「イラスト・いぬ」カテゴリーアーカイブ

特報! お店で演奏会

sen-da-gaya_22

 本日のイラストで「千駄ヶ谷にかつて存在したギター・ショップ「エスペランサ」総力特集」は終わりなんですよ。
 どなたが見てくれているかわからない当ブログではあるんですが、何かの役に立ちましたかね。
 まぁ、「実用」って意味ではかなり薄いですけどね。
 当ブログのどの記事も。

 マダム・ギター長見順さんの楽曲に「私の役割ってやっぱり周囲を明るくするコトだと思うの」っていう、スーパー・オバちゃんロードな名曲があるんですけどね。
 私のブログもそういった存在でありたいですね。

 そんな意味では私がつのらせているピーター・バラカンさんへの異常なレベルにまで達した本気の悪意なんかも控えていこうかなと思っておりますが。
 人畜無害ってね。ソレが果たしておもしろいのか?
 私の場合、イラストがかなりそっち寄りなんで、文章では相当に毒分ふくんでいてもいいんじゃないかって思いますが、中には繊細で悪意にまみれた文を目にするだけで神経にさわるって方も。
 もしかしたらいるのかもしれません。

 説明に入りますが、これは「想像」ではなく「実際に見かけた光景」なのです。
 正確には「通り過ぎる際に垣間見た」。なんですけどね。

 この千駄ヶ谷っていうエリアが私がよくフラフラしていた地区だというのは、コレちゃんとは言ってませんでしたね。
 ですがそうなんですよ。
 スケボーとかもしてましたし、会社の帰り道としても四谷4丁目の角を曲がって大京町のワキを南下するみたいなね。
 確かそんな「帰り道」。「夕方」だったと思います。

 ちょっと今、大京町を思い出したところで交番のちょい北側にあった「デイヴィー・ジョーンズ」っていうモンキーズ由来のおそらくそんな店名のお店のイラストをこの際描いておくべきじゃないかと思ったんですが、シャッターが下りているところしか見たことが無いんでやめました。

 ンでね。ギター屋さんなんですけど。
 表のドア越しに3人くらいのおじさんがギターを演奏しているのが見えたんですね。
 「ホウ! こんな!」。「そうなんだ! やっぱりね!」っていう。かなりうれしかったんですが、チラッと見ただけですよ。

 そんなに広いお店じゃなかったのでもう印象としてパンパンでドンパン節だったんですけど、非常に良い光景でした。印象に残っています。
 ヒザをつき合わせてっていう感じ。モロにそれですね。
 正確に言うと通りの方に背を向けていて私には背中しか見えなかったんですが。

 このイラストが描けてうれしいです。
 だれかに伝えたかった。
 もうこのお店は無いんですけど。
 要するに不渡り2回出しちゃって債権者様向けの張り紙がオモテに貼ってあるところを見たっていうコトなんですが。
 それでも私の20年ほどの東京在住期間をいろどってくれた楽しい夢のある存在でした。

 私の中では今でも終わるコトない演奏会・イン・お店が続いているってコトにしたいです。

sen-da-gaya_22b

 ────────────────────

 ラジオ日記なんですが、寝坊をしまして「世界の快適音楽セレクション」の冒頭10分ほどは聞けず。
 今日は番組のテーマが「液体」だったんですが、ラヴェルさん作曲の素晴らしい曲を聴きました。
 ピアノの曲だったと思います。
 実によく水の性質を写し取っていると思いましたが、静かな状態の水の様相ではなく、動いている際の水を表現しているように聞こえました。

 琉球交響楽団の演奏が最後に聴けました。大友直人さんの指揮。
 沖縄っぽい感じもふくんだ素敵な曲でした。

 大友さんってNHKラジオ第1の「すっぴん!」にゲストとして来てくださったように思います。去年くらいでしたか。
 それで初めて琉球交響楽団について知ったのでした。
 ゲスト当日は確か数人の楽団員の方が幼稚園に出張コンサートに行かれたというご紹介だったと思います。
 大切な活動だと思います。

 私も小学生の頃に山本直純さんの「オーケストラがやってきた」を富士市民文化センターで聴きました。
 意味も価値もわかりませんでしたが、スゴい響き。ふくらみ。そしてツヤ。みたいな部分は忘れずにあります。

