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カッパのお風呂

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 カッパちゃんとカラカサおばけちゃんを描くのが最近ちょっと楽しくなっています。

 ラジオ日記的には「歌の日曜散歩」。NHKラジオ第1なんですが、歌手の坂本九さんの記念館の紹介。
 そこでかかった歌の「ともだち」が良かったです。
 記念館の館長さんのお話で「もっと聞いて欲しい、歌ってほしい」とみたいな感じのことでしたが、私も本当にそうだなと思いました。

 「現代の音楽」も聞きました。
 年末の「諸井誠さんを振り返る放送」も良くて、あれから私も様々な曲を聞き返したりしているワケですが、衝撃的だったのは、番組の冒頭で話された諸井さんの略歴ですね。初めて知ることばかり。
 つまり私はこれまで自分のお気に入りの数曲を繰り返し聞くばかりで、諸井さんご自身のコトは、ほぼ知らなかったという。
 好きな作家のコトは一応調べたりするんですけどね。

 ま、ぞれはともかく諸井さんをよく知る西村朗さんの弁によると番組内でかかった「ヴァイオリンとオーケストラのための協奏組曲」には諸井さんの人格もよく反映されているとのコトですので、もう少し聴きこんでモロイ的なものを追体験したいと思っています。

 今日の番組のゲストは久石譲さん。なにかで簡単なインタビューを読んだコトはあるのですけど、そちらは別段、現代音楽に関して触れたものではありませんでしたので、現代音楽の面についてのお話を伺うのは初めて。今日の内容はかなり深かったので感激しました。
 というか久石譲さんについても自分は何も知らなかったのだというコトがよくわかりました。
 肉声を聞くのも初めて。もう少し骨太な感じを想像していましたが、むしろ西村さんとの対談が非常に相性良く進み、筆名の由来であるクインシー・ジョーンズのイメージに惑わされていたのかと思わされました。そちらはそちらで相当にお好きなんでしょうけど。

 映画の「ナウシカ」に添えられた曲を聴いて「テリー・ライリーっぽいな」、くらいにしか思っていませんでしたけど、そんなもんじゃなく、とても真摯にミニマルミュージックについての考察を深めているというコトが知れましたし、曲としても美しくて、楽しかったです。
 単旋律に何らかの工夫を与えてハーモニー感として聞かせるという境地は一朝一夕のものではないのだな、としみじみ伝わってきた次第です。

 来週も非常に楽しみですが、地域のお仕事で「どんど焼き(お正月のお飾りを燃やす神事)」の火の番、もしくはその補助作業をするため、早朝から不在の予定ですので録音がうまくいくか不安ですけど成功させたいですよね。

からかさオバケちゃん

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 ガンタンだ!ってコトで、早朝に起床。山の方に行ってきました。
 自転車で真っ暗な細い道を登るのはココロぼそかったです。

 小さな携帯音楽プレーヤーでラモーンズを聞いて行きました。今日は結局、3時間くらいずっとラモーンズを聞きました。

 スピーカー内蔵ですのでソレで音を鳴らして聞くのですけど、林の奥から「コン! コン!」って何やら木をたたいているような音が聞こえたりするとビビりますね! むちゃくちゃコワいですよ。真っ暗なのにね!
 ダレかが必要に迫られて作業していたのか、それとも単にぶら下がった木片か何かが柱か何かにぶつかってたのかわかりませんけど。

 標高600メートルを超えたあたりで道路が凍結し始めていました。
 「これはマズい」と思ったんですが、行けるトコまで行こうと考えました。これがあんまり良くない判断なんですけど、富士山のキレイなお写真を撮りたかったんですね。新年特別企画ってコトで。

 標高700メートル弱のトコロで停止しました。やっぱり凍結というか、薄い積雪です。
 目標地点は800メートルほどの場所にあって、ちょっと開けている撮影には適したポイント。残りは歩こうかなってその時点では思いましたけど、持参した即席カップ麺「緑のたぬき」をお湯で戻して食べたらなんだかもうどうでもよくなっちゃって引き返しました。

