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TROMS〔40〕まとめ

 つづけてまいりました大型連載。きょうでおしまいです。

 イラストは自分の人生を振り返る「カエル文士」っていう感じをイメージしてみました。

 「ムホホ」って感じですよ。

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 まとめてみましょう。

 主に子供の頃に私を取り巻いていた環境を考える。そんな感じで進めてきた連載でした。

 途中で1度まとめてみた時に書きましたが、まずは「新幹線、鉄道」「公害」ということでした。

 私の人生ってかなりガチャガチャした環境。そこが始まりだったとわかりました。

 引越しという大きな出来事をはさんで「新しい町」「新しい学校」「新しい高速道路」。

 これらは富士市に住む人が増えたことも反映していたと思います。

 古い映像を見たんですが、富士市の今のカタチって昭和30年代中盤くらいから急激に作られていったんだなとわかりました。特に港の周辺ですね。

 製紙業については歴史的に言ってそれ以前から存在したのですが。

 ともあれよく言われる高度成長。それをとてもよく反映した自治体なんだなって思います。富士市って。30年代におそらくかなり大きなわかりやすい分岐点があるようです。

 お隣の沼津市なんかがそれより昔からちゃんとした都市であったのと好対照ですね。

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 あとは「文化」。

 子どもの時に見た名画との出会いは非常に大きな体験でした。

 それと「宗教」。

 私自身は信心深いタチではないですが、新宗教を起因とする事件などを見るにつけ、めばえた不信感っていうんですかね。

 宗教の核心的な部分を知る前にまず事件であるとか勧誘の活動であったりお寺を警備する若い集団の姿を見たのが悪影響だったのかなって思います。

 公害を起こした企業のトップの人が、ともすれば国士様ヅラしてメディアに出てきて、日本がどうとかみたいなことをトウトウとおっしゃったりすることへの疑問、反感なんかも混ざったところに知った激しい音楽つまりロックミュージック、とりわけパンクロックですよね。

 大人になった頃に現れたオウム真理教、法の華三法行なんかの騒動が、思った通りの帰結を歩むのを眺めて、とりあえず自分の考えはだいたい正しかったじゃんかって風に補強されていった。そんな感じでした。

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 その後の私が過ごした時間、年数というのも長いですし、色々と経験してきました。ですがここで大きなことを書いたりドバーンと何かをまとめたりするのは避けて、またしばらくは淡々とイラストの練習的なブログの姿に戻そうと思います。

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 なんだか今回の連載ではかなり大変な量の文章を書きました。こんなつもりじゃなかったんですが。

 単なるイラストレーターの私ですので基本的にはイラストだけ描いていれば良いのだと思うんですが、一応は説明もしないとマズいですとか、その時あった事象をどう消化しているのかを明らかにするべきかな、などと思うと、ついつい文章の量が増えてしまいました。

 読んでくれた方がいれば安心するのも事実ですけど、しかし読んでもらったとしたらソレはソレで申し訳なかったなって風にも思います。

 読んで良かったっていう点がひとつでもあれば良いんですけどね。

 とにかくありがとうございました。(オシマイ)

TROMS〔39〕法の華三法行・天声村

 法の華三法行(ほうのはな・さんぽうぎょう)という宗教団体が昔に存在したのですね。「足裏診断」とかですよね。

 話題になってワッと報道が過熱して、「サギじゃないのか?」みたいな騒動になりましたが、教祖の人とかその他の中心的な人物の数人が意外性もなく逮捕されて実刑に服することになったのでした。全部合わせても数年とかじゃなかったでしょうか。なんだかスピード感はすごかったですね。めくるめく展開でした。

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 この団体の拠点は東京と静岡にあったのですけど、なんと私が通っていた中学校のソバにあったんですね。静岡県内の拠点が。

 奇怪な様相の建物が立ち並ぶ“村”だったそうです。

 ちょっと前の当ブログで「私が通っていた中学の至近にUFOのカタチをしたラブホテルが建っていた。夜になると発光していた」みたいなことを書きましたが、今度はサギ的な宗教団体ですよ。

