「自分史」カテゴリーアーカイブ

TROMS〔08〕悪夢(さらにつづき)

 前回の文章が長くなりましたので分けました。つづきです。

 イラストとしては、お風呂の水が温まるのを待っている場面を描きました。

 当時に私の家族が住んでいたのは木材などを燃やしてお風呂を焚くタイプのおウチでした。レトロですよね。

 焚き口から炎が渦巻いているのを、のぞき込むのは興味深いものでした。魅了されていたように思います。

 イラストでは煙がモクモクと充満していますが、これはウソです。大半は煙突から外に排出されるのです。

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 戻します。私の音楽的な嗜好について。

 「怖いもの」が「好きなもの」に転じるってママありそうです。

 年齢的に成長するうちに「怖い」っていうより「執着」に変質した感じかなと思います。

 ハードコアパンクの特徴としては、破滅的な怖さ、そういうイメージの内包っていうのは大きくあると思います。

 テンポも速いですし、騒々しいです。そんなモロモロふくめて「新幹線のソバで生まれた私とハードコア」。影響あるのではないかな、みたいな風に考えています。

 私にとって「近づいてくる」、「猛烈な騒音」、「遠ざかっていく」っていう一連のプロセスは、何度も繰り返し聴いて体に染みついているのではないかと。振動もかなり生じたであろう近距離ですし。「三つ子のタマシイなんとやら」みたいなね。そんな考察でありました。

 明日からはまた別のテーマを記述しようと思います。

TROMS〔07〕悪夢(つづき)

 私にとっての悪夢。その続きです。

 ズゴゴと進むその主体が自宅ソバを走っていた「新幹線」ではなく、「貨物列車」みたいな感じのバクゼンとした列車に置き換わっているのです。ナゼなのか? 解明したいと思います。

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 考えてみれば当時の家からは在来線の線路も遠くないのでした。

 東海道線の駅である「富士駅」もさほど遠くなかったので、見たんだと思います。貨物列車などを。

 この当時の幼児の憧れと申しますと、今は珍しくなった鉄道マンの技術です。

 「突方(とっぽう)」というらしいです。改めて調べてみて初めて知ったのですけど。

 本日のイラストは、その作業の感じをイメージしています。

 貨物列車にいろんなチミモーリョーの子たちが不法に乗り込んでいる感じです。ワチャワチャしています。ちょっと楽しくしてみましたよ。

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 突方に戻します。

 駅のオジさんが貨車の先端両脇に付いている小さなステップに乗って、斜めな感じで乗り出してクイーっと貨車が慣性のままに移動して行って、貨物列車同士をガシャーンってくっつけたりするという。

 ングホーっと線路を走る貨車の動きや存在含めて印象に残っていたのではって思う次第です。

 おそらく私だけではなく、そしてまた別に鉄道ファンにはならなかった普通の人たちね。そんな人でも、子供の頃に線路の近くに住んでいた人なら「カッコいい!」っていうわりと普通の感覚ではないかって思うんですけど、どうでしょうかね。

TROMS〔06〕悪夢

 私のその後の音楽嗜好を決定づけたんじゃじゃないかと思っている“音”があるのです。以下に記述します。

 新幹線の線路のソバに住んでいましたから、相当にうるさかったと思うんですよね。

 遮音壁もなくてモロに聞こえてくるワケですから。

 しかし起きている間は気にならないと申しますか、子供はだいたい動くものが好きですから、むしろ楽しみにしているんですね。新幹線の来訪を。

 一方で幼児はよく寝ますから昼間も寝ている場合がある。その時に布団に耳をつけながら体感していた新幹線のレールの響きですよね。この体験に何かあるのではと。

 ハードコア・パンクという、とても騒々しい音楽が私は好きだっていうのは、この生育環境があったからでは……と思っているのです。

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 10歳くらいまでとても怖い悪夢が私にはありました。

 泣いて目がさめるくらいの夢でした。

 そのビジュアルイメージをカタチにしたものが上掲のイラストです。

 なにかおっきいものが徐々にゆっっっくり近づいてきて、正体は真っ黒くて大きなンゴゴゴゴゴとした貨物列車なのです。それがジリジリと動いていく感じです。

 それだけのシンプルな夢。

 それだけなんですが非常に怖くて、「見そうだ。あの夢」なんていう日には眠るのが怖い。

 白黒のトーンの夢なんですけど、思うに戦争の悲惨な白黒写真のイメージなんかも混ざって、さらに怖い印象が増大していたような気もします。何か恐ろしいものが列車に詰め込まれているように感じたのかもしれません。

 そういう黒くて大きな存在感なんかも私の持つハードコアパンクの音像のイメージにつながるところもありますので、もしかしたらなぁ……と考えているという。今日はそんなお話でした。

TROMS〔05〕富士宮市民歌

 あえて記述する必要もないのですが、おとなりの自治体である「富士宮市の市民歌」についても説明を加えておこうと思います。

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 富士宮市は私の住む富士市よりも長い歴史のある土地です。20年ちょっと古かったような気がします。

 ちゃんと調べてみたら昭和17年の1942年だったようです。富士市よりも24年。四半世紀近く古いのか。覚えておこうと思います。

 昔は「大宮町」って言ったんですよね。言わずと知れた「浅間神社」ですからね。この存在はデカいっていうか大きな神社がある地は「大宮」を名乗る傾向があるみたいです。

 領域的な規模としては私が思っていたよりも小さくて、浅間神社を中心とした今も繁華街である地域、そこが大宮町だったみたいです。これは予想外でした。富士宮の市制が敷かれた当初からたくさんの村であったり町がまとまって今の富士宮市に近い形ができていたんだなと学びました。

 しかしですね。「市民歌」の制定は富士市よりも後でして。

 富士市に遅れることわずか8ヶ月。昭和42年の11月なんだそうです。調べてみてこれも今回はじめて知りました。

 富士宮市にはそれ以前に市民歌に準ずるものが、もしかしたらあったのかもしれません。文化人の存在や分布なんかが富士市よりは濃いこともあって、私はそんな気がしています。

 ただね。普通の人たちの気持ちとしては「富士市なんかに負けるのだけはイヤだラ?! うちらンとこも新しい歌にすりゃーいいジャン!」。もしくは「富士市のヒトらン市民歌なんての作って悦に入ってるだってじゃん。くやしいからうちらンとこでも作るラ?!」みたいなね。おそらくどちらかだったと思います。

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 本題に入りましょう。

 どんな感じの歌なのか? 「富士宮市民歌」。

 動画サイトにも何本か上がっておりますので容易にその全貌は知れるのでありますが、特に「市青協OBなつかしの集い 富士宮市民歌 万歳」という動画がオススメです。

 これはイイ動画ですよ。野太い感じのね。

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 古いアニメの魔法使いサリーちゃんの終わりの歌で「おれたちゃワンパク・トリオだぞ」っていう一節がありますけど、その雰囲気に似ています。「こ~こに生まれてコッコに住む~」っていう歌詞です。

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 お聞きになりましたでしょうか。あえておススメはしませんけども。

 「野蛮」のヒトコトですね。

 やはり「移住するなら富士市」。

 富士宮みたいな野蛮な市民性に対して、科学と技術を重んじる理知的な精神にあふれております。

 そんな色合いが市民歌を聞き比べることで容易に判別できますよ、というご提案でした。

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 今回のブログ用イラストの説明です。

 見るからに野蛮なね。富士宮市の人たちをイメージして描き始めたんですが、私の悪いクセで、どうしてもちょっとかわいらしくなっちゃうな、という感じです。