「イラスト・オバケ」カテゴリーアーカイブ

おばけキャットくん〔18〕

o-bake-cat_18

 「るろうのお好み焼き屋さん」に身をやつしたおばけキャットのグループが、リヤカーを引いて移動している場面です。

 ────────────────────

 ラジオ日記なんですが、NHK・FM「現代の音楽」。
 今年度の企画として現代音楽の歴史を辿る連続講座が始まっています。
 すでに2回の放送を終えた後で初回は無調について、2回目は表現主義について学びました。
 録音しておいたものを何回か聴き直して理解に努めました。

 この機会に、以前やはりNHKのラジオでやっていた講座。作曲家の薮田翔一さんの連続企画。そちらも現代音楽について学ぶ内容だったんですが、後半の比較的最近の内容しか聞けていなかった。
 しかし世の中よくしたものでネットに固めて音声ファイルが置いてありましたので、ダウンロード。するだけしてまるで聞いてなかったんですけど、今回、最初の数回分を聞いてみました。

 私なりに現代音楽の起り、当時の状況や心理だったり音楽的な欲求あるいはやりがい? マそんなものが飲み込めてきました。

 それと表現主義ですね。西村朗さんの解説を聞いて腑に落ちたんですけど。
 自由さっていうか。

 理解に供する一助として、私は当時の絵画における運動などを参照しました。これがやっぱり私にはとても良くて。

 固有色からの解放であるとか、ひとつの画面に右から見た風景も左から見た風景も押し込めたいとかあるいは時間の移ろい、要するにそれまでのちゃんとした絵画を踏まえた上でのさらなる表現、突拍子も無いようにも見えてそれまで描きえなかったリアルさを画面に固着したいんだよっていう欲求でしょうか。
 そんな風に思うことにしました。自分なりの整理として。

 それとね。今まで無調の音楽などを聞くに扱いに困る部分もあったんですが、「聞いて何がしかの色彩だとか図形だとか風景、あるいは匂いなどでも良いんですけど、とにかく何か連想できたりしたら、ソレで良いんじゃないかな」っていう気持ちであたることにしました。

 これも絵画の話になるんですけど、展覧会などで原画を前にしてその絵にザブーンと浸っていると、描かれてはいない別の何かが感じられてくるコトがあります。コレがスゴく良いんですよ。
 その絵が自分にとって忘れられないものになる。

 下に画像を貼ったんですけど、新宿の伊勢丹で見たポール・デルヴォーさんの絵画。それを見て体験しました。

ベルギー巨匠5人展

切符

 改めて調べてみたら、デルヴォーさんって駅舎や鉄道の絵を多く描いた方であるそうなんですが、私が見た絵もそうでした。

 余談ですけど、私は展覧会などに行った際に書かれている文字や解説はよほどのことがない限り読みません。
 ちょっと笑われてしまうかもしれませんが原画との対面は私にとっては真剣勝負みたいなところがあります。全精力を絵を見ることだけに集中したい。原画なんておそらく一生にその時しか出会えません。
 でも解説その他なら事後にいくらでもなんとかなりますからね。
 題名すら読むことは少ないです。
 絵の印象だけで頭をパンパンにしたいんですよね。

 ンでもってデルヴォーさんの絵なんですけど、こりゃイイなってながめておりました。
 かなり独特の冷え冷えとした絵を描く人なんですけど、すると「ガッチョン」って列車が動く音が聞こえたんですよね。
 おどろきました。
 「キシー」ってレールに車輪がこすれる音とか「カショコン・ガショコン」というレールのつなぎ目を通過する音なども続いて聞こえてきました。どんどん引き込まれていきます。

 私はそれまでも例えば民衆の生き生きとした絵を見たりすると「声や物音などが伝わってくるようだね」なんて感想を持つことはありましたが、具体的に「音」が聞こえてきた経験はその時が初めて。しかしこれはイイと思いました。
 以後、同種の感覚を大事にして名画との対決にあたることにしています。大げさなんですけどね。

