「イラスト・歴史っぽい」カテゴリーアーカイブ

【曽我物語】トラ悲しみロード〔12〕・かけどい、凡夫川との関係

 「かけどい」と周囲の景観との関係についてですね。お伝えしたいんですよ。

 お伝えしたいん。クリス・シュタイン。デボラ・ハリーさんの元ダンナ。
 ブロンディーっていうバンド活動で知られるおふたりなんですが。

 デボラさんはクリス氏がヤマイに倒れた際にセミ引退状態になりながら献身的に看病したって聞きます。
 その後、クリス氏は回復。バンド活動再開したけど結婚生活の方は終わるというビックリ。しかしその後もバンドメンバーとしては続いているという。他人にはどうこう言えるレベルじゃない結びつきというか“縁”があるんでしょうね。

 何の話でしたっけ。「かけどい」の構造ですよ。マクロ的なね。

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 凡夫川(ぼんぷがわ)という川の上をまたぐ感じに通水しているんですね。
 相当な公共事業ですよ。

 凡夫(ぼんぷ)っていっても例のBOMP Recordsとは違いますよ。当たり前だ。
 ガレージ・サウンドならまかせろみたいなね。
 ストゥージスみたいな音が好なら、およそ避けて通るコトのできない音楽レーベルです。

 冒頭に出ましたクリス・シュタイン氏はイギー・ポップ氏が苦労している時代に「ゾンビー・バードハウス」の制作に携わってくれたとかで、イギー・ファンにとって「クリスはイイヤツ」ってコトになってるんですよ。
 でまた個人的なコトを申しますとこの「ゾンビー・バードハウス」。私は大好きなんですけど。

 話があっちこっちデッチで恐縮なんですけど、凡夫川自体のお写真というのもおさえてありますのでご覧いただきましょう。

凡夫川_20073101

凡夫川_20073101

凡夫川_20073101

 まぁ日本は山国ですから珍しくもないんでしょうけど、火山性の岩がゴロゴロしてるという風景です。
 巨石文明なのかなっていうくらいゴロゴロしてます。

【曽我物語】トラ悲しみロード〔11〕・古書(?)をひもとく

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 今日も地元の農業用水施設である「かけどい(掛樋)」です。

 ここで1冊の本が出てくるんですよ。
 「目で見る富士市の歴史」。40年以上前の本。

目で見る富士市の歴史 4c-1

 地元の歴史を広範囲にわたり取り上げた一冊です。
 子供のコロから家にあったんですけど、案外、トシをとった今の方が読んでいて面白いですね。
 今も残る旧跡において、現在よく見る写真とは違うものが掲載されていたりして、そんな点からも時代の流れを感じます。

 かつて昭和の世において「富士市民必携の一冊」とまで呼ばれたこの本ですが、出版したのは富士宮市の会社。

 善良な富士市民がこの本を買うと、遠く富士宮の方角から「チャリン、チャリン」と小銭が落ちる音が聞こえてくるのです。絶対に許せません。

 富士市民にとっては屈辱の書。生き恥。裏切りの書物ですよ。

 レネゲイド・サウンドウェイヴもしくはレネゲイズ・オブ・ファンク。タイム・ゾーンでいうまさにワールド・ディストラクション。
 ナッショナーリティ・ズァ・ファイティン・グイチ・アザ! フゥンー!っていうね。

 ちょっと思うんですけどアメリカにはアフリカ・バンバーターさんのそっくり芸人さんとかいないんですかね。いてもおかしくないように思うんですが。

 戻しますが、この「目で見る富士市の歴史」。
 もちろん「かけどい」のコトも書いてあります。引用いたしましょう。

目で見る富士の歴史56p

 分流する構造なんかはそのままですけど、かなりサマ変わりしてますね。きのう掲載した現在のようすに比べると。
 実に興味深いです。
 この当時ですと、私が思い返すに、電柱なんかはまだ木製のものが多かったかな。そんな記憶ですけど。