 歩くよりはちょっと早い速度でソロソロとくだったんですがスリップして歩道にひっくり返りました。危ない。

完全に凍ってるじゃないですか。

 上のお写真が、私が滑った地点。完全に凍ってます。
 きのうの夜にちょっと雨が降りましたので、凍ったんですね。

 自転車に乗車するのはあきらめて歩いてくだりましたが、3回ほど転倒しました。
 1月になったばかりであれば自転車にとっては大丈夫なコトが多い道なんですけど、失敗でした。ケガがなくてよかったですよ。
 というか、私、自転車から落車したのは初めての経験でした。
 速度を抑えておいて本当によかったです。

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 上のお写真は、もう標高にしても100メートル半ばって感じのトコロまで降りてきてから撮ったものです。
 実はこの数十分後にはかなりキレイに晴れたのです。
 くやしいですね。
 車が通るのもまばらなさみしい高地の歩道上でツルンと転ぶために運動した。みたいな総括です。

 しかしかなり久しぶりに700メートル超まで自転車で登りましたけど、案外簡単に行けてよかったです。
 外気が冷たくて体温上昇が抑えられたのと体重を減らせたのがよかったのかと思います。
 それ以外の要因を考えると、あたりが真っ暗でペースをつかむのが難しいというか、必要以上にアセってしまうので、もっと消耗してもおかしくなかったな、と思う次第です。

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 個人的な音楽リスニング日記を書きます。
 今日は手持ちの音源から、一柳慧(いちやなぎとし)さんの「アピアランス」。
 めちゃくちゃカッコいいですよ。
 コレが1967年。キレッキレです。
 どうもライブ録音みたいでお客さんの拍手なんかも入ってるんですけど、私も聞きたかった。生で。当時の私は1歳ですけど。
 非常にイキイキとした録音。当時の録音者に感謝。
 拍手の音を聞いただけで判断するのは危険かもしれませんけど、ちょっとレベルをオーバー気味に突っ込んでるのかも。
 いずれにしろ私としては大歓迎の音の感じです。

 1日の終わりにはスイスのシンセサイザー多用のポップ・バンド「YELLO」のアルバム「Claro Que Si」から数曲。
 このバンドは特にファースト・アルバムがトリザタされるコトが多いんですけど、私はこちらの方が好きです。

 建設現場でのアルバイトを終えたあとに新宿のレコファンで買いました。
 なつかしい思い出です。

社宅の壁イラスト

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 「年賀状イラスト」のお仕事なんですが、依頼主の方から了承を得ました。図柄について。
 ただ、見直してみて、おかしいな、と感じたトコロなどに手を入れました。
 コレで良いでしょう。

 厚めの紙に印刷して、ハガキ大に切り分けました。
 そんなコトをしていたら1日が終わり。しかし年賀状イラストが完成して良かったです。

 例年よりも時間に余裕がありましたので、割合に細かいコトまでできました。たくさんの線を引きました。
 集中力としても悪くなく、密度の濃い作業ができたと思います。

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 本日のブログ用イラストは大変にバクゼンとしていますが、私の古い記憶から描きました。

 きのうのイラストは、両親の出身地である伊佐市。その片隅で遊んだ経験から「川をせき止めて作ったプール」を描いたワケですが、本日は「社宅の壁」です。

 これは歴史文学作家として知られる海音寺潮五郎(かおんじちょうごろう)さんが住んでいらしたお宅の壁なんですよ。
 海音寺さんのお名前は、今週のNHKラジオ第1「旅ラジ」でも出てきました。
 「伊佐市で作られた焼酎は世界でも一番うまいね!」みたいにおっしゃった…というご紹介でした。
 細かく言うと「(当時の)大口市の焼酎が一番ウマいわ!」みたいな感じでしたんでしょうけど、自治体の合併とかあったので仕方ないと。

 しかし本日のイラスト。ずいぶんとわかりにくいというか、要領をえない絵ですみません。

 手前味噌な言い方になりますが、商売ガラっていうか、「モノのカタチ」については古い記憶であっても、「全体像」と「細部」の両方を確認するクセ、というか、モノ自体に対する興味っていうのが絵を描くのが好きな人には備わっているものなんですけど、海音寺さんのお宅については、この「壁」の記憶がすべてです。
 もっと正直に言うと「黒っぽかったな」っていうだけのモノです。

