おとといのエントリの続きでございます。
あらすじを箇条書きにしますと。
・近くの公園で「バラ・サミット・イン富士市」が行われた。
・近隣町内会として参画。大正琴の演奏を企画した。
・イスや机を運ぶにあたり男手が足りないので私が手伝いをすることになった。
演奏会場は、上の写真のとおりでして、公園にある銅像の前で行われました。
図にすると下のような感じです。
「銅像」というのが何なのかイマイチわからないと思います。
ソコで下の画像はその「銅像」がよくわかるお写真。並びましてラッパ状のスピーカー。当日、我が町内会が用意したハイ・フィデリティな音声増幅装置です。
銅像を見ると軍人さんっぽい方が中央におるのですが、これは江戸幕府に開国を迫ったという時のロシアの軍艦の偉い人。
手前の人は着物を着ていますね。こちらは当時の富士の漁民さんです。
詳しい説明は省きますが、軍艦が座礁して困っているトコロを漁師の方々が助けたと。
ロシア軍艦ディアナ号とプチャーチン提督の伝説なんですね。
まぁディアナ号は、伊豆の下田から色々とあって富士にたどり着いたワケで、決して富士市を目指してはるばるいらしたワケではありません。
それにどちらかというと沼津の戸田(へだ)との結びつきの方が強いかなって感じです。
戸田ではロシアの人の格好をして練り歩くお祭りがあるというハナシですからねぇ。
しかし富士の漁民が“命の恩人”であるコトは間違いないワケで、「ミナサン。非常にスパシーバ!」みたいな感じに感謝されたので銅像にして記憶にとどめているんですね。