 そのあとの話になりますが高校の時の文化鑑賞活動みたいなのでも東京の楽団の方たちが来てくださって。
 良い演奏だと思いました。感激しましたね。
 学校の吹奏楽の部長が大変な音楽好きで、オレも音楽大学目指してるから聞きたいみたいな感じで彼が率先して企画を希望として出したんじゃなかったかと思います。
 演奏後に出てきた楽団の人になんか聞いてましたけどね。
 私は高校3年間、応援団みたいな活動をしていた関係でブラスバンドと夏は連携しておりまして、割に近い関係だったんで、がんばれよみたいに思っていました。

 ラジオの話題に戻るんですが、山田耕筰さんの大正10年台半ばの活動を振り返ったご自身によるエッセイの朗読を聞きました。先日。
 そこで「交響楽運動」みたいな言葉を聞きました。
 なんのコトかなと思って調べてみたら要するに交響楽団を組織したいという、日本における最初の一歩という意味だったみたいです。
 かなり苦労したみたいで。
 軍楽隊はともかく、管弦楽にはあまり政府として関心がなかったみたいで、結果、民間がなんとかしないといけない構図があったみたいです。それで大正までかかったんですね。きっと。
 たしかに「ニッポン時空旅」でも軍楽隊のコトは聞いたんですが。
 当時の日本にはやるコトがたくさんあったんですね。

 ネットでダウンロードできるPDFにまとまった論考みたいなものも参照するに今でも運営には苦労している楽団が多くあるそうで。いやはや大変だなって感想を持ちました。
 最後ちょっとグダグダで要領を得ませんが、今日はこの辺で。

ラジオ聴取ドッグ

radio_nyan-ko

 元気にイラストの仕事をしております。調子は良いです。
 以下はラジオ日記です。

 朝、「そろそろラジオの時間だ」と気づいてラジオをつけたんですが、もう放送が始まっていてビックリ。
 今日はいつも聞いているNHKラジオ第1「すっぴん!」は特別放送で時間が拡張されていたのでした。数百名のリスナーが大きなホールに詰め掛けての公開生放送。

 「カッパのお正月」に関するリスナー参加の大喜利の大半を聞き逃しました。
 さきほどNHKのサイトの「聞き逃しサービス」を利用して聞きました。
 「カッパのお正月も、三が日を過ぎる頃になるとキュウリにカレーをかけはじめる。お正月の味に飽きてくるのだ」というような投稿が面白かったです。

 ダイアモンド✡ユカイさんのコーナーにはバンド、ロールBダイナソーの3人が集まる形で超豪華。
 朝も早い時間だというのに織田哲郎さんもユカイさんも声の状態がバッチリ。私が勝手にジム・モリソン系だと感じているユカイさんの低い方の響きもグレートでした。
 リードギタリストのアサキさんのアコギ演奏を初めて聞きました。グニュウ・ツールというバンドではかなりエレキギターの音色に関して先進的な事をされているようなんですが、アコギもとてもウマいのだと知れて有意義でした。

 能町みね子さんのコーナーは都内の路地が素敵な場所からの生中継。
 ひとつ目は、品川の高輪の裏あたり。
 私の妹が以前に住んでいた場所から100メートルくらいの場所まで行かれたようです。
 今日の放送であの辺りが、とても起伏に富んでいるのだと知りました。

 私が妹の引越しの際にソコまで行った時は品川の駅から「ざくろ坂」、「二本榎通り」を通ったので起伏についてはわかりませんでした。惜しい。
 しかし本当に目と鼻の先のあたりですので、「住宅が密集している」という感じは想像ができました。それにかなり段差はあったという記憶はあります。
 完全に徒歩でしか行けない路地沿いに妹が住まわせていただいているおウチはありました。
 大家さんが1階に住んでいて、2階を女子学生に限って貸しているという形式。定員3人か4人という感じの小規模なもの。
 ソコが再開発のために取り壊しになるというコトで私が引越しの手伝いに行ったのです。
 妹自身は当時、「学生」とは言いがたく、お昼は働いて、夜に高輪にある大学の成人教室に通い、教授の方に顔を覚えていただいて、能力などもアピールした上で大学院に入れてもらったというトリッキーな経路の道半ばでしたかね。
 出身大学とは違う大学の院に入る場合には色々と大変なようです。私はその辺の事情については全く無知なんですが。

