「自分史」カテゴリーアーカイブ

TROMS〔12〕昭和の30年代とかの感覚

 当ブログを読みにくる方がどんな年代構成であるのか、私には想像もつかないんですが、とりわけ若い方たちが「ヘドロによる海洋汚染」、「未処理の排煙がモクモク状態」などに対してどう感じるかですよね。

 「ムチャクチャじゃないか」っていう感想があるかもしれません。

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 そうなんですよね。今思えばけっこうムチャクチャ。ていうか健康を害する人も実在していたワケですから良くはないのです。

 本日の内容は「昭和はけっこう乱暴だった」みたいな感じです。

 上掲のイラストはですね。「工場から出た汚泥やゴミなどを鈴川(すずかわ)という地名の砂浜に大きな穴を掘って埋めた」、「平成になってから地表の砂がはぎ取られてゴミが露出した」という事件をイラスト化したものです。

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 今の感覚ですと「犯罪だべ」っていうね。

 「ヘドロ問題」の主要な原因企業である旧・大昭和製紙によって行われたゴミの投棄であります。

 大昭和の工場が田子の港のそばに建っていましたから、不要なゴミも近くの浜に埋めちゃったのですね。

 量にして4万トン。性質としては強アルカリ性だったそうです。

 「ダイナマイトが150トン」っていう歌がありましたけど、それを上回りますね。量的にはね。“万”ですからね。

 期間としては第2次大戦中から昭和30年台前半まで続けられたということです。

 おそらく正々堂々と衆人環視の中において継続的に行われていたのではないかという。

 いやしかしこれはどうでしょう。

 私も今やけっこうな高齢者ですけど、素直な感想として「ヤバすぎる」って思いますね。しかも砂浜。あとさき考えるって知らないのかって戦慄しますけど、昭和もまだ30年代となると当時の社会の感覚はまた違うのかなって思います。

 肯定はできないにしろね。

 しかし忘れちゃいかんのだろうなって話ですよね。

 意外にやっちゃいがちなんだと、そう思っておいた方が良さそうです。

TROMS〔11〕大気汚染のようす・鬼太郎くんアニメ

 煙突から出ている煙のイラストを描きました。

 私が生まれた頃はまだ煙突からの排煙をキレイに処理するべし、みたいな規制のかかる前だったんですよね。

 今の感覚ですと驚きです。

 しかし当時はそれが普通。

 そりゃ大気も汚れるよって思いますが、大気汚染は国内の各地における大きな問題でした。

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 私が住んでいた田子地区というのは工業地帯に属しますので煙突の数は多いです。そうするとどうなっちゃうかって申しますと、ぜんそくに苦しむであるとか、洗濯物を干していると黒い点々が付着して汚れてしまうとかの被害が発生しました。

 富士市は「公害のデパート」と言われていました。

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 土地としての規模は、川崎とか四日市なんかに比べて小さい、こじんまりとした区域ですけど汚染の度合いはトップクラスっていう全く自慢にならない感じです。

 上を見上げればスモッグ。海面にヘドロっていう感じですか。

 逃げ場がありません。

 川もかなり汚れていました。

 そのへんの実感って今の中年の人たちより若い年代なんかですと、もうわからないですよね。

 今はかなりキレイですからね。

 もちろん今の状態が普通なんであって、大切にしていこうって、これは私のみならずトシがいった人間でも多くが賛成すると思いますけど。

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 白黒時代の古いアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」に公害を扱った回があったと思うんですが、あの70年代のおどろおどろしい感じ。あれは細部の描写としては違っていたかもしれませんけど当時の私が見て「ヘドロだ。強烈にヘドロの感じだ」と直感しました。

 機会がもしありましたら、あのアニメを見るだけでも時代の雰囲気の一片を学べると思います。

 当時は同時に「交通戦争」というのも言われていましたから、鬼太郎くんもいきおい社会派になるのもムベなるかなですよね。

TROMS〔10〕むかしの文集の記述から

 連載の方針としては「文章の量を少なく」と考えているんですが長くなりがちです。読んでくれている方がはたしてどれくらいいるのか。不安ですが、今日こそ短くまとめたい。

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 きのうは私が「1回だけ見たヘドロのようす」について書きました。

 しかし何しろ4~5歳時の記憶ですから「ガーン!」っていうショックのみに終始していて細部の描写についてはココロモトありません。

 もう少し年長の子が当時に記した文章の内容をご紹介しようかと思います。

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 富士市と富士宮市の二つの地域をまとめて「富士地区」と称するらしいのですけど、この地の小学校に通う子たちが書いた作文から秀作を集めた「文集」があります。

 その名を「ふもと」というんですが、歴史も古くて100年くらいあるのかな。

 「ふもと」っていう名称からして富士山の近隣なんだっていうね。「岳南(がくなん)地区」って言い方もあるんですけどね。どっちにしろ富士山なんですよ。大きい山ですからね。