 そんなワケで、現代音楽に戻しますけど、触発される何かを大切にしようと思います。自分なりの。
 作曲家の加古隆さんの「現代の音楽」における再放送でも、クレーの絵を見た印象から曲を作ってみたことが語られていましたけど、加古さんの語りくちとクレーの淡い色彩が非常に相性が良いなって思えたりもするワケなんですが、ともあれ作曲に絵を用いるなら曲を聴いて何かの風景を思い浮かべるのも当然アリなワケですよ。

 別にまちがった解釈であっても他の誰かに言ったりするワケじゃないですし。ブログには書くと思いますから意味ないんですけど。

 長くなりましたが、本日は「12音技法の誕生について」でした。
 アルノルト・シェーンベルクさんの仕事を理解するっていうのと同義かなって思うんですが、やはりここまで無調、表現主義と段階を踏んで聞いてきたのが良くて今までになく理解することができました。
 考えたね! シェーンベルクさん!っていう感想ですよ。

 薮田さんの講座の中で言われた言葉に“作曲家”は“コンポーザー”であって、その意味としては“配置する”とかそういうこと。すなわち企画立案みたいな部分が大事なのかなって、そんな風に納得しました。今日の放送も聞くにつけ。
 マこれも私なりの理解ですけどね。

おばけキャットくん〔17〕

o-bake-cat_17

 おばけキャットが「お好み焼き屋さん」を始めたというイラストです。

 いぬオバケがお客さんです。

 上の方で、おばけキャットがモメています。
 どうやら、味付けをどうするか? で意見が割れているようです。
 みんな職人気質なので、こだわりが強いんですね。
 きっと。

 いぬオバケくんは、「チーズ味のピザっぽい味」にしてほしい、と考えているようです。

 ────────────────────

 ラジオ番組「文芸選評」を聞きました。
 今日は俳句の日でした。
 兼題は「こうもり」。

 いったいどんな俳句が寄せられるんだろうかと楽しみにしていました。
 ちょっと変わってますよね。
 俳句の世界ではそうでもないのかな?

 今週の「らじるラボ」での鈴木桂一郎さんの「ラジオ句会」でのお題は「かたつむり」だったと思うんですが、こちらならもうズバリ「6月!」。「入梅!」って感じで親しみやすいんですけど。

 そんなワケで期待の高まる「こうもり」なんですが、やはりなかなかの聞き応えでした。

 私が好きだなと思ったのは「ワタワタと飛んできたコウモリの小さなお顔」を発見する句でした。
 こうもりは目なんかもチンマリしていて、かわいらしいですしね。

 ソフト・セル的に言うなら「セイ・ハロー・ウェイヴ・グッバイ」。
 続いてるんですよ。きのうから私の中でのソフト・セル祭り。ていうか終わらない。ノン・ストップ・エクスタチック・ダンシン(や)ですよね。

 戻しますけど本日の選者の先生は、鴇田智哉(ときたともや)さん。漢字が難しい。
 この方は先月でしたか「文芸選評」の先生として出てらした関悦史さんと仲が良いみたいで。
 同学年なのかもしれないんですけど、鴇田さんの俳句の紹介が冒頭にありました。
 「うがいの音がふたつの柱のように立つ」という俳句が良かった。
 うがいの時の「ゴロゴロゴロ」っていうのは「1本、2本」って数えるのが正しい気がしてきます。

 それと俳句の話題に合わせて書いておきますが、関さんのブログを見たら他の俳人の方の句集か何かの紹介がありました。
 どうやら俳句の世界では、作者の方から句集を贈呈されたりした場合、「この本から私が良いと思った句はコレです!」って紹介する文化があるみたいなんですよね。

 そこでかなりビックリした俳句を読んでらしたのが中村猛虎っていう、またすごい名前の方の作品。
 奥さんの闘病と死についての俳句でした。これはエグられました。

 名前だけ聞くとドコに行くにも黄色いハッピ着て首からメガホン下げてそうですけど、お写真を見るとそういうコトはなかったです。

おばけキャットくん〔16〕

o-bake-cat_16

 ────────────────────

 ラジオでピーター・フランプトンさんの名曲「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」を聞きました。ライヴ・バージョン。
 何回聞いても良い。
 いつ聞いても良い。
 そんな曲です。

 NHKラジオ第1「らじるラボ」。
 コーナー名としては「FMリクエストアワー・リターンズ」。
 割とよくゲストの選曲者を招いての進行ですけど、今日は吾妻謙アナの選曲。

