「イラスト・さかな」カテゴリーアーカイブ

深海クチバシ鮫-ミツクリザメ〔01〕

 別名「ゴブリンシャーク」というのだそうです。

 アゴ全体がグイッと前の方に飛び出してきてエサを食べるという、かなりコッた構造ですよね。ネットで書かれた文章を読むと、サメの多くはアゴがそんな構造をしているんだそうで、ミツクリザメは特にそれが目立って見えるだけ、珍しくはない。という説明なんですけど本当なんでしょうかね。私なんかは「こんな仕組み見たこと無い!」と、相当に驚いたクチですけど。

 マとにかくですね。しばらくミツクリザメさんの練習をしようと思います。本日のは1発目から割とよく描けたかなって思っているんですけど、どうでしょうか。

 映画「ガメラ」に出てきた怪獣に似ている気がしてならないんですが、調べてみたところ、「深海怪獣ジグラ(1971年)」っていう怪獣がミツクリザメ氏のスガタカタチを参考にしているみたいです。なるほどね。

 話は変わるんですけど、ちょっと前に練習していた「イバラヒゲ」さん。ウマく描けた気がしておりません。もう少し回を重ねるべきだったかなと反省しております。今後、チョロっと背景的な存在として出てくるかもしれません。

深海の戦い-ダイオウイカ

 本日のブログ用イラストは「クジラと戦うダイオウイカ」です。

 最初の考えとしては単体の「ダイオウイカ」のみのイラストを描くつもりでいました。

 しかし参考になる画像をネットで探したところですね。多くの方たちがクジラと戦うダイオウイカに興味があるみたいだぞ、と知ったのです。いろんな方たちが絵にしています。そんなにみんなクジラと戦っている場面が好きなのか。と感心しました。

 なんでも実際にクジラの肌にダイオウイカのものと思われる「噛み跡」が、よく発見されるんだそうで。そんな大活劇が繰り広げられているんですね。海の中でね。ビックリですけどね。

 マそれはともかく、私の中での両者の位置付けとしては「なんかいつも抱き合っているふたり」というコトにしようと思います。戦っている関係性ではなくて、逆にしたっていう感じですね。

 何度か書いている通りですが、一連の「深海魚の練習シリーズ」は私の想像する「地獄ワールド」の周囲をザワザワザワ~と泳ぎ回っている脇役、背景になる住人、みたいな役割。それに役立てたい、という意図なんですが、そうしたおサカナさんたちの中に抱き合っているクジラと巨大なイカがいる。ちょっと面白いかなと思います。そんな感じにしたいのです。

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 近況メモとしては、お昼過ぎにまたもや自転車で重い荷物を背負って坂を登る、という作業をしました。とても暑かったです。もちろん保冷剤をからだに装着しているんですが。

 まだこの先も大変な暑さが待っておりますので、気持ち的にも負けちゃわないように、がんばっていきたいです。

深海ホネホネな魚-オオクチホシエソ〔07〕

 朝のうちに自転車で坂を登板しつつ重い荷物を背負う修行を済ませました。お昼過ぎにしようかとも思ったんですが、本日の気温も高そうでしたので、危険かな?と考えた次第。

 お昼からは庭の草むしり。先日の活動の第2弾。もう1日かかりそうです。今日は主に野外活動をがんばったな、という感想です。よく眠れそう。

深海ホネホネな魚-オオクチホシエソ〔06〕

 今日は大変に気温が高くて暑かったです。こたえました。

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 今日もラジオ日記なんですが、NHK・FM「現代の音楽」。

 NHK電子スタジオものの第3回。もうちょっと続けたい旨のアナウンスあり。私は大歓迎です。

 考えてみれば「現代の音楽」っていう番組はこと「NHK電子スタジオ」については総本山みたいな部分がありますからね。責務と言っても良いかもしれない。解説の西村朗さんにしたところで現場で曲を作った経験がおありですし。

 今日かかった曲はまず湯浅譲二さんの「ボイセスカミング」。ことばにまつわる曲。電話回線の交換機を思わせるような録音から始まる曲ですが。以前にNHKラジオ第1「らじるラボ」で、昭和の30年代だったか、除夜の鐘が鳴って、新年の挨拶をやり取りする国際電話の交換機上の録音を聴く機会がありました。それは主に単身赴任をされているお父さんと家族のやりとりといったものでしたが、それらを聞いた時にちょっとこの「ボイセスカミング」を思い出しました。