 でその文集「ふもと」なんですが、1学期に1冊っていう発行だったと思います。子どもたち全員に配布されます。

 本日のイラストに描いたとおりでありますが、簡易なつくりの冊子です。

 私は「ふもと」のバックナンバーを大量に参照する機会が過去に1度ありました。残念ながらデジカメで中身を押さえておくという発想はなかったんですが、やはり1970年前後の「ふもと」には、子供の目から見た「ヘドロ問題」という作文が発見できました。

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 記憶を頼りに要約しますと、「港の付近を歩くと肌がチクチクする」という記述でした。それと当時のデモのようすの記述もあったと思います。漁民を中心とした抗議団体が立ち上がりまして、排水や排煙の改善を求めたという要旨なんですけど。

 作文を書いたのは確か高学年の女の子だったと思います。もうその年頃であれば新聞も読めますし、富士市の公害問題が日本の中においてどんな感じに取り扱われているかも承知した上なのだなと読み取れる書き方だったと思います。

 マ、私の素朴な感想としてはね。「肌がチクチクする」っていうのは相当だなって思いましたけど。

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 以上は、「戦争の歴史展」みたいな展示が市の施設で夏休みの期間にありまして、当地から出征した人たちのこととか、戦時中の暮らしなど含めて包括的に知るという企画。だいたいどの地域でも毎年やっていると思いますが、その片隅に文集「ふもと」もドッサリと置いてありましたので、個人的に気になる点だけ参照してみたというワケでございます。

 しかしその時はまさかこうして自分のブログで紹介することになるとは思ってもおりませんでしたので、記憶を頼りに記述するという、そんな紹介の仕方になってしまったのでした。

TROMS〔09〕田子の港のヘドロ

 本日から「田子の浦(たごのうら)のヘドロ」についての記述をしていきます。

 「田子のヘドロ」。日本の公害史の中でも有名な出来事だと思うんですが、私にとっては地元も地元。

 田子の浦港の西側エリアを「田子地区」って言いまして、そのあたりに住んでいる学童あるいは乳幼児を指して「田子っ子(たごっこ)」って称するんですが、その分類で言うと私も元・田子っ子です。

 田子の浦幼稚園に通っておりました。

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 今の若い方たちにとっての「ヘドロ」の知名度、浸透度は私にはわかりませんが、怪獣が出てくる映像作品がお好きな方なら「ヘドラ」とか「ヘドロン」とかの諸作品を通してご存知なのかなと思います。

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 私が田子地区に住んでいたのは幼稚園に通いだした頃までですので、ごく幼い頃までです。ヘドロを実際に肉眼で見た機会もたったの1度きりです。

 ですが私にとっては強烈な記憶です。

 その時の印象をつづります。

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 今でも写真や映像として残っていますので、かんたんに参照できると思うんですが、私が肉眼で見た印象はですね。実はそれらよりもヒドいです。

 ヘドロが海に浮かんでいるようす。それは悲惨でした。

 こわかったです。

 ミッチリと、すきまなく汚物が浮かんでいる感じでした。ボコボコいってる感じ。

 写真で見ると、意外に海面がそれなりに見えるものもあります。けっこうキレイな部分もあるんじゃないかと、汚染はほんの一部分だったのでは、って思う方がいてもおかしくありません。

 ヘドロ自体の見た目にしても、写真で見る分にはね。まぁ平坦に広がっている感じで色的には白っぽくね。案外と整然とした印象すらもたれるかもしれません。ンガしかしですよ。私の記憶とはかなり違います。

 私にとっては圧倒的な死の世界でした。

 幼児の視界は狭いですし、ショックが大きくて動揺したんでしょうか。

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 写真では臭気は伝わりませんが、こちらもヒドかった。

 ただし、今はあんまり言われなくなっちゃいましたけど「富士市(の平野部、特に海沿い、つまり工場が立ち並ぶ区域)は、クサい。悪臭がする。」っていうのは富士市に来る用事のある人などにとっては、ほぼ常識でした。

 ヘドロ自体の問題があらかた解決した後でも臭気の問題は残っていて、工場の煙突の改良が完了するまで続いたと思います。

 ですので、幼児期の私が嗅いだ臭気が全部ヘドロから発するニオイだったかどうかは自信がありません。

 当時の富士市はとにかく汚れておりまして、いろんな要素が入り混じっていたので由来がそれぞれ何であるか、素人に判断できる状態じゃなかったんですね。

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 本日のイラストは、私の記憶と、今に残る写真のようすを合成して、ちょっと海面も見える感じにしてみました。カエルくんがおどろいていますね。

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 海面上にただよう、あるいは沈殿していくという「ヘドロ」ですから、日々刻々と見え方は違ったっていうのが一番ありそうかなと思うんですが、私が実際にヘドロを見たのは1回だけですので、その一瞬がずっと記憶の中に続いているという感じですね。

 幼児にとってはショックな出来事。

  私の記憶の中での一番最初の方は、鉄道や公害の風景で始まっていたんだなって。こうして整理していくとわかります。