ギャメラちゃんの手足。そしてクチからもエネルギーが放出されているイラストです。
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今日は夜に会議がありました。秋に地域で開催する予定の「スポーツ・フェスティバル」について。
7名の人たちが集まりました。みなさんけっこうよくしゃべってくれたので密度も濃く、内容を明確にしていけたと思います。
連合町内会への説得力であるとか、代表執行役員会に対しても「地域の活動」として良い柱が立てられたかなと思います。
これから細かい話に入っていきますがこちらも大変で、話はまだ始まったばかり。しかし柱は立ったので細部を間違いなく構築していけば悪くない当日が迎えられるのではと期待しようと思います。
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ラジオ日記です。
マーク・リボーさんの楽しいギター演奏を聞きました。キューバの音楽の一種を陽気に多弁に表現されていました。
聞いた番組はNHKラジオ第1の午前の番組「ふんわり」です。
木曜日は俳優でミュージシャンの六角精児さんのご担当。選曲家は北爪啓之さん。
北爪さんの名前はよく放送で伺っています。六角さんと相当に音楽の趣味が合うみたいで、北爪さんの選曲でありながら六角さんご自身の好みであるとしか聞こえない。そんな楽曲の数々との出会いを得ているワケなんですが、ライターとかもやっているかもしれませんけど基本的にはレコ屋のバイヤーなんでしょうかね。北爪さんって。
ネットで見られる画像から察するにシャーデーさんとかマリ・ウィルソンさんとかがお好きなんでしょうか。こっちはこっちで六角さんに対する面とは別の切り口なのかも。しかしまぁ音楽を大量に聞いてる人ってそれくらいのことはできると思います。
今日の放送では「波止場系の音楽」と題していろんな曲を聞きました。細野晴臣さんとかマーティン・デニーさんのよく知られた音楽。変にマニアックに行くでもなく楽曲から滲み出るユニークさを再確認してみませんかみたいなお誘いと受け止めました。
あとは弘田三枝子さんの「恋のクンビア(1965)」とか、橋幸夫さん「恋のメキシカン・ロック」を聞きました。昭和ポップスの堆積の中で今も輝きを失わない楽曲。生きて音楽していた人たちの活動があったんだなとその熱気の確かさとともに感じる。心が動く。という体験でした。
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個人的な音楽聴取についての活動を記述して終わります。
今日は上述しましたが会議がありまして、私が議長として進めなければいけなかったので書類を何枚か作りました。結局それは使わなかったんですけど、作っている最中に音楽を大量に聞きました。
手持ちの音楽の中からですが、Stereolabの諸作を聞き続けました。
イイね。「L’Enfer Des Formes」。
Stereolabの音楽性をもしかしたらご存じない方もいらっしゃるかもしれません。ぜひご自分で考えてみたり調べてみたりしていただきたいんですが、私は「クラウトロック」と「ドリームポップ」の合成みたいに捉えています。これは発明だと思うんですよね。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドっぽいともよく言われていました。
かなり好きでありまして。アルバムを6ヶか7ヶくらい持っています。
私がStereolabを知ったのは雑誌「クイック・ジャパン」において音楽家の中原昌也さんが音源紹介をしてくれた時ですので、すでに良いアルバムがかなりの枚数まとまった後です。中原さんはノイズミュージックに造詣の深い方ですけど、Stereolabの中心人物も元はノイズの人なんでその頃からご存じであるとか。そんなイキサツを知ったんだと思います。
中原さんは体調を悪くして長いんですけど、ネットの記述なんかを見るにまだ復調されてないみたいですね。気になります。
おそらく見ず知らずの他人から「がんばってください」みたいな言葉をかけられるのが何よりも嫌いな方だと思いますので「早く死ね」と書いておこうと思います。ウソウソ死んじゃダメ。
中原さんとは一度だけ対面したことがあります。ごく一瞬です。
東京の原宿に高価な古いシンセサイザーを売っているお店「ファイブ・ジー」っていうところがあります。
このお店は今はわかりませんけど、店内が薄暗いんですよね。
そんな薄暗さの中で私は中原さんにニタ〜っと笑いかけられるという体験をしました。
もう何年くらい前でしょうか。1998年くらいだったかもしれません。ローランド社のシンセサイザーにJP-8000っていう機種があるんですが、それが発売されてちょっとした後だったと思います。もう目新しさが薄れた頃だったと思うのです。
そのJP-8000を裸のまま胸に抱えて中原さんが現れたんですよね。私の眼前に。そしてニタ〜っと笑ったのです。
ここからは私の想像の中の話になります。万一、中原さんがこの文を読むと気分を害されるかもしれません。がしかし、1日に平均するとふたりくらいしか読みに来ないブログですのでおそらく大丈夫でしょう。
もうずいぶん昔のことですし、私も還暦前。時効だと思いますので素直に書きますね。
私の男性ホルモンが若干弱めだということは記述した通りませんですが、外出する時には気分を強めに張らないと、女性に間違えることがたまにですけどあったんですね。
素の自分のままポコっと立っていると、間違えられてしまう。当時は髪の毛がものすごく長かったので、それもあると思います。「男ですよ」と気分を立てていなければならない事情があったのです。「普通にしてるだけだと自分の場合はダメ。強めに行かないと」って気づかされる体験が何回かあったのでした。
つまり中原さんが私を女性と誤認したのではというお話をしようとしているのです。
憧れのシンセサイザーを眺めてポワ〜ンとしながら「でも買えないな」みたいに思っていた私はもしかしたら女性かなと思わせたのかな、と考えています。男な雰囲気を作る余裕がない。虚を突かれた一瞬に中原さんの姿を目撃した私でした。
それがビックリしたことに上で述べた雑誌「クイック・ジャパン」のStereolab特集の冒頭のお写真。中原昌也さんが路上で腹ばいでしたか、ニタ〜って笑ってらっしゃる。そのままの表情でした。
撮影用に特別に作った笑顔だと私は思い込んでいたので、突然現れた中原さんがお写真そのままの表情だったことにとても驚きました。
それだけじゃありません。
お写真の中の中原さんはアメリカのスケートボード雑誌「スラッシャー」のTシャツをお召しになっていたのですけど、私が原宿ファイブ・ジーで見た中原さんも「スラッシャー」のTシャツを来てらしたのです。おそらく同じシャッツ。
それがもう比類ないほどに首元がビヨ〜〜〜〜〜〜ンって伸びきっていました。
衝撃でした。
当時の街中においては「スラッシャー」Tシャツをそれはもうよく見かけたのですけど、私が肉眼で見た中原さんの伸びきった「スラッシャー」Tシャツというのは空前絶後でした。どういう着方をしたらああなるのか。もしも中原さんがこのまま死なずに復調の朝を迎えた暁にはぜひその辺を詳しく聞きたいです。何十年越しの私の疑問です。
あのJP-8000は修理に持ち込んだんだかレンタルさせてもらっていて返却に来たのかわかりませんけど、中原さんは私の知らないファイブ・ジーの奥の一角目指して歩いて行ってしまいました。本当に一瞬だけでしたね。ナゾの笑顔とともに。
そんなワケですので中原昌也さんがんばってください。