オバケになった3人がトラちゃんたちを見ているイラストです。
3人のオバケ。他でもない曽我兄弟のふたりと、工藤祐経さんです。
「食事をするトラ御前ちゃんとトラコイシちゃん」を描きました。
大磯に帰る前のようすを想定しています。
具体的には「ユニー」のスガキヤ・ラーメンを食べているところです。
「ユニー」とは、東海地方に多いデパートというか食品、衣料品その他を扱う小売店が集合している大きなビルです。
まだ子供のコロの私が、元オックスの野口ヒデトさんっていうか、当時はすでに改名後で真木ひでとさん。そのミニミニコンサートを目撃したという由緒あるお店。
ユニー吉原店なのです。
イラストを描いた後に調べて驚いたんですが、鎌倉時代にはまだ「ユニー」が無かったみたいですね。
さらに驚いたのが、鎌倉時代にはまだスガキヤ・ラーメンも無かったとか。
昔の人は、おなかがすいた時に何を食べていたんでしょうか。
トラ御前ちゃんシリーズのおまけです。
トラちゃんが長野のお寺に入った後を考えてみました。
きっと何かの合間にスポーツしたりするコトもあったのでは……、と考えました。
まだかなり若いコロに尼さんになったワケですからね。
ハタチそこそこだったという。
大きなお寺だったと聞いておりますので、同僚のアマさんも多数いて、それなりに楽しい時間もあったのでは………、というワケなのです。
黒っぽいネコは、「ジュン・サンダース」を意識しています。
たいしたコトではないので、パッと読んでピンとこなかった方は気になさらないでください。
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いったん閉じた「曽我物語シリーズ」なんですが、写真掲載だけで終わらせるのはそっけないかったかも。
それに「その後のトラちゃん」も少し気になる。
私としては、少し描き慣れてきたトコロですので、もう少し描いて、手に馴染ませたい。というのもある。
それと重要なのは、「次のテーマを決めていない」のです。
「曽我物語シリーズ」でずいぶん盛り上がってしまって、次を考えておりませんでした。
一ヶ月半くらいやってたんですね。ふりかえると。
有益な活動だったと思いますけど、同時にけっこう手間もかかりました。
なんだか気が抜けちゃった感もありまして。
時間稼ぎとしての「おまけシリーズ」です。
わりとスグに終わる予定です。
しかしそれはそうと、次は何をやりましょうかね。
自分としては「郷土の昔のサマザマな事象について」が気になっているトコロです。
特に「根方(ねがた)街道」。
まさか東海道よりも重要な位置づけだった。そんな時代があったとは……。
しかしいわれてみれば、道沿いにお寺も多い。
それだけではなく昔のお城の跡もあります。
もっと時代をさかのぼればヒミコの時代に、このあたりでパワーがあった人のお墓。っていうか古墳。かなり大きくて副葬品もザックザクってヤツ。
ソレが沼津の中心街にも近い位置にあるんですが、その古墳も根方街道の道スジに重なりそうだぞ……と思います。素人考えですけどね。
単に東海道よりも内陸を行く際に利用する狭くて不便な道じゃなかったんですね。根方街道。
私の不見識だったのかもしれません。
しかし「歴史関係」のテーマはテマと時間がかかります。コレが痛い。
あんまりウソもつけないしね。ついてますけどね。
今は地域のボランティア仕事もcovid-19の絡みで休みですから、今の内という考え方もできますけど。
地域の歴史を知るという点においてね。
地元をちょっと自転車でリサーチする。写真を撮ってくるという。
さてはて、どうしたもんか。
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私のブログに来てくださる方には少ないかもしれませんが、もしかしたら今年の年末の「富士山・女子駅伝」について期待されてる向きがあるかもしれません。
去年は私、ボランティア(沿道に立ってコースを守る感じ)に登録する機会を逸しておりましたが、今年は登録してあります。
それでつい先日、市からハガキが届きました。
開催するみたいです。
といってもハガキの内容としては「せっかくですけどボランティア希望の方から高齢の方は(71歳以上)、遠慮していただくコトになりました」というような文面でした。
やっぱり新型コロナの関係でね。
箱根の駅伝は無観客というコトですけど、まぁおそらくこっちもねぇ。
しかし今のうちから心配しても始まりませんので、追って言ってくるであろう指示に従うと。それくらいの心構えです。
この八幡宮は、きのうのエントリでご紹介させていただいた「曽我八幡宮」と、そんなに離れていません。近所。
ちょっとおくまった住宅地の中って感じに位置していました。
鳥居も立っていたんですけど、どなたかのお宅の壁に直面している感じでしたので、さすがの私も掲載は控えるべきではないかと、ガラにもなく自制しましたよ。
レトロな感じの火の見やぐらがありました。
かなり色調をイジった結果、幻想的な雰囲気になりました。
ところで素朴に疑問なんですけどナゼこうも富士宮市と富士市にわたり「曽我八幡宮」が点在してるんでしょうかね。それぞれに“いわれ”だったり、その意図が違ったりするようではあるんですが。
実は、今回は行けませんでしたけど、また別の「曽我八幡宮」があるのです。富士宮市内には。
白糸の滝から数キロほど北に登った先の猪之頭(いのかしら)地区です。
陣馬(じんば)の滝っていうのがあるんですけどね。そのソバ。
体力と時間の都合から行けませんでしたけど、また近いうちに行っておこうかなと思います。
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このお墓は、きのうの「曽我八幡宮(富士宮・上井出)」から東にちょっと入ったところにあります。
木々や緑がうっそうとしている斜面の奥にありました。
「曽我兄弟の墓」って、たくさんあるそうです。
箱根にあるお墓が一番有名なんでしょうか。小田原市内にもあるようです。
それと富士宮市と富士市ですね。
全部で十数箇所もあるみたいですが、その辺は今後の個人的な研究対象にしようかと思います。
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当ブログにおける「曽我物語・トラ悲しみロード」の研究としては、本日のエントリをもっておしまいです。
全部を読んでくれた方が、もしもいらっしゃったら感謝申し上げます。
おつかれさまでした。
大変なコトに巻き込まれちゃいましたね。
すぐに歴史に関係ない分野に脱線してしまいますし。
私は私で大変でした。
軽い気持ちで始めたんですが。
「地元の数キロ圏内がトラ御前さんの一生を分かつ大事件のあった場所だった」と気づいて盛り上がってしまいました。ついつい。
慣れないコトはするものじゃありません。