「自分史」カテゴリーアーカイブ

私の小学生時代〔12〕

 しめっぽい話が続くんですけど、小学校の時の同級生の思い出です。

 だいたい同じ内容を以前の当ブログにてチョロっと書いたんですけど、そんなに継続して読んでくださっている方もいないと思いますのでかんたんに再録しましょう。

 彼は大人になった後にヤクザ組織に加わったとかで親子の縁を切られてしまい、最終的には東名高速道路の盛り土の草むらだったかの中に紛れて白骨遺体になって発見されたのでした。

 全く詳細は知りません。私は。

 彼の実家はわりと東名高速に近い場所だったので、やっぱり帰りたかったんじゃないかと想像します。

 親子の縁を切られたので、お墓にも入れないってことだったのですけど、幼い頃から一緒だった友人たちがお父さんに何度も掛け合って、お墓に入れてもらったのだとか。ご両親にしてもそれくらい周囲から言われないと入れにくいっていうのもあったかなって私は思うんですけど想像です。

 ここだけ知ると「友達っていいな」って思います。

 しかしヤクザの活動に加わったということですので、勘当されるくらいですから、いけないこともしたんじゃないかと思われて、大それたことをしていなければ良いなと思います。

 迫力のある顔をしていたわけでもないのでヤクザでも苦労したんじゃないでしょうか。実績を積むに焦って貧乏くじを引かされたとかじゃなければ良いのですが。ヤクザだってあれ結局は利潤を追求する組織ですから何かロマンがあるとかそんなんじゃないですよね。

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 彼がひとり孤独に死んでいったことを思うと、子どもの頃は足が早くて楽しい子だったのに「なぜ?」って思います。

 いかにも小学生の男の子が言いそうなことですが「お父さんのおチンチンを見たら、すごく大きくてヘビのコブラみたいだった!」とかですね。それ以来しばらく「コブラ!」って言うのが小さかった私たちにおけるキラーフレーズになりました。

 しかし故人を偲ぶ場合に一番に思い出されるのが「おチンチンがコブラ」っていうのは泣いていいのか笑っていいのか迷います。

 今日のお写真はあてずっぽうですけど近くの高速道路の盛り土を撮影してきたものです。

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 以上で「私の小学生時代のお話」はおしまいです。

 私が地区のお仕事を継続している理由なんかも合わせて述べてまいりました。

 私自身は決してお手本になれるような人間ではないんですが、「ちょっとは正しいことをしなければいけないのかな」と思っています。

 ジャーナリストの津田大介さんがネット上で運営している動画に編集者の野間易通(のま・やすみち)さんを招いて対談しているのを見ました。

 野間さんは私と同い年で、一族のルーツが鹿児島という点も一緒です。私の親戚の中にも野間さんライクな顔をしたオジさんはいたと思いますけど、みんな昼間っからいつ飲み始めるか。それしか頭にない人ばかりですので野間さんがお酒を飲まないというのはご自分を欺いていると思います。野間さんのおっしゃることで私が「違う」と思うことは非常にわずかでしかありませんが、ことお酒の面に関してだけはご自分の血脈に素直になった方が良いと思います。

 野間さんは私と音楽の趣味などは合うんだなとネットで見ていると思うんですが、なんの交流もありません。しかし西新宿5丁目とそれほど遠くない場所にお住まいだということですので、私が東京にいた際にすれ違ったりしたことくらいはあったのかもしれません。気になっているのは私がごく短期間所属していたバンドのキーボードの人が神戸の人でした。音楽の趣味的にも世代的にも神戸はそんなに広い地域ではないと思うので、もしも知り合いだったらどうしようっていうのはあります。その人とはバンドは比較的すぐに終わったんですが、バイト先が一緒で付き合いは長かったのです。

 津田さんと野間さんの動画に戻します。

 その中で語られていたことは多岐にわたりますが、1点、世の中が悪くなってくるとパンクな実践ってむしろ良いことをしていくことじゃないか。みたいなことが言われていました。全くその通りだと思います。しかしパンクスがあえて正しいことをしなきゃいけないってのも末期的だなと感じます。

 別に誰かから「パンクっすね」とか言われたくてやっていることではありませんがムカつくほど正しいことをしていけば良いのかと思います。

 そうした活動はしかし、死後の世界でもしもジョー・ストラマーに出会ってしまった時に「俺も生きてる間はちょっとは良く生きてたよ。」みたいなことが言えるかどうかにおいても重要でしょう。