 次に言葉が変容していくような面白いテープ操作。「あのー」「そのー」という、それ自体は意味を持たない「つなぎ」みたいな言葉が執拗に続いていきます。前段を受けて大きく見たコミュニケーションのようすであるわけですけど、対面する関係にあっては案外、意味のない言葉であっても一定の役割を持っているのかなと感じました。意味と意味との間のパッドみたいな存在ですね。

 次の段はいよいよ当時の60年代末を色濃く描写した場面になりますが、浅沼稲次郎さんと、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアさんの演説のカットアップに激しい音響が絡むという。私は今日初めて西村さんの解説でこの段の声素材が浅沼・マーティン両氏によるものだと知ったんですが、それを知って聞くとこの部分の力強さとか激しさが非常によく理解できますね。ここには湯浅さんも注力したんじゃないでしょうか。なるほど。感激しました。これについてはネット上に詳しく論じたPDF論文があることを、つい今しがた発見しました。これまたありがたいですね。頭の良い人がいろいろ聞いて考察してくれていますよ。読んでみて何かの役に立てたいですね。

 次の曲は、一柳慧(いちやなぎとし)さん。「東京1964」ですか。落語の「時そば」にリングモジュレーターが大胆にかかってきて、お客のオヤジが「イツ・ムー・ヤー」ってやっていく内に宇宙人みたいになっていく曲ね。抱腹絶倒なんですけど。最後の段の電子合成ボイスによる「いっぽんどっこ」の独唱。もう私はホントに大好きで。放送を聴き終えた後にたまらず「ミュージック・フォー・リヴィング・スペース(1969)生活空間のための音楽」も聞きました。こちらも電子合成ボイスが活躍するんですけど、黒川紀章さん? 彼のメタボリズム建築っていうかカプセル構想ですよね。建築家は思想家であるっていうような面が強く表現されているかと思うんですけど、たどたどしくギザギザとした電子合成ボイスが未来を予見していくというこのパースペクティブな感じですよね。震えますよ。

 思い出すのは私が子供の頃にテレビで聞いた電子合成ボイスです。それはもう70年代のことだと思います。もう少し技術が進化した後で。「西郷隆盛さんの体格などを考慮して、肉声を再現する!」っていうサイエンスな企画でした。演算に何ヶ月もかかった。みたいな触れ込みだったと思います。もう聞くだに「貴重だな!」って予感に震える思いなんですけど、出てきた音はノイズ混じりの「西郷どんでごわす」っていう本人は絶対にこんなこと言わない。っていう感じなんですけど、それでもメチャクチャ楽しくて。これは大変。未来だな!っていう感激ですよね。もうこの先どうなっちゃうんだろっていう楽しい予感に満ち満ちているワケなんですけど、しかし今のこの2021年の現状はなぜか合成音声っていうとボーカロイドの跳梁跋扈といった次第でして。別にボーカロイドを敵視する気持ちはないですし、好きじゃないものの「テクノロジーだな」とは思います。でも私が欲しかったのはこういうのじゃないんですよね。もうありとあらゆるパラメーターが装備されているボーカルシンセサイザーというか、全てのヒトの出す声が再現可能といったもので、しかもその声質変化していく経過がシームレス。つまり可愛らしい子供の声から魔法使いみたいなおばあさんの声までズイズイいけるっていう感じです。素晴らしいドリーム・マシーン。需要な部分は「それでもかなりロボットっぽい」っていう点も込みですけど、その到来を待っているんですが、案外この世の中アニメ声優が自由に、つややかに歌うっていうワールドを好む人が多いみたいで絶望することしきりですよ。もうちょっとなんかこう別の面というかね。「合成」とか「ジェネレートする」っていう感覚に欠けるかなと思うんですよね。ボーカロイドはね。一応あれもグラニュラーシンセシスとかいう技術だと、その辺理解はしているつもりなんですけど。長くなっちゃったし、キリもないのでコレでやめますが。いくら私がここで力説してもね。

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 全く別の個人的な聴取活動ですが、先週聞いて録音しておいた高柳昌行さんの演奏。大友良英さんによるわかりやすい解説とポイントを絞った選曲でしたけど、聞き返してみました。やはり素晴らしかったです。すごい活動を残した人だなって思いました。