 どうなっているんですかウチの中学。みたいなね。もうその頃の私は大人になっていて東京で暮らしていたんですが卒業校ですからね。何をしてくれてるんだと感じました。

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 本日のイラストの説明をしておきましょう。

 実はこの頃の私はお金に苦労しておりまして帰省する資金にも事欠くアリサマでした。

 つまり法の華三法行の拠点であった天声村(てんせいむら)って言いましたけど、その施設の勇姿(?)は目撃していません。すぐに取り壊しになりましたからね。

 そのかわりと言ってはなんですが、新宿という繁華街のそばに住んでおりましたから、別のアレコレを見る機会には恵まれているワケです。

 批判的に報道される局面がほぼ全部だったこの宗教団体でしたけど、そうした風潮に危機感を覚えたのか、小冊子を新宿の駅の近くなんかで配っていたのです。

 世論に抗する活動だったのかと思います。おそらく。

 私に対して冊子を突きつけてきた人は中年と思われる女性でしたが、「救われたんですよ」みたいなことを言っていたと思います。冊子は受け取りませんでしたが。

 私の印象に残っているのはそれとはまた違う場面であります。

 それを図化したのが上のイラストです。

 西新宿のハイアットリージェンシー東京と都庁の間にある歩道ですね。JRの新宿駅から地下道を通って新宿の中央公園に向かうという。わりと広めの歩道ですけどその脇のところに白い上下のダボっとした服を着た人たちがですね。等間隔に立っているんですよ。だいたい20メートルとかの間隔でした。わりと離れている感じ。ちょっと上の空中を見つめる感じで直立していました。

 ただ立っているだけの姿勢の同じテイストの服を着た大人の人たちが点々と立ち並んでるってあんまりないですよ。

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 「なんだろ?」って思いながら私なんかが歩いて行くとその人の正面にさしかかったあたりでそれはもう大きな声で「最高ですかッ!?」って質問してくるんですよね。ぶしつけですよ。その白い服を着た人達。そのそれぞれが前に歩く人たちに正対したあたりで大声で質問してるんですよ。

 そうだ書いておかないと当時を知らない人はわからない。「最高ですかッ!?」っていう“問い”はこの宗教に特有の非常に有名であったフレーズです。

 それでね。これはもう「サンポーギョーの人なんだな」っていうのは時節柄わかるんですが。というのも別に何か宗教的な目印を身につけているワケではなくて、熱気のある語調で「最高ですかッ!?」って言ってくるだけなんですけどそんなこと言ってくる人って、しかも全部合わせたら10人から20人はおりましたので、「サンポーギョーの。宗教の人なんだな」っていう理解ですよね。マそんなことがありましたのでイラストにせずにはいられないという。

 別の日にも合わせて2回は少なくとも見ました。そんな動員をかけられるほどのパワーがあったんですね。今思い出しても変な意味で感心しますけど。

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 イラストとしましては、非常に異様な外見に描きました。信者の人をね。

 最初はサカナの形に描いたんですけど、うしろの人達はサカナのママですが。いまいち面白くないなと思いまして、最近はよくネットの動画でUMA(ゆーま)と分類される未確認生物のアレコレを見ているんですけど、それで気になったUMAさんの姿をパパッとスケッチして保存しておいたんですが、そのすがたカタチが使えそうだと思ってちょっとムリがあるかなと思いつつ登場させてしまいました。なんという名前のUMAだったかは覚えていません。

 タヌキのオジさんがおどろいていますけど、実際にドキッとするほどの大声なんですよね。そんなに大きな声を出さなくても良いのにって思いましたけどね。今はどうされてるんでしょうかね。あのヒトたち。

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 蛇足的なことがらも加えておきます。

 なぜ私の中学のそばに「天声村」があったかについて。

 教祖の人の名前は福永法源(ふくながほうげん)って言いましたけど、どうやらそのお母さんの地元だったみたいなんですよね。私の中学の西側区域が。

 それで土地勘があったとか。この話はウラを取っておりませんので私自身も本当かなって思いますけど。

 ただしこの富士市だったり富士宮市だったりは非ッ常に宗教関係の施設って多いんですが、私の通っていた中学のあたりは単なる住宅地ですので、ここに宗教的な拠点を求めるというのは個人的な地縁アリとかじゃないと不自然なんですよね。もっと霊験とかがありそうな土地はたくさんありますし、むしろそっちの方が土地の値段も安そうです。つまりもっと標高が高い土地ですよね。

 聞くところによれば母子の関係は良くて宗教の運営にしろ母子の二人三脚だったみたいなことも聞きます。母からの意向というのは無視できない程度に大きくあったのかなって考えています。

 逆のことを言えば、ああいった現世利益をうたう宗教の村が東名高速の富士インターを出て10分足らずで着いちゃうと、そして条件が良ければ富士山も大きく見えますよという利便性というかコンビニエンスな感じというか。チャッと行けちゃう感じね。日帰り可能みたいな。そんなありようからすると普通は人家を建てる。あるいは農地。みたいな場所に宗教的な建物を建設したっていうのは充分にありえるのかなというのが私の理解。なんですが、まぁどうなんでしょうか。