 こういうことを書くとあたかも私が大変なクラッシュファンであるとか、ジョー・ストラマー信奉者。そんな感じになってくるんですけど、正直なところ私にとってのクラッシュはファースト・アルバム。あとはもう3rdの「ロンドン・コーリング」くらいですので長く死後のストラマーさんとしゃべったりするとその辺が露見しましてつかみ合いのケンカになりかねません。口汚く罵り合うとかの結末すらチラついてまいります。死んでからも油断はできない。

 前にも書きましたけど私にとってのパンクロックはロッケンロールの復権みたいな面が大きすぎるのです。

 クラッシュの音楽性の広さが許せないんですよね。

 ダムドにもそういう部分ありますけどね。

 しかし長くなりますのでこの辺で。

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 以下は日記的な記述です。

 朝から小学校に行って奉仕活動のお手伝いをしてきました。

 回覧板を見ていたら「草刈りを手伝ってください。地域の人でも参加可能」みたいなことが書かれていたので小学校に電話して加わりました。

 作業は1時間半で終わりました。

 好天に恵まれ気持ちが良かったです。

 私が配属された受け持ち区域は私が1年6組だった時の教室のすぐそばでした。きっかり50年ぶりです。さきのエントリで書きました、早くに亡くなってしまったおともだちも一緒だったクラスです。

 きれいにしてきました。

 ちょっとお写真も撮影してきました。

 集合場所の床のセメントの表面にデコボコがけっこうあるなと気づきました。「これが50年の歳月を経たその様相なんであろうか」とか思ったんですけど、よく見ますと表層が欠けて、地の層が見えているだけにも思えます。補修すればまだ大丈夫なのかなと素人考えですけど思いました。

 本日の富士山のお写真です。

 男の子がそれはもううれしそうにしてタコあげをしていました。

 逆光でしたので確信を持てずにシャッターを押したんですけど、無事におさまっていたようです。近くにお父さんらしき方もいらしたのですけど、惜しくもフレームアウトといった具合です。

 今日は風があったのでタコあげには絶好の日和でした。

私の小学生時代〔11〕

 私が中学生だった時の先輩のお話です。

 イラストはその人です。

 私は小学生から高校生までずっと「美術部」あるいは「お絵描きクラブ」所属だったんですけど、先輩は中学の美術部の部長さんでした。

 社会人になってからは本屋さんの雇われ店長をしていました。適職だったと思います。

 本屋さんは小学校からすぐの場所にありました。

 今は予備校になっています。

 その前は「テンジンヤ」っていう、おにぎりなどの食べ物を扱うお店でした。これは静岡県内ですと有名なお店チェーンなんですけどね。

 本屋さんだった時期はもうかなり昔のことです。

 いなかの本屋さんにはありがちなのかもしれませんが、卵の自動販売機がおいてあったり、小さなゲームコーナーを店の表に設置したりと、実態がよくわからない感じになっていました。

 帰省するたびにお店によって話をしたりしていました。

 「オイ! ヒジクロッ!」っていうカン高い声が今でも聞こえてくるようです。

 美術部にありがちなんですけど、この人はいわゆる「オタク」の人でした。世代的に言ってもうかなり古いタイプの人でありまして、たとえば友人を見かけた際に「前方にダレソレ軍曹を発見! ダレソレ軍曹にィ~ィ敬礼!」みたいな一連の所作がテレもなくできるという選ばれた感性の持ち主でした。

 私自身はそういうタイプにはならなかったんですけど、美術部界隈の雰囲気にはもう完全に慣れているんで「あいかわらずだな」くらいのもので疑問にも思わない。そんな距離感でした。

 東京での生活を終えて富士市に戻ってきてから「先輩にそろそろ会いに行かなきゃ」って思っていた矢先に友人から「先輩は自殺した」と聞かされたのです。

 何も残さずに死んでいったようで、周囲の人も原因がわからず当惑しているということでした。口々に「自殺するような人じゃなかったのに」ということでした。

 もちろん私にしても何もわかりません。

 ただお店の経営において万引きの被害が多くて悩んでいる様子はありました。お店の前にゲームコーナーを開設したのがいけなかったんじゃないかと思います。想像ですけどね。

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 上の画像はその本屋さんで買ったものです。

 ニューエスト・モデルというバンドの「クロスブリード・パーク」というアルバムです。

 ほんの一時期、レンタルCDの営業もしていたらしいのです。色々と手を出しすぎじゃないかって思うんですけど。

 レンタル事業から撤退した、そのあとにお店に行ったのだと思います。

 不用品としてすごく安く売られていたので私のお財布事情からもお金を出すことができました。

 これが先輩の遺品がわりということになってしまったなと思います。

 良い作品ですのでこの先もずっと持っていられるでしょう。

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 最後に冒頭のブログ用イラストについて説明を加えておきましょう。

