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トラ・マップ〔2〕

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 本日の地図はですね。トラ御前ちゃんの生誕地の伝説について、ソチラを図にしましたよ。

 他の有力な説もありまして、そちらは単に「地元の大磯生まれ」だそうです。

 確かに山梨生まれっていうのはちょっと遠くないか……、私も思います。
 しかもかなりの山奥なんですよ。
 引くくらい。
 南アルプス市の芦安(あしやす)地区にある、安通(あんつう)。
 地図で見ると、これは大変だぞって思いますよ。
 富士山の次に高い山として知られる北岳っていう山がありますが、芦安地区を説明するにおいて「北岳の脇っちょ」と言ってもイイかもしれない。

 当時は林業がありましたから現代の状況とはかなり違うにしろ、この山奥がトラ御前の生誕地なのか……?

 唐突な印象はぬぐえない。しかしムリがありすぎて逆に本当じゃないかっていう感情も生まれてきます。
 仮にウソをつくんであれば、もうちょっと、もっともらしい土地を挙げるんじゃないかって、そんな風にも思います。

 私としては山梨って実のところ、使っている言葉などは静岡の東部と近いというか混ざってる部分が多いので、トラ御前ちゃんが山梨出身っていうのはムリがあるにしろ反面はユカイだなって思います。

 「トラ御前も「ジチんニャー!」とか言ってたのかな……?」なんて想像してみたりね。

 「ジチんニャー!」。
 ヨソの土地の人には、そもそもコレは日本語なんですかって思われるかもしれません。
 翻訳すると「意気地が無いね!」くらいの意味です。
 「やる気あんのかや?」なんかも近いですよ。

 小学生の男の子たちがちょっとした塀の上から飛び降りる、飛び降りないでモメてる時なんかに出がちなワードであります。危ないのでやめた方がイイですけどね。

 それと、私はいつも富士山を見上げて生活しているワケですけど、トラ御前ちゃんも北岳を見上げる生活があったのかな、と思うと、そっちの方でも親近感がありますよね。富士山だって近いワケですし。

 以上の要件をかんがみて、当ブログとしては「トラ御前ちゃんは山梨の奥の方から大磯までやってきた」説を取ろうと思うのであります。

トラ・マップ〔1〕

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 まぁホントは私なんかじゃなくて、ちゃんとした知識を持った方の解説が必要なんでしょうけど、「わざわざ他の文章なりを読みに行くのもメンドイ」って方にお伝えしようかと思います。センエツながら。

 このへんからはもう「曽我物語」の本体の領域にズブズブと入っていくコトになりますよ。

 まずは地図ですよね。
 どのあたりを背景としておるのか。

 イラストを見ていただければ一目瞭然なんですけど、今の神奈川県の西側から、静岡県の東半分となります。

 伊豆半島に2匹の可愛いドッグさんがいますけど、彼らが「曽我兄弟」のつもりです。
 伊東ね。伊東に行くならハトヤですよ。

 このあたりの領地をめぐるイザコザがお話の発端になってまして、しかも親戚っていうか、一族内での「オレの土地だ!」「いやオレんだ!」みたいな争い。

 これが殺し合いにまで発展しちゃって手に負えないんですけど、要は曽我兄弟のお父さんが殺されちゃったんですよね。
 まだ曽我兄弟が小さい時分に。

 この時点では曽我兄弟の苗字とか名前。これは成人後と違うんですけど、その辺は省略ですよ。

 元が一族内の争いですんで、出てくる登場人物の名前が似ていてややこしいんですよね。

 それとイラストの地図の鎌倉あたり。この人物は源頼朝さんのつもりです。鎌倉幕府ですよね。

 「曽我物語」の時の頼朝さんって、もう割と晩年っていうか、ヒト仕事なし遂げた後ですね。
 まとめに入り始めた時期。
 頼朝さんも、伊豆半島には関係が深い方なんですけど、その辺も省略です。
 語れるほどの知識が私に無いっていうのもあるんですけど。

