委員会が開かれることになりましたので、明日からはその準備も始めないといけません。

 今日はもう水曜日なんですね。早いなぁと思います。

フニャフニャ宇宙人の系譜帝国〔29〕

 レオナルド・ダ・ビンチさん発案の装甲車というか、戦車みたいなものというか。

 かたちが良いなと思って描きました。

 当ブログでこのところ描いております「ポール星人型ロボくん」と似た部分があるなと思います。

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 今朝は重い荷物を運搬する作業に従事しました。

 気温的には高いですけど、それでも少しは秋が近くなっているんでしょうか。

 富士山がよく見えました。

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 日記的な記述としては今日も忙しかったです。

 「スポーツ・フェスティバル」の準備作業です。

 書類をたくさん作る必要があるんですが、「こっちはもう少し先でも大丈夫かな」と思っていたものたちが「早く作らないとマズい」という領域に入ってきています。

 これからちょっと外出して色々片付けてくるんですが、帰ってきてからも書類作りをがんばろうと思います。