 中学生の頃の先輩の姿を描いたというのは説明した通りです。

 風紀委員をやっていたんですよね。曲がったことが許せない人でした。

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 生きていてくれたら私が運営に加わっている地区のお祭りだとかに「来てよ」であるとか言えたのになって思います。

 「ヒジクロが本を出したらサイン会を開いてやる」なんてことも言ってくれていたんですけど、残念ながら本なんて出せていない私です。

 私が死んだ後に先輩と死後の世界で会うことがあったら「死んでんじゃねーよバカ」とネチネチ言ってやろうと思っています。

 カン高い声で抗議してくるでしょうけど、その時にはもう私の方が断然年上ですからひたすら上から言葉でなじってやろうと思います。

 望むところなんですよ。

私の小学生時代〔10〕

 私が通っていた小学校に関する話題に戻します。

 イラストはもう中年になった頃の私の体験から図化いたしました。10年くらい前のことだと思います。

 私は地区の仕事で福祉推進委員をしていました。

 小学校の運動場において「目の見えない人の体験をしてみよう」という試みです。

 小学生の子などに目隠ししてもらって、「前に進みますよ」「左に曲がりますよ」とかを手をそえて歩いてもらうというものでした。

 地域の活動でよくあることですが、「参加した人には飲み物をプレゼント」という段取りになっていました。

 飲み物は好みに合わせて選べるんですけど、ある女の子がその時に「私は外人だからお茶じゃなくてジュースで」みたいなことを言ったんですね。

 虚をつかれた私は何も言えませんでした。

 顔立ちを見るに混じっている感じはある子だったと思います。

 「このへんで暮らしている子は、みんな富士の子だよ」と言ってあげられればよかったのですが、そんなイイ言葉はとっさには出てきませんね。

 女の子にしてみれば何気ない他意のない言葉だったのかもしれませんけど、子どもは子どもで大人が言うことをリサーチしてますからね。

 安心して成長していって良いのだっていうメッセージは必要に応じて言ってあげるべきではないかって思います。あんたら全肯定される存在だっていうことですね。ちょっとだけね。

 知らないオジさんが熱弁すると不気味ですからね。

 当地区においても海外由来の人たちが増えてきていますが、なるべく融和していきたい。そういう気持ちです。

 この先さらに日本国内が食い詰めていきますと何が起こるかしれません。取り越し苦労だと良いのですけど、この先なにかあった場合ですね。非常に気の長い話ですけど地域の中での発言力みたいなものって長くその地区の活動を支えてきた人に、まずはあるっていうのが実態でしょう。私がそうした存在になれるかどうかわかりませんけど、起こるかもしれない事態についてトシをとったその時の私が役割を果たせれば良いなと思います。

 私に守れるものがあるとしたらこの小さな地区なんだと思います。

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 明日からの数回は、なぜ私が疲れるばかりで一文の得にもならない活動に加わってきたか、その動機について語ることになります。

 先のエントリで書きました「早くに亡くなってしまったおともだち」なんかもそうですし、もっと以前に書きました「こんなモロに人工的に作られた地区でも今の子たちにとってはそれなりに歴史のある土地なんだ。と気づいた」ことなんかもそうです。(つづく)

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 日記的な記述です。

 「富士市史」という本を見てきました。市の施設に置いてあるものです。

 気になっていたことが分かりました。

 「富士市南部の平野にかつて存在した軍用飛行場の“その後”」についてです。

 建設中の中国人労役であるとか、運用中にその地から飛び立ち沖縄で戦死していった人たちのことなどはメディアで取り上げられることもあるんですが、民間に返還された後に「農地に戻すまでの苦労」ですね。ここが知りたかったのです。

 元々農地であったのですけど、いったん飛行場にしてしまっては再度農地に戻すまでの苦労というのは大変だったのでは。

 大げさかもしれませんけど「失地回復」のおもむきを感じます。スペイン語でいう「レコンキスタ」ですか。「国土回復運動」の方が正確なのか。別に農地を国土と表現しても間違ってない気もします。一水会という新右翼の団体が発行する機関紙の名前でもありますね。鈴木邦男さんも亡くなっちゃってね。木村三浩さんが「リベラル右翼」というようなことをおっしゃっていると思うんですが私は一つの落とし所かもと感じています。