 イラストの左側に「トラ悲しみロード」って書いてありますね。
 これが特に当ブログでくわしく書きたいところですので、赤くしましたよ。

 この辺は私が住んでいる周辺の地元。数キロ圏内です。

 「曽我物語」におけるストーリーのスジを少しだけ追おうと思うんですが。
 つまり曽我兄弟が仇討ちを決行するってことで「旅立ち」があったと。
 トラ御前との「ナミダの別れ」でもあります。
 しかし心配になったトラが後を追う。「どうしたんだろう」ってね。
 その悲しみロード第2章(虎舞竜)が箱根を超えての静岡東部なんですね。

 静岡東部。
 住民の言葉が「ミャー」とか「ニャー」とか「ズラ~」とかにナマっている地域なんですけど。
 仮に虎舞竜を当地の人が歌うと「なんでもニャ〜ことが♪」みたくナマっちゃうんですけどね。
 文に書くとイイ年した大人がネコのマネをしている感が出てきてしまってコマります。

 マそれはさておき、地元の住人だからこそお伝えできるトピックを中心に鎌倉時代のアレやコレに思いを馳せてみましょうみたいなね。

 そういう趣旨なんですよ。この「トラ御前シリーズ」は。ビックリしたでしょ。しないか。まぁイイんですけどね。とにかく明日へ続きます。

トラ御前ちゃん〔2〕

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 本日のイラストは、トラ御前ちゃんの日常的なお仕事のようすです。
 歌舞音曲(カブ★オンギョク)ってやつですよね。
 その他には、文化的な教養なんかを備えている場合もあったみたいですね。

 お客さんの言葉を受けて当意即妙な受け答えっていうかね。
 和歌とか短歌に歌われたコトガラに根ざした感じかなって思うんですけど。

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 三味線の伴奏を「トラコイシ」ちゃんが担当していますけど、表情なんかは瞽女(ごぜ)さんの興が乗った際のソレをイメージして表現しました。

 “御前”と“瞽女”を関連付ける説もあるようなのです。
 ホントかどうか。私にはわかりませんけど、たまたまトラ御前さんの近くにトラコイシちゃんが居たので、そういった配置にしてみました。

トラ御前ちゃん〔1〕

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 「トラコイシちゃん」シリーズはきのうをもっておしまいです。

 今日からは、トラ御前さんですね。
 「曽我物語」においての片方の主役。だと思います。

 トラ御前さんは、神奈川の大磯の宿の遊女だったそうです。
 街道沿いの宿場。そこにおける“花”みたいなね。存在として。

 この時代には「鎌倉街道」って呼ばれる道があったみたいなんですよ。
 道っていうより“道路網”って書いた方が良いかもしれない。

 おおまかに言って、後の時代の東海道だったり、その他の有名な街道とそんなに大きくは違わなかったみたいなんですけど。

 その道が「いざ鎌倉!」っていう際の機動力を発揮するために必要不可欠なインフラであったと。

 この「鎌倉街道」は、あと何日かしたら当ブログにおいて、また出てきますんで、覚えておいてもらえたら嬉しいんですけど。

 で、トラ御前ですよ。

 調べてみて私はビックリしたんですけど、本当に「曽我物語」って人気のある演目であったり、お話であったようですね。
 様々な描かれ方をしています。浮世絵なんかに。
 それを見るとアタマにドッサリとカンザシですか。イヤってほどブッ刺さってたりするんですよ。
 江戸時代の花魁みたいにね。

 しかしマどうなんでしょう。鎌倉時代の「大磯」っていう宿場の遊女であったとされるワケですから、ちょっと場末な感じもあってイイんじゃないかな。そう考えました。
 ですがまた同時にハタチ前の娘さんでもあるワケですから、見た目で威嚇するような基本的な姿勢はあった方が自然だろうと。
 以上、イロイロと考えて、本日のイラストのような感じにしてみました。

 そんなに深く考えたというワケでもないですけど。