「イラスト・とり」カテゴリーアーカイブ

セキセイインコ帝国〔25〕

 後ろをふり返っているインコさんのイラストです。

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 午前9時より町の公会堂で会議がありました。

 町内会の活動。

 いわゆる「市道化委員会」です。

 会議としては今年度の最後の集まりでした。

 明日は町内の全組長さんたちが集まる組長会議があるんですが、その場において「市道化委員会」としての活動の報告と承認という手続きがたぶん必要なのです。

 「市道化委員会」は町内会に接続する諮問機関みたいな位置付けなのです。独立しての決定権みたいなものは持っていないんですね。

 そんなわけでして、会議の議題は「今年の実績(のまとめ)」と「来年度の予定」についての確認でした。

 これで今年度の会議は終了ですが、来年度に工事を予定している区画についての実況検分を市役所の人たちと行いたいという気持ちです。来月くらいに。

 準備だけ済ませておいて、来年度が始まったらなるべく早い時期に工事を始めたい。しかしそれについては地権をクリアできていない箇所が残っているんですが、すでに弁護士の先生に動いていただいているので、まぁおそらく問題解消への運びに持っていけるのではないかという見通し。

 以上の条件で市へと道路を移管していこうというかまえです。

 そうなるともう来年度の「市道化委員会」としての活動はあまりないのではと期待しています。予算の都合で他の案件には手をつけられなさそうなのです。弁護士費用と工事費用。そして測量費用などが必要なのです。大変。

 おそらく来年の同じ時期くらいに残る区画の実況見分を市役所の人とするんではないかと思っていますけど、これは私が個人的にそう思っているだけですし、かなり先のことになります。

 早く済ませたい気持ちはあるものの、お金の問題もあるので、なかなかそうはいきません。

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 ラジオ日記です。

 「世界の快適音楽セレクション」を後半1時間ほど。

 レジデンツの楽曲「Sitting on the Sand」を聞きました。

 スネーク・フィンガーさんの弾くギターが聴ける曲だということでした。明るい音色で演奏する暗い曲調だというご紹介。選曲者の湯浅学さんもゴンチチのおふたりもレジデンツはお好きなので話もにぎやかに盛り上がっていました。

 私の感想としても楽しかったです。

 他には、大竹伸朗さんの78年から録音していた素材。80年に発表したデビュー・アルバム。なんだかさっぱりわからない音楽。Jukeというバンド名義での「Office Party」。この曲は最高でした。弾力と打撃音。エコー効果が呼び寄せるパースペクティブ感。なんでも膨大な録音素材があるそうで。私としては大竹さんが音楽活動をしているなんて全く初めて知りましたので全てが驚きでした。

 コンラッド・シュニッツラーさんの作っていた「音の彫刻」的な活動を思い起こしました。あの人もとにかく量産できる人で。きっと音の配置であるとか組み合わせに関心がおありであって、日記のように音を作っていった人なんではないかというのが私個人の見立てです。私はシュニッツラーさん音源については数としてはけっこう持っているんですが、前述の通り全作品数が膨大ですので、どうでしょうか。1割くらいは押さえているのかっていう感じですね。

 他にはデヴィッド・シルビアンさんとデレク・ベイリーさんの共作。初めて聞きました。これも良かったです。「She is Not」という曲でした。

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 ラジオ番組「文芸選評」も聞きました。俳句の日。

 兼題は「白梅」でした。いやー。あちこちで梅が咲いているのを見かけますけど、うれしいですね。春らしくて。心がはずみます。

 そんな心境で寄せられた俳句を聞いていくわけなんですが、ある句において「白梅」と「学徒」という言葉を使った作品がありました。戦時中のことを詠んだのでしょうか。沖縄戦における「しらゆり部隊」は有名ですが同じような活動として「白梅学徒(隊)」という存在があるそうです。その隊員であった中山きくさんという方が1月に亡くなられたということで、私はちょっとそのことを思いました。平和への希求ですね。大事なことだと思います。

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 ちょっと長くなっちゃいましたけど、上で「デレク・ベイリー」さんの話題を書きました。実はきのうの夜から今朝にかけてインターネット上の「ちくまWeb」というサイトにおいて大友良英さんの若かった頃についてご自身が振り返る内容の文章を読みました。連載企画で10数本あるのでそれなりに読み通すのにも時間がかかります。その中でやっぱりデレク・ベイリーさんの作品についての思いであるとかが書かれていて、これは相当にこだわってるんだなと理解したんですが、その他の具体的な活動についても知りまして。かなり驚きました。

 大友さんがミューズ音楽院という学校で行われていた、高柳昌行さんの週1セミナーに通われていたというくだりです。

 以前に当ブログにおいて私が過去に千駄ヶ谷の古いアパートに住んでいたことがあると書きましたけどそのアパートからとても近い場所なのです。ミューズ音楽院って。直線で120メートルくらいです。

 私が住んでいたアパートよりも代々木の駅に近いのですが、ちょっと奥まった場所にあるので建物に近づいた経験はないです。しかし表の路地は非常によく通っていたのでビックリしました。

 高柳さんの教室はミューズ音楽院の教える内容からは独立したものだったようです。どうやらその後に場所を変えてセミナーをやっていたのかなという感触。そちらは四谷の近所だったというお話を南佳孝さんがラジオ番組で言っていたように思います。四谷と千駄ヶ谷ですからどちらにしてもそんなに離れていませんが。