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 今日は他に講習会を受けてきました。県の総合庁舎の会議室にて。昔の中央病院が建っていたところですね。そんなことを覚えている人も少なくなってきたと思いますけど。

 講習会の中身は消費税の取り扱いが変わるというその説明でした。

 難しかったですけど、ごくシンプルに教えてもらってきました。

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 その後、重い荷物を運搬する作業をしました。

 なんでも明日の朝はすごい雨が降るそうです。晴れているうちに作業を済ませておきました。

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 ラジオ日記です。NHKラジオ第1「ふんわり」木曜日の担当はアナウンサーの澤田彩香さんと俳優で産業ロックの回し者である六角精児さん。

 番組中にTOTOというバンドの楽曲「ロザーナ」が流れました。スティーヴ・ルカサーさんは私が最も嫌いなギタリストのうちのお一人です。もちろん曲が流れている間はラジオの音声を切りました。

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 今日の特集コーナーは「名前ソング」でした。女性が歌う「男性名」。男性が歌う「女性名」という切り口。楽しかったです。

 ディック・ミネさんの「ダイナ」。非常によろしいギター演奏と歌唱。

 それと長見順(ながみ・じゅん)さんの「ジョンソン」を聞きました。初めて聞きました。

 六角さんによる長見さんの使用ギターへの言及あり。ギルドのフルアコ。フロント・ピックアップ1発のよく弾いてらっしゃるやつ。似合ってますよね。Mary Halvorsonさんがもうちょっとジャズ寄りのやっぱりピックアップ1発のフルアコを愛機にしています。こちらは見栄えがするギターです。インペリアルペグがついてるやつですね。

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 せっかくですので、私が思う「お名前ソング」も言っておきましょう。

 これはカッコいい。The Advertsというイギリスのバンドの「Gary Gilmore’s Eyes」。パンクロックです。自ら死刑にして欲しいと望んだ男についての歌です。

 実はこの歌についてのオマージュみたいな楽曲もございますので、そちらもご紹介しておきましょう。The Briefsというこちらはアメリカのシアトルでしたっけ、そんな感じのバンドの楽曲「Looking Trough Gary Glitters Eyes」。こちらも犯罪がらみでありまして、もとは国民的なロックシンガーであったのだが非常に重い犯罪を犯してしまった人物についての歌です。存命中ですが次に彼の名前を聞く時は訃報でしかないだろうなって思います。曲調としては元気いっぱいのパンクロック・ソング。私はこのBriefsというバンドが大好きです。

 他に女性名を歌うthe Briefsの楽曲と申しますと非常に短い曲「Dolly Parton」。まぁまぁ短い曲「Benny’s Got a Cigarette」、「Sylvia」なんていうのもあります。ディス・イズ・ロッケンロールですね。

私の小学生時代〔09〕

 きのうの長い文章を書いた影響でもう体力がございませんので今日は短めで。

 「原田のあたりは水が豊富」みたいな記述をしましたが、そのおとなりの地区である「今泉(いまいずみ)」も水がキレイだっていうようなお話です。表記からして水に特色がありそうです。

 暑い時期に子供を大きなたらいに乗せて川下りをする。という行事があるみたいです。

 昭和の一時期を経て「自然をきれいにしよう」という活動が可能にした「川下り」なんだという紹介をネット上で見かけました。

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 下の画像は毎度おなじみ、我が富士市が発行する広報誌からのものですけど、若い方たちには想像もつかないかもしれません。かつては不要なゴミを川に投棄。わりと普通だったんですよね。そうした風潮がなくなってよかったと思います。

 描かれている主婦の目つきがあやしくてちょっと不安。

 昭和46年、1971年の3月5日号よりの引用でした。

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 本日のブログ用イラストの説明もしておきます。

 ネコちゃんの非現実的なポーズです。

 これはスケボーにおいては非常に基本的なワザのひとつでして「ハンド・プラント」とか呼ばれるものです。元はバーチカルとか水を抜いたプールのリップの部分で方向転換をする時に使用されたものだと思いますけど、ストリートスタイル(路上)でもやります。ストリートでやる分にはそんなに難しくないので私もやっていました。

 そうしたスケボーのワザを、たらいの川下りに当てはめてみたという無茶なイラストです。おそらく絶対に不可能だと思いますが、楽しいイラストになったかなという気がしています。

 下に続くお写真は「いかにこのあたりの川の水質が良いか」が伝わるようなものを集めてみました。参考にしてください。

 川底に水草が茂るようすです。

 こんな感じです。

 水面に浮かんで暮らすカモ諸氏。水がキレイだというのは素晴らしいですね。