 そんな妹が住んでいた路地の先にあるお宅なんですが、今はビックリするくらい高いビルが立っているようです。場所的には明治学院大学の門に近い感じで、裏はお墓がたくさんありました。

 能町さんの生中継のふたつ目は新宿のはじっこというか神楽坂を登ってさらに北上したあたりにある山吹町の周辺だということでした。神田川が大きく流れている道沿いだったようです。
 私はかなり昔に「トーハン」という出版物の取次ぎの会社でアルバイトをしていた経験があるので懐かしかったです。
 この辺にしろ、高輪のあたりにしろ、古い地名が多く残っていて、とても良いな、と思います。
 永六輔さんも生前におっしゃっていましたけど、地名は残すべきだと思うんですよね。
 私としては神楽坂のあたりでいうと、弁天町に隣接する榎町でしょうか。昔、写植を打ってくれる会社があったのでグラフィックデザイナーの時代によく行きました。裏にDNP(大日本印刷)の工場があるんですけど。とにかくこの辺は狭い道路にフォークリフトがパレットに紙束を乗せて走り回っていたりします。
 それと当時は地名なんて意識していませんでしたが柳町になるんでしょうか。銭湯があって、2回くらい行きました。当時は残業を200時間弱ほどしていたのですが、そうなると部屋に帰るのが難しい日が数日でますので利用したと。
 おそらく私だけでなくDNPとその関連に勤める大量の若い人材が度々訪れていたんではないかって思いますが。

 懐かしさに興奮してしまって、つい文字をたくさん書いてしまいました。

 番組に戻しますが、大友良英さんのコーナーでは会場に詰めかけたリスナーの方たちも交えての即興演奏。とても楽しい時間でした。
 大友さんが数年前に泊まり込みで作り上げた札幌での子供達の合奏団に参加してくれたお子さんのひとりが会場に来てくれていたようです。その子が音楽の中心的なリフを奏でる様子に感動しました。
 子どもを交えた多くのワークショップをされている大友さんにはきっとこういった、“数年後の子供達”との再会と成長の確認という素敵な贈り物を受け取っているのだろうなと思いました。

(細かいコトになりますが補足です。本日のブログ用イラストのファイル名は「ラジオ・ニャンコ」ってなってますが、コレは描き始める前に思いついたモノで、描いているうちに変更が生じまして、猫ではなく、犬を描くコトになりました。わりと可愛らしく描けたなと思います。)

ロクジローくんのバッヂ

6-jiro-kun

 本日のブログ用イラストは予定を変更いたしまして、きのうラジオで聞いた内容から思い出したコトを図にしてみました。

 わたしがコドモだったコロにNHKのテレビで「ロクマルマルこちら情報部」っていう番組があったのですけど、コドモ向けですから可愛らしいマスコットキャラクターが生息していたのです。
 それが上に掲げたイラストの子ですね。かなり私なりにアレンジしちゃいましたけど、海賊の船長みたいな服を着た子犬くんです。
 なまえは「ロクジロー」と言います。

 ラジオの内容というのは、NHKラジオ第1「らじるの時間」。からです。
 今週は長寿人気番組「地球ラジオ」担当の吾妻謙さん。
 吾妻アナはベテランですので「らじるの時間」はたびたび担当されていますが、夏に語った内容としては「帰省のために自動車でどエラい距離を移動する」というものでした。
 調べてみたら吾妻アナは埼玉のご出身というコトでご実家は近い。となれば奥様が遠いのか。と考えておりましたが、本日の内容からわかったコトな四国だそうです。それは遠い。イメージとしては橋を何個も渡りそう。

 長くなっちゃいましたけど「ロクジローくん」です。きのうの放送にリスナーから寄せられたお便りが、私と同じく静岡の同年代の方からで。「昔、NHKのFM放送で公開放送があって、それに参加しました」というものでした。

 懐かしい。駿府城のお堀のあたりに放送局があって、そこの広い一室でやってたんですよ。私も1回だけ行きました。その時はかなり人も来ていてギューギューでしたね。
 富士市の奥の方から静岡市街に行こうと思うとちょっと大変なんですけど、ラジオとかアマチュア無線とかの“電波もの”が好きな友達が「行こう」って誘ってくれたので行ったのでした。
 リクエスト受付としては何でもオーケーっていうんじゃなくて「今週の用意してある音源はナニとコレとアレですよ」って感じになっていて、そこから「ダレソレさんの「奥飛騨慕情」をお願いします」とかそんな感じでした。だいたいみんなティーンネイジャーでしたので竜鉄也さんはかかりませんけどね。