 そもそも私に信仰心があまりないので宗教の話って土台からしてブッ飛んでるなっていう感想が私にはあります。だから難しいです。宗教を信じる人の胸の内って。

 なんで他人の言うことを自分が深く信じて従うところにある指針として転用可能なのかっていう点から始まっちゃうんですよね。

 しかしマこれは、ゲームで遊ぶ人に対してナゼ他人が決めたルールとやらにやすやすと乗ってあまつさえお金まで使っちゃうんだって感じる私のことですのでおそらく多大にズレているのでは?っていう危惧がございます。全人類規模で見ればたぶん宗教を信じている人の方が多いし、ゲームが好きな人の方が多いと思うんですよね。私は極端な例かもしれませんが、ひとりの人間にとって理解できないことって多くありますね。

TROMS〔38〕オウム真理教の信者

 オウム真理教を取り上げます。

 大きな組織でしたけど、私がその信者と思われる人を見かけたのは1度かぎりです。

 本当は原宿の交差点で、若い女性2名を背後から見たことがあるんですが、それは除外しようと思います。例の「修行するぞ」とかいうTシャツを着ていましたが、たぶんあれでかなりヨソ行きの格好なんだなっていうのはわかりますからね。本来の姿を隠しているっていうか。

 私が野生のオウム信者の姿を見た地。それは富士宮市の奥の方でした。

 富士宮市の市街から朝霧高原という観光地まで行く便利なバイパス道路がありますが、実はそれと並走する道スジのこちらは土地の人くらいしか使わない道路がありまして、事と場合によってはそちらを走ったほうが早い場合もあるんですけど、その道路に面する位置にオウムの施設があったんですね。

 そのすぐそばで散歩中なのか、男性の姿を見ました。

 報道でよく見る例のヘッドギアを本当に着用していたので驚きました。

 その時の私は友人の自動車に乗せてもらっている最中で、信者の人の姿を見たのは一瞬でした。

 その瞬間の記憶をイラストにしたのが本日のイラストです。

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 オウム真理教の施設の所在地と申しますと静岡県内であれば富士宮市が主だったでしょうか。しかし富士市にも何ヶ所かありまして。もっとも富士市の場合には倉庫であるとかそんな感じのが多かったように記憶しています。

 その当時に私が住んでいた東京にも、それはもうかなりたくさんの拠点があったと思います。

 しかし不思議にそれとわかるカタチでの信者の人の姿っていうのは見かけませんでした。ですので実際に目撃した一瞬の出来事は私にとっては貴重です。

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 オウム真理教の人員構成っておそらく私と同世代の人が主力だったと思います。ですのでオウムについて考える時に私が思うことって「私らの世代の責任だよな」っていうものなんですが、現実的な接点ってほぼ無いんですよね。

 数日前にも書きましたが、「ノストラダムスの大予言」という書籍を、ただの1ページもめくったことがないという、私の属する世代ではかなり珍しいタイプの私です。雑誌「ムー」っていうのも当時すでにありましたけど、こちらも同様に手にしたことすらありません。

 「UFO」とか「宇宙人」とか、あるいは「カッパ」とかは大好きなんですが、暗めのオカルトって領域に近づくともう完全に別なんですよね。

 「光の戦士」とかね。「終末論」とかね。ギャグで言ってるんならともかく全く興味が持てないので、接点がないというか会話が成り立つかどうかもわかりません。オウムの人たちね。

 世代は一緒なのに遠い人たちだなって思います。

TROMS〔37〕ノストラダムスな恐怖

 聞くところによると最近のテレビドラマで「ノストラダムスの大予言の書籍」が取り上げられたそうですね。

 私の世代の人たちの小学生の頃には非常に人気があった本のシリーズです。何冊も出たんですよね。シリーズでね。

 「世界の終わりが来る!」みたいな論調の本だったと思います。

 どれくらい人気があったかと申しますとクラスの学級文庫ね。どのクラスに行っても置いてありました。それもご丁寧にシリーズ全巻が。発行されているものが全部。置いてありましたね。なつかしいです。

 しかし私は自信を持って言えますが、その1ページすら読んだことがありません。ていうか本を手にしたことすらございません。

 理由は「こわいから」です。

 メチャクチャこわい。

 なぜあんな表紙からしてもう過度に「こわいですよ」と触れて回っている本を手に取るばかりか熟読できるのか。

 読んだ感想として「こわ~い」とかふざけたことをおっしゃるクラスの仲間を見て大変に腹が立ちました。なら読むなよと。オレのガワに来て断固ボイコットするべきであると。そんな心境でした。

 私は「こわい」のが苦手です。

 私の描くイラストを見ると想像がつくかもしれませんが、可愛らしくホノボノとしたものが好きなんですね。

 しかし、こわいのが好きな人はけっこう多いので、私にとっては困った風潮です。