「イラスト・こどもたち」カテゴリーアーカイブ

子&その他どうぶつ帝国〔14〕

 歌を歌いながら歩いている3匹の猫さんたちのイラストです。

 みんなで長いマフラ-1本を共有しているようすです。

 NHKラジオ第1でつい先月まで放送されていた午前中の番組「らじるラボ」で耳にしたお話が着想の元になっています。

 演歌歌手の伍代夏子さんがまだ中学生くらいだったころに仲の良い友達と学校の帰り道によく歌を歌っていたというお話。

 長いマフラーは伍代さん自作のものであったとか。

 とてもかわいらしエピソードでしたのでいつか描こうと考えていたものです。

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 以下は日記的な記述です。

 めずらしくお昼過ぎに重い荷物を運搬しました。

 明日は朝から雨が降るようですので前倒しで買い物を済ませました。

 いつもと勝手が違ったせいなのか、忘れ物をしてしまって一旦自宅に戻ったりしました。

 良い運動になりましたがやっぱり疲れちゃって。今日は早く寝ようと思います。

子&その他どうぶつ帝国〔13〕

 古典的な宇宙人さんを描きました。

 タコ型宇宙人です。

 もう相当に古いイメージですね。楽しいなと思います。

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 ラジオでフォークミュージックの歴史や変遷などのお話を聞きました。

 NHKラジオ第1「ふんわり」にて。

 主に日本におけるフォークの歴史といった感じだったでしょうか。

 カレッジ・フォークとニューミュージックに挟まれたアングラフォークに力点があったように思います。

 高石ともやさんがカレッジフォーク的なものに批判的な立場だったというのは初めて知りました。

 私が高石ともやさんに関してリアルタイムで接した情報というのは「あの高石さんが最近はマラソンを始めました」とかそういう芸能ニュースでした。まだ私が全然子供だった頃です。生命力の強そうな人っていうイメージですね。

 番組としては木曜日の番組パーソナリティーである俳優の六角精児さんを中心にする感じではあったんですが、六角さんがお金儲けにお忙しいということで「やってられるか」という捨て台詞を残してスタジオを退席。かわってゲストでいらしていた、なぎら健壱さんが後半は主に発言するという形でした。

 おどろいたんですが、なぎらさんが最初はわりと爽やかなカレッジ・フォークよりの歌を楽しんでいたというご自身の弁。だったのだが後に高石ともやさんの音楽などに触れて激変したという経過だったみたいです。URC関連の音源とかですね。

 私の認識では、なぎらさんの最初の方って中津川フォークジャンボリーに最初はお客として、その次には演者として参加したみたいな感じでかなりもう最初っからディープなまぁやっぱりピート・シーガーだったりボブ・ディラン。ウディ・ガスリーみたいな源流を持つそっちの方だと考えていました。

 しかし年齢的な成長なんかもあるでしょうから最初は放送なんかで知りやすいカレッジ・フォークから。そして長じてより深いところに達したという感じなのかもしれないなと思います。かえって両面知ってるわけで悪くはないんだろうなという感想。

 最後の方では道谷眞平アナウンサーも加わって、フォークその他の話題が膨らんで終了という感じでした。

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 フォークソングの来歴について色々と知れて有意義でした。細部がはっきりしてきたというか、自分の中では組み変わる部分もあって、認識を新たにしました。

 番組を聞いてから自分で調べてみたりましたが、小室等さんによる「フォークは最初はアメリカンポップスの一部として入ってきた」という言葉ですね。この発言だったりは以前にも聞いていたような気もするんですけど、商業ベースの方から日本においては染み込んでいったということなのです。それで最初はカレッジ・フォークが立ち上がったという構造がようやく飲み込めた感じです。浜口庫之助さんとかが作ってましたからね。なるほどねぇ。

 私は東京の西新宿というところに住んでいたことがある都合上、新宿駅から出た地下の広場みたいな場所は日常的に歩いたりしていたんですけど、時折「この広い場所でフォークソングを多くの若者たちが歌ってたりしてたんだよなぁ」みたいなことが浮かんできて、今は昔ね。みたいな過去と現実がダブる感覚を感じていたことなんかを思い出しました。政治的にどうこうっていうのに加えて日本のユースカルチャーの発生みたいなものもないまぜになっていたのかなと想像します。日本という国が若かったということなんでしょうか。

子&その他どうぶつ帝国〔12〕

 ブログの更新が遅くなりました。

 会議に出席してきました。小学校区の「まちづくり協議会」の関係です。

 4月からの新体制が始まりまして、しかしノンビリしている時間もなくて、夏祭りに向けての準備から始まるといった感じです。

 今日はお祭りの会場となる商店街の代表の方から、出店する人たちの意欲や気持ちなどを伺いました。

 スポーツ推進委員の方からは、秋に予定されているズポーツフェスティバルについての参考になるような意見を伺ったという次第です。

子&その他どうぶつ帝国〔11〕

 重い荷物を運搬しました。きのうに続いて2日連続です。

 きのうよりは少し軽い荷物10キロほどでした。荷台に乗せた箱の中で中身が動いて安定しなくて困りましたが無事に到着。

 午後は疲れが出たみたいで寝て過ごしました。

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 ラジオ日記的には、NHKラジオの聞き逃しサービスを用いて、昔の人たちのしゃべる日本語の録音の数々を聞きました。

 新年度より始まった、NHKに残る古い録音素材を聞いていく番組「伊集院光の100年ラヂオ」という1時間弱。

 伊集院光さんがメインの番組です。TBSラジオとの関係が悪化した伊集院さんのラジオ人生も落日を迎え、そして閉じようとしているんだと思います。

 まさに今、ラジオの歴史の中の項目のひとつとして伊集院光さんのラジオ人生それ自体が収まろうとしているわけで、そんなタイミングでラジオの歴史100年を振り返ろうとする番組へのご出演というのは不思議な縁としか思えません。

 私もラジオを愛する人間のひとりとしてこの番組の成り行きを見届けようと考えています。

 初回としての番組の内容は、これからの予告みたいな感じでした。「ニッポン時空旅」でも取り上げられた「ラジオ体操の最初の頃」の録音も聞けました。元陸軍軍人の方の元気な声が聞けて嬉しかったです。体操が進むにつれてますます調子が出てくるところなんかリアルで楽しかったです。

 今後の予定としては山田耕筰さんの肉声なんかも聞けるんだとか。それとデパートが自前の合唱団であるとかを持っていた頃の録音ですね。こちらも聞けそうです。

 山田耕筰さんといえば、日本におけるオーケストラの創設。これを氏は「オーケストラ運動」でしたっけ、そのような名前で位置付けていたということでした。そのへんの事情は山田さんの残したエッセイ集の朗読。これもNHKラジオで聞いたわけですけど、当時(ちょうどラジオ放送が始まった頃)の日本では、その物珍しさから客寄せの目的などでデパートが楽団を持っていたのだということを学んだのでした。

 合唱団も存在したとは知りませんでしたが、やはりこれも商売上の思わくと、文化を担うという社会的役割りなどが合致したものだったんだろうと思います。なにはともあれそうした音声記録を聞けるというのは嬉しいです。

 伊集院さんがこの先、NHKラジオとのご関係をブチ壊すまでは番組も続くのかなと思いますので、できれば全編確認してこれまでのラジオの歴史を通して日本の人たちが何を聞いてどう楽しんできたのか。その生き生きとしたところを知っていきたいと思います。