 楽しい時間でしたが、帰りにおみやげとしてもらったのが「ロクジローくんの缶バッヂ」でした。
 これがピンク地に黄色の星形の背景をバックにホウキに乗って飛んでいるロクジローくんでした。
 かなり気に入りまして、中学生から高校生までリュックにつけたりなんかして活用しました。そんな思い出です。

────────────────────

 本日の、その他のラジオ日記としては、ダウンタウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を聞きました。NHKラジオ第1「すっぴん!」より。
 ものスゴく好きな曲です。
 ここ数年の私は作業服のつなぎばっかり着てるんですけど、若干の和田静男リスペクトを含んでいます。白いつなぎは持ってないんですけど。

 聞くたびに思うコトですが、私の印象にあるのとはかなり違って、エレキギターのトーンが割合にナチュラルなんですよね。
 私のイメージではかなり歪んでます。

 たぶん「トレイン・ケプト・ア・ローリン」なんかと混ざってるんでしょうね。それもモーターヘッドがカバーしたヤツなんかと自動変換されてしまっている。汚い音が好きなので仕方ないとはいえ、ダウンタウン・ブギウギ・バンドは私にとって大きな存在なのにねぇ。困ったものです。

願掛け代行ブラザース〔4〕

GNBK_04_o-furo

 お仕事メモなんですが、きのうの夜のことです。
 前に描いたイラスト3点に訂正が発生したため、それらの作業をいたしました。

 それと町内会のコトになります。
 もう副会長の任期は終えたので公的な動きとは無関係なんですが、任期中に言われていたことを実行するために準備をしています。

 具体的に言うと側溝の掃除です。U字溝とも言いますね。
 これを暑くなる前にキレイにしたい。水を流してくれと。昔は防災のホースを使って水を出してくれたことがあったよ。ウンヌン。
 そういう要望を受けておりました。

 町の自主防災会は、年間の日程も決まっていますし、忙しい生活の中から都合をつけての活動ですから、そちらに迷惑をかけるのもココロ苦しい。

 また別の方面から、自分達の周辺にある消火栓を開けて訓練したこともない。これで何かあった場合に対処できるのか、という声もありました。
 おっしゃる通りです。
 実はずっと以前から言われていたんですけど。

 それで、そのふたつの要望を一気に解消しようと思いまして。それで個人的に動いているわけです。
 これは自治会の役員をしながらではとてもムリですので、自由になった今、やり遂げようと思ったのです。

 お膳立てまでは私がすませようと思います。申請とか根回しですね。

 それと助力を求めるまではいかないものの、防災会にも町内会にもキチンとお話をしておく。
 あとは住人のパワーで「放水の訓練」と「防虫」っていうか側溝をキレイにして夏を迎えよう。そんな感じです。

 私はこの数年間で町の仕事をけっこうやりました。大変でしたし、やらないですむならそっちの方が良いのですけど、町のアチコチに顔や名前が分かる人が増えました。
 そんな中に過去の防災会長が複数います。
 都合のイイことに、町内の側溝の流れが悪い場所、すなわち私が住んでいるあたりなんですけど、この5年くらいの防災会長がほとんどそのエリアに住んでいることがわかりました。

 つまり何かしようとする際において、とてもおハナシを持って行きやすいんですね。
 「お宅の前もキレイにしますし、ちょっとしたご協力をしていただければサイワイです」。そんな感じですね。 
 もうすでに何人かにはあいさつをすませました。

 最初に考えていたよりも区画としては広がってしまった感もあって、ひとりでしょい込むには荷が重いな、っていう気もヒシヒシとしているんですが、そこに住んでいる人達のパワーを借りながらなんとかまとめたいと思っています。
 うまくいくと良いですね。

 明日には消防署に行って用紙に記入したりの申請の作業をしてこようと思います。

 そうそう。先月末に開催された地区の「桜まつり」。あれの運営に私も参加しましたが、その際に集まっていた各町内からの防災会長の面々。その方たちにも「どうやったらイイですか」。みたいな話をうかがったりもしました。
 こういうのはソレ関係のみんなが集まってる時に聞かないとね。
 連合町内会のつながりは、自分達の町で何かしようとする時には情報源になるようです。