 それと年代的には、この施設が作られた年代。それはまさに鎌倉時代の起こりと時を同じくしていたコトがわかります。別に記念したとかじゃなくて、たまたまタイミングが合っただけかと思いますが。

 書かれているように山梨から移植してきた人たちとか、農業する人が増えたとかそういう機運があったんでしょうか。

 ちょっと調べただけですけど、この時代に甲斐源氏のひとたちに対する粛清の動きがあったみたいですので、それで逃れてきたのかも、と思います。

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 富士のあたりと山梨ってかなり距離はありますけど集団で移住してきたっていうのは他にも例があります。

 富士市の割と高いところで古い地域の桑崎(かざき)なんかも前にちょっと調べた時にそうだったと思います。今の富士吉田市の山中からだったかと思います。
 武田氏の勢いが衰えた時だったかな。アヤフヤですみません。

 行政的な区分けとして山梨と静岡が同一だった時代があったみたいで。全域ってワケじゃ無かったと思いますが。マしかし移住するにおいて便宜があったんでしょうかね。わかりませんけどビックリします。

 静岡の平野部は積雪と無縁ですから、そういう点で北に位置する山梨であるとかの人にとって希望の持てるポイントだったのかもしれません。

【曽我物語】トラ悲しみロード〔10〕・かけどい

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 きのうは「曽我八幡神社」をご紹介いたしました。
 本来であれば、その近所に曽我兄弟の弟さん。その方が、クビをはねられた現場があるんですけど、それとは別の施設をご紹介したいのです。

掛樋_20073101

 「かけどい(掛樋)」です。農業用水路です。
 「にほんどい(二本樋)」ともいいます。
 近隣のふたつの地区に農業用水を分水する際において、「平等、公平」を保つ役割です。

 当ブログにおいて「富士宮の奥に富士山の地下水が湧いているところがある」みたいなコトを述べてまいりました。
 実は私なんかが住む富士市にとって、潤沢な水資源っていうのは富士宮方面からくるものなんですね。
 「かけどい」が設置されている場所というのも割と富士市のはじっこというか富士宮市との境界付近であります。
 そうしたドンブラコな水資源を分水するぞというワケです。

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 上の写真は「富士宮方面を背にして、方角でいうと東南を向いた感じ」になりますでしょうか。
 左腕をパッとあげた指先の方角に富士山山頂。みたいな感じ。

 この角度から見ると、分水のようすがよくわかると思います。
 二等分。

 これだけ公平を期してもやっぱりイサカイが生じたっていう話も伝わっておりますが、まぁ生命線ですからね。農業における「水」は。
 仕方ないかなって思います。
 お写真の色調は、コレでもかってくらいイジってますので実際の風景の印象とは違うかもしれません。

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 こんな感じで。

掛樋_20073103

 こうですよ。

 この農業用水路(の片方)はこれまで当ブログで辿ってきた「トラ悲しみロード」に沿うようにして流れています。「トラ悲しみロード」というか「鎌倉街道の一環」というか「静岡←→山梨における甲州街道」っていいますかね。

 あともうひとつの呼び方も知りました。「厚原(あつはら)街道」。この名前は大事。トラ悲しみ道路の大半は厚原っていう地区ですからね。

厚原_農業用水_2001

 上の写真が今のようすです。
 この道が昔からあって、そして重要だったんだなと、語りかけているようでもありますね。
 しかし私も今回、トラ御前さんがらみのモロモロを調べてみなければ、この先もずっと知らずにいたと思います。この道の機能であったり位置付けというのは。

【曽我物語】トラ悲しみロード〔9〕・曽我八幡神社

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曽我八幡宮_2001

 今日は曽我八幡神社です。
 きのうの曽我寺から北にちょっと行ったところにあります。
 上の写真はつい最近のようすです。
 竹が伸びているようすがキレイですよね。

 以下は、7年前に撮影した写真です。
 まさかこんなカタチで役立つとは。

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曽我八幡神社_13092404

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 誰かにお伝えする目的ではなかったため、押さえておくべきポイントだったりを外しているかもしれません。