 それとこちらも初めて知りましたが高柳さんが四谷の若葉町に住んでいたっていうことですね。

 この町内に美味な「たい焼き屋さん」があって、店名「わかば」っていうんですけど、そこのたい焼きをサラリーマン時代に写植を取ってくるお使いの帰りなんかによく同僚の分なんかを頼まれて大量に買って帰っていた経験などを思い出しました。そうか、あのへんだったんですね。などと色々と納得したりしました。

 高柳さんが教えていた内容というのは非常に厳しく基本を叩き込むっていうものだったようですけど、それを知って南佳孝さんがご自身の糧としていけたというのも納得しました。何かに特化したものではなくてもっと応用していけるものだったんではないかと思いました。普通に考えると南さんと高柳さんってつながりそうにありませんよね。

セキセイインコ帝国〔23〕

 羽を休めているようなインコさんのイラストです。

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 きのうの夜に知ったんですが、ムーンライダーズというバンドでキーボードをお弾きになっていた岡田徹さんが亡くなられたそうで。

 近年はお体の調子があまり良くなかったそうですね。知りませんでした。

 岡田さんはご自身より若い世代の人たちとの交流にも積極的で、ガジェット系テクノポップな感じのバンドであるCTO LAB.(シーティーオー・ラボ)とかの活動などにあらわれていたと思います。ボコーダーはけっこうお好きだったんだなとか。

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 ムーンライダーズ自体がテクノロジーの導入には積極的だったのかなとも思います。

 もう今ではあまり知る人もいなくなっているかもしれませんがスゴい機材である「オーディオ・フレーム」とかね。サンプル・セルとかの後でちょろっと出てきた。あれももしかしたら主体的に触っていたのは岡田さんだったのかな、なんて想像をしたりします。

 古くはローランドのMC-4の導入であるとか。鈴木慶一さんが昔を振り返って「なかなか音が出なくてスタジオから人がひとり減りふたり減りしたのだがオレは最後までいてあげた。挙句「音が出たよお……」と泣きそうな表情で岡田くんが」みたいな述懐だったでしょうか。ポップス界におけるテクノロジー導入の黎明期ですよね。コンピューターとの出会いって申しますか。

 最近にラジオで俳優の六角精児さんと落語家の春風亭昇太さんがグループサウンズみたいなバンドを仕立てあげて楽曲制作した時のプロデュースが岡田さんだったというお話を聞いたばかりでした。別に私は岡田さんのご性格まで把握しているわけではないですが「いかにも岡田さんなら楽しんでやってくれそう」「架空バンドの録音セッション」みたいなことを思いました。ただしムーンライダーズって才人ぞろいでギタリストの白井良明さんでもよかったのかなという気もするんですが。

 岡田さんに戻しますが、プロデュースの他にもミキシングも得意だったんだと思います。パール兄弟のアルバムとか。もうかなり以前にネットの動画サイトで岡田さんを招いてサエキけんぞうさんと窪田晴男さんが鼎談されているのを見たときにも確かミキシングの極意なんかを岡田さんの口から出るのを聞いた覚えがあります。

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 私はほんのたまにですが趣味で音楽を作るときがありまして、「さぁいよいよミキシングだ」というときに必ず頭をよぎる言葉があります。

 実はそれが岡田さんのお言葉でして。ちょっと書きますね。今から。

 かなり昔の雑誌「サウンド&レコーディング・マガジン」だったと思いますけど、岡田さんが「ミキシングをカタマリで行うといいよ」みたいなことをおっしゃっていたんですね。「僕はそれを「ツー・バイ・フォー」手法と名付けている」みたいなお話だったと思います。

 具体的に申しますと、各声部のパート。機能、役割であったりをまとめて扱うという感じです。

 たとえばコーラスであったらまずコーラスが五本あるとしてそれぞれを整える。ココじゃと思ったらもうそれには触れない方針を立てて他の部位を見ていく。最後に全部の音を鳴らすんだけど、もうすでに個々のバランスはできているんで迷いが少ないよというような簡潔にして素人の人にも伝わりやすいアドバイスでした。

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 以前に当ブログで私が楽曲制作する際には「さて録音するか」ってなった段において必ずシンセサイザー・プログラマーである松武秀樹さんが頭の中に現れて「その音色プログラム大丈夫? パラメーターであったり曲へのなじみ、引き出したいリスナーへの心理的効果が意図にあっているかを最終的に確認するなら今だよぉー」みたいなウザいアドバイスを強要してくる。シブシブそれに従うっていうお話をしたんですけど、私の頭の中では松武さんが帰った後に入れ替わりで岡田徹さんがやってくるんですね。

 岡田さんの言葉というのは私のようなイラストレーターにも伝わりやすいものがあって、「ツー・バイ・フォー」って住宅建設の際に用いられる言葉ですが、それを発展させて、この曲は真ん中に主屋があって低い音域と高い音域がタワーになってる感じであるとか、そんな感じに頭の中で音像の構図を思い浮かべながら作業したりします。

 一番よくやるのはネットの動画サイトから録音した誰もあえて聞きたがらないような細かいシンセポップをイコライジングして自分好みに仕上げる時ですね。やっぱり言葉にできるイメージ、絵に描けるくらいのイメージがありますと比較的早くに意図に沿う結果が出せるような気がしています。もちろん私の素人的な作業の中においてですが。

 ですんで実は私は、頭の中では定期的に岡田さんの声を聞いております。「ツー・バイ・フォー」っていう、ただそれだけですけどね。

 岡田さんの実像を知らない私ですが、面白くて優しい人だったんじゃないかと思っています。

 故人のご冥福を祈ります。

 このところミュージシャンの訃報が続いておりまして大変に寂しいですね。