 アヤフヤな記憶ですけど音楽家のスガシカオさんが確かピーター・フランプトン・モデルの黒いレス・ポール・カスタムをお持ちじゃ無かったでしょうか。グレコの。ましかし、もしかしたらジェフ・ベック・モデルかもしれないし確かめようも私にはありませんので単なる余談にとどめておこうと思います。どっちにしろ黒いレス・ポールなのかなって思うんですけど。

 んでもって「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」なんですけど、トーキング・モジュレーターによる「ポワワワワン♪」っていうボーカル・ラインも大変に素晴らしいんですけど、もう一本の大きな柱はバッキング。
 特にアコギの「ザザズコ・ザザズコ」っていうリズムですよね。もうあれを聞くだけでカラダ全体が肯定的な気分でふくらんできます。

 番組による情報としてはフランプトン氏は今年、引退を決めていてラストのコンサート・ツアーが企画されていたようなんですが、今般のCovid-19により取やめなんだとか。

 年はとっても「老いたな」っていう感じは薄かったフランプトン氏ですけど。
 やっぱり寄るトシナミにはねぇ。これも時間の流れか。

 それと日本のバンドのショウヤがかかりました。私も耳にしたことのある有名な曲。
 あの曲の最初の方ってもしかしたらライオットの「ナリタ」ですかね? 違うバンドの違う曲かもしれないですけど80年代のメタル系のね。まぁともかくショウヤの演奏も大変に素晴らしかったです。

 番組を聞いていたらやおらソフト・セルの2000年代初めに再結成した時のライヴが聴きたくなってしまってそちらに移行。好きなんです。これ私。
 DVDも持ってるんですけどデイヴ・ボール氏がYAMAHAのQS300だかを前面に据えているのはド肝を抜かれましたね。
 私はあれ以外にYAMAHAのQS300がドえらい数の(また濃度が濃いのなんの)お客さんでいっぱいの会場に据えられているのは見たことがありません。
 QY300をビルト・インしたっていうね。そういうシンセ。

 私、QY300は使っていたことがあるんですけど、外部に多数のシンセをつなぐ感じの90年代ベッドルーム・テクノ的な環境ですよ。
 ところがQY300って、いわゆるスコープ・エディットの時には外部にMIDI信号をトリガーしないんですよ。これは私的にはすごく困った事態でして。
 あれ1台で内臓音源を駆動するカタチで全部作るんなら、まったく問題ないのですけど、他につないであるシンセの音が発音しないと全然感じが違ってくるので困りましたね。あの時は。

 (下の画像は当時の私のお部屋の写真です。)
ROOM_90s

 私は基本的にメーカーに電話で問い合わせとかはしないでマニュアルを読んで自分で何とかするタイプなんですけど、あの時はもう降参してヤマハに電話しました。
 そしたら「仕様だ」の1点張りなんですよね。
 とりつくシマもないって感じで。
 そんな「仕様」があってたまるかよっていうのが私の主張なんですけど。

 カタログ読んだ限りでは「壮大なMIDIシステムの中枢として君臨するに相応しい実力」みたいなコト書いてあったんで、それ読んでフワワワワンって感じにシアワセな心境でイザ買ってみたら裏切られたっていう。一種のサギですよね。
 それから10年くらいは絶対にヤマハの言うコトは信じないって感じで、製品も買いませんでした。

 シーケンサーとしてはカワイQ-80に戻る感じで。これが安くて非力なんだけど天才的に使いやすかったんですよね。

 なんか熱く語ってしまいました。何だっけ。ソフト・セルですよ。
 曲としてはね。「ザ・ナイト」。すばらしい。

 これってホントはフォーシーズンズの曲なんですよね。

 ソフト・セルのバージョンは、レネ・ロヴィッチ氏のバージョンを下敷きにしているみたいですけど。

 このレネ・ロッビチ歌唱による「ザ・ナイト」は私の中ではもう最高。
 もともとあの人ご自身が「夜」って感じですしね。

 あの人の歌い方のクセの強い感じとかオノ・ヨーコ的スットンキョー具合とかも全部良い方に行って、まさに、ちあきなおみさんの「夜においでおいで」する歌のような世界。たまんないですよね。