 ナゼか。
 実は私、当時、小学校中学年くらいでしたが、この時ヒドい腹痛で死にかけていたんですね。
 母親が「この家、昔に海音寺さんが住んでたんだよ」と教えてくれました。
 しかし私はソレどころじゃありません。

 辞世の句を詠んでおくべきじゃないかってくらいのイキオイ。モウロウとしていたんですね。
 あまりに激症であったため、赤痢を疑われて病院で採血してもらった直後。
 余談になりますが、死にそうになってる時の採血っていうのは、自分のカラダから、さらに活力を抜かれるようで非常にツラいです。
 私は今でも採血が苦手です。献血なんかも、できれば協力したいんですけど、できないですね。

 ちょっと整理しましょう。
 この地は母親の出身地でして。伊佐市は「牛尾(うしお)」。ここには昔、金山がありました。金が産出したんですね。
 今でも少し離れた「菱刈(ひしかり)」っていうトコからはガンガン、金がザックザクらしいんですけどソレはまた別のおハナシですよ。

 で、海音寺さんなんですけど、お父さんが鉱山技師だったらしく、その関係で牛尾に住んでいたコトがあったらしいのです。

 つまり、上で書きました母親の弁をより正確に言い直しますと、「この家、のちに作家として名を成した海音寺潮五郎さんが子供だった時期にご家族と一緒に住んでいたお宅なんだよ」。でしょうね。
 どうも伊佐市のもっと開けた中心部にちゃんとしたホントのお宅もあったような感じです。

 当時の「技師さん」って良い身分だったようです。このお宅が位置した場所は病院の真ん前でした。村に1軒だけあるって感じの病院ですね。
 死にそうになってた私が病院から出たトコロ。ソコがすなわち海音寺さんのお宅の真正面だったと。一応、母親としては言っておきたかったのだと思います。

 他の労働者諸君のお宅なんかは、海音寺さん宅の裏手に固まっている感じでした。

 私が見た時にはもう牛尾の金山は閉山が決まっていて、社宅群は取り壊されて基礎しか残っていなくて風通しが良くなってました。
 その時期には、金山で働いている人は近くに自宅がある人だけって感じなんだったと思います。
 そんなコトもあって、海音寺さんゆかりのおウチもいずれ早晩なくなってしまう。という読みもあったのかと思います。母親的には。

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 海音寺さんと牛尾地区のつながりについてはネットで検索して知りました。
 今はもう違うようですが、以前に「海音寺潮五郎 牛尾」とかのワードで最初の方に出てきていたブログがございまして、ソコでいろいろと知った次第です。

 その人がナントカ・ピストルズのファンの人で。イギリスのパンク・ロック・バンドですよ。

 私なんかも一応、ひと通りは知ってるつもりですけど、その人はもっとマニアの域に達した方で、具体的には7インチ・シングルについてのアレやコレ、とかね。
 かなりの知識量のようすでした。
 しかし意外な場所でピストルズ・ファンに出会いましたよ。私にしてみれば。

 その方、昔にあった「ポゴ」っていうバンドの人らなんかとお知り合いのようすでしたんで、私よりもほんのわずかに年上なのかと思います。

 ネットの動画サイトで「耳鳴り からかわないで」というワードで検索すると、演奏のようすが出てきます。山口富士夫さんのカバーですよ。
 これがかなり良い。ボーカルはちょっと不安定なんですけど、それが詩の世界をむしろより良く表現していてウマくハマった感じです。
 ネット上ではいろんな方の演奏した「からかわないで」が聞けますけど、今のトコロ、「耳鳴りバージョン」が一番好きかなって思います。

 他にはこのバンドさん、ピストルズのサブスティチュートなんかもカバーしてますけど、こっちは「やっぱ、このバンド良いわ。特にギターとドラム。」って